三、 病気のこと

 「俺あの時本当に助かったて」と祖母は思い出す度に云ったそうであるが、母がまだ三才位の時ジフテリアにかかって高熱を発し、ぐったりとして悪い状態であった。祖母はまだ若い嫁の立場として勝手に医者にかかる事は出来なかった。

 姑の所へ丁度親戚のお婆さんが来ていて襖越しに話し声がきこえた。「あの子熱出して具合悪いんだが構わんで置くと死ぬかも知んねねし」などと云っているのが耳に入った。気が気でなかった祖母はただ子供の熱い額を濡れ手拭いで冷やしたりする外どうにも出来ずにいる所へ折よく祖父が外出から帰って来た。祖父は様子を見るなり「すぐ医者へ連れて行けっ」、この一言で祖母はとぶようにして医者へつれて行った。竹町から大通りへ出る少し手前、私の学校友達であった黒崎さんの大きいお邸があった所で、以前あそこは若杉さんというお医者さんだったと云う。

 若杉先生はこの病気はバヒフウ【馬皮風】(父は馬傷風だと云ったが本当はよく分からない)と云って死亡率の高い怖い病気だ、おくれたら大変だった、と云って直ぐに処置して呉れて助かったのである。ジフテリヤであった。その頃子供の一人や二人、どこの家でも亡くなることは珍しいことではなかった。乳幼児などは医者にかけるものではないというのが、その頃の年寄り達の考えであったそうな。父親の一言で本当に助かったのは母の命であった。今この様な話を聞くとゾッとするのであるが結局はその時にまだ嫁は財布を持たせてもらえなかったという事ではないだろうか。姑が元気なうちは嫁にしゃもじを渡さないというのはこういう事であったとをもわれる。


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