江田島
8.上陸上陸 |
例のごとく江田島生活は艦上生活という想定であったから、娑婆に出ることを「上陸」と言った。上陸して何をするのかというと、思いっきり酒を飲んで羽目を外すのであった。そして思いっきり朝寝をするのだった。 俺とMとが組でウロウロしながらギャルにいろいろアタックしたが、どうも反応がおかしい。おびえたように逃げるのだ。理由は分かっていたのだ。ほとんど角刈りに近い刈り上げ頭、うすらでっかい大男、おまけにヒゲまである。シロウトの若者には見えないということである。関西以西、とくにここ広島では「ヤ」の字がとっても多い所なのだ。AとIも戦果はゼロだった。 する事もないのでビリヤード屋に入った。学生時代に東京で友達に誘われて一度したこと があったが、その時は「四つ玉」だった。際限もなくコツコツと玉に当てるだけのこのゲームは いっぱつで嫌いになりその後は全くしたことがなかった。広島のビリヤードは全部が「ポケット」だった。例によって訳知りがいた。Mだった。関東では「四つ玉」が多いが関西以西では「ポケット」が主流なのだそうだ。もちろん彼はルールにも競技にも詳しくて我々4人はその日の午後を没入した。 近年、プール・バーなるものが流行したがあの流行は無理もない。面白いのである。よんだコースどうりに玉が弾ける快感、ヒットした玉がポケットに「ゴトッ」と音を立てて転がり落ちるときの快感。ゴルフのロングパットを沈めた時の快感に匹敵すると言えば分かってくれる方も多いのではないか。そして しだいしだいにテーブルの上が片付いて行く感じは きれい好きの俺にはぴったりだった。 後日談が二つある。 東京の病院に帰ってから、この4人で渋谷のビリヤード屋に遊びに行った。十数台ある台は ほとんどが「四つ玉」用で片隅にひとつだけ「ポケット」の台があった。当然この台は空いていた。そして我々がゲームをした。ゲームをしている内にいつのまにか我々の台の周りに人垣ができた。Mが「引き玉」でポケット直前の玉を見事に落して白い突き玉が落ちずに戻って来ると人垣から「おぉーっ」という声が上がる。俺が薄く狙った玉が90度の方向にはねてサイドポケットに吸い込まれると「へぇーっ」と感心される。「四つ玉」のクラーいビリヤードしか知らない奴らには派手でダイナミックな「ポケット」がアピールしたのであろう。2時間ほどして我々が店を出ようとした時、受付カウンターにはたった1台しかない「ポケット」の台の順番を取ろうとして10人以上の若者が殺到していた。 後日談その2。 米軍の厚木基地で「極東米軍歯科学会」が催され JNSDFの医官として招かれた時、Banquetのあいだに米軍の士官に”billiards”に誘われた。この時はMは居なかった。歯科学会だったからである。物好きの先輩と組んでU.S.NAVYの歯科医官とゲームをした。陸,空の連中は誰も出来なかったのである。従って少しはココロエのある俺がやらせられたのである。先輩もJNSDFであった。 月曜日の朝の点呼に間に合えばいい、ということだったので江田島地内で日曜の夜を過ごすことになった。殆どの候補生が年間の7分の1の日の為に江田島地内に下宿屋をとっているのだった。普通の家の奥座敷であった。宿を一応確保して初めて学校の裏門(正門は海である)の周りを観察できた。周囲は安い酒屋、バー、サウナ、が有り、普通の家がこの曜日だけは民宿になるのだ。結局、我々は裏門前の安い民宿に朝7時の朝食付きの条件で泊まることになった。 何週目かの日曜日、前日に I の弟だか妹だかが広島まで陸送してきてくれたカローラに乗って 瀬戸内沿岸のドライブをしたこともあった。 I は対岸の香川県出身なのだ。 「上陸」の日に海に出たこともあった。 Mのヨットの腕前を信用してくれた伊東3佐が学校所有の訓練用のヨットを一日借りだしてくれたのだ。授業に使った小さなヨットではなくて、全長10メートル以上ある大きな帆船であった。教官殿達は我々の為に食料、飲物(アルコール類を含む)、つりエサ、つり糸、などを用意してくれたのだ。江田島岸壁から出帆した我々は 昼頃には宮島沖に投錨して伊東3佐、中津2尉、もう一人の関係者は竿を使わずに糸釣りを始めた。あまり暑いので俺とMは海中に飛び込んで躰を冷やした。こんなことをしている船に魚が釣れるわけが無い。
I とAはする事も無いのでビールを飲んで 教官殿と一緒に釣り糸を垂れたりしている。 俺は親父が大の釣りキチだった反発か サカナ釣りが嫌いだった。従って する事が限られてくる。ビールを飲む、日光浴をする、ホテった躰を海水に飛び込んで冷やす、船に上がるとビールを飲む、何回か繰り返す内に、まだ日も高いのに俺はダウンした。そのまま甲板の下の船室の端で眠り込んでしまったのだ。その船室は艤装用具をしまう倉庫だったのだ。従って航海中は天蓋は外されていたのだ。最初は帆とか何かの陰であった場所が潮の加減か何かで船の向きが変わったらしい。俺があまりの暑さに目を覚ました時 俺の全身はもろに初夏の太陽を長時間にわたって浴びたらしく、真っ赤であった。 喉がカラカラなのでビールをあおると 全身を冷やす為にもう一度海に飛び込んだ。無駄な行為だった。ハナ曇りの6月の瀬戸内海の日差しは日陰にいても焼けるそうだ。まして俺は1時間以上も日向に寝ころんでいたのだ。躰の前面がホテって熱い。ビールの酔いも手伝って瞼がはれぼったい。 |