江田島

2.江田島の日課


 0600(マルロクマルマルと読む)起床。ラッパとともに跳び起きて1分以内に着替え ながら校舎前に散開して整列。着替えてからではないのだ。時間が短い。体操着に袖を通しながら走らないと間に合わないのだ。2階にいる候補生には危険ですらあった。寝ぼけたまま階段で転ぶ奴もいるそうだ。俺の分隊はありがたいことに1階だった。
 整列と同時に「号令調整」。全員好き勝手な号令の練習だ。「きおつけえーっ!」「かけあしーっ!」「けいれいーっ!」「右向けーっみぎ!」あらん限りの大声で行なわれる。指揮官養成所であるから当然である。いざという時 誰よりも早く跳び起きて指揮、号令を発しなければならないのだ。その訓練だ。 

 前述したが、これらの1時間前0500に「漕短艇訓練」が突然下令されることがある。まったくの抜き打ちであるが なぜか候補生には分かるらしい。
後で聞いたら @月曜日は無い A雨の日は無い B干潮が大きい朝には無い という。しかし、何か情報が漏れているのではないかなぁ と思われるフシもあった。
 ある朝 気が付くと周りじゅうのベッドからゴソゴソと音がする。着替えの準備をし始めたらしい。と、突然「そーたんてい準備。コース ”ブラボー”。そーたんてい準備。コース ”ブラボー”。」の校内放送だ。コースは沖合いのブイを回るパターンがいくつか決められているのだ。指示された通りにいちばん早く回って帰ってきた隊には得点が加点される。それが卒業成績に加味され、ひいては将来の昇進にも影響するのである。みんな必死である。
 「ブラボー」とは単に”B”のことで 間違いの無いようにした表現である。「朝日のア。いろはのイ。兎のウ。」と同じだ。A〜Fコースまであった。ちなみに、Aは「アルファ」、Cは「チャーリー」、Dは「デルタ」、E「エコー」、F「フォックストロット」。余談ではあるがそのほかのアルファベットには R「ロミオ」、J「ジュリエット」、P「ポパイ」、O「オリーブ」、X「クリスマス」又は「エクスレイ」、など面白い略号もあった。

 さて、「号令調整」が終ると体操である。腕立てふせもやらされる。けっこうきつい体操である。ここまでくれば完全に目が醒めてしまう。
「かんぱんそーじ!」の号令で全員 割当の部所の掃除にかかる。

 0700 第3種夏服に着替え、教材を入れたズック地の鞄を小脇に抱えて再び同じ場所に集合。今度は各教科の分隊で整列する。ここで初めて衛生課の面々と一緒になる。校長閣下が登壇され、ラッパの音とともに日章旗が掲揚される。登って行く日の丸に向かって「かしらーっなかっ!」と敬礼する。
校長閣下が降壇されると 各分隊の「講話」の時間である。毎日順番で自分の分隊の前にでて、自分の分隊に対して何かの「おはなし」をしなければならない。内容は何でもいい。我々の分隊は1週目は伊東3佐が「江田島の心構え」などを話してくれた。2週目からは我々が順番に行なった。俺も3回ほど内容の無い話をした。これも指揮官訓練のひとつであった。

 日替りの分隊長が号令して教官殿に敬礼。マーチにあわせて分隊行進しながら校舎前面から裏の校庭まで行って 各分隊毎にそこで解散、それぞれの教場に向かうのだ。

午前中:授業及び訓練
1200(ヒトフタマルマル)〜1300(イチサンマルマル):昼食
1600まで 授業及び訓練(適宜延長される)
1700まで 課外活動。ハンドボール、ラグビー、バレーボール、とにかく運動が推奨される。遠泳特訓もこの時間に行なわれる。
1700:朝と同じく、校舎前に集合。国旗の降納。
1800〜1900:夕食と入浴。食堂棟と浴場棟は隣あっていて どちらかが混雑していればもうひとつの方にまわる。
1900〜2030:教室にて自習。他の教室では無線の書取りが行なわれるらしい。そのための校内放送が鳴っている。我々は教科書を見るのも飽きて だべっていた。教室から出るのは許されない。2週目からは大量に買い込んだ文庫本を読んだ。
2030〜 甲板掃除。各寝床のある分隊に帰って自由時間。外出は出来ない。この時間にも風呂に行ける。大事な仕事が「靴磨き」と洗濯機の確保。
2150:総員点呼。当番の候補生3名が当番教官と共にに回って来る。床のゴミ、ハンガーの乱れ、靴の汚れ、事細かにチェックして行く。その度に指摘された者は改善を命じられる。
2200:消灯。やれやれ。

ときどき 消灯後の「臨検」も行なわれる。

 2200(フタフタマルマル=午後10時)の消灯にはまいった。全くのシラフで2200に寝つけるほどもはや俺は純真ではなかったのだ。ところが、俺の配属された内務班の隊員全員がすぐにグッスリと寝込んでしまうのだった。俺より2ケ月も前から訓練に訓練を重ねている。躰を酷使する訓練も衛生課幹部候補生よりずっと多い。疲れているのだ。
4月に入校して5,6月が第一のヤマだそうである。現に、俺の居た6月中にも何人かの退校者が出た。シャバの暮しが恋しくなるのも当り前である。

 2.3日すると、シャバの暮しを持ち込んでいる人々に遭遇した。ある夜、Mが俺を起こしに来た。Mの班には「たたきあげ」の候補生が居たのだ。彼らは 二士、一士、又は二曹で各方面隊に入隊して、各々数年ないし十数年を勤め上げ、部隊で業績を認められ、又はそれ以上の出世を願って この学校に入校した強者達だった。当然年齢も30代〜40代まで居た。彼等は夜な夜な 宿舎中庭の一隅のテラスの下に集い、タバコを吸い、各自が秘かに持ち込んだ酒を酌み交わしながら夜半近くまで語り合っているのだ。俺も秘かに持ち込んだオールドを 早速皆にふるまった。
このことはある程度公認されているらしい。その一角にだけドラムカンに水をはったタバコ消火容器が用意されていた。この集会では授業にない事柄をいろいろと教わった。

 結婚十数年を経た ある候補生。年間の半分以上は航海、乗船勤務で官舎には帰れない。従って、家に泊まる日は毎晩するそうだ。今でも新婚当時の新鮮さだと言う。但し、ひとり息子はなかなかなつかないそうだ。

 遠洋航海に行ったならば、寄港地では制服で出歩け。そのほうがモテるのだ。日本では 呉以外の所では制服で出歩くな。奇異に見られるからだ。
幹部(将校)になったなら、呉でも制服を着るな。曹士が敬礼に疲れるからだ。

 遠洋航海に行くならば、中南米か東南アジアが最高だ。北アメリカ、オーストラリアに比して女の値段がムチャクチャに安いそうだ。

などなど・・・いろいろとタメになる事を教わった。

 この他に、週に一度水曜日に 入校の前日我々が泊まった営内のホテルのレストランがビアホールとしてオープンして、多くの候補生でいっぱいになるのだった。我々には2週間目から許された。

 びっくりしたのは他の候補生の食欲である。おかずの量は決まっているがライス、味噌汁はおかわり自由である。自分で盛り付けるのである。
Mの観察によると、まず大きい方のドンブリに山盛りにしたご飯をしゃもじで押し硬めて平にする。更にその上にご飯をてんこ盛りにするのだ。しかも、それをおかわりする奴がいるそうだ。そんな奴のためにテーブルの上にはでっかいフリカケの筒が3本づつ乗っていた。「のりたま」「うめじそ」「すきやき」であった。後日判明したが、どこの自衛隊でもこれは普遍的な組合せだった。そして、彼らの食べるスピードがまた早いのだ。俺も早喰いの方だが彼らには負けた。

 衛生課幹部候補生が気を付けなければならないのは 敬礼であった。我々はすでに2尉の肩章をくっつけている。従って多くの候補生は行き交う度に答礼を求めて先に敬礼してくる。こちらが答礼して手を降ろすまでやめない。風呂、食堂の行き帰りの校庭、教室前の廊下どこでもである。
しばらくすると 全く無意識に遠くから来る人の肩章を認識して答礼なり敬礼の準備をするようになった。ようするに慣れであるが、最初はおおいに戸惑うばかりであった。

 


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