そもそも、「江田島」と聞いて すぐに何かを連想する人は 大抵年寄りで、今大抵の若者に聴くと 「なに?それ。」と言う反応であろう。俺も行くまで知らなかった。地理
的には瀬戸内海の広島湾に浮かぶ小島のひとつで、歴史的に言えば、旧海軍兵学校のあった所である。その跡地に、米軍の接収時代を経て海上自衛隊幹部候補生学校があるのだ。
昭和51年5月30日 俺は新幹線、バス、フェリー、タクシー、と乗り継いでこの幹部候補生学校の正門前に立った。(後で裏門と分かった。正門は桟橋であった。)
25才であった。同期に入校予定の松下先生(以後Mと記す)と一緒だった。
正門の右側に鉄筋2階建ての建物があり、そこの2階にその日は宿泊する予定だ。
江田島の学生、教官以外の公用の来校者の宿舎だそうだ。畳の部屋に案内された。
ごろごろしている内に、 やはり同期入校予定の安藤先生(以後A)と池田先生(以後I)が到着した。お互いの身の上話をする内に 外は暗くなってきた。それにつれて中は明るくビールを飲みまくってドンチャン騒ぎになった。
訳知りのMが面白いことを言った。
「自衛隊では医官が不足しているはずだ。だから、この学校に居る間に我々の内の誰かが訓練とシゴキに耐えられなくて辞めると言えば 佐官級の上官のクビがとぶことがありうる。
だから、ここでは 我々は特別扱いを受けるはずなのだ。せいぜい気楽にやろう。」
というような 思い上がった意見であった。それはやはり真実であった。後日判明した。
次の朝、全員二日酔いのまま宿舎を出た。
校舎の一室で最初に言い渡された事は、全員床屋へ行って来いということだった。
営内に床屋があり、とても乱雑に我々の頭を「刈り上げ」にしてくれた。
今と違って このスタイルの若者は全く居なかった頃である。とほほ・・。
指導教官殿のオリエンテーションの後 各々の配置分隊が決まり、その日のねぐらとなる部屋に案内された。4人は全く別々の分隊に寝泊まりするのであった。
俺は配属された分隊の副隊長に部屋を案内して貰った。他の隊員はその時訓練中で誰も居なかった。
ベッドのシーツの上になにやらシミらしきものが点々と付いている。彼に何かと尋ねた。
いわく、「カッター漕ぎによる 尻の擦傷の染みです。」この時 俺はシゴキによる除隊を覚悟した。なにせ、4月以前の数カ月というもの ろくな運動はしていない。国家試験の準備のためだ。毎晩、2時,3時まで勉強したり、他の歯科大学の国家試験対策委員会の出版した予想問題を見たり、酒を飲んだり飲まなかったりしていたのだ。躰が完全にナマっていた。体重が増え、下腹部は25才にしては貫禄があると人に言わしめるほどにセリ出してきはじめていた。
副隊長は 褐色の精悍な顔をニコリともさせずに 私物はあそこ、靴はあそこ、甲板掃除何時から(ここではすべて軍艦の中に模した用語が使われる。単なる部屋の掃除も「甲板掃除」である。)寝るときはここに荷物を揃えて、点呼の時の作法は云々・・・と、いちどではとても覚えられないほどの規則を説明してくれた。
予期していた事ではあったが、消灯は10時という早さであった。そして起床は6時。それまでの生活ペースより3時間早い。このギャップは大きかった。
もっと困ることは、突然何の前ぶれもなく朝5時にカッター訓練があることがあるということだった。そんな時間には今までは起きた事はない。幸い俺達衛生科幹部候補生の分隊はカッターを漕ぐために必要な10人に満たないために漕短艇訓練(カッター訓練)はしなくてもいいということだったが、起床して岸壁で訓練の見学をしなければならないということだった。
第2種夏服に着替えて校長閣下に着任の報告だ。校長室に我々4人の外に 我々の指導教官中津2尉、伊東3佐が同席した。2種夏服というのは、白の詰襟、長袖、肩章付きという 戦中派の人々には「七つボタンの予科練の・・」で知られる制服に酷似している。だし、我々のは五つボタンであるが。
江田島学校長というのは海上自衛隊の海將補(海軍少將)という位にあって とても偉い人であらせられるということだった。
校長閣下が入室される迄の間、教官殿が我々に儀式の作法を即席に指導された。
「きおつけ」の姿勢は両足つま先を左右各々45゜に開き、もちろん腹をへこませ、胸を張り、腕はまっすぐに脇につけ、拳を握り、視線は絶対に上官の方には向けず目と同じ高さの前方の壁面に据えること。「敬礼」の号令とともに右腕を右斜め45゜から帽子のひさしに添えて、校長が答礼して手を降ろすまでそのままの姿勢でいること。
いちばん重要な役割を命ぜられたのがAで、「報告します。安藤2尉以下衛生科幹部候補生3名、海上自衛隊江田島幹部候補生学校に入学を命ぜられ、只今着任いたしました。」
という いささかアナクロな長い文章をそらで言わなければならない羽目になった。彼がほんの僅かの差で最先任士官であったからである。
やがて校長が入室され 簡単な儀式が始まった。
心配していた通りIは校長の答礼が終らない内に手を下げてしまい、あわててもう一度敬礼の姿勢に戻った。Aは うわずった声でしどろもどろに着任報告をした。
初日から前途多難を思わせられた。 
|