★第六章〜北海道から再び東北へ...〜★

【1】
 アルバムに残っている乗船券を見ると77年9月10日に自転車運賃400円、旅客運賃650円で大間に渡っている。楽しかった北海道を後にして再び“内地”へ帰ってきた。
【2】
 残念ながら、当時の日記を無くしてしまい、詳しい記憶がない。覚えているのは陸中海岸の登り下りの厳しさと、平泉・毛越寺の庭園が綺麗だったことを覚えている。陸中海岸では、登りに足を使い、下りで足を休めると次の登りが登れなくなってしまった。この時、話には聞いていたが、下り坂での「空ペダル(足を休ませないために負荷が掛からなくても下り坂でペダルを踏み続けること)」の必要性を知った。
【3】
 松島の海岸近くの公園を宿にしようと荷物を広げているとお巡りさんがやってきて、「何をしている?今日は土曜日、暴走族の日だから危ないぞ」と注意をされた。すごすごと引っ越しをして小高い山の上の公園に泊まった覚えがある。
【4】
 福島に入った頃、北海道に出発する時に「23日の法事には戻ってこい」と言われていたのを思い出した。確かこの時はまだ9月20日頃だったので充分間に合うと思い、「23日の法事には間に合うよ」と、自宅に電話をする。すると母親曰く、「何を言っている。法事は8月に終わっている」
 ......なんと、私は1ヶ月も勘違いをしていた......
【5】
 磐梯吾妻道路、磐梯山有料道路、第2磐梯吾妻道路等を走って会津若松市に向かう。途中、同じ様な格好をして自転車に乗っている志賀君と会い、鶴ヶ城に向かって一緒に走る。なんと、彼は、この有料道路の峠で週刊誌の取材を受け、記者が峠を登る姿を写真に写していったとか...。
 おいおい、それはないだろ〜。俺の方が隣のもっと高い峠を越えてきたんだぞ〜!
【6】
 夜、鶴ヶ城に着き、隅の方に馬が繋がれていることを不思議に思いながらも二人でお城(城址公園)の中の休憩所で、だいぶ遅くまで飲んだ。
【7】
 次の日、お城の中をうろうろしていると、今日から「白虎祭り」があるという。二人でお城の中の連泊を決めた。朝飯を食ってコーヒーを飲んでいると、フランスからの旅行者に将棋の勝負を挑まれたり、夜は盆踊りに参加して楽しんだ。
【8】
 更に次の日、遅い朝食を食っていると、着物を着た女性が休憩所の周りをうろうろし始めた。何かと思えば「ここがお茶会の会場になっているから明け渡してほしい」という。いつまでも汚い格好をして申し訳ない...。慌てて荷物を片づけた。
【9】
 やっと公園の隅に繋がれている馬の意味が分かった。「白虎祭り」のパレードに使うのだ。パレードに参加した女子高生と友達になり、「今晩もここ(城址公園)に泊まるから米を持って遊びに来ないか〜」と、誘いをかける。なんとラッキーなことに二人が本当に米を持ってきてくれて大感激。しばらくデート(?)を楽しんだ。
【10】
 福島から只見を抜けて岩沢の家に帰ってきた。途中の魚野川などの景色が懐かしい。
 家に帰るなり母親の一声。。。「汚いからすぐに風呂に入れ」
 風呂から出て新しいシャツに着替えるとき、無造作にシャツの匂いを嗅いでしまった。いつも旅先で着替える時に知らず知らずの内にシャツの匂いを嗅いでから着る習慣が身に付いてしまっていた。。。