★第三章〜ついに北海道!〜★

 77年。夏休みに下宿先の横浜市緑区から新潟に帰り、東北三大祭りを見て、北海道一周の計画を立てる。そのためのトレーニングとしてバイト先の大岡山駅までの電車で1時間くらいの道のりを毎日自転車で移動する。その他、都内の移動もほとんど自転車で移動した。道のわからない都内では、山谷や六本木に迷い込んだこともあった。
 出発前に渋谷の映画館を梯子して何本も映画を見た。緒方拳出演の「八甲田死の彷徨」フェイ・ダナウェイ(?)主演の「思い出の夏(64 in summer)」は今も覚えている。その映画のせいか、不安になったのか、少しばかりセンチになってしまったのを覚えている。
 出発してから自転車のペダルを踏みながらも「思い出の夏」のテーマソングを口笛で吹いたり(もちろん本歌は歌えない)、北海道でアイヌ彫りの土産を買った時は「77 in summer」と記念に彫ってもらった。しかし、今そのアイヌ彫りを見ると、情けない事にスペルが間違っている。当然のことながら当時から英語など大の苦手だった。

【1】
 バイト先のレストラン「やぶ食堂」のバイト仲間(安部さん宅)から送別会を開いてもらう。この二人は元気かな〜?ご存知の方はご一報下さい。
【2】
 横浜から三国峠のバス停で一泊し、池の平の実家に帰る。両親をはじめ家族はあきれていた。さらに、北海道に行くことを告げると猛反対される。それでも父が「23日に法事があるから、それまでに帰ってこい」と、言ってくれた。その法事が7月23日であるにもかかわらず8月23日には帰れるだろうと勘違いをして出発した。
 日本海を北上する前に、桜町の友人達に見送られる。田巻(風間)宅にて、田巻は周遊券にて北海道に向かう。
【3】
 8月2日、八幡平有料道路を通って、十和田湖に抜け、子の口キャンプ場に泊まる。
【4】
 夜、キャンプ場では雨に降られた。しかし、雨上がりの奥入瀬渓谷の緑が鮮やかで、霧が出ていたりして、気持ちよく奥入瀬渓谷を走った。
【5】
 輪行車は、やはり華奢だった。青森に着く前に5本目のスポークが折れる。もう、タイヤのバランスはぼろぼろ。下り坂では後輪がぶれているのがわかった。それでも名古屋から日本一周を目指しているという女性(大森さん)と出会い、「おれも負けられねぇ〜」と力んで走った。大森さんとは日にちも決めずに青森駅のねぶた祭りで会うような約束をした覚えがあるが、会うことはできなかった。
 
【6】
 ねぶたを見たり踊ったり...。若い女性を捕まえて写真を撮る癖は、今も変わらない。
【7】
 一晩中、青森駅前の植え込みで、知らない人達と酒を飲んで騒いでいた。この人達をご存知の方、ご一報を...。
                     (1977年8月3日 青森駅泊)
【8】
 青森駅前でけっこう騒いで8月4日の夜。フェリーで函館に渡った。
 函館駅に泊まるつもりで雨の中を駅に着いたが、駅構内は旅行者(?)がいっぱい寝ていて自分のスペースがない。仕方なく、駅前のバス停に泊まった。北海道のバス停のベンチは“かに族(懐かしい言葉?)”が寝泊まりするので、眠れないように工夫がしてあると聞いていた。なぁるほど〜!でも俺は負けない。波形のベンチに寝てやった。
 事件は5日の早朝に起きた。
 朝飯の準備をしながら「これだけの人がいれば一人や二人知っている人がいてもおかしくないよな〜」と考えながら函館駅のトイレに向かう...。メガネをはずしていたのでよく見えなかったが、見たことのあるようなシャツがロッカーの前に横たわっている。「あれれ?」と思い、近づいていくとシャツが起きあがり、私に向かって指を指して「ゲー!サトウ〜!」「ゲー!風間(現:田巻)〜。何してんだお前〜」
 当時、私はつまらない訳があって横浜の風間の部屋に転がり込み、同じ店でアルバイトをしていた。北海道に出発前「どこかで会いたいけど会えないよな〜」と話しながら別々に出発したものの、風間が遅れて函館に入り、私が早く函館に入った。その結果、ここで会うことができた。風間(田巻)とは、今も迷惑をかけながら付き合っている。
【9】
 風間と一緒に朝飯を食いながら「一緒にコーヒー飲もうぜー」と、近くにいた京都からの学生をナンパ(?)する。(当時はこんな言葉はなかったような気がするが...)
 そして4人で函館の町を楽しく(?)デートする。(この二人をご存知の方、ご一報を...)
 ※写真をクリックするとデートの様子が...!
【10】
 「横浜に帰ったら酒を飲もうや」と風間と別れ、風間は左回りの周遊券。私は右回りで北海道一周に出発した。積丹半島の海がきれいだったことを覚えている。