ベルリン〜’壁’から広がる落書き〜2004.03.23-26page 1 | page 2 | page 3 | page 4●その他の地区
落書きが増えると治安が…?
12年ぶりのベルリンはすっかり変わっていた。街はきれいになり、殺伐とした雰囲気が無くなって、夜歩いていても怖い感じがしない。旧東地区が西側の資金によって開発されたことと、連邦共和国の新しい首都として全市が整備されたこともあるだろうが、それだけではないだろう。 1992年には旧西地区の繁華街の公衆電話は大半が壊されていた。夜の盛り場で爆竹のような音がしたあと若者が走って逃げる場面にも遭遇した。ちょうどその頃、ドイツ全土で相次いで極右による外国人襲撃事件が起きていた。 だが今は壊れた電話はどこにも見当たらない。粗暴そうな若者の集団もほとんど見かけない。(パンクスはいるが、彼らは右翼と喧嘩することはあっても、外国人を襲ったりしない。)かわりに街の落書きは確実に増えた。思うに若者が物を壊すかわりに、落書きにいそしむようになったのだ。石の並ぶ殺伐とした風景に色を加えて自分たちの街をかざるようになったのだ。かつてあの非情の壁にそうしたように。ベルリンの壁からあふれ出た落書きは、商業広告と競い合いつつ、いまや街を覆いつくそうとしているかのようだ。 これが暴力の発露だろうか。現在ドイツ全体をパシフィズムが制しているのも周知の通り。若者は人を襲うかわりに反戦デモに行って、殺すな殺されるなと叫んでいる。 「落書きは犯罪の温床なのでこれに厳罰でのぞむことが凶悪犯罪の抑止になる」という馬鹿げた説がある。「割れ窓理論」というらしい。だがここベルリンでは、落書きは自由の証しであり、和合の希求であり、人道に対する犯罪への抗議であった。今後もそうあり続けるだろう。 落書きが壁を倒したと誰かが言っていた。「割れた窓理論」には、「倒れた壁理論」で答えよう。 先頭ページへ 落書天国反戦地獄 |