手術後、1週間目 看護室にいちばん近い個室から大部屋にベッドごと引越した。実家の義姉が
妹と交代して泊まってくれていたので、ちょうど引越しの際助かった。
その部屋には術後間もない患者さんばかりが居て付き添いが必要な人ばかりだった。
なんとかベッドの上に起き上がれるようになったが、頭を少し動かす度に クラクラッ!っとめまいを起こした。
頭がすごく重たい・・・まるでまだ首の座っていない赤ん坊のようだった。
やっと立つことはできたが、まだ歩く事は超難問だった。義姉が身の回りのことを細やかにやってくれた。
トイレはポータブルを脇に置き、わざわざ看護師さんを呼んで体を支えてもらいながら済ませた。
(恥ずかしいだのと言ってられないよね^^;)
トイレが廊下を出てすぐそこにあるのに自分で行く事ができないもどかしさ。。
点滴の合間にいちいち付き添いの義姉に、義姉がいない時は看護師さんを呼んで車椅子で連れて行ってもらわう。
その事が何とも悔しかった。用が済むとトイレの中にある気分が悪くなった時などに押す非常用のボタンをピッ!
すると看護師さんが「どうしました?」っと飛んで来る。
非常用のボタンがこんなにも便利なものだと、この時初めて実感する。。そして、ベッドに連れ戻してもらった。
順調に回復していたが、依然として歩く事ができないまま 8日目に半分抜糸する事になった。
そして、次の日に全抜糸した。頭痛がときたまひどく夜中でも痛み止めを飲む状態だった。
お盆休みも終わり妹や夫は仕事に戻って行き、その代わりに義姉が毎日のように来てくれた。
みんなそれぞれ忙しいのに、遠方から来て面倒を見てくれて、申し訳ないと思いながらも とても有難かった。
実家の母もとても心配していたという。出来ることなら付き添いたかったに違いない。しかし、母自身
3ヶ月前に心臓のペースメーカーの埋め込み手術を受けたばかりだった。余計な心配をさせないよう
手術前から、「大した事は無いんだから病院には来なくていいからネ。」と、手術当日もその後も来させ
ないようにしていた。みんなも母には本当の状態を知らせないでいてくれた。
こんな状態を知ったら・・と 母の事を思うとどうしても言えずにいた。。
以前、同室だったMSさん(術後順調に回復)や、あのスイスイ歩いていたSさんが、隣の病室だった人
までが果物やプリンなどを持って 何かと私の顔を見ると寄っておしゃべりして行ってくれた。
自分では動く事が出来なかったから みんなの気持ちがとても嬉しかった。
髄液がまた溜まってしまったら大変だと、予防の為包帯は、なかなか取ってもらえなかった。
それもきつめに巻いて行くので、もう頭が蒸れるわ痒いわで、すでに限界・・・あと1週間我慢してね・・
と言われた時はガックリした。
手術から10日後、母がシビレを切らし妹に連れられやって来た。
私の顔を見るなりオイオイと泣き出してしまい、これにはさすがに降参だった。^^;
車椅子で院内散歩のOKが出ていたので、母に押してもらい1階売店まで行った。
母は私の世話が出来ることがとても嬉しそうだった。
妹が包帯の隙間から飛び出ている髪の毛を、お団子状に2つ 可愛く縛っていってくれた。
まるでぬいぐるみのパンダの耳の様で、看護師さん達にカワイイと言っていただき(そんな歳でもないが・・(;一_一)
唯一笑いを取っていた。
この頃点滴の針も抜け その間、一歩二歩と歩けるようになり、トイレも誰かに支えてもらえば行ける程になった。
そんな中、地元の友人が二度目のお見舞いに来てくれた。最初は、手術前に(気温が37℃を記録した猛暑の日)
・・・そして、手術後 もう2週間近く経つのだから元気になっただろう、と来てくれたのだった。
まだまともに歩けない包帯姿の私を見て、驚いて帰って行った。
心配してわざわざ二度も来てくれて、友達ってとても有難いと思った。
15日目、ようやく きつめに巻かれていた包帯が取れた。開放された頭が痒かったので思いっきり掻いた。
ブラシを通したが、絡まりあった髪の毛は切れ、抜け そして蒸れて臭った。
次の日にちょうど、救世主のように妹が再び母と共に来てくれた。シャンプーの許可が出ていたので、
妹に一緒に浴室に入ってもらい 座ったままで体を洗ってもらいシャンプーもしてもらった。
普通に何でもない事でも 今はひとりでは到底不可能な作業だった。
久しぶりのシャンプーと石鹸の香りが、とても心地良かった。
次の日に、義姉弟たちや親戚の人達がお見舞いに来てくれた。髪を下げスッキリとして何処を手術したのか
判らない様な私を見てみんな安心して帰って行った。友人にもこんな姿を見てもらいたかったと思ってしまった。
とにかく手の掛かる患者だった。・・・何しろ自分で歩く事が出来ないのだから、食事も配膳してもらい
食後は片付けてもらった。歯磨きも水を持って来てもらい、終わると汚水を捨ててもらった。
すぐそこに洗面所があるのに〜・・・自分で出来ないもどかしさでその度に悔しい思いをした。
面会に来てくれた人を捉まえては 車椅子を押してもらい売店や9階にまで気分転換に散歩した。
その間ひたすら歩行サークルを使い歩く練習・・まるで赤ちゃんがつかまり立ちが出来るようになり、
歩行器を使いだんだんに歩けるようになる・・そんなのと一緒だと思った。
非常に歯がゆい気持ちから、何故こんな目に私が遭っているのか・・・と、運命なるものを恨んだりもした^^;
それからしばらくして、術後20日目に初めてゴミ箱を抱え、歩行サークルなしで廊下の手すりを頼りに
ゴミ捨て場所に自分の手で捨てに行く事ができた。たったこれだけの事だったが、自分の事が自分で出来た
という喜びは今でも忘れられない。少しずつだけど、ちゃんと回復しているんだから・・・と思うようにした。
まだ完全に歩く事は出来なかったが、退院の日が近づいて来た。車椅子で看護師さんに連れられ
一通り検査をし、次の日の午前に教授回診がありついに退院の許可が出た。
嬉しさですぐに家に居る夫に電話をかけ迎えを頼んだ。
そして、まるで逃げるかのように その日の内に退院してしまった。
9月3日、手術から、23日後の事だった。だいぶ日が短くなり、朝晩は秋の気配が感じられた。
退院したものの支えられながら千鳥足で歩くのがやっとで 家に帰っても家事をやることなど到底無理そう・・・
「絶対 ムリ、ムリ!」っということで、しばらくの間 実家の好意に甘え、ちゃっかりお世話になる事となった。
病院が、国立大学病院だからなのか、看護師さん達は昼夜問わず非常に忙しく駆け回り
呼び出しのブザーが止む事は無かった。
それは同時にそれだけ手の掛かる、病状の大変な患者さんばかりだという事になるのだろう。
実家に帰った私は、大変だった入院生活を振り返りながら、母と枕を並べ、その晩は久しぶりに静かな家で
安心して眠ることが出来た。家の中で飼っているスズムシがきれいな声で鳴いていた。

