久しぶりに戻ってみたら・・・
10日間の外泊が終わり、病院へ向かう足がとーっても重かったのは言うまでもない事・・・
自分の居た病室へ行くと、ベッドごと違う部屋に移動されていた。
そして、相向かいのベッドに居た折り紙の得意な中学1年のMちゃんが退院していた。
ベッドの上に色んな折り紙作品と、手製のビーズのブレスレットが置いてあった。
まるでMちゃんが(おばちゃん、手術ガンバレ〜!)っと言っている様で、嬉しさで思わず涙した。
斜め向かいのベッドに居たMSさんが手術をして、術後室で大変な思いをし頑張っていた。
そしてそして、何と言っても驚いたのが私と同じ聴神経腫瘍の手術をした、Sさんが術後10日というのに
元気にスイスイ歩いているではないか!!
それも、何も後遺症が見られず聴力もそのまま、顔面もやや麻痺が見られるものの、元のまま・・・
「あなたも絶対に大丈夫よ。」Sさんに励まされた。これは、期待できそう!!と・・
Sさんの手術の成功の嬉しさに「良かった、良かった。」と、Sさんの手を取りながら泣いてしまった。
手術前日です。
手術前日、執刀する教授医師の手術説明があった。
患者は手術を控え、不安で押しつぶされそうな心で唯一頼りの医師から少しでも安心できる言葉を
聞きたかったハズ。。説明の中で、すでに先生を信頼し覚悟を決めているにも関わらず、しかも前日に何故か
患者を不安に陥れる様な信じられない言葉を、執刀医師の口から聞かされるとは予想もしていない事だった。
夫と共に、冷や汗をぐっしょりかきながら やり切れない気持ちで説明というか話を聞き終えた。
その後、気を取り直し病院内の床屋さんへ向かった。
髪を手術する側の左側の耳を中心に、径10cmをキレイに剃ってもらう為に。。
床屋さんはもう手馴れたものだった。
O医師の書いた、設計図ならぬヘアースタイル図を見ながら 「ふんふん、部分剃りでいいんだね?」と、
バリカンで一気にガァーッ!っと あっという間に剃りあげた。
そしてカミソリで丁寧に仕上げてくれた。今になってみると、あのヘアースタイルを記念に撮っておくべきだったな・・と(*^.^*)
でも、頭の上部の髪が残されたボブヘアーだった為、その髪が耳の後ろの剃った場所をうまく隠してくれた。
丸坊主も覚悟し 術後の為に帽子まで用意していたほどだったので、この事はなんだか嬉しかった。
お風呂に入り、その晩は到底眠れそうにないので 看護師さんに安眠剤をいただき床に入った。
手術当日です。
朝8:30に手術室に入った。二人の息子たち、夫、兄弟姉妹たち、みんなが心配して遠いのに駆けつけてくれた。
「がんばれー!」っと、見送ってくれたみんな。ストレッチャーの上でテレビドラマなどでよく目にするあのシーンが重なり
今 手術台に乗っているのは、自分なんだなぁ・・・などと、周りの心配をよそに不思議と緊張は無かった。
もうここまで来たら、まな板の上の何とやら・・・眠りから覚めたら、すべて終わってる。。。
そんな思いからか覚悟が出来てしまっていたようだった。
スタッフの先生や看護師さん達に挨拶をしてから、天井の照明が明るくてすごいんだな〜・・・
などと関心しながら眺めてるうちに、あっという間に麻酔が効き意識が無くなってしまったzzz〜
予想外の後遺症が・・・
手術が終わり、術後の個室へ戻ったのが午後4時30分だった。
もうろうとした意識の中で、みんなの声が響くように遠くから聞こえたようだった。
先生方にお礼の言葉を言ったつもりだったが、ちゃんと言えてたのかどうか?・・・
そして、体が思うように動かないし何だか変な感覚だ。
頭は当然包帯グルグル巻き。酸素吸入をしながら、腕には点滴の針がブッスリと刺さっており、
おしっこがチュウブで取れるようにセットされ体を動かすな!とばかりに色んなもので固定されていた。
そして、右足の付け根あたり外側にひどい痛みを感じた。
手術中、何時間もずっと右下横向きでいた為、その部分が床ずれを起こしたらしくその処置が施してあったのだった。
頭が重く、耳鳴りが「ギィーン!」 周りの音や声が頭の中で ビンビンと共鳴し、不思議なエコーがかかっていた。
はっきりと意識が戻った時、最初に感じた異変・・・それは左耳が聞こえなくなっていたという事だった。
医師たちが入れ替わり立ち代り、様子を見に来ては
「はい、ニ〜ッっと笑ってみて。自分の名前は?住所は?今どこに居ますか?」っと、
何度も何度も同じ質問をして行った。(ヤダもう先生、小さな子じゃないのだし分かってるから大丈夫〜!)
と、心の中で思っていたが・・・
その中で「左の耳が聞こえますかー?」という質問。
「えっ!ん?ん?」聞こえてなかったのだった。その事に気付いた時、思いっきりショックを受けた。
(先生〜!約束が違うじゃない〜!聞こえは悪くなるものの現状維持のハズだったのに・・)
術後の説明を夫と実家の兄とが聞いてくれた。
手術は成功したが、腫瘍と各神経との癒着が強かった為、聴力が失われてしまった事、前庭神経も傷つき
平行バランスが失われ 味もちょっと判らないかもとの事・・・あまり良い報告ではなかったようだった。
幸いに顔面神経は守られたようなので、唯一それだけはホッとしたのだったが・・
そして、それからの術後の辛い日々が こんなに長く続くとは想像もしていなかった。
一晩中吐き気との闘い・・・吐き気は次の日も治まらず、午前中に回診があった。
教授医師は、私の耳の聞こえをテストして行ったのだろう、目を開けるだけで気分が悪くまともに返事が
返せなかった私は、信じられない様な言葉で叱られてしまった。
「エッ!」っと思ったが時すでに遅し・・医師は怒った様に部屋を出て行ってしまわれた。
言われた事の悔しさと情けなさで涙ぐむ私の肩を、O先生がやさしく擦っていってくれた。
この行為に ダメージを受けた私の心は救われた。
次の日の午後、CT検査とレントゲン検査をするためだからと、バスタオルに包れたまま
ストレッチャーに容赦なく乗せられた。
体を動かす度に激しい吐き気が襲って来る。まして、ストレッチャーで1階まで移動しなくてはならない。。
もう泣きたくなる程辛かった。(お願いだから、今はそっとしておいて〜・・・検査なんていいよぉ〜・・(>o<;)
それを見ていた妹が 代わりに泣いてくれたそうだ。
CT検査台とレントゲン検査台の上に ここでも容赦なく乗せられてしまった。
しばらくの間、食欲は無く 出された食事は全く喉を通らなかった。
予想外の合併症が・・・
術後3日目になると、吐き気は治まったが、頭痛がひどくなり 頭の中に髄液が溜まり
顔がパンパンに浮腫んできた。その液を抜く処置をしなければならなかった。
背中を思いっきり丸め、脊髄に麻酔の注射をし(これがまたググッ!っと押されるような痛み・・・(>_<))
メスが入り背中へ管が差し込まれ 少しずつ溜まった髄液が抜かれた。
ベッドを起こす事も出来ず、横向きの安静状態にしていなければならなかったのは本当に辛かった。
まぁ、ベッドを起こそうとするとひどいめまいが起き、吐き気が再び襲ってくるので起こそうにも起こせなかった訳で・・・
髄液が安定し管が抜けるまで5日間もかかってしまった。
抜いた液が袋に ビックリするくらい溜まっていたのを目撃してしまった。^^;
毎日のように包帯の替えとキズの手当てがあった。
頭のキズは耳の後ろに約15cm。不思議と感覚が無く痛いもかゆいも全く感じなかった。
そして、縫合が糸ではなくホッチキスの針のようなもので止めてあったのだとか・・・
それを聞いた時 本当に驚いた。
そう言えば脊髄の管をとった後も「バチン!バチン!」と、まるで段ボール箱を止めているようなすごい音がした。
看護師さんが「まるでホッチキスそのものよー。」っと、軽く言っていた。
残念〜!・・これも確認しておけばよかったかなぁ・・(^^;;
相変わらず食欲は無く、5日目くらいから お粥と納豆で流し込むようにお茶碗半分くらい
ようやく食べられるようになり おしっこを取る管もようやく抜けた。
感染症予防の為の抗生剤の点滴は、針の場所を変えながらしばらくの間続いた。
術後、交代で泊まり、ず〜っと付き添ってくれた夫と妹に ただただ感謝の気持ちで一杯だった。
いよいよ入院と手術です。U