横浜・山手にある服飾資料館<岩崎ミュージアム>スタッフによる情報告知用HPです。

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スケッチ月記_2026

齋藤眞紀

1964年 川崎市に生まれる。1990年 和光大学人文学部芸術学科卒業。現在、横浜市鶴見区在住。スケッチ40%を主催。舞台美術の制作を皮切りに、抽象具象、平面立体を問わずジャンルをクロスオーバーしながら制作活動を行っている。…その為、「専門は?」と問われるのが一番の弱み。近年はこの岩崎ミュージアムをはじめ、川崎市市民ミュージアム、郡山市立美術館、いわき市立美術館などでワークショップの講師を数多くつとめるほか、横浜市教育文化プログラムの一環で、小学校への出前造形教室を行い、美術の楽しさを広める活動にも力を入れている。

COLUMN2026

夕暮れ時

アメリカ山公園

2026年11月

 
 芸大の受験に三度失敗した父が祖父の退職金の一部を貰い、それまで描いた絵は全部燃やしてくれと頼んでパリに留学する。ところが川崎市市民ミュージアムでの回顧展の折の調査でアトリエの天袋で一枚だけその当時の油絵が見つかったことがある。
 おそらく20歳前後のものだろう、フォービズムの影響を受けた具象画は、お世辞にも上手いとは言えず、このまま芸大を目指し続けていても埒があかないと考えたのも頷ける。
 船でフランスに渡り、パリの日本館に居を定めてすぐ、その当時パリ在住だった浜口陽三を訪ねている。人懐っこい性格だったからだろう、「浜口先生は随分と寿一さんのことを可愛がっていたようです。」と後年、ミュゼ浜口の学芸員の方から教わった。
 その浜口陽三さんから、「油絵を勉強しにくる日本人はごまんといる。君が油絵を描いていても仕方がない」と諭され、スタンレー・ウイリアム・ヘイターのアトリエ17の門をくぐることになるが、いきなり右も左も分からない銅版画の、それも抽象の世界に放り出されたのは、まさに僥倖だったとも言える。
 「パリで認められるには、強い個性が必要だよ。どんな作品でも良いから人真似をしてはいけない」(浜口陽三)
 人生を左右する出会いというものがある。父にとっては、浜口陽三とヘイターの二人がそうだった。一年半あまりのパリ留学で身に付けたヘイター考案の一版多色刷り(ヘイター刷り)を引っ提げて、帰国早々田村泰次郎が経営していた現代画廊で颯爽とデビューすることになるのだから。
 
 今年97歳になった新宿の叔母はよく、「あんたのお父さんは人に好かれる相を持っているのよ。でも、私やあんたはそうじゃないから努力しないと。」と言っていたものだが、確かにそうかもしれない。
自分はどちらかというと母に似ている。信じないかもしれないが、元来は引っ込み思案で、人付き合いを面倒がる方だ。頑なにLINEを拒否するのもそのせいだと思う。
 そんな自分を目にかけてくれた人がいる。高三の時の担任だった I 先生だ。I 先生から卒業の時に書き込みがいっぱい入った吉本隆明の『共同幻想論』をもらった。初めはまるで歯が立たなかった。でも諦めずに二度三度と繰り返し読むと朧げながら掴めてくるものがある。この体験はとても貴重だった。分からなければ分かるまで、出来なければ出来るまでやる。ろくに絵の勉強をしてこなかった自分が、何百、何千枚とクロッキーを繰り返すことで描けなかったものが描けるようになった。〈注1〉
 高校卒業後も読書会と称して、中村雄二郎『魔女ランダ考』、田川建三『原始キリスト教史の一段面』、丸山圭三郎『ソシュールを読む』、市川浩『精神としての身体』などを読まされた。
「マキ、大学の授業なんか聞かなくても分かっているくらいじゃないとダメだよ。それがかっこいいんだぜ」との言葉を真に受けて、浪人時代は受験勉強そっちのけで本を読み耽り、そのおかげで少し人より遠回りをしてしまった。
 大学出たてのまるでど素人の自分に舞台美術をやらせてくれたのも、I 先生だった。デモに繰り出すヘルメットに鉢巻き姿の革労協の連中や、発声練習をする演劇サークルの面々を横目にセットの仕込みをひとりで明治大学の古い学生会館の地下でやった。そのときの芝居で I 先生は演出と脚本を担当した。〈注2〉
 岩崎ミュージアムでの何回目かの個展の折に見に来てくれた I 先生に「マキの絵にはエロスがないんだよ。親父さんの絵にはそれがあるだろう。エロティシズムが。」と言われたことをよく覚えている。
そしてそれから十年ほど経って、あるダンサーの踊りをクロッキーする機会があり、そのうちの数枚をSNSにあげたところ、「これは凄い。サイ・トゥオンブリーの線を彷彿とさせる。緊張と弛緩。よくこんな官能的で流麗な線が描がけるようになった。」と褒めてくれたのだが、それと同時に「しかし…マキの仕事をちゃんと理解できる人間が周りにいないだろう。それだけおまえは孤独だよ。」とも。
 最後に I 先生と話をしたのいつのことだっただろうか?おそらく、I 先生が久しぶりに脚本を書いた、大岡川沿いの若葉町ウォーフでの公演『会社の人事ー歌なき平成の歌/令和アンダーグラウンド』の時ではなかったか?「マキの『大岡川紀行』を演出の佐藤信さんにも読んでもらった。」と、それも随分前のことのように思える。〈注3〉
昨年、I 先生の盟友龍昇さんが「 I さんと連絡が取れない」と心配していたのだが、この秋、I 先生の訃報が郵便受けに届いた。
 

2026年10月28日 齋藤 眞紀

 
今日の絵は:絵具 春蔵絵具/紙 アルシュ Cold Pressed 300mg/m2
 


注1 いま教えている沼津の高校生から“ゴッド・ハンド(神の手)”との異名をいただくようになった。
注2 マニャーナ・セラ・マニャーナ公演『猫の話』高円寺明石スタジオ(1991年11月)脚本・演出:犬井邦益、出演:前川麻子、大鷹明、龍昇
注3 若葉町ウォーフ主催公演『会社の人事ー歌なき平成の歌/令和アンダーグラウンド』(2019年1月)演出:佐藤信、脚本:犬井邦益、出演:龍昇、塩野谷正幸、服部容子ほか

見えるものを再現するのではなく、見えるようにすること

ブラフ99ガーデン

2026年10月

 
 今日は私は気持ちが和いでいて、それでまたペンを取っている。私以外の誰が、私の話に耳を傾ける時間があるだろう?今の私はもう誰もいない、空っぽな人生を送っているというのに。
 
 9月を長雨月(ながめづき)とも言うそうだが、もうひと月以上も雨が降り続いている。
 
 パール兄弟40周年記念ライブのゲネプロが終わった。スペシャルゲストの水樹奈々さん、舞台総覧の手塚眞さん、振り付け界のレジェンド香瑠子さん、ラッキー池田さん、そして我々リーマンズと、なかなか面白い顔ぶれ。もっともこのエッセイが載る頃には残念ながら終わっているけど…。
リハの段階では省エネモードに徹する我々。それでも初めてリーマンズを目の当たりにする水樹奈々さんは唖然としている。
 帰り際、手塚監督に「リーマンズへのダメ出しはないんですか?」と尋ねると、「リーマンズにしても仕様がないでしょ。」と素気無いお言葉。確かに、「いま、アイドルの振り付けの時立ち位置とかすごい細かいんだけど、もすけさんなんか立ち位置探してうろうろしていて面白いんだよ。」とラッキィさん。そう言われれば返す言葉もない。それでも「特にプルプル〈注1〉はポーズで好きな時に止まると動き続けているより、実は動いているように見えます。音の取り方を変える、繰り返しの動きを入れるとさらに表現が多彩になります。」と、香瑠子先生からは貴重なご助言を頂く。
 
 Aさんとフランシス・ベーコンとダリの話になった。Aさんの仕事は抽象だが、ベーコンの絵と親和性があるように思う。だから影響を避けるため、今までベーコンの絵は見ないできたと。真面目なAさんらしい。ところが最近ようやくベーコンの絵を正視できるようになって、再発見した気分で楽しいと言う。その反面ダリの絵が一つも面白くないとも。
 絵を描く時、何かを描こうとする事ほど愚かなことはない。何かを描こうとするとそこに物語が生まれるからだ。「物語が出来たとたんに退屈に」なる、「絵より物語のほうが大きな声で語り始め」てしまう。〈注2〉
 自分もダリの絵を一度も面白いと思ったことがない。いくら超現実的な世界を活写したとしても、それは「何かを説明的に伝える絵」にすぎず、人間の頭で考えたごくありふれた世界観である。どれほど歪み、誇張され現実離れしようともダリの描くものは世界を再現することであり、人間の心奥にある重要な感覚を解放しようとする意志がない。それはベーコンに言わせればイラストレーション(写実的、物語的)なのだ。
 でも、ベーコンは違う。異形に歪形(いびつなり)にされたベーコンの絵は、一見遅れてきたシュルレアリストのようにも見えるが、絵が物語ることを執拗に避けようとする。彼の絵の本質は何を描くかにはない。「どう描くか?」にある。だからこそ、ベラスケスの『教皇イノケンティウス10世の肖像』のヴァリエーションを飽きもせずに何枚でも描くことができるのだ。それはモネが睡蓮の連作に没頭したのと、セザンヌがサント・ビクトワール山を色々な角度から描いたこととも似ている。彼らにとって再現性(写実性/物語性)は問題ではない。
 
 芸術にとっては、音楽であれ絵画であれ、もろもろの形式を再現したり発明したりする事ではなく、力を捉えることが問題なのだ。まさにこの点においてどんな芸術も具象的なものではない。クレーの名高い表現「見えるものを再現するのではなく、見えるようにすること」は他でもなくこのことを意味している。
 
 Aさんからベーコンのインタビュー集『肉への慈悲』を教わった。
 

2026年9月30日 齋藤 眞紀

 
 
今日の絵は:絵具 シュミンケ/紙 アルシュ Cold Pressed 300mg/m2
 


注1 『プルプル通り』(CD『六本木島』1990年/ポリドール・レコード所収)※プルプル冒頭からフリーダンス、そして『快楽の季節』〈注3〉へ。
後日談:洗練されよりパワフルになったパール兄弟のサウンド、みな60代以上(太一くんだけ50代)なのにもかかわらずパワフルな香瑠子さん、池田さん、リーマンズの「驚異的に変わらぬエネルギーによって、2026年現在におけるニューウエーブ(死語)のステージが見せつけられたとは思います。(手塚眞監督談)」。
※ライブの模様はパール兄弟の公式サイトで配信の予定。https://www.pearlbrothers.jp/news/pearl_is_future_2026
 
注2 デイビッド・シルベスター『フランシス・ベーコン・インタビュー』小林等訳(筑摩学芸文庫)※尚、『肉への慈悲』は単行本発行の時のタイトル。文庫化の時に改題された。
 
注3 『快楽の季節』(LP、CD『未来はパール』1986年/ポリドール・レコード所収)※ライブで必ず最後に演奏するパール兄弟の代名詞。
 
引用 マリア・ジュディッテ・デ・カルバーリョ『こんなにも多くの人が、マリアナ』木下眞穂訳(集英社)」
   ジル・ドゥルーズ『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』宇野邦一訳(河出書房新社)

死のロード

鶴見区下末吉

2026年9月

 
 夏の朝は夜明け前よりも、日が昇った後の7時過ぎから一、二時間くらいの方が涼しい。なぜか。それは空気中に含まれる水蒸気を、温度が低いと濃密に(湿度が高く)感じ、気温が高くなると水分の許容量が大きくなるため相対的な水分量が薄まり涼しく(湿度が低く)感じるのだ。この現象を相対湿度という。
 
 仕事を野球になぞらえると、アトリエでの制作が、まあ文字通りではあるのだが、ホームゲームで、教えに出掛けるのがロードゲーム。この8月はホームでもロードでも仕事が目白押しで休む暇がなかった。
 一例を挙げると、8月21日からの三日間は、まさに「死のロード」〈注1〉。
まず金曜日(8/21)。沼津への出張。沼津はこれで三回目。結構忙しい。
高校生たちに八つ切りと四つ切りの画用紙を渡す。すると、「これで何描くの?」と皆一様に訝しむ。そこで八つ切りの画用紙を手に持ち、満面の笑みを浮かべ「これを “ぐしゃっ” として!」と号令。「えー!」。説明せずともわかったようですね。
 しかもただデッサンすれば良いというわけではない。鉛筆のタッチはクロスハッチング限定にする。
 ハッチングの線を綺麗に引く為には手と指の力を微妙にコントロールする必要がある。特に長めの線を引くのは至難の技。それをやってみせると「やべっ!」だって。クロスハッチング縛りはすなわち、手指の使い方を習得させるための大リーグボール養成ギブス。(古過ぎ!)
 しかし敵もさるもの、夏休み中に集まった生徒たちは芸術コースの精鋭ばかりで、初めてやる割に様になっている。
「次は9月10日に来ます。その時にもう一度これをやりますので、どれだけ3週間で上手くなったかその成果を見せてください。」、「えー!」と、今度は声のボルテージが一際高い。
 翌日の土曜日(8/22)は文房堂アートスクールで朝から三コマ。午前中は油絵、午後はデッサンと夕方もうひとクラス。朝からフルスロットル。
最近は受講生たちもYouTubeなんかを見たりしていて面倒この上なく、この日も「はかり棒とかデスケル(注:こんな棒みたいな…という表現だったのでこちらで勝手に修正)で測るのを教わってない。」と言う。
 うーん。
 もともと絵描きは自称すれば絵描きになれちゃうものでもある。だが、それでも以前は絵で食えるかどうか、個展を銀座でするしないで大きな差があった。そこが本物と偽物の垣根だったのだが、ところがInstagramやYouTubeが主な情報源になると、その垣根があやふやになって有象無象が幅を効かせるようになった。訳の分からん連中がアーティストを気取りYouTubeで配信したりして悦に入っている。でもだ。でも、彼らは基本的に承認欲求や自己顕示欲を満たそうとしているだけでプロと呼べるかどうかがかなり疑わしい。それをまず念頭に置く必要がある。
 はかり棒やデスケルについては、ネットで調べても否定的な意見の方が多かったりする。絵がちまちまするからだ。そんなのに頼らず気合いの方が大事。
 そして、日曜日(8/22)。この日はやはり朝から文房堂7階教室で銅版を使った『モノタイプ』の特別講座。


 
Não adianta fazer os estudantes desenharem o que já conseguem. È preciso fazê-los desenhar o que ainda não conseguem, para que possam melhorar.
(生徒たちに出来ることをさせても意味が無い。彼らが上達するためには、まだ出来ないことをさせる必要がある。)
 
                                  2026年8月31日
 
 
 
今日の絵は:絵具、ダニエル・スミス/紙、アルシュcold pressed 300g/m2


注1 阪神が夏の高校野球開催時に長期間甲子園を離れるのを「死のロード」と呼ぶ。
 
※  『4つの扉』青田直子/久保泰世/齋藤眞紀/山梨且二
   9月21日(月)~26日(土) 11:00amー6:30pm(最終日は4:30終了)
   会場:ギャラリー惣
      東京都中央区銀座7-11-6 徳島新聞ビル3F
      tel&fax 03-6228-5507
      http://www.gallery-sou.co.jp