横浜・山手にある服飾資料館<岩崎ミュージアム>スタッフによる情報告知用HPです。

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スケッチ月記_2026

齋藤眞紀

1964年 川崎市に生まれる。1990年 和光大学人文学部芸術学科卒業。現在、横浜市鶴見区在住。スケッチ40%を主催。舞台美術の制作を皮切りに、抽象具象、平面立体を問わずジャンルをクロスオーバーしながら制作活動を行っている。…その為、「専門は?」と問われるのが一番の弱み。近年はこの岩崎ミュージアムをはじめ、川崎市市民ミュージアム、郡山市立美術館、いわき市立美術館などでワークショップの講師を数多くつとめるほか、横浜市教育文化プログラムの一環で、小学校への出前造形教室を行い、美術の楽しさを広める活動にも力を入れている。

COLUMN2026

ナメクジ

聖公会と山手資料館

2026年3月

 

O mundo não pode senão acabar. Seremos destruídos pela sofisticação do nosso conhecimento tecnológico. Trabalhámos para a nossa própria destruição. Chegou as máquinas do nosso próprio fim . Que venha uma guerra, que venha uma bomba, que faça saltar o mundo dos seus eixos e repor os elementos no seu devido lugar.
O Homem é a maldição da Terra. Ele destrói t tudo por onde passa. Saqueia e esventra o planeta. É preciso um apocalipse para erradicar o mal humano.
〈注1〉

 
 先日仕事帰りにお茶会に呼ばれた。ところがその晩は心がささくれて全く眠れなかった。お茶席がかなり気詰まりだったらしく、なんと、あろうことかそこで出されたミルフィーユのお菓子から無数の触手が伸びて奇怪なナメクジに変身する悪夢を繰り返し見せられたものだからたまったものじゃない。
 夢というものは、朝目覚めると大概は忘れるものだが、この夢だけは違う。そのナメクジを描けと言われれば克明に描写できるくらい脳裏に焼き付いている。
 もともと格式張ったことが好きではない。古い友達にさえ、「マキくんは若い頃から斜めに世の中を見てたもんね。」といわれるくらいだから、予定調和の世界なんぞは糞食らえだ。それでも若い頃はまだ我慢ができたが、この歳になると嫌なものは嫌で、どうにも融通が効かない。だからそういう席はなるべく避けたかったのだが…。
でもさあ、そもそも茶道の精神って、心を穏やかにさせるものじゃなかったっけ?ねぇ、利休さん!
 
 少し長くなるが、冒頭の文章を訳してみよう。かなりシニカルで終末論的なニュアンスが強いがでも、世界の若者達はこれくらい地球の未来について憂を持っているようだ。
 
 「世界は終わらざるを得ない。我々は自らの技術知の高度化によって滅ぼされるだろう。我々は己の破滅のために働いてきた。自らの終わりをもたらす機械にたどり着いたのだ。戦争を起こし、爆弾を落とし、世界をその軸から吹き飛ばして、万物を本来あるべき場所に戻す。
人間は地球にとっての呪いだ。人間が通るところは全てが破壊し尽くされる。大地を破壊し、その内臓を抉り出す。人間という悪を根絶やしにするために最後の審判(黙示録)が必要だ。」
 
 医学誌ランセットに掲載された査読前論文によると、ポルトガル人の若者の3分2(62%)は、地球は、気候変動と環境破壊により破滅の危機に瀕していると感じていて、それはインドの若者(74%)、フィリピン(73%)、ブラジル(67%)に次いで高く、そして10人中9人は、政府はこの地球を守ることに失敗していると思っているという。翻って、日本の若者達はどう考えているのだろうか?〈注2〉
 公益財団法人旭硝子財団の調査によると気候変動を危機的だと感じている高校生は47%弱、Z世代全般は約34%と少々心許ない。もっとも、日本財団が18歳を対象にした環境についてのアンケートでは気候変動に9割近くが不安を感じているとある。ところがその対策として、食べ残しをしないとかそんな程度の認識なので、要するに、漠然とした不安は感じるが、上記の国々の若者の切羽詰まった危機感には及ぶべくもない。〈注3〉
 
 元町公園の奥から聖公会と山手資料館が同時に顔を覗かせる構図を見つけた。おいおい、お前は何年山手で絵を描いているのだと、自分で茶々入れたくなるが、お恥ずかしいことに、この構図で絵を描くのは初めてだと思う(が、ちょと確証がない…)。
春から初秋にかけては木々に埋もれる洋館や教会が、冬枯れのこの時期は樹間の向こうに顔を出し、春夏とは違う光景を作り出す。
聖公会は寸胴。山手資料館は頭でっかちで、両方ともバランスを取るのが意外と難しいのだが、もうそれにも慣れた。おそらく見なくても描けるだろう。見なくても描ける…これは自慢ではない。先日、久しぶりに展覧会をやる方が、「先生みたいにサッと描けないから、四苦八苦して大変です。」という。ところがこちらにしてみれば、それが羨ましい。苦労せずに描けてしまうのはあまり良い事ではない。
 
 花粉が飛び始めたと思ったら、いきなり気温が上がり、目のまわりが痒くて仕方がない。天気予報を見ると、関東地方はすでに真っ赤を通り越し紫色(極めて多い)に染まってしまった。いままでは2月中に花粉の飛散が本格化することはなかった。飛び始めからマックスまで少しラグがあった。その間が、我々花粉症患者にとっては体の順応期間みたいなものだったのだが、それが無いと流石に厳しい。
悪夢にうなされた日は気温が20度を超え、しかも朝から仕事で出かけた。だからそうとう花粉を浴びたはず。おそらく眠れなかったのは、花粉の影響で自律神経のバランスが壊れて、交感神経が悪さをしたからだと思う。つまりお茶席が悪かったわけではない…たぶん。
ところが翌朝、掃除をしているときに台所でナメクジを見つけた⁉︎
                             

2026年2月28日 齋藤 眞紀

 


注1 Luisa Costa Gomes “Visitar amigos e outros contos”(D.QUIXOTE)
注2 Compreensão Oral em Ação C1/C2  Unidade 3 A ansiedade de ser jovem
Texto B-Quase dois terços dos jovens portugueses acreditam que o mundo está condenado
注3 第6回 生活者の環境危機いしき調査 危機的だと思う問題1位は6年連続で「気候変動」、気候変動で、「食糧難が心配」「暑くて体調を崩す」など暮らしへの直接的影響(公益財団法人旭硝子財団)
    日本財団18歳意識調査結果 第69回 テーマ「環境」(日本財団)

詩画集『山手』

山手本通り

2026年2月

 
 
石川町の駅の裏道から 大丸谷坂を登る
影を作るもののない 真夏の太陽の照り付ける路面は 光り輝く〈*〉
 
3月に銀座で一週間版画の自薦展をすることになり、大慌てでアトリエをひっくり返していると思わぬ物にぶつかって、自分でも作ったことさえ忘れていたものだから、あまりの懐かしさに手が止まり、ついページをめくり見惚れてしまう。
その画集の奥付きを見ると2002年9月18日発行。限定10部。「ドライポイントによる“山手”の風景連作」とある。
 
崖に立つ 女子校の校舎を横目に ほどなくすると イタリア山庭園
外交官の家 ブラフ18番館
静かな木陰 朝の空気 さわやかに〈*〉
 
昨年、スケッチ40%展の20周年記念冊子に寄せた文章で、詩画集『江ノ島』のことに触れた。それもアトリエの片付けをして見つけたもので、その仕事が風景を描くきっかけになったと、その時はなんの疑いもなくそう思い込んで書いた。ところが、『江ノ島』の前年に作ったとされる(作者の記憶にない)幻の詩画集『山手』が見つかったのだ。これは齋藤眞紀氏の画歴を書き換える画期的な発見だ。なので、ここに謹んでその誤りを訂正したいと思う。え、それはもう遅い。そう言われれば面目もない。ただ、ニンゲンノキオクハアイマイデツネニユレウゴキ、シバシキョコウヲネツゾウシテハソレガマコトノキオクダトウソブクモノ(人間の記憶は曖昧で常に揺れうごき、しばし虚構を捏造してはそれが真の記憶だとうそぶくもの)だから仕方がないと、苦しい言い訳を付け加えてお茶を濁すことにする。
もちろん若気の至りで作ったものだから、下手くそである。でもどこか憎めないところがある。若い頃の仕事を冷静に見られるのは、こちらが年取った証拠でもあるが、おそらくいま同じように作ろうと思ってもこうはいかない。手が不器用な分、意図しない思惑が入り込んでいるように思えて微笑ましいし、なによりも一生懸命さが良い。20年以上経ったいまでも臨場感が失われずに、新鮮に映るのが素晴らしい。何度も書くが、作った本人が覚えていないのだからここは手放しで褒める。
 
眼下に広がる港 言葉の隙間に入り込む叙情 フランス山に薫る 異国の香り
始まりと 終わり 始まりと 終わり 始まりと 終わり…〈*〉
 
それから二年後、岩崎ミュージアムのカフェと中村川沿いにあったシャノンで『山手の冬、そして春』と題したドライポイントによる展覧会をして、2006年にはその続編にあたる『山手の夏、そして秋』を今度は岩崎のギャラリーで開くことになる。こちらは水彩とドライポイントだった。
 
たゆたう風を 体に受け止めて 木々が 鬱蒼と生い茂る 元町公園
私達と違う 歴史を生きて 私達と違う 時間が流れる 木造の洋館 石造の教会 外国人墓地…
ヤガテココニモ 大きなマンシヨンが建つだろう 私達の歴史と時間が建つだろう
せめて人間の醜いエゴが 見えないように 木々が 覆ってくれるように〈*〉
 
残念ながらその後の山手は自分が書いた(とされる)、予言めいた詩の通りになった。「鬱蒼と生い茂る」木々が切られ「私達の歴史と時間」を押しとどめるものがなくなった。その善し悪しの判断はしばし保留する。ただ、ここに添えられた詩を読むと、自分が絵描きとして生きて行く上でいまポルトガルが担っている役割を、2002年の山手が引き受けてくれていた、そんな気がする。
 
どこからともなく ロッシーニのアリア 心に響く
Una voce poco fa Qui nel cor mi risuonò, Il mio cor ferito è già,…〈注〉
ときには スケッチブックを片手に 心の風景を描いてみるのもよい
ゆったりと 腰をおろし カメラには写らない あなただけの風景を〈*〉
 

2026年1月31日 齋藤 眞紀

 
 
今月の絵は:絵具、ダニエルスミス/紙、ファブリアーノ・アルティスティコ(cold pressed)
 
〈*〉詩画集『山手』より
 

注 Una voce poco fa Qui nel cor mi risuonò, Il mio cor ferito è già,…
 (たった今聞いたあの声が 私の心に深く鳴り響き 私の心は、もう恋に射抜かれてしまった、…)ジョアキーノ・ロッシーニ《セビリアの理髪師》第一幕冒頭のアリアより

À Noite(夜に)

元町

2026年1月


 しばし画家たちは、彼ら自身の語彙の中にあってほとんど技術的な一つの語を口にして来ました。つまり紋切り型というものです。紋切り型は、すでに彼らが始める前にさえ絵の上にある、すでに最悪のものがそこにある。絵画において悪しきもののあらゆるおぞましい例がすでにそこにある、と言えるでしょう。(ジル・ドゥルーズ)〈注1〉

 
 「絵がつまらないか?」と、晩飯の時、父が怒るでもなくこちらに問いかけて来た。数日前、いまの絵は面白くないと母に漏らしたのを聞いたのだ。確かにその頃の父の絵には力が無かった。前年の個展で画面いっぱいに横溢していたエネルギーがまるで感じられなかった。もちろん次のステップへの試作だと重々分かってはいたが、それでも自分の目には過去の焼き直しだと映ったのだ。それから程なくして急性白血病を発病して入院することになる。父が亡くなったのは34年前の1991年12月31日のこと。61歳だった。早くに父親を亡くした子供(この場合は息子)は、父親の年齢を越えられないものだという、強迫観念にも似た思い込みに苛まれるものだ。かく言う自分も長年その不安と共に生きて来たので、まんざら嘘ではない。それに、世間では天才は早世するものだと相場が決まっている。ならば、父より長く自分が生きるはずがない。もし生きるのだとしたら、そもそも非才だったと諦め筆を折る。それもかっこいいかもしれない。そんな自分が今年父親の年齢を越す。どちらにしても61歳という年齢は自分にとってひとつの軛だった。軛(くびき)と言えば、34年前、駆け出しの作家だった自分にとって、その同業の、多少高名でもあった父親の存在そのものが重い足枷だった。だから父が亡くなり、いきなり自立を迫られて困ったものの、内心は、頭を押さえていた重荷が外れてとても楽になった。すでに34年が経つ。そう正直に告白しても構わないだろう。

 
 リスボンでいつも泊まるホテルの近くにお気に入りの本屋があって、街の散策に出る前に、この本屋で本を何冊か買い、それをホテルの部屋に置いてから出かけようと、ホテルのレセプションの男性に声をかけるが、初めはうまくこちらの意図がが伝わらなかった。そこで翌日はChatGPTにあらかじめリスボンっ子らしいフレーズを教えてもらって試した。「Vou ali à livraria, volto os livros no quarto e depois sigo.」〈注2〉すぐに分かってもらえた。やはりポルトガル語話者ならではの言い方というものがあって、それを外すと、分かり難いのだろう。しかし、恐るべきはChatGPT。

 
 自分が何歳のときだったかも、季節も、なぜ父親とその日行動を共にしたのかもすでに覚えていない。おそらく、その日母が用事か何かで家を留守にするので父について行ったのだと思う。まず、関内の駅前にあった横浜市民ギャラリーに寄り、次が神奈川県民ギャラリー、その途中かをりでお茶を飲み、そしてそのまま歩いて元町に。着いた頃は日暮れ時で、深い青色の空にオレンジ色のネオンが眩しく、それから数十年も経ついまでも鮮明に覚えている。元町の中程、ビルの少し奥まったところにある階段を上った2階に、父の知り合いのブティックがあって、そこのオーナーはちょくちょく我が家に遊びに来ていたから、ちびっ子の自分とも顔馴染みだった。夜の帳が降りた元町はいまよりもっと大人びた街だったように思う。軽々しく子供が足を踏み入れてはいけない、差し詰めいまなら異世界とでも言えば良いか。しかし、覚えているのはそこまでで、その後の記憶がない。異世界での出来事は、霞む記憶の向こう側にある。                             
 

2026年1月6日 齋藤 眞紀
 
今月の絵は:絵具、ゴールデン・コア/紙、ファブリアーノ・アルティスティコ(Cold Pressed)

注1 Gilles Deleuze  “Sur la peinture  Cours mars-juin 1981”(『ジル・ドゥルーズ講義録 絵画について』ダビッド・ラプジャード編/宇野邦一訳 河出書房新社)
注2 「本屋に行って、部屋に本を置いて、その後出かけます。」