横浜・山手にある服飾資料博物館<岩崎ミュージアム>スタッフによる情報告知用HPです。

Yamate254

横浜・山手にある服飾資料博物館<岩崎ミュージアム>スタッフによる情報告知用HPです。

Yamate254

HOME | スケッチ月記

スケッチ月記

齋藤眞紀

1964年 川崎市に生まれる。1990年 和光大学人文学部芸術学科卒業。現在、横浜市鶴見区在住。スケッチ40%を主催。舞台美術の制作を皮切りに、抽象具象、平面立体を問わずジャンルをクロスオーバーしながら制作活動を行っている。…その為、「専門は?」と問われるのが一番の弱み。近年はこの岩崎ミュージアムをはじめ、川崎市市民ミュージアム、郡山市立美術館、いわき市立美術館などでワークショップの講師を数多くつとめるほか、横浜市教育文化プログラムの一環で、小学校への出前造形教室を行い、美術の楽しさを広める活動にも力を入れている。

COLUMN2025

所さん!事件ですよ〈注1〉

陣屋坂

2025年10月

 
 「さっき、マルティン・モニス駅で二十八番トラムに乗れなかった残念さもあり、私たちはエストレラ大聖堂の前でどのトラムであれ、来たものに乗って宿に帰ることにする。」『リスボン日和 十歳の娘と十歳だった私が歩くやさしいまち』より〈注2〉
 
 何気なく立ち寄った本屋で、やはり目ぼしいものはないと諦めかけたときふと目に留まった本を中身を確かめもせず買って帰り、寝る時間が近づいているのにも関わらず、つい夢中になって読み耽っていた夜の10時過ぎにHさんから、自分が今年行く日程とほぼ重なるように航空券をポチッとしてしまったと連絡があった。
 Hさんとは、麻布十番にポルトガル文化センターがあった頃からだから、かれこれ十数年一緒にポルトガル語を学んでいる仲だ。今はオンライン授業で月2回顔を合わせる程度だが、そういえば先週の授業の折、画面越しに滲み出ていた行きたいオーラはこういうことだったのか。早速来週二子玉川で会って…杉並在住のHさんがなぜ二子玉川を指定するのかは謎だが、こういう微妙に不思議なところが彼の(そう彼です残念でした)面白いところでもあって、旅は一人でするものと決め込んでいる自分でさえ、Hさんとの珍道中は満更悪くないかもと思っている…そしてポルトガルのどこで落ち合うかの相談をする。これは、事件ですよ。
 
 もうひと月ほど前のことになるが、リスボンで16人が亡くなる凄惨なケーブルカー事故があった。事故直後の映像を見ると脱線して建物にぶつかった車体は全壊。一方、下に降りたケーブルカーの乗客達は我先にと窓から飛び降りたほど現場は鬼気迫るものがあったと思われる。この事故の目撃者は「この先何年生きようともうケーブルカーには二度と乗らない。」と言う。事故当時、おそらく40人くらいは乗っていたはずなので、よく死亡者が16人で済んだと思う。
 このケーブルカー(Elevador de Glória)は、リスボンにある3台のケーブルカーのうちの一つで1885年に開業した。リスボンの中心レスタウラドーレスからやはり繁華街のバイロ・アルトにあるアルカンタラ展望台へ昇っていく路線で、おそらく一番観光客が多い。
 事故原因は二台のケーブルカーを繋いでいるケーブルが断線したことによる。上の停車場にケーブルカーが着く寸前に支え(ブレーキ)を失い滑り落ちたのだろう。詳しい事故原因は45日後に発表するという。
 
 自分がこの道で飯を食うきっかけは舞台美術に携わるようになったからだと以前書いたことがある。その頃からの友達が先日下北沢で『十二人の怒れる男』を芝居にかけた。
 彼の名前は松本光生。ハツビロコウという紛らわしい(ハシビロコウと)名前の劇団を主催している。
 20歳代の頃は、くだらないギャグ、というか、ちょっとニヒルなショートコントのような芝居を志向していて、一緒に芝居をした仲でもあるのだが、それは黒歴史なので詳しいことは書かない。ところが、そんな松本くんが自分の劇団を立ち上げてからは真面目一辺倒の芝居をするようになった。いわゆる社会派ってやつだ。観る方としてはお尻が痛くなって困るタイプ。それが最近、チェーホフやイプセンなどの古典の翻案(自分で翻訳している)に傾倒し出して、そして今回、『十二人の怒れる男』をやった。これは事件(傑作)だった。おそらく今年一番の出来。滅多に他人を褒めないというありがたくない評判を頂戴するその自分が断言するのだからまず間違いがない。素人考えだが、古典を演出するようになって間が良くなって、確実に一本の芝居に時間が流れるようになった、そしてそれを観客と共有出来るようになった、相変わらず尻は痛いがそんな気がする。
 余談だが、この夏、「ハツビロコウ」の文字をデザインした。「文字にデザイン性があるとありがたいです。この文字を見るとハツビロコウの作る芝居がイメージできるような。」と人に頼んでおきながら、「しかし、予算ががない。」と、図々しいのはいかにも松本くんらしく、笑いながら(引き攣り笑い?)引き受けたが、結構いいのができたと自負している。興味があれば、一度ハツビロコウのホームページを覗いてみてほしい。〈注3〉
 
「私たちはトラムに乗り、席に座って窓の世界を見る。そうしてそれぞれに自分の番になれば、トラムから降りる。ただ、誰しもが、いつか一人の例外もなく降りなければならない。それは私たちに与えられた、言ってみれば約束のようなものである。」『リスボン日和 十歳の娘と十歳だった私が歩くやさしいまち』〈注4〉
 

2025年9月30日 齋藤 眞紀

 
 
 
今月の絵は:水彩絵具は春蔵/紙はハーネミューレー・セザンヌ(中目)
 


注1 『所さん!事件ですよ あなたの知らないニッポンが見える』は、2015年からNHK総合で放送している情報バラエティ番組
注2、注4 『リスボン日和 十歳の娘と十歳だった私が歩くやさしいまち』イム・キョソン著/熊木勉訳(日之出出版/マガジンハウス)※原題は『やさしい救い』(1919年刊/韓国)
注3 https://hatsubirokou.jimdofree.com/

おもろいやんけ

アメリカ山公園(山手)

2025年9月

 
 文章というものは面白いもので、朝から一行も書けずパソコンの画面と睨めっこで終わる日もあれば、あっという間に原稿用紙4、5枚分のエッセイが書けてしまうこともある。結局きっかけさえあれば良いのだ、それがどんな些細なことであったとしても、でも書けない時は本当にさっぱりで、一睡も眠れない夜みたいに悶々として辛く、そういう時はいっそのことすっぱり諦めて、読みかけの本の続きでも読んだ方が遥かに健康には良い。
 日本人の実に6割強がひと月に一冊も本を読まないという。なるほどローカルな書店が次々に消えるのも頷ける。たしかに自分の地元でも子どもの頃に二軒あった本屋が、いまは一軒もない。駅前にあった本屋は鰻の寝床みたいな作りになっていて、一番奥のマンガコーナーは学校帰りの小学生の溜まり場だった。ランドセルを無造作に床へ放り出し、2時間も3時間も飽きずに漫画の立ち読みをして、そろそろ帰れと怒られるまで過ごしたものだが、それが原因で立ち行かなくなったか否かは定かではない。また、商店街の中程にあったもう一軒の本屋のレジ奥には石井隆の『名美』や『天使のはらわた』〈注1〉が置いてあって、店主のいない隙を見計らいそっとページをめくったりと、マンガに限らず、本屋に入り浸ればいろいろな本にも巡り会うこととなる。つまり、我々の時代はわざわざ図書館に行かずとも本と触れ合う機会が多かったし、いわゆる不健全図書なる厳しい分類も知らずに、書架には雑多な分野の本や雑誌が置かれ、子供たちを未知の世界へ誘うのに充分な場所であった。そして、いわゆる思春期の目覚めという奴もまた本屋で経験することとなるのだが、それを小さな書店特有の甘くどこか懐かしい匂いがオブラートに包むのである。
 そんな我が世代とは異なり、立ち読みという得難い文化を経験せず、幼い頃からひたすらSNSにのめり込む子供たちを見るにつけ、本当に、ひと月に一冊も本を読まない大人が笑い事ではなく、今の若者は自分が必要とする情報以外はすべてノイズとみなし排除しているのだと、何某の評論家が本を読まない理由を物知り顔で論評をするが、本をノイズ呼ばわりで済ましていれば、知性が欠けらもないつまらない人間になるだけだと杞憂する。
 本を読むのは習慣である。その習慣が無い人間に本は読めない。たとえばひと月に一冊も本を読まない人間が一念発起して本を読もうとしてもおそらく5分と持たないはず。そしてそういう人間は残念ながら言葉の理解力に乏しい。ここで、本と言葉を日本語に置き換えてもらっても差し支えない。だから本に普段から触れることが必要なのだが、その時間さえ無駄と断ずるなら、それは倨傲に過ぎず、かくいう自分は謙虚さが売りで、還暦を過ぎて尚無駄にうつつを抜かしている。いきなり絵の具の話になって恐縮なのだが、水彩絵の具のセットを五種類も使っていて、つまりは先月のこのエッセイで触れた春蔵と、ダニエル・スミス、シュミンケ、ゴールデンのコアにセヌリエというラインナップ。それは側から見れば明らかに無駄に見える話。だが、はじめのうちは絵の具の蘊蓄をひけらかす浅学非才の輩のように、それぞれの発色の違いに面白みを感じ、生徒にこれはこう、あれはこんな感じと吹聴していたところ、ここにきて、つまりは春蔵を使い始めたのをきっかけに、どの絵の具を使っても同じ色味と発色になり、なんや知らんがおもろいやんけと、これまた悦に入っているからそう無駄な話ではないのかもしれない。そしてよく見れば、その違いにもきっと気付くのだが、先日のスケッチ会の折に、三種類の絵の具で描いた絵をそれを断らずにみんなに見せたところ、やはり誰ひとりとして絵の具の違いに言及するものがなく、おいおい大丈夫か君たちの目はと内心でほくそ笑むのだった。
 
「文化=思想的に眺望するとき、われわれは「物的世界像から事的世界観へ」の推転局面を径行しつつあるように看ぜられる。この趣向に棹さし、当の推転を自覚的に把え返しつつ事的世界観を体型的に定式化する作業が蓋し希求される所以である。
是は素より、寔に世界観的地平そのものの更新と相即する以上、一朝一夕にしてなろう筈がなく、抑々非才の身の能くなし得るところではない。」〈注2〉
 

2025年8月26日 齋藤 眞紀

 
今月の絵は、絵具:ダニエル・スミス/紙:アルシュ,Cold Pressed,300g/m2


注1 石井隆(1946ー2022)劇画家・映画監督
注2 廣松渉『もの・こと・ことば』(勁草書房)1979年初版

O céu desfaz-se sobre Estocolmo(ストックホルムの空が溶けて行く)

ベーリックホール

2025年8月

 
Consoante a velocidade da camioneta, havia uma aragem que passava pelo rosto da Marta, que lhe descontrolava os cabelos, mas as suas faces estavam coradas com um tom de vermelho vivo. Os seus lábios apertadas eram linhas.
(トラックのスピードに応じてそよ風がマルタの顔をかすめ、髪を乱したが、彼女の顔は鮮やかな赤い色調に染まっていた。彼女の唇は真一文字に結ばれていた。)
             José Luis Peixoto “Cemitério de Pianos”〈注1〉
 
 銀座で展覧会を見た帰りの電車で無性に厚切りベーコンのナポリタンが食べたくなって、帰る途中肉屋に寄りベーコンのブロックを買った。家に着くと着替えもそこそこに、水を張った鍋を火にかける。ピーマンは輪切り、玉ねぎは薄くスライスする。もちろんベーコンは厚切りだ。湯が沸いてパスタを入れる。本来は少し太めのパスタの方がナポリタンとの相性が良いのだが、手持ちがなく、そこは我慢をする。パスタを茹でている間にフライパンでベーコンとピーマンと玉ねぎを炒め、ケチャップと、それにトマトピューレとウースターソース少々で味のベースを作るのが自分の流儀。あとは茹であがる1分ほど前にパスタをフライパンに移して具材、ソースと共に煽れば良い。しかしここは、見た目を美しくするために華麗にフライパンを煽らなければならない。
 
 リスボンの本屋で買って、それから二年間も店晒しにしていた本がすこぶる面白かった。José Luis Peixoto “Cemitério de Pianos”(ジョゼ・ルイス・ペイショット『ピアノの墓場』)。ペイショットは1974年生まれ。ちょうど自分より10歳若い「彼は執筆のなんたるかを知っており、偉大な作家の継承者となっていくはずだ。」とジョゼ・サラマーゴに言わしめたほどの才能の持ち主。彼の事実上の処女作 “Nenhum Olhar”(邦題は『無の眼差し』)と “Galveias”(邦題は『ガルヴェイアスの犬』)が日本でも紹介されているが、翻訳された二作、特に “Nenhum Olhar” が「Quer ficar deprimido?(鬱になりたいの?」とのコメントが寄せられるくらい救いがなく、この “Cemitério de Pianos” を先に紹介すべきだったんじゃないかと思うのだ。その方が端正で淀みがない、ペイショットのリリカルで美しい文章の良さを感じとれたんじゃないだろうか。
 
 春蔵の水彩絵具を知り合いの画材屋に頼んで買った。春蔵絵具といっても知らない方が多いことだろう、もとは文房堂製の油絵具、水彩絵具と銅版画インクを製造するメーカーだったのだが、2008年に春蔵絵具として独立した。
春蔵絵具は大正時代はじめに初の国産油絵具を作った長崎春蔵の孫にあたる長崎則夫さんがひとりでやっている零細絵具メーカー。以前、埼玉県の入間郡三芳町竹間沢に工場があった時に油絵の生徒を連れてお邪魔したことがある。〈注1〉
本来絵の具は、乾燥を早めるために、顔料とバインダー以外に体質顔料などの補助剤を添加するのだが、春蔵の場合、その補助剤の使用を極力避けている。それ故良質で純度の高い絵の具ができるのだが反面パレットに出してからなかなか乾いてくれない。特に今回、画材屋に在庫が無い分は作りたての絵の具が来たために結構緩く、いまでもアイボリーブラックは完全に乾かないでいる。
現状、国産で手に入りやすいH社の水彩絵具より遥かに質は良いので生徒にも薦めたいところなのだが、パレットに出して乾かないと持ち運びに適さないので、そこが悩ましいところ。
 
o céu desfaz-se sobre Estocolmo(ストックホルムの空が溶けていく)
 
“Cemitério de Pianos” は、1912年のストックホルムオリンピックで競技中に倒れて、その翌日に亡くなったマラソンランナーFrancisco Lázaro(フランシスコ・ラザロ)が死の床で自らの人生を回想するお話。もちろん伝記ではなくフィクション。
 7月14日に開催されたマラソンでは、気温が40度まで上がり、競技参加者の半数が棄権するという過酷な環境下だった。当然のように死因は熱中症による脱水症状だと診断された。帽子を被らず、日焼けを防ぐために全身にワックスまで塗っていたという。そのワックスが自然な発汗を抑えてしまい体を冷やすことができなかったのだ。
 ラザロはリスボンのベンフィカで大工をして生計を立てていた。その工場に隣接してピアノの廃棄場があり、壊れて使われなくなったピアノの修理もしていたという。『ピアノの墓場』のタイトルはそこから来ている。
 
O tempo passa em Benfica, o silêncio passa sobre o cemitério de pianos.
(時はベンフィカで過ぎ、沈黙がピアノの墓場を覆う。)
 
 そろそろ母親の昼飯を作るための買い出しに出かける時間だ。ベーコンがあるので、今日はアスパラとベーコンのペペロンチーネにしよう。もちろんベーコンは厚切りで。

2025年7月29日 齋藤 眞紀


今日の絵は/春蔵絵具とハーネミューレー・セザンヌ


注1 José Luis Peixoto “Cemitério de Pianos”(11.ª edição / QUETZAL)
注2 『老舗画材店の昔ながらの手作り絵の具の禁断のレシピとは⁉︎~レトロ工場見学』YouTubeー現在は工場が移転し埼玉県狭山市新狭山にある。我々が伺った三芳町の工場と比べるとずいぶん綺麗になった。

Ambiente Relaxado
(リラックスできる環境)

鶴見川河口付近(国道)
2025年7月


 
Coisa boa                   良いもの
Cusa sábia di nha vida             私の人生の知恵
Passo largo, sintonia na compasso       大きな一歩、調和の取れた拍子
Voz melodia di amor              愛のメロディの声
                  Nancy Vieira  “Porto Inseguro(Coisa Boa)”
 
 現在のモルナを代表する歌い手のひとりナンシー・ヴィエイラ(Nancy Vieira)。歌詞は、カーボ・ベルデ・クレオール語。モルナ?カーボ・ベルデ・クレオール語?と、この時点でクエッションマークが過ぎる人は先月号から読みなさい!
 歌詞のニュアンスはなんとなくだが分かる。でも、訳すとなると自信がない。それで翻訳は、ChatGPTにお願いをした。〈注1〉
 
 暑い!とにかく暑い。梅雨明けを急かすように太陽が照りつけている。すでに西日本は梅雨が明けた。平年より20日以上も早いらしい。6月半ばまで家族と一緒に日本に滞在していたSérgio先生は、S. Joáo(サン・ジョアン)祭りが行われていたポルトに戻って「(夏の暑さから)Fugi!(逃げた!)」と大喜びだ。気温は28度で、湿度がないから「ambiente relaxado(リラックスできる環境)」だと言う。ところがなんのことはない、ヨーロッパにも熱波が襲来して、パリで40度、ポルトガルやスペインの内陸部では46度超えを記録している。それにトルコでは山火事が発生した。湿度が10%しかないからだ。
 14畳用の白くまくん(日立のエアコン)をアトリエに入れてもらった。兼ねてからの念願だった。真夏の室温が35度以上になり、決死の覚悟で仕事に挑んでいた昨年までと比べると格段に涼しい。それと古いエアコンは(一応、いままでもエアコンはあった)、プレス機のある部屋に付け直してもらう予定。このエアコン、近所にあった材木屋のアパートを借りて妻と住み始める時に買った三洋電機製。サンヨー?そりゃあ、いまの若い人は知らないよね…というくらい古いのだが、一度リコール対象になり、室外機の基盤を交換してからはずっと故障知らずでここまで来ている。流石にリモコンの液晶は寿命でダメになったが、幸い懇意の電気屋さんが同じ機種のリモコンを探してきてくれたので、まだしばらくは行けそうだ。〈注2〉
 新しいエアコンも、日立の倉庫に眠っていた型遅れのものを調達してくれて、ずいぶん安くすんだ。これで夏場もフル稼働できるだろう。家電量販店で買うのも良いが、街の電気屋さんだと色々便宜を図ってくれるので、とても助かっている。
 アトリエの木の床に二箇所割れ目がある。以前天袋…高さが3mくらいのところにある…を整理していた折に脚立が滑って、自分もろとも床に叩きつけられた(さすがに死ぬかと思った)時にやってしまったもの。当時は家の前が大工さんだったので、すぐに修理を頼めばよかったのだが、なんとなく気が引けてほったらかしにしているうちに大工さんが引っ越してしまった。しょうがない、エアコンを入れるのを機に、重い腰を上げて自分で直すことに。
 ドリルで穴をあけ、ジグソーで割れた箇所を切り取り、細かいところは鑿で整え、床板を貼れるように簡易的な柱を作って…云々とこう書くのは簡単だが、実際にやるのは大変。
 床を直したところで気分一新ジュータンも変えた。こちらはIKEAでセール品をポチッ。そうこのポチッが曲者で、大工仕事をしていると何かと新しい工具が欲しくなって、ついAmazonをのぞくと、なんとBOSCHのプロ用18Vの振動ドリルドライバーが充電器、バッテリー2個にケース付きで2万円!(安い!)」。素人仕事にはやはり良い工具が必要と言い訳にならない理屈でこれもついでにポチッ。
 BOSCH(ボッシュ)はドイツの電動工具メーカーで、日本のマキタに次いで世界第四位のシェアを持つ。このBOSCH、電動工具以外にも自動車部品、産業機器や家電製品も手掛けていて、実は昨年日立(と米ジョンソンの合弁会社)のエアコン事業を買収したばかり。今後日立の白くまくん(この名前は継続する)はBOSCH製になるのだそうだ。
 

2025年7月1日 齋藤 眞紀

注1 ChatGPTの訳したものを一部手直ししている。
注2 三洋電機:1947年創業、1950年創立。一時は「街の電気屋さん」として親しまれたが、2000年代に入ると経営危機に陥り、2011年パナソニックに買収された。