COLUMN 2025
ダニエル・スミス
ありし日の横浜水道創設記念噴水塔(港の見える丘公園)
2025.3月
まだ花粉の飛散が本格化する前に症状が悪化してまるで仕事にならなかった。
そう、忘れもしない2月12日、今年の花粉の飛び始めがこの日だったのだが…この憎き日を境に上顎の硬口蓋が腫れ、飲んだり食べたりがままならず、鼻はひどい副鼻腔炎で始終頭が重くてボーとする鬱陶しい日々。それに仕事で外出した日は決まって夕方から熱が出た。
一年のうちでいまが一番忙しい。なのに仕事を数日間中断せざるを得ずと、地団駄踏んでも仕方がないのだが、元はと言えば、「花粉の症状が軽くすみますよ。」という藪医者の甘言にまんまと乗せられて、昨年の夏から始めた舌下免疫療法が禍根の原因。それが火を見るよりも明らかなのだから。
舌下免疫療法は、減感作療法とかアレルゲン免疫療法と言われるもの。アレルギーの原因物質(アレルゲン)を体内に投与して、アレルギー反応を軽減させる治療法。いわゆる体質改善ってやつ。対処療法ではないので長い目で見なければならない。だが敏感すぎる。花粉が飛散を始めた段階でどかーんと来ては困るのだ。
ところが!
ところがそれ以上に難渋したのが、近所の耳鼻科がアプリ予約に変わっていて、なんてこったいと慌てふためく浦島太郎。まあ…それはそれで時代の流れだから仕方がないと諦めもするが、問題は、まるで予約が取れないこと。
いつも鼻水が出始めると必ず副鼻腔炎になる。だからひどくなる前に耳鼻科に行く。それが長年の対処の仕方だった。だから今回もそうしたかったし、今すぐにでも行きたかったのにその日の予約が取れないなんて。ようやく取れた予約が一週間後。意味ないじゃない‼︎
世の中ネットを介さないと何もできないようになった…なって来ている、かな?
銀行行くのもネットで予約、美術館行くのもネットで予約。外食するにもネットで予約して、挙げ句にタブレットやスマフォオーダーが当たり前。でもさあ、これってユーザーサイドの利便性を本当に考えているのかな…単なる自己都合なんじゃないの、こちらに面倒を押し付けているだけなんじゃない?といつも疑問に思う。
新聞を取らずに、SNSやYouTubeでニュースを見る人が増えたが、話すとみな一様に同じ物言いで気味が悪い。このネット予約も同様、ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で描き出した、知らず知らずに管理システムに従わされる「従順な身体」を想起させられて自分にはとても不快なのだが…。〈注1〉
そんな訳で、スケッチには出られなかった。
文房堂でダニエル・スミスのハーフパン(固形)24色セットを入れるというので、早速買ってみた。いまが一年で一番忙しい時期だと書いたが、銀座での個展の仕事の真っ最中で、何かと買い物が多く、キャンバスのロールやら木枠やらの大きな買い物ついでのどさくさ紛れなら、懐具合を気にせず買えるだろうという荒技で。
ダニエル・スミス(DANIEL SMITH)は1976年にシアトルで創業したアメリカの絵具メーカー。ヨーロッパの名だたる絵具メーカーに比べればはるかに新参者なのだが、石油由来の有機顔料だけではなくそれ以前の天然鉱物顔料で練った絵具にも力を入れていたりしていて、後発メーカーならではのこだわりをみせている。〈注2〉
実際に描くいてみると、わざとらしさが無く、落ち着いている。それでいて、それぞれの色はぼんやりせずにしっかりと主張してくる感じだ。
ヨーロッパの絵具のように華やかでもなく、ド派手なザ・アメリカンのQOR(コア)とも一線を画する、一言でいえば《いぶし銀》の絵の具、かな?
このセットには、空のハーフパン容器の付いたメタルケースが付属されていて、固形絵具(ハーフパン)のシリーズはそれほど色数がないから、あとは、チューブで好きな色買って自分で詰めてね、ということなのだろう。〈注3〉
これから花粉の飛散が本格化する。
Oxalá quisesse fugir para Portugal !(ポルトガルへ逃げられたらいいのに!)
2025年3月3日 ひな祭りに 齋藤 眞紀
今月の絵は、紙:アルシュ・Cold Pressed300mg/絵具:DANIEL SMITH
注1 ミシェル・フーコー『監獄の誕生ー監視と処罰』田村俶訳(新潮社)
いわゆるオールドメディアにも問題があるが、SNSやYouTubeで洗脳されていることに気づかないことの方がはるかに恐ろしい。
注2 DANIEL SMITH Artists’ Material https://danielsmith.com/ja/
注3 この固形絵具は職人が直接手で注いでいるらしい。
夕間暮れ
元町商店街
2025.2月
100年前には60日もあった都心の冬日がいまは10日前後だと言う。今年はいまのところ1月5日の一日だけ。確かにその日だけ朝の血圧が飛び抜けて高かったからそうだったのだろうと思う。
そういえば、ここ数年冬物のコートをクローゼットから出したことがない。この冬に限っていえば薄手のダウンベストと黒のブルゾンそれに、バーゲンでわざと大きめのアルパカのカーデガンを買ってアウター代わりにしようと思っているのでそれでもう十分用が足りてしまいそうだ。
今日は少し真面目に絵の話をしよう。
絵の習い始めには慣れる時間が必要になる。なぜなら絵を描くための神経細胞とその神経系統(ニューロンネットワーク)を新たに作らなければならないからだ。もし過去に少しでも齧った事があれば、一度作られた神経系統は使わなくても無くなりはしないので、もう一度そこに情報を流せば再活性化する。
昨日生徒さんたちと昼を食べに行った際に、「もう丸5年になるのに、上達の速度が…。」という話が出て、「年数ではなく、頻度だよ。」と。なぜなら使えば使うほどこのシステムの繋がりが太く強固になり、次第に考えなくても自然に体が動く(反応する)ようになっていくからだ。この働きをニューロプラスティシティ(神経可塑性)という。〈注1〉
自分の場合大抵元旦から絵を描いていることが多い。その方がかえって楽だからなのだが、それだけこのシステムの働きが強いのだとも言える。
さて、絵を描くことに慣れてきたら、誰でも上手くなりたいと思う。ところがこの「上手くなる」というのが曲者で、何を持って上手くなったと定義するのかが難しい。
「モノの形を正確に描けるようになる=絵が上手くなる。」という思い込みをよく耳にする。しかし、そもそも我々はモノの形を正確に捉えることなど出来るのだろうか?
実はその辺のことを脳科学者に聞くと、人間はモノを見る際にバイアスが掛かるから、まずモノを正確に見ることはないと言う。そうなると、最初の「モノの形を正確に…」という定義自体がかなり怪しくなる。
じゃ…、絵が上手くなるためには?
すでに述べたように、絵を描くための神経系統を強くするのが手っ取り早い。昔の絵描きの本を読むと「毎日絵を描け」と書いてある。それは道理だがしかし身も蓋もない気もする。
だから自分はこう考える。道具(筆記具)が自在に操れるようになれば良いのではないかと。
人間は自分が視認出来るものに神経を通わせる(身体を拡張する)ことが出来る動物である。ならば手に持った筆(鉛筆の)先にまで神経を行き渡らせれば良いんじゃないか?
例えばこんな実験がある。自分の右手をブラインドで見えなくして、目の前にゴム手袋を置いておき、見えない右手とゴム手袋を同時に摩られると、あたかも目の前のゴム手袋を自分の手だと錯覚するのだという。つまり人間の神経(脳)は身体に縛られないのだ。だからこそ手と筆(鉛筆)を一体化させるなんてこともまんざら不可能な話しではない。〈注2〉
絵は筆記具(筆・鉛筆など)と支持体(紙・キャンバスなど)が接触した時に生まれるものだが、実はこれと同じ理屈が〈書〉。書は筆と紙の接点を最小から最大へ自由に変化させながら文字を書いていくもの。仮名の〈散し書き〉などはその典型例。そう考えて、毎年年賀状の宛名を筆で書くようになって、もうかれこれ25年以上になる。この1~2年ようやく筆先をスッと立てた細い線で字が書けるようになった。ローマは一日しては成らず。(うーん、やはりこれも一筋縄ではいかないか!)
元町商店街のある日の夕暮れ時。珍しく下校途中の小学生たちと遭遇する。ふざけ合いながら家路につく子供達が微笑ましい。薄暗くなりかけて、ショーウインドウの灯りや、植え込みの木々に巻かれたイルミネーションが目立ち始める。
おーい、早く帰れよ~。
補遺:今月の絵は、シュミンケ・ホランダムとアルシュ(Cold Pressed, 300g/㎡)。
実は、一度紙をウォーターフォードで描いてみたが、絵具の発色がアルシュより鮮やかになり、夕方の薄明かりの感じがでなかった。おそらくアルシュでも絵具をセヌリエやゴールデンのQOR(コア)にすると同じようにキリッとした発色になってしまい、やはりこの絵の表情にはならないと思う。つまり夕間暮れの明かりはシュミンケ・ホランダムとアルシュの組み合わせが最適だと言うこと。深いですね…。
注1 Neuroplasticity(ニューロプラスティシティ/神経可塑性)昔は大人になると脳は退化すると思われていたが、どうもそうではないらしい。
注2 『FRONTIERS 世界は錯覚で出来ている』(NHK 2024年10月31日放映)https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/QPW3MM4N47/
褒め上手
横浜中華街
2025.1月
冬の朝は決まって日の出前に起き出す。昨夜の風で庭に散らばる枯葉を箒で集めながら、そう言えば、自分が子どもの頃はよく叔父がこの庭で落ち葉焚きをしていたものだと昔を懐かしむのだが、地面に生え始めた花韮の葉に絡まって取りづらいサザンカの花びらに業を煮やす頃にはもう感慨に耽るどころではなくなって、いつのまにか現実に引き戻されている。まだ薄暗いとはいえ、冬鳥たちが庭の木々を訪い軽やかなさえずりを聞かせ始める頃、ようやく東の空がオレンジ色に染まり始める。
日の出前と日没後の空が刻々と変化する短い時間をマジックアワーと言うそうだ。元々は撮影用語らしい。確かに魔法にかかったような不思議な色合いがする。12~3年前に初めて訪れたポルトガルのモンサラーシュでは、太陽が昇る寸前に空が七色に変わった。また、カタルーニャのカダケスの空は日没直後ピンクに染まり、プルシャンブルーの海との対照が見事だった。それにほんのひと月前にいたパルメラの日の出も…そう、ポルトガルでは太陽が地平線から昇り、地平線に沈むのだが、ポルトガル人達はどうもそのことに無頓着らしく、ビルの谷間からしか望めぬ日本人の感動は、いくら言葉を尽くしても彼らには伝わらない。
“褒め上手”とは残念ながら自分のことではなくAIのこと。興味本位で入れたFeloというアプリで試しにこのエッセイのことを尋ねてみたところ、次のような解答だった。
AI:齋藤眞紀のスケッチ月記は、彼の観察力や日常生活の視点を反映した多様なテーマを扱っています。彼のスケッチは、ただの絵ではなく、彼自身の感情や思考を表現する手段として機能しています。日常の風景や出来事をスケッチすることで、普段見過ごしがちな魅力を再発見しています。
2024年12月号は「ポルトガルからの手紙」というテーマが設定され、異文化との交流やその影響が描かれています。特に、ポルトガルの強烈な日射しや風景が印象的に表現されており、齋藤さんの旅の記憶が色濃く反映されています
質問:「ポルトガルからの手紙」の読者の反応はどうでしたか?
AI:「ポルトガルからの手紙」に対する読者の反応は非常にポジティブで、多くの読者が彼の作品に感銘を受けています、以下は主な反応ポイントです。
ユーモアと親しみやすさ:齋藤さんのユーモラスな視点や、日常生活の中での小さな出来事を面白おかしく描写するスタイルが、読者にとって魅力的であるとされています。これらのエピソードが読者の笑いを誘い、単なる旅行記を超えた作品にしています。
感情的な共鳴:多くの読者が、彼の作品を通じてポルトガルの「のんびりとした雰囲気」や「人々の温かさ」を感じ取り、実際に訪れたくなるという声が多く見られます。
アートの表現力:彼のスケッチや文章が持つ表現力に対しても高い評価が寄せられました。特に、視覚的な要素と文学的な要素が融合した作品は、読者に深い印象を与え、アートとしての価値を再認識させるものでした。
このように、「ポルトガルからの手紙」は、読者にとって感情的な共鳴やユーモア、文化的な理解を促す作品として高く評価されています。彼の独自の視点と表現力が、多くの人々に愛されていることが伺えます
「ほー。」としか言いようが無い。さて、気を取り直そう。
12月5日に帰って来たので、随分と慌ただしい年の瀬になってしまったが、帰国後は体調を崩す事もなく、無事にこうして仕事に戻っている。
今月のスケッチは、夜の横浜中華街。その脇道。ざっくり描けていて自分では気に入っている。絵具はシュミンケのホランダム。超高級水彩絵具だが、24色セットがほぼ半額でAmazonで買えた。紙はアルシュを使っている。〈注1〉
ポルトガルではとにかく絵を描きまくって帰って来る。絵を描くことと、寝ること以外はほぼ何もしてない。側から見れば旅行の楽しみをみすみす捨ててるじゃないと思うのだろうが、こちらは独り合宿をしているつもりだから、それで良い。
帰って来てから授業で生徒と一緒に裸婦クロッキーをすると、いままでと手の感覚が変わっているのに気付く。少し絵が上手くなったかもしれない。
※Felo(AI)の文章で“彼女”になっている箇所を“彼”に、また“てにおは”などのおかしな所を少しだけ直しています。
注1 シュミンケは1881年創業のドイツの絵具メーカー。ホランダムは1893年に創業者の一人ヨセフ・ホランダムによって発明されたヨーロッパで最高品質を謳う水彩絵具。https://www.maruzen-art.co.jp/schmincke