Yamate254

横浜・山手にある服飾資料博物館<岩崎ミュージアム>スタッフによる情報告知用HPです。

プロフィール

1964年 川崎市に生まれる。1990年 和光大学人文学部芸術学科卒業。現在、横浜市鶴見区在住。スケッチ40%を主催。舞台美術の制作を皮切りに、抽象具象、平面立体を問わずジャンルをクロスオーバーしながら制作活動を行っている。…その為、「専門は?」と問われるのが一番の弱み。近年はこの岩崎ミュージアムをはじめ、川崎市市民ミュージアム、郡山市立美術館、いわき市立美術館などでワークショップの講師を数多くつとめるほか、横浜市教育文化プログラムの一環で、小学校への出前造形教室を行い、美術の楽しさを広める活動にも力を入れている。

COLUMN 2024

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後遺症

ぷかり桟橋(みなとみらい)

2024年7月

 
 昨秋ポルトガル取材から帰った後、鼻が突然壊れて副鼻腔炎を併発し、その治りが悪かった顛末はすでに書いた。ところがそれが治ったと思ったら、冬場は身体中に湿疹が出来て痒く、おまけにアトピーで始終赤ら顔。身体の湿疹は花粉の時期をピークに治ったが、まだ手が駄目でかさかさしたりひび割れたり。顔の赤さは冬場ほどではないが、やはり赤い。
 いまだに時々鼻が出る。先日の大雨の日も朝から鼻水が止まらず往生した。
以前に比べてアレルギーが酷くなった気がすると友人に話したところ、知り合いが急にアレルギー性鼻炎になって慌てて耳鼻科に行き、コロナワクチンの後遺症かも知れないと言われたという。(えー、そんなのあり⁉︎
ワクチンは4回まで打った。いまにして思えば4回はやりすぎだったかも知れないのだが、母親に移す心配と、隔離期間の存在がネックで打たざる得なかった。また、2年前(2022年)にポルトガルへ渡る際にはワクチン接種3回が条件だったというのもある。〈注1〉だから、ワクチンを打ったことそのものに後悔はない。
 子供の頃は鼻炎で毎日耳鼻科に通っていたし、女の子と手を繋ぐとすぐに顔が赤くなって散々冷かされもした。20代~30代の頃は手と体の湿疹が酷くてずっと皮膚科に通っていたから、もともとアトピー体質なのだと思う。それが自転車に乗るようになってからあんなにしつこかった湿疹が嘘のように消えたので、だから今回はその逆で、運動不足が祟ったぐらいに考えていたのだが…。
 おそらく自分のケースをコロナワクチンの後遺症と断定するのはいささか無理がある(と思う)。たとえそうだとしても、それに効く薬があるはずもなく、騒ぎ立てても仕方が…いやいや、物は考えようで、ワクチンの後遺症だと言いふらした方がみんなの同情を買えるかもしれない。
 
 最近、電車に乗るとついある英会話学校の広告に目がいってしまう。〈注2〉
 
 「6時半起床、出勤までシャドーイング。」(シャドーイングってなに?それに朝起きたら顔洗って歯を磨いて、掃除に洗濯、風呂場を洗ってetc…出かけるまで忙しくてそんな暇はない。)
「通勤電車は洋書を多読し、」(多読って、老眼鏡掛けないと本なんて読めないよ。だいたい何時間電車に乗るの?)
「寝る前にオンライン英会話。」(晩酌するだろう、そしたらもう眠いから無理。)
「一日3時間、週に21時間、それを3か月。」(まあ…それくらいやらないとものにならないけど、3ヶ月で止めたら元の木阿弥だよ。)
 
 吉田健一は英会話に特化した英語教育に懐疑的だった。どの本だか忘れたが、良い小説(文学)を読めば、それが最良の勉強方法だと書いていたのを覚えている。
 いま、ジョゼ・サラマーゴの“O Ano da Morte de Ricardo Reis”(『リカルド・レイスの死の年』)という本をポルトガル語で読んでいる。例えば、フェルナンド・ペソアの訃報を聞き急ぎブラジルから帰国したリカルド・レイスがしばらく滞在したホテルの近所に家を借りて引っ越す時に、支配人のサルバドールに向かって“Só espero que não me leve mal.”と言う。これは「悪く取らないで欲しい」という意味で、なるほどこう使うのか…と得心する。また“O céu está encoberto, o ar húmido, mas as nuvens, embora muito baixas, não parecem ameaçar chuva.”(曇り空で、湿気があり、雲は低く垂れこめているが、雨は降りそうにない。)というフレーズがあったりして、これなんかは梅雨に入ったいまの季節にぴったり。うまくすれば今晩のポルトガル語の授業で使えるぞと内心ほくそ笑んでいる。〈注3〉
 

2024年6月27日 齋藤 眞紀

 


注1 正確にいうと日本に帰国する際にワクチン接種3回が条件になっていた。
注2 英語コーチングサービス「プログリット」の広告
注3 José Saramago “O Ano da Morte de Ricardo Reis”(Porto Editora)※2002年に彩流社から岡村多希子の訳で翻訳も出ているが、現在は絶版になっている。