「ぼーいず、びー、あんびしゃーすっ!!」

会長がいつものように小さな胸を張ってなにかの本の受け売りを偉そうに語っていた。

というか、完全に聞き覚えのある言葉だった。会長の舌っ足らずで発音メチャクチャな英語はさておき、まさに名言中の名言とも言える。

「青年よ、大志を抱け。ですか。なるほど、俺にハーレムエンドへ突き進めってことですね?」

「うん、とりあえずそんな大志は燃えるゴミの日にでも捨てとこうか」

食べ終わったばかりで若干苦しいのだろうか、会長が小さなお腹を擦りながらも几帳面にツッコんでくる。

「ははは、大丈夫ですよ会長。俺の野望は焼却炉なんかに負けませんから」

「いやいや、そこは燃えとこうよ! 800℃だよ!? 何で金属ばりに熱に対して強いのよ!!」

まだ消化が終わって無いのだろう、いつもならもう少し持つはずの会長の体力が、もう限界に達してしまったようだ。「はぁ・・・」と深いため息を吐きながら、机の上でタレている。

生徒会名物「たれ会長」。俺と知弦さんがそんな会長に萌えていると、食休みしていた深夏が「でもよ〜」と口を開いた。

「大志・・・っていうか、将来の夢だよな。そういうのって、まだハッキリと決まってるわけじゃないしなぁ」

「そうですね。真冬も、将来の自分が何をしているかなんて、あまり想像が付きませんし」

次いで真冬ちゃんも、食後のお茶を飲みながら「ん〜」と首を捻る。

でも、確かにそうかもしれない。今でこそ俺も「ハーレムを作る」という目標に向かって邁進しているが、それこそ一年前に会長に出会うまではただ無為に時間を浪費しているだけだった。

大学に行く。就職する。高校からの進路といえばだいたいがこの二つに分かれるだろうが、それだって絶対じゃない。専門学校へ行くやつだっていれば、フリーターとしてバイト漬けの生活をするやつだっているかもしれない。

要は本人次第ということ。本当の意味での大志というのは、誰もが持っていないようで、実は誰もが持っているのかもしれない。

「それじゃあ、人生というものを経験してみる?」

「「「「え?」」」」

それまで事態を静観していた知弦さんが、自前のバッグから新聞紙より大きな盤と、サイコロ。そして何やらコマのようなものを取り出した。

「どうせ暇になるだろうと思って、作ってきたのよ。そうね、人生ゲームの双六版といったところかしら」

「へえ、面白そうですね。食後のまったりした時間にやるには、ぴったりじゃないですか」

「よっしゃ、やるからには一番を取るぞ!」

「わぁ、コマもそれぞれの似顔絵が付いてるんですね。可愛いです」

「生徒会長として、これは負けられないわねっ」

四者四様の反応を見せながら、俺たちはゲーム盤を囲むようにして座る。

「ちなみにこのゲームの名前は”ドリーム Sugoroku”。略してドSよ」

「「「「・・・・・・」」」」

――そのゲーム名を聞いて、果てしなく嫌な予感がしたのはきっと俺だけではないだろう。





生徒会の一存シリーズ SS

               「合宿する生徒会」

                           Written by 雅輝






〜後編〜





そして二時間後。

「「「「「・・・・・・」」」」」

――返事がない、ただの屍のようだ。

ゲーム盤を囲むようにして座っていたはずの俺たちは、なぜか一様に精根尽き果てたかのように畳の上に倒れていた。

しかも俺たちのコマは、まだ誰一人として「あがり」に辿り着いていない。二時間掛けて、まだ一人も。

「・・・ちょっと、知弦。どーなってんのよ、このゲーム」

何とも弱々しい声で、会長がゲームの開発者に抗議する。

知弦さんも流石にバツが悪かったのか、こちらも憔悴しきった声で「ちょっと難しすぎたかしら・・・」と仰向けのまま呟いた。

何というか、このゲームはハード過ぎた。いや、ハードという言葉すら生温い。TVゲームで表せば、ゲームレベルの「イージー、ノーマル、ハード」のさらにもう一段階上にある隠れレベルみたいなものだ。マスターとか、ベリーハードとか。

「・・・これは軽くトラウマになるよな」

「真冬も、これからの人生に自信が持てなくなりそうです」

同じく憔悴した様子で椎名姉妹も呟く。うむ、激しく同意だ。このゲームを最後まで心折れることなく完遂出来る人がいれば、その人は国民栄誉賞並の功績を残したことになるだろう。

「・・・っていうかまず、プラスの要素が無いのよね、このゲーム」

「ああ。あたしなんかマスに止まるたびに交通事故に遭ったり、家が火事になったり・・・むしろ生きている方が辛いような身体になっちまってるな」

「真冬は、BL作家の職業に就けたのはいいのですが、書く本が全く売れず返本ばかり。その上国会で「BL禁止法」なんかが立法化されて、もうどうしようもなくなっちゃいましたよ。今は近くのコンビニのバイト(時給760円)で、借金を返す日々です」

「私はアイドルとしてTVデビューしたけど、特にヒットを出すわけでもなく、地味に下降。ついには事務所も離れてしまって、農家の親元に戻って大根の栽培に勤しんでいるわ」

「俺は結婚詐欺に5回。住宅詐欺に2回引っ掛かって、老後の年金生活でもオレオレ詐欺に遭いました。総額、1億8千万の負債です。しかももうすぐでゴールって時に、”とりあえず人生やり直しなさい”のマスに止まってふりだしに戻った時は、軽く死にたくなりましたね」

「私は宝の地図を手に入れて、大海原へと繰り出すんだけど・・・そのまま消息が不明。って、なんだか私が一番酷いENDな気がするんだけど」

全員、ため息をひとつ。凄い、ここまで望みがないと、逆に今の人生を精一杯頑張ろうとすら思える。

「でも、確かルールでは最終的に所持金が一番少ない人が最下位なんですよね」

ふと、真冬ちゃんが思い出したようにそう言った。あぁ、そういえば始める前にそんなことを言ってた気も・・・いかん、この二時間が濃すぎて、既に記憶が薄れ始めてるな。

「ええ。とはいっても、みんな多かれ少なかれ借金があるから・・・一番負債が多いキー君が罰ゲームね」

「えっ、罰ゲームなんてあるんですか?」

「ちなみに、これも私が用意してみたわ」

双六を片付け終わった知弦さんがそう言って用意したのは、何の変哲もない5つのボックス。

「ここには、「いつ」「どこで」「誰と」「何を」「どうしたか」がランダムに書かれた紙が入ってるわ」

「ああ、それ知ってるぜ。小さな頃によくやったよ。適当に選ぶと、変な文章になったりして笑えるんだよな」

「そういうこと。それを、キー君に実際にやってもらうわ。ちなみに「誰が」の部分はもちろんキー君ね?」

「・・・ますます嫌な予感が強くなってきたんですが」

「さあ、みんな引いて引いて」

俺の言葉を華麗にスルーして、知弦さんは俺を含める皆にボックスを向ける。なるほど、一人が一つのボックスを担当して、クジみたいに引くのか。

ちなみに中身については、既に知弦さんが自前で書いた模様。音から察するに、結構な量が入ってると思うんだけど・・・。

「それじゃあ、一つ目を読み上げるわよ。ちなみに、五回くらいやってもらうから」

「・・・しょうがないですね。覚悟を決めましょう」



――「三分以内に、売店に、自分ひとりで、ジュースを、パシリに行った」

「普通に嫌がらせな文キターーーー!!」

「っていうかすげーな。あたし、このゲームでちゃんと文になってるの初めて見たぜ」

「流石は神様。杉崎のキャラもわかってるってことね」

「くそぉ、行って来るさこのヤロー!!」



――「一分以内に、売店に、自分ひとりで、お菓子を、パシリに行った」

「時間が短くなってるぅぅぅぅぅ!!??」

「すごいわね。まさかもう一度引くなんて」

「えっと・・・杉崎先輩、頑張ってください!」

「何か応援がすげー居た堪れないけど、行ってくるさコンチクショー!!」



――「今すぐ、女子トイレで、自分ひとりで、服を、脱いだ」

「行ってきます!」

「早っ!!ちょ、みんな杉崎を止めて!被害者が出ちゃうから!!」

「っていうか知弦さん。鍵が一人でっていうの多くないか?」

「だって、相手をさせられる子が可哀想じゃない」



――「今から10分間、この部屋で、深夏と、スパーリングを、行なった」

「急にハードな展開!!!??」

「ふう・・・鍵よ。まさかこんな形で、お前と決着を着けることになるなんてな」

「いやいやいやいや!何でライバル同士みたいな雰囲気出してんだよっ!」

「やるからには本気で行くぜ、ハアアアアアアアッ」

「ちょ、待てって!これは明らかに死亡フラg――」



そして、最後の回。

「・・・あら?」

「? どうしたんです、知弦さん」

俺は深夏とのガチスパーリングで体中に出来た青タンに湿布を貼りながら、怪訝そうな顔をしている知弦さんに問いかける。

「いえ・・・とにかく、そのまま読むわね」

――「深夜の0時、旅館全体で、みんなと、散歩に、向かった」

「・・・なんか、今までのに比べると普通ですね」

「そうだよなぁ、最後にしちゃイマイチ盛り上がりに欠けたけど・・・まあいいんじゃねえ?夜に出歩くのも面白そうだし」

「夜のお散歩ですかぁ。なかなかスリリングですね」

「べ、別に従わなくてもいいんじゃない。ほら、明日はもう帰るんだし、しっかりと睡眠を取っておかないと・・・」

「あれ、もしかして会長さん、怖いのか?」

「ばっ、馬鹿言わないで。こ、こんなの屁のカッパよっ!」

うわぁ、屁のカッパなんて言う人、未だにいたんだぁ。・・・ってそうじゃなくて。

知弦さんの様子が気になった俺は、盛り上がっている三人を尻目に、彼女にアイコンタクトを送ってみる。

『どうしたんですか?知弦さん』

『キー君。・・・実は、今引いた紙・・・私は書いた覚えがないのよ』

『・・・え?』

『私としてもみんなを怖がらせるつもりはなかったし、まず「深夜0時」なんて紙が入ってる時点でおかしいのよ』

『それって・・・もしかして・・・』

『キー君。何か心当たりでもあるの?』

『ええ、ちょっと。「曰く」を思い出してしまいまして』

『曰く・・・』

『どうしましょう?』

『・・・とにかく、今更ここで止めるのも却って不自然だわ。様子を見ましょう』

『そう、ですね・・・』

そこで一旦、アイコンタクト通信は終了。その時点で時刻はすでに9時を回っており、とりあえずは一時解散となった。

0時の5分前に、それぞれの部屋の前の廊下で待ち合わせ、という約束だけを残して・・・。







約束の時間。俺はその30分ほど前から、旅館全体を軽く歩き回って不審な点が無いかチェックしていた。

当然、既に消灯時間を過ぎた旅館は薄い暗闇に覆われており、携帯電話のライトを頼りに歩を進めなくてはならない。俺自身は怖がりということも無いのだが、やはりこうも暗いと雰囲気も出てくるし、それに先ほどから「曰く」が頭を回ってしょうがない。

『曰く・・・ねぇ』

当初はほとんど信じていなかったそれも、今となっては半信半疑のレベルまで上がっている。こうして旅館を歩き回っているとなるほど、確かにこの歴史を感じさせる洋館は、そういった類の話にとっては恰好のロケーションと言えるのだろう。

俺はそんなことを考えながら、ネットの掲示板で盛り上がっていた「曰く」の内容について思い返す。





――その発端は、今から20年以上も前の話。

晩夏の、ようやく涼風が吹くようになってきた、そんな季節だったらしい。

海からもほど近く、また観光地からもそう遠く離れていないこの閑静な旅館は、当時修学旅行の隠れた宿泊スポットだった。

その日も、遠く離れた県からの修学旅行生たちで、館内は賑わっていた。夏休み後すぐの宿泊行事。生徒達のテンションも、否応なしに高くなっていた。

しかし、そのテンションに付いていけない女生徒が一人。彼女はその内気な性格からなかなか場に溶け込むことができず、クラスの中でも極端に影の薄い存在であり、また親しい友人もほとんどいなかった。

就寝前の自由時間。他の生徒たちがそれぞれの部屋でトランプやボードゲームなどの遊戯に興じる中、彼女はそれが当然のようにその輪の中には入ることができない。

彼女は折角来たのだから気分転換に、と旅館の外へと散歩に出かけた。外、とはいっても旅館の敷地内。雑草が生い茂っている中、ひっそりと存在する蔦の絡まった古びた井戸に腰かけながら、彼女はしばらく満天の星空に目を輝かせていた。

丁度その時だった。

長野県西部地震。死者・行方不明者合わせて30人近くを出したこの大地震の余波が、この県にも届いていた。

突然の揺れ。震源地からは離れていたため、実際にはそれほど揺れてはいなかったのだが、夜空に想いを馳せていた彼女はバランスを崩し、成す術なく自身が腰かけていた古井戸の中に落ちた。

まともに頭から落ちたものの、その井戸の底自体がそこまで深くなかったことも幸いし、彼女はその時点ではまだ生きていた。しかしまともに動ける状態ではもちろんあらず、朦朧とした頭では声を出すことさえ叶わなかった。

だから、彼女は思った。「きっと私がいなくなったことに気づいて、探しだしてくれるだろう」と。

しかし、そんな思いをあざ笑うかのように助けは来なかった。それほど大きな揺れではなかったことが災いとなり、その学校の教職員たちが生徒達の安否確認を怠ったからだ。就寝の数分前だから出歩く生徒はいないだろう、という安易な考えも少なからずあったのだろう。

そして翌朝。信じられない話だが、彼女がいないことに学校側がようやく気づいたのは、朝食時に一膳余ったそれを不思議に思った時だった。

すぐに捜索が行われ、その日の内に彼女は発見された。晩夏とはいえ夜は冷え込むこの季節。当然・・・絶命した状態で。

罅が入っていた頭蓋骨を覆う頭皮からにじみ出た血は、すでに乾ききっていたという。死因は、出血多量と脳鬱血。

その死相は記録にこそ残っていないが、とにかく悔恨や苦渋に満ちた、悲壮な表情だったらしい。

それからというもの。この旅館で、ある「曰く」が囁かれるようになった。

敷地内の古井戸の周りには青白い霊体が棲みついており、時折来る学生を見かけては、本館の方に入り込んでくるという「曰く」が・・・。





『・・・ただの噂話にしては、出来過ぎてるんだよなぁ』

約束の10分前。俺は一通り旅館を見たその足で、集合場所に向かっていた。

結局、特に怪しい点などは見受けられなかった。このまま何事もなければいいんだけど・・・。

「あら、キー君早いわね」

歩いて行った先の目的地――集合場所には、知弦さんが一人で佇んでいた。相も変わらず、佇んでいるだけでも絵になる人だ。

「あれ、知弦さん一人ですか?」

「ええ、アカちゃんがまたトランプに熱中してしまってね。もうすぐで終わるでしょうけど、ちょっと抜け出してきたの」

「? なんでまた?」

「私も曰くというのが気になってね。キー君のことだから、きっと旅館の下見くらいはしてるんじゃないかと思って、待ってたのよ」

流石は知弦さん。相変わらず洞察力は半端じゃない。

「・・・そうですね。知弦さんにも知っておいて貰った方が、俺も何かと安心ですし」

「安心って?」

「いえ・・・嫌な予感がするんですよ。とにかく、事情を知る人間が一人と二人では大違いだと思いますし」

「少し長くなりますが・・・」と前置いてから、「曰く」の全貌を知弦さんに語る。会長たち三人が出てきたのは、丁度その話が終わった時だった。





「結構雰囲気出てるなぁ〜」

「そうですね。この旅館自体が、そんなシチュエーションですよね」

「・・・」

懐中電灯を手に前を歩く椎名姉妹が俺と似たような感想を言う中、いつもは一番騒がしいはずの会長は、一切口を開こうとしない。俺の後ろを歩く知弦さんの袖にチョコンと掴まり、今にも泣き出してしまいそうな表情を必死に隠すように体全体が強張っている。

「・・・あの、会長?」

「ひう――っ!!な、何よ杉崎、急に話しかけるからビックリしたじゃないっ。きゅ、急に話しかけるからっ」

・・・可愛い。

おっと、いかんいかん。相変わらず的確な萌えポイントを付いてくる人だ。

いくら虚勢を張るために二度同じ事を言っていても、それをツッコんではいけないんだ。堪えろ、杉崎鍵!今は萌えを感じている時ではない!

普段はあまり発揮されることのない鉄の精神力でどうにか煩悩を抑え込んだ俺は、そのまま会長を諭すように言葉を続ける。

「疲れてるようですし、部屋で休んでてもいいんですよ? 無理に参加する必要はありません。会長である貴女が無理をしないように、副会長である俺はいるんですから」

「杉崎・・・」

会長が瞳を潤ませ、若干紅潮した顔を俺に向ける。俺はそのまま、ニッコリと笑いかけ。

「フラグ、立ちました?」

「立たないよっ!っていうかいつも一言多いのよ杉崎は!」

「あぁ、今の一言が無かったら・・・」と言ってボヤキつつも、会長は知弦さんの手をとりながら俺を抜かすように歩調を速める。その表情には先程のような怯えは薄れているように感じた。

『ふふっ、相変わらずアカちゃんの扱いが上手いわね』

『いえいえ、知弦さんほどではないですよ』

結果的に俺より前を歩くことになった知弦さんが振り返ってアイコンタクトを送ってくるものの、俺はそれに謙遜ではなく本心を返す。おそらく会長を扱わせたら右に出るものはいないと思われる「会長マスター」たる知弦さんに比べれば、俺なんてまだまだひよっ子だ。

『・・・。それにしても・・・』

思う。先程から一帯を渦巻いている、この異質な感じはいったい何なのだろう、と。

俺が先に旅館全体を歩き回った時には、感じることのなかった「不安」。

それはとても口では表現し難いものだけれど・・・あえて表現するならば、「空気が変わった」とでも言おうか。

そう考えるとこの今の隊列は、結構ハマってるかもしれない。怪談話をあまり怖がらない椎名姉妹が二人並んで先頭を歩き、若干薄れたとはいえ未だなお恐怖心と戦闘中の会長を、事情を知っている知弦さんがサポートするように列の中心に収まり、そして俺が殿(しんがり)。

少なくとも何か起こった時には、すぐに対応できるだろうベストな――。



――「クスクスクス♪」



「――――っ!!」

その瞬間、まさに背筋が凍りついた。

間違いない。「いる」。

振り返らなくとも、背中が、肌が、脳が感じてる。俺の背後で不気味に嗤った、その限りなく不自然な存在を。

汗が滲み出る。そして噴き出す。それでも俺は、精一杯の気丈を保って足を前に動かす。

一歩、二歩、三歩。動かすたびに、心臓が跳ねあがる。しかしその「存在」は、ひたひたと鳴らないはずの足音を俺の耳に届かせながら付いてきた。

俺は真っ白になりそうな頭を無理やり動かし、次善策を捻りだそうとする。幸いにも前を歩く4人は、まだ誰一人後ろの存在には気づいていない。

だとすると・・・。

「・・・おっと」

”わざと”スニーカーの靴紐をもう片方の足で踏んで、躓くフリをする。

「ん?どうした、鍵」

「悪い。靴紐が解けたみたいだ。すぐに結んで行くから、先に行っておいてくれ」

不自然にならないように。気取られないように。俺は震えそうになる声でそう伝える。

「何だよ。待っといてやるから、さっさと結んじまえって」

「そうです。杉崎先輩だけ置いていったら、悪霊さんに取り付かれるかもしれませんからね」

相変わらずぶっきらぼうな優しさでそう言う深夏と、図らずもビンゴなセリフを言う真冬ちゃん。

でも今は俺の言葉に素直に従って欲しかった。あまり時間を掛け過ぎると、後ろの存在の興味の対象が彼女たちに移ってしまいかねないから。

「・・・分かったわ、行きましょう深夏。真冬ちゃん」

「えっ、紅葉先輩・・・?」

俺の様子に何かを悟ったのか、知弦さんが会長を引き連れながらも前の二人の背中を押して暗い廊下を進んでいく。そして最後に一度だけ振り返り、アイコンタクトを送って来た。

『・・・気を付けてね』

『はい・・・ありがとうございます』

そして彼女らの姿は、廊下の角を曲がったことによって見えなくなった。





「ふぅ〜・・・」

大きく息を吐く。全ての膿を取り除くような、深い深いため息を。

――「お別れは済みましたか?」

だがそんな暇も、後ろの「彼女」は与えてくれないようだ。相手を恐怖で狂わすような声音で、そう問いかけてきた。

「・・・生憎と、お別れするつもりはさらさら無いんでね」

平静を装いつつ、堅くなった体をギシギシと動かして振り返る。その先にいたのは、なかなかの美少女だった。

肩口までのセミロングの黒髪に、少々たれ目気味の双眸。体型は小柄で、会長と真冬ちゃんの中間ほどか。その丁寧な口調からは、礼儀正しさが覗える。

半透明だということと、少々宙に浮いていることを除けば、立派に美少女として通用する容姿だ。

「キミが・・・サエコちゃんかな?」

間違っているのかもしれないが、他に呼びようもなかったので、「曰く」の話の中にも登場していた名前を呼ぶ。

――「ええ、よく御存じで。二十年ほど前に死んでから、ここで幽霊をやっております」

おどけるような軽口。しかしその一言一言には重みのようなものを感じざるを得ない。これが言霊、というものなのだろうか。

「俺は杉崎鍵。生徒会でハーレムエンドを目指して邁進する、碧陽学園きってのナイスガイだぜっ!」

――「・・・そうですか、では杉崎さんとお呼びしましょう」

「まさかのスルー!?」

――「いえ、理解はしましたよ?ただ・・・少々何を言えばいいのか分からなくなってしまいましたもので」

「その反応はツッコまれるより辛いっ!!」

――「えっと・・・お大事に?」

「それは精神を病んでる人に言うべきセリフだよっ!!」

まさかの軽口の応酬。ひょっとしてこの娘、思っていたより危険な存在じゃないのかもしれない。

――「さて、冗談はこのくらいにして・・・杉崎さん」

そんなことを思っていた矢先。先ほどの軽口と同じような口調で。彼女は楽しげに、俺にこう告げてきた。



――「今から私は、貴方と共にいた彼女たちを殺してきます。邪魔をすれば貴方も死ぬことになりますが、どうなさいますか?」



「・・・」

まさに呆気に取られた、といった気分だった。

その言葉を理解するのに数秒を要し、さらにその言葉が冗談でもなんでもないことに、また数秒の時間を要した。

何となく分かる。

この目の前に立っている、人にあって人にあらざる者は、そんなことも簡単に成し得てしまうのだということが。

幽霊の能力なんて、創作の世界ではいくつも登場し、またそのどれもがこの場においては説得力があるようにすら思えてきた。

超能力、憑依、呪い。こうして軽々しく殺すと言える者ほど、本当にそれが可能な者なのだ。

――「こうして話し合ったのも何かの縁です。貴方だけは助けてあげましょう。ただし、後の4人は殺します」

「な・・・ぜ・・・」

――「何故って?」

そう呟いた彼女は、その顔に今までの人生で見たことがないほどの薄ら寒い笑みを浮かべて。

――「だって、その方が面白いじゃないですか」









「でも・・・今更ですが、杉崎先輩を置いて来て良かったんでしょうか?」

「まあ大丈夫だろ。流石に本当に何か出るとは思えねーし。なあ?紅葉先輩」

「え、ええ・・・そう、ね」

「あれ、どうしたの? 知弦」

「いえ・・・何でもないわ」

「ふーん・・・まああいつなら心配ないでしょ」

「会長さん。凄く自信満々です。やっぱり杉崎先輩を信頼してるんですね?」

「なっ――、ち、違うわよ!・・・でもまあ」



「――あいつは、やる時はやる男だからね」









「・・・だったら、行かせるわけにはいかねーな」

一年前の俺なら、どんな判断を下しただろうか。

でも、俺はあの頃の俺じゃない。この一年間、生徒会の各メンバーと出会い、励まされ、必死に自分を磨いてきた。

胸を張れ、呑まれるな。ここで臆病風に吹かれるようじゃ、到底お前の夢なんて叶うはずないじゃないか!・・・そうだろ? 杉崎鍵。

――「もう一度言います。これは忠告であり、警告であり、命令です。そこをどいてください」

「どくわけにはいかない。キミを、彼女たちの元へ行かすわけにはいかないんだ」

――「・・・命を落とすことになりますよ?」

「それでも、だよ。俺は誓ったんだ。大事なものは、全部この両手に抱えられる男になるって。だから、大事な存在である彼女たちを傷つけさせるわけにはいかない」

――「・・・残念です。貴方はもう少し利口な人間だと思っていたのですが」

「ここで逃げることが利口だというのなら、そんなものはクソくらえだ。そんなことをすればそれこそ、彼女たちにも、飛鳥や林檎にも顔向けできなくなる」

――「わかりました。せめてもの慈悲です。苦しまずに一瞬で済ませてあげましょう」

「――っ!?くっ・・・」

途端、彼女の右腕が青白く発光し、光が解ける頃にはそれは既に腕ではなく、切っ先の鋭い槍のようなものへと変化していた。



――「サヨウナラ」



俺だってただで死ぬ気はさらさらない。だからせめて時間稼ぎをしようと思っていたのだが、その言葉と共に突き出された槍は視認できぬ程の速度で眼前に迫っていた。

俺は覚悟を決め、ぎゅっと瞳を閉じた。

・・・。

・・・・・・。

「・・・?」

いつまで経っても来ない衝撃を不思議に思いつつ、恐る恐る目を開けていく。

そこにあったのは、眼前数mmのところで静止している槍の切っ先と、その向こうに見える彼女の――先ほどの冷たい氷のような笑みではない、満面の笑顔だった。

――「合格です」

「・・・は?」

思わず漏れたのは、そんな間抜けな声。それと同時に彼女は変化を解き、俺は色濃い恐怖から解放されたかのようにペタンと尻もちを付いた。

「え?・・・え?」

――「安心してください。先ほどまでのは、全て演技。つまり冗談だったんですよ」

「じょう・・・だん?」

未だに状況が掴めない俺に、サエコちゃんは苦笑を洩らしつつ。

――「試すような真似をしてすみませんでした。しかし貴方は死という恐怖を目の前にしながらも、自分以外の他人を守った。本当に素晴らしいです」

「えっと・・・とりあえず、何でこんなことをしたのか、聞いてもいいか?」

今頃になって噴き出てきた汗を袖で拭いつつ、ふよふよと浮かぶ目の前の彼女に問いかける。すると、彼女は少し声のトーンを落として・・・。

――「・・・私が死んでしまった経緯はご存知ですか?」

「まあ、ある程度は」

――「なら話は早いですね。あんな死に方をしたせいか、私はこの世に未練の残る幽霊――怨霊の類として、この地に住み着いていました」

「怨霊・・・」

――「ええ。先ほどのような形状変化も、その能力の一つですね。とにかく、あの時誰にも助けてもらえなかった・・・いえ、誰にも気付いてもらえなかった私は、同年代の人のことが信じられなくなっていました」

それはそうだろう。いくら極端に影が薄いといっても、同室の生徒たちですら気づかなかったその状況は、明らかに異常だ。人間不信になっても仕方がないのかもしれない。

――「だからこそ、私は同じ年代の学生たちが、友達やクラスメイトに対してどんな反応を示すのか知りたかった。私だけ特別なんだろうか、と」

「それで、さっきのように演技を?」

――「ええ、実際に人を害したことはありません。でも・・・その結果は散々たるものでした。先ほどのように脅しただけで、皆一様に命乞いをし、さらには友達やクラスメイトですら平気で生贄に差し出すのです」

「な――っ!?」

――「そうか、私だけではなかったんだ。そう安心すると同時に、幻滅しました。人間は、何と醜い生き物だろうと」

「・・・」

――「でも、貴方は違った。命乞いをするどころか、本当に命さえ賭して自分の大切な人を守り抜くことができる人。そんな人が、本当にいたんですね」

「そんな大層なものじゃないさ。俺はただ必死で・・・」

――「必死ということは、それだけ心の余裕が無かったということ。だからこそその行動には、人間としての本質が出てくるのです」

「サエコちゃん・・・」

――「・・・私は、貴方達が羨ましい。私にももう少し勇気があったら、貴方達みたいな素敵な友達が出来て、死なずに済んだのかな?」

そう呟いた彼女の頬には、確かに涙が伝っていた。幽霊でも涙を流すのか、なんて思うわけがない。目の前にいるのは、紛れもなく「人間」の心を持った一人の女の子なのだから。

――「ふふふ・・・どうやらお別れが必要なのは、私の方だったみたいですね」

そこで俺はようやく気付いた。いつの間にか、彼女の体が光の粒子となり、消えつつあることに。

「え――?」

――「どうやら、未練が無くなったようです。ありがとうございました、杉崎さん。貴方のハーレムに立候補したい気分だったんですけど、それももう叶いそうにありませんね」

「・・・サエコちゃんくらい美少女なら、もちろんOKだよ。でも、俺のハーレムは競争率高いぜ?」

――「ふふっ・・・それは、楽しそうですね」

そう言って儚い笑みを浮かべる彼女の体は、既に首から上を残して消えつつあった。

――「杉崎さん」

「・・・ん?」

――「頑張ってください。先ほどのような行動が取れる貴方なら、どんな夢でも――」



きっと、叶いますよ。



最後にそれだけ言い残して。

自らを怨霊と名乗った少女は、最上級の綺麗な微笑みを浮かべて、光となった。









「それでは、お世話になりました」

一泊二日というタイトなスケジュールでの突貫合宿も、今日で終わり。代表者として宿のチェックアウトを済ませた俺は、4人の待っている旅館の入り口へと向かう。

「ご苦労さま、キー君」

「遅いわよ、杉崎」

「どーせ、美人の仲居さんに鼻の下でも伸ばしてたんだろ?」

「杉崎先輩、今度は中目黒先輩も連れていきましょうね♪」

旅館を出て歩き出すと同時に、みんな口々に俺に話しかけてくる。真冬ちゃんの提案は却下するとして・・・ふう、人気者は辛いぜ。



――「クスクスクス♪」



「――っ!!」

確かに、耳に届いた。

振り返る。当然そこには、泊まっていた旅館が存在し、それ以外には何も映らない。

でも、確かに聞こえた。あれはきっと・・・。

『彼女、だろうな』

「どうしたの? キー君」

「何ニヤニヤしてるのよ、杉崎」

「何か忘れものか?」

「それとも、何か見つけました?」

「・・・いや、何でもないよ」

俺は再度踵を返し、言及してくる会長をあしらいつつ、振り返ることなく駅までの道を行く。



――耳に残っているのは、相手を恐怖で縛り付けるものではない、年相応の彼女の無邪気な笑い声。




end


後書き

ようやく書き上がりました。「合宿する生徒会」の後編、UPです^^

かなり長くなってしまいましたが、何とか書きたいことは全て書けたかな、と思います。自分でも、納得のいく出来に仕上がりました。

内容は、前半がギャグで後半がシリアス、と見事に分かれてしまいました。

っていうか後半、ハーレムメンバーが全員空気のような・・・^^;

ま、まあたまにはこういうのもアリじゃないかなぁ。鍵のハーレムメンバーに対する想いを、少しでも分かって頂ければ幸いです。

それでは、また機会があれば生徒会SSのあとがきで会いましょう!



知弦 「感想はこちらに。分かってるわよ・・・ねぇ?(ニコリ)」




2008.10.19  雅輝