WelcometoPiaCarrot 3 〜if:Re〜 

 

 夏が終わる。

 この街に来て、どれほどの時間が経っただろう?

 この街は、雨を感じさせない街だった。

 いつも陽光が降り注ぎ、海には子供や家族連れ、観光客が溢れていた。

 東京とこの街の最大の違いは、空が青いことだ。

 東京の空だって青いことに変わりはないが、深みというか、清潔感に差がある。

 少なくとも俺はそう思う。

 そして俺は、一日だってこの空を見上げなかった日は無い。

 この街に来た日も…………。

 

 

 俺がこの街に来たのは、決して自分の意思からじゃなかった。話を聞かされてからここに来るまで…そう、まるで今までの自分の生きていた世界から放り

出されたような気分だった。

 大袈裟かも知れないが、その時の俺には本当にそう感じられたんだ。

 これでもし、一欠けらの救いも無かったら、俺は今みたいな清々しい気分で空を眺めるなんてことは出来なかっただろう。

 

 高井さやか。

 

 理由はどうあれ、彼女が俺と一緒にこの街に来てくれたことは、俺にとっては救いだったし、何よりも嬉しかった。

 あの日…木ノ下オーナーから話を持ちかけられて、「本店から男女二名」という条件のおかげで、俺と高井は一緒にこの街に来ることが出来た。同じ学園

に通い、同じバイトをしている高井。けど、俺は彼女のことを友達以上の対象として見ていた。

 彼女は知らないかもしれないが、俺が彼女・高井さやかにあったのはバイトを始めてからじゃなかった。三年間…ずっと高井の姿を追いかけてきた。俺が

思い描いていた彼女と、現実の彼女には、多少なりともギャップはあったけれど……俺はそれでもよかった。いや、むしろそっちの方が良かったんだ。

 

 

第1話 ささやかな告白と、途切れた過去

 

 

 汗ばむような陽気は陰り始め、美しい夕日が海を照らしている海岸の堤防の上で、神無月明彦はさやかを待っていた。

「……」

 明彦は黙って腕時計に目をやった。

『7月30日、1742分』

「やっぱ、いきなり呼び出したのはまずかったかなぁ……」

 今更ながら明彦は自分の取った行動に後悔していた。どんな理由があれ、女の子をいきなり呼び出したのは、明彦にしてみればかなり勇気のいる行為

だった。

 それに、明彦自身一方的にまくし立てていたので、さやかからの答えというか、返事を聞いていなかったのだ。

 

『もしもし、高井か?』

『あ、明彦。どうしたの? わざわざ電話なんかして?』

『今から海岸に来てくれ、頼んだぞ!』

『え、ちょ、ちょっ』

 ガチャン。

 

 通話時間、およそ10秒。こんな呼び出しをしたことを、明彦は今更ながら後悔している。

「あー……ダメだ。すっげぇ緊張してきた」

 呼び出し方はこの際置いといて、少しでも気分を落ち着けるために、明彦は夕日を眺めた。

「こんな景色、東京じゃ滅多に見れないかもな……」

 

 海と平行に映る夕日を、明彦は眩しいと感じることなく、ただじっと見つめていた。堤防の上に1人座り込み、物思いにふける男というこの姿は――――

「(……なんか端から見たら馬鹿みてーだな)」

 などと頭の中でマイナス思考を展開しながら、明彦はとりあえず気持ちの整理をすることにした。

「(……多分高井は俺のこと、友達以上だとは思ってんだよな、うん…今までだって、一緒に二人で遊びに行ったり、映画見に行ったりはしてた。ただ……

それがデートかっつうと、そうじゃないんだよなぁ……男同士とか、女同士で遊んでるっつーか、友情っつーか……)そもそも、好きだって言ってないから

だろうな……」

 結局は『好き』という言葉に行き着いてしまう。単純明快極まりない言葉だが、スパッと想いを伝えるんなら、この言葉以外には無いだろう。

「けどなぁ〜……いざ言うとなると、なかなか言えないんだよなぁ……」

「何が言えないの?」

「そりゃあ…って、え?」

 突然後ろから声を掛けられ、明彦は慌てて振り返った。

 麦わら帽子の下に隠れた、肩よりも少し長い薄茶色の髪と、赤い瞳。そしてワンピース姿の少女が、後ろから明彦を覗き込むようにして立っていたのだ。

「た、高井!?

「どうしたの? こんなとこに呼び出して……あっ!?」

「え……?」

 さやかの悲鳴と同時に明彦の右手が地面からずれ、「すかっ」と音がするくらいの勢いで空を切った。そしてそのまま足を滑らせ、体重を支えきれなく

なった明彦の身体は、堤防から落下した。

 

どさぁっ!!

 

「あ、明彦!? 大丈夫!?

「お……お〜ぅ……」

 幸い、思ったよりも海岸の砂が深かったおかげで、明彦は殆ど怪我は無かった。といっても、さすがに無傷と言うわけにはいかず、肘の辺りを少々擦り

剥いてしまっていたのだが。

「いてて……はぁ、危なかったぁ……」

 もしも下がブロックだったら、明彦はほぼ間違いなく重傷だっただろう。その点に関しては不幸中の幸いというべきだろうか。

「ホントに大丈夫? 髪の毛、砂だらけだよ…?」

「ま、まぁ…何とか」

 明彦は頭や身体についた砂を乱暴に叩き落とし、堤防の上のさやかを見上げた。さやかは明彦の姿をみながら、クスクスと口に手を当て笑っている。その

笑顔に見惚れそうになるものの、

「もう……情けないんだから」

 飛び出してきたその言葉に明彦はちょっと腹が立って、さやかを軽く睨みつけた。

「うっるさいなぁ……大体、高井がいきなり声なんか掛けるからだろ?」

 とは言ったものの、明彦には弁明できる余地は無かった。さやかをここに呼び出したのは明彦本人だし、明彦が考え事にふけって気が付かなかったのも

責任の一端だ。

「そういえば、何1人でブツブツ言ってたの? 考え事?」

「え゛、それは……その…………」

 ――――あなたに告白する方法を考えてました――――

 などとバカ正直な回答が出来るはずも無く、明彦は黙ってしまった。

「?」

 明彦の様子があからさまに変わったのに気付いたさやかは、海岸に階段で下り、明彦のすぐ側までやって来た。

「夕陽、きれいだね……」

「……ああ(このままじっとしてても仕方ないよな……かといって勢いでは行動したくないし……あーもう! どーすりゃいいんだよ!)

 生返事だけして明彦が悩んでいると、さやかが明彦の正面に立ち、明彦に降り注いでいた陽光を遮った。

「どうしたの? さっきからずーっと黙っちゃって……また悪いクセ?」
「…そうかも」

「ふ〜ん…何悩んでるのか知らないけど、そんなに根詰めて考えてたら、いい考えなんて浮かばないんじゃない?」

「…かもな」

 明彦は、考え事をすると回りのことが耳に入らなくなるという所があり、さやかは明彦のそんなクセを快く思っていなかった。だが、さやかの一言で

明彦の思考は中断し、明彦は思わずさやかの方に一歩、歩み寄っていた。

「どうしたの?」

 さやかが尋ねるのとほぼ同時に、明彦はさやかの頬に手を伸ばしていた。そしてそんな明彦の真剣な眼差しに、さやかは何故か抗う事が出来ないでいた。

「――――高井……好きだ!」

 わずかな間はあったものの、淀みのないストレートな告白。明彦にとっての生まれて初めての告白だった。

 その告白を聞くなり、さやかは頬を通り過ぎて耳まで真っ赤になり、泣き出しそうな顔になっていた。だが、明彦も明彦で、こんなにも余裕の無い告白を

するとは思っていなかった為、さやかの顔をまともに確認もせず動揺しながら告白を続けていた。

「俺…ずっと高井のこと見てた。同じ学園に通ってたのも知ってたし、いつも高井のこと探してた。Piaキャロットでバイトしてさ…ホントの高井さやかを

知って、俺、高井のことどうしようもなく好きになってて…って、高井?」

 言いたいことを言った明彦はようやく冷静さを取り戻し、さやかの顔を見た。さやかは今にも泣き出しそうな顔で明彦を見つめると、明彦の胸の中に顔を

埋めた。

「た、高井……さん……!?」

「…………バカぁ……『さん』なんかいらないよ……」
 ようやくさやかが搾り出した言葉。明彦としては、その言葉はちょっとショックだったが、別に罵倒されているわけではないという事くらいは、明彦にも

わかっていた。

 明彦は自分の腕でそっとさやかの体を抱きしめ、ゆっくりとさやかを引き離す。

「高井……」

「あたしも……ずっと明彦のこと、好きだった。バスケしてた明彦のこと、応援したくて……Piaキャロットでバイト始めたのも、明彦がいたから。あたし

も、明彦と同じ…でも、あたしは今の明彦が大好き……」

 さやかの思いがけない告白を聞いた明彦は、思わず吹き出してしまった。

(何だ……何も心配すること無かったんだな。下手に気負ったりしなくて良かったんだ)

「もう……笑わないでよぉ」

 さやかは、明彦が自分のリアクションを見て笑っていると勘違いし、明彦の胸をポカポカと叩く。明彦はそんなさやかが妙に子供っぽく見えて、ふっと

溜め息交じりに再び笑顔を作った。

「悪い悪い。でも、少しは落ち着いた?」

「うん……」

 さやかの目元にたまった涙を、明彦は指でそっと拭い、さやかの肩に手を掛けた。

「ホントのこと言うとさ、さっきみたいな言い方じゃなくて、もっとなんか違うこと言うつもりだったんだけど……何か、余裕無くって……ゴメン」

 明彦の言葉を聞いて、さやかはふるふると首を横に振る。

「そんなこと無いよ……ヘンに飾ったり、格好つけて告白されるより、スッキリ言ってくれた方が嬉しいから……だから、すごく嬉しい」

「高井……」

「ダメ……恋人同士になったんだから、名前で呼んで……?」

 いきなりハードルの高い要求をされるが、それに応えられないようでは明彦にさやかの彼氏になる資格はない。緊張に震える口を意識で制御し、絞り出す

ように。

「あ、ああ……さ、さや、か……」

「うん……明彦」

 どもってしまった明彦と向かい合い、きゅっと手を握るさやか。そしてしばらく間を空けて、明彦はさやかをもう一度、少しだけ強く抱きしめた。

 

 

 

その日の夜。

 

 明彦とさやかは一緒に夕食を取り、今日は同じ部屋で一晩過ごすことにした。勿論、好き合っている健全な男女が1つ屋根の下どころか1つの部屋に

いれば、当然そっち方面に話が行きそうだが、明彦とさやかはそんなことはどうでも良かった。

 もちろん、意識していないといえばウソになる。だが、2人の関係はまだ始まったばかりだし、今しなくてもいい事だから…という理由から、2人は

そのまま部屋で過ごしている。

「ふぅ……ごちそうさま」

「はい、お粗末さまでした。どうだった?」

 さやかの手料理を平らげ、明彦はベッドに寄り掛かって備え付けられているテレビのスイッチを入れた。

「どうって……美味しかったよ、ホントに」

「ついでに、片付けるのも手伝ってくれると嬉しいんだけどなぁ〜?」

「何か、催促されてるみたいだな……」

「あ、嫌なら別にいいんだけど?」
「いいよ、手伝う。さやかにばっかりやらせるのも、悪いしな」

「ん、ありがと♪」

 明彦はさやかの横に並び、洗い物を手伝うことにした。だが、1人用の部屋ではキッチンもそれほど広くは無く、はかどったかと言われれば、作業効率が

若干上がった程度にしかならなかった。もっとも、明彦とさやかには、それが心地良かった。同じ空間で、1つの事を共有できることが、二人がいっしょに

いられるということの、何よりの証拠だったからだ。

「ねぇ、明彦」

 洗い物の最中に、さやかが明彦に声を掛けた。

「ん?」

「明日のオリエンテーリングの話、聞いてる?」

「ああ。自然公園でやるんだろ? もっとも、その自然公園がどこにあるのかなんて知らないけどな」

「さっき昇さんから、場所教えてもらったの。明彦と一緒に行こうと思って」

 そう言いながら、さやかはポケットから手書きの地図を取り出した。明彦はその地図を繁々と見つめる。

「意外と近くにあるんだな…にしても、この地図……やたら下手だな」

「う、うん……昇さんの手書きだから……」

 さやかは苦笑いながらそう言ったが、明彦が手に持っている地図は、お世辞にも上手とは言い難かった。とても地元の人間が書いたとは思えないほどだ。

「……ま、まぁ、人間誰でも得手不得手はあるから……ね?」
 さやかの精一杯の弁護は、逆に昇の絵が下手だということを肯定していることに明彦は気付いていたが、これ以上は触れないようにした。あまり何度も

追求するのは、昇にとって余りに失礼かつ可哀想だからだろう。

「ま、いいか……」

 明彦はそう呟き、さやかに地図を返す。さやかも再びその地図を見つめるが、やはりどうリアクションをしていいのか判らない様子だ。

「と、とりあえず、道順はわかるから、大丈夫よね?」

「まぁな。いざとなったら他の人に聞けば済むし」

 そう言いながら、明彦はベッドに腰をおろした。さやかも同じようにベッドに座り、とん、と明彦の肩に頭を傾けた。

「さやか……」

「んー……?」

 さやかが軽く返事をして明彦の方を向くと、思わず顔がつきそうになるくらいに2人の距離は接近していた。

「な、なに?」

「その…ちょっと言い難いんだけどさ…」

 その後に続く言葉を想像して、さやかは思わず紅くなっていた。

な、何言うつもりなのかな……キスさせろとか、えっちなことさせろとか……言わない、……よね? で、でも、明彦だって男の子だし、あたしたち

付き合いはじめたワケだし……そういうコトに話が言ってもおかしくないけど……でも、いきなりそんなこと……!?

「夏休みの課題ってどこまでやった?」

「………………え?」

「いや、え? じゃなくて、夏休みの課題。俺全然手ぇ付けてないから、ちょっと見せて欲しいんだけど…ダメ?」

 

ごすっ。

 

 鈍い音が部屋に響き、さやかの右チョップが明彦の頭に深々とめり込んだ。そこそこ痛かったらしく、明彦はベッドに突っ伏しており、さやかは自分の

妄想を打ち消そうと、必至に違うことを考えようとしていた。

「……痛い」

「もぅ…自業自得でしょ?」

「何でだよ?」

 さやかは溜め息をつき、明彦がしたように顔を近づける。

「こーんなに近くに顔くっつけてたんだから……」

「……うん」

 改めてみると、明彦は我ながらすごいことをしていたんだ、と認識したが、今のこの体勢の方が充分危険な状態だということを、二人はあまり意識して

いなかった。ベッドの上で明彦の方に前屈みになって座り込んでいるさやかと明彦の顔の距離は、1センチ程度の間隔しか無い。つまりもし今誰か入って

来ようものなら、2人とも言い訳なんて絶対に不可能な状況である。

「……」

「……」

 にもかかわらず、明彦とさやかはお互いに動けず、顔を見合わせたままじっとしていた。若干青みがかった髪とグレーの瞳の少年を、さやかはただ見つめ

ていた。明彦も同じく、少女のミルクティーのような淡い茶色の髪と赤い瞳から、目を離すことが出来ないでいた。

「……宿題、だったよね?」

「あ……うん……」

 さやかが思い出したように言い、明彦もそれに相槌を打つ。気まずい沈黙と緊張感が若干薄れ、さやかは明彦の前からようやく離れることが出来た。

 時間にすればほんの数十秒だったのだが、明彦とさやかには、それが何分にも感じられていた。さやかは顔を赤らめたままいったん明彦の部屋を出て、

自室に宿題を取りに行った。

「……はぁ」

 明彦はさやかが部屋から出て行き、足音が遠ざかっていくのを確認すると、思いっきり溜め息をついた。

(参ったなぁ……近くにいるだけでこんなに意識するなんて……今まで考えもしなかったけど、意外とすごいコトしてたんだな、俺…っていうか、そもそも

体勢がヤバかったんだよ。逆じゃない分まだマシだったけど)

逆、と自分で考えておきながら、明彦は少し赤くなってしまった。まぁ、誰かにその様子を見られなかった分、まだ救いがあったといえるだろう。

 

 

 さやかが戻ってきてからは、お互いにダンマリのまま時間が流れてしまっていた。明彦はただ黙々とさやかの宿題を写し、さやかは自分の宿題の未消化分

をこなしている。しかし先ほどの超接近戦が後を引いているのか、互いに意識しすぎている分、時間が流れるのが恐ろしく長く感じられていた。

「「……(長い……)」」

 と心の中で同時に呟き、お互いに顔を見合わせては、また赤くなり下を向く。さっきからこの繰り返しで、何の進展もない。今日び小学生の方が、よほど

マシな反応ができるだろう。もっとも、恋愛初心者に限りなく近い2人には想像もつかないだろうが。

「……な、なあ、さやか」

「な、何?」

 沈黙に業を煮やしたのか、それとも状況を打開しようとしたのか、明彦は思い切ってさやかに話し掛けた。だが、明彦自身自分の声が情けないくらいに

震えているのが分かった。かといって、ここで話を切り上げたら永遠に会話など出来ないだろうと明彦は思い、そのまま続ける。

「その……明日のオリエンテーリングなんだけどさ、……良かったら、一緒に行かないか?」

「え? ……うん……あたしも、そのつもりだったから」

「そ、そっか。良かった……」

 会話終了。

 結局明彦の思いつくネタは、さやかから二言三言返されるだけで、全然長続きしなかった。

「はぁっ…」

 急にさやかが大きな溜め息をついたので、明彦はさやかの方を見た。「大体終わったから、貸してあげる」と言い、さやかは明彦にノートを手渡した。

しかし「あ、サンキュ……」などという明彦の煮え切らないリアクションを見て、さやかは何だか異様に腹立たしくなってきた。

 ここで何か良い感じのリアクションをしてくれれば、あたしとしても自然に接する事が出来るというのに、どうして明彦はそういうのが出来ないんだろう。

そういうのが彼の苦手とする分野だというのは一応分かっているけれど、もうちょっと何とかしようという意気込みが欲しい。

 その気を起させるには、これは少々乱暴な方法だけれど――――仕方がない。

「明彦、ゴメンね」

「え?」

 ばちぃん!明彦が返事をするよりも早く、心地の良い快音が響き、明彦の左頬に痛みが走る。明彦は一瞬、何をされたのか分からなかった。

「目、覚めた?」

「…………」

 少々重い沈黙が二人の間に流れる。だが、それは先ほどまでのガチガチの緊張感とは違い、どこかやわらかくて、温かみのある沈黙だった。

「……ぷっ」

「……っ」

 お互い我慢しきれずに吹き出してしまい明彦とさやかは、隣の貴子にまで聞こえそうなくらいの声で馬鹿笑いしていた。

 清々しく、それでいて暖かな笑いだった。

 1分後。

「はー、笑ったなぁ」

「うん。何かすっきりしちゃった」

 そう言いながら、二人ともまだ笑っている。意識しすぎて緊張しまくっていた先程とは、本当に別人のようだった。

 早い話が、明彦もさやかも恋人という概念に捕らわれ過ぎていたのである。恋人だからどうしろとか、そういうのは二人とも未経験だったため、何をして

良いのか分かっていなかったし、加えてベッドの上での一悶着のおかげで、余計にその思いに拍車が掛かってしまっていたのだろう。

 ようやく落ち着きというか、普段通りの関係に戻った明彦とさやかは、明日のことなど記憶の片隅程度に追いやって、学校でどんなことがあったとか、

本店での裏話を告白しあったりして時間を潰していた。

 

 

 

 翌日。梅雨明けからそんなに経っていないのに、美崎海岸はこれでもかと言わんばかりの快晴だった。結局明彦の部屋にさやかは予定通り泊まったが、

明彦は自分の部屋であるにも関わらず、床でタオルケットに包まって眠っていた。それもこれも、ベッドの優先権は女性にある、というさやかの変な理屈の

おかげだ。それに恋人同士なら、一つのベッドで寝てもいいような物だが、さやかはそれが大層恥ずかしいらしく、結果的には明彦が自ら譲渡したのだった。

「明彦……起きて」

 さやかの甘ったるい声と吐息で、明彦は飛び上がるように起き上がった。明彦は寝覚めは悪い方ではないが、今まで18年間生きてきて、こんなに優しく

起こされたのは初めてだった。

「さ、さやか?」

「ふふっ、おはよう。気持ちよさそうに寝てたから、ちょっと優しく起こしてみたんだけど……どう?」

「ど、どうって言われてもなぁ…」

 人に起こされることには慣れている明彦だったが、今まで家族からは乱暴に叩き起こされたり、真冬にもかかわらず布団を引っぺがされたりと、散々な

思い出しかない。

気持ち良かった……

「はぁ?」

「い、いや、なんでもないっす…」

 迂闊な発言を慌てて取り消し、明彦は素直に起き上がった。しかし、さやかは明彦の言葉が上手く聞き取れないながらも引っ掛かったらしく、ちょっと

考え込んだ顔をしている。

「ほ、ほら、メシにしよう? ちょっと腹減ってるし」

「うん…………」

 さやかはどうも釈然としない感じだったが、明彦としては救われた。せっかく付き合い始めたのに、さっきの発言のおかげで『変態』だのと勘違いされて、

『別れましょう』などと言われた日には、明彦は死んでもおかしくないだろう。

 まぁ、流石にこれは飛躍しすぎだが、明彦はそれなりの危機感を感じていた。

 

 

 

結局、さやかからは何の追求もされずに命拾い()した明彦は、さやかと一緒にオリエンテーリングを行う会場である自然公園に向かった。

「明彦! さやかさん!」

 寮のロビーで、明彦とさやかは昇に呼び止められた。

 木ノ下昇。Piaキャロットのオーナーである木ノ下泰男の遠縁の親戚に当たる少年で、明彦とは同い年であり、同じく4号店の新規オープンのスタッフで

ある。割と長身で、明彦よりも5〜6cmほど高い。バイトの理由は素敵な出会いを求めてとのことだったが、明彦としてはそれを笑えなかった。実際、

明彦のバイトの動機にしても、さやかと一緒にいたいからというのが本音だからだ。

「これから出掛けんのか? よかったら案内してやるけど?」

「あのなぁ……何で昨日のうちにそう言わないんだ、お前はっ……」

「?」

 明彦が額に手を当てて俯く。さやかはその様子を、ただ乾いた笑みを浮かべて見ることしか出来なかった。

「さやかさ〜ん!」

「ともみちゃん?」

 さやかが声のほうに振り向くと、さやかよりも背の低い女の子がロビーへ走ってきた。

「さやかさん、おはよう!お兄さん…どうしたんですか?」

「う、うん…ちょっとね。今は、そっとしといてあげて……」

「は、はい…?」

 愛沢ともみ。さやかと明彦と同じく、4号店のヘルプに来た少女であり、2号店の代表とのことらしい。ショートヘアで、大きなリボンで髪をまとめて

おり、性格は天真爛漫。美崎海岸に来る時同じ電車に乗り合わせたのがきっかけで仲良くなっており、明彦のことを『お兄さん』と呼んでいる。出会った

当時はさやかとしては明彦と必要以上に仲良くされるのはいい気分ではなかったが、恋人同士になれた今ではある程度の心の余裕が生まれた為に、ともみと

仲良くやっていけると思っている。

「ちょうどいいや。4人で公園に行こうぜ」

「うん! ほらほらお兄さん、いつまでも変な格好してないで!」

「あ、と、ともみちゃん…」

「明彦、いこっ」

 さやかとともみの2人に背中を押される格好で、明彦は半ば強制的に寮から出て行くことになった。

 その様子を、昇が羨望の眼差しで見ていたことに明彦は気づく余裕もなかった。

 

 

 

 今日の天気予報はどうだったとか、朝食は取ったか取らなかったか、朝食を取らずにバーベキューに備える昇の考えが異常だとか話しながら、4人は集合

時間よりも若干早く自然公園に到着した。

「あら、4人ともおはよう」

『おはようございます、朱美さん』

 4人がほぼ同時に挨拶をする。朱美こと、羽瀬川朱美。Piaキャロット4号店の店長代理である。

10時くらいにはみんなそろうと思うから、しばらく待っててね」

『は〜い』

 異口同音に返事を返し、明彦はさやかと2人で近くを散歩することにした。

 

 

「風が気持ちいい♪」

 吹き抜ける風に麦わら帽子を押さえながら、さやかが呟いた。

「ああ、空気もいいし昼寝には持って来いかもな」

「お店が休みのときは、2人で一緒に来たいね」

「それって……デートってこと?」

「え……うん」

 興味本意で明彦が尋ねると、さやかは若干の間を空けてそう答えた。今まで2人で出掛けたことは幾度となくあるが、さやかの口からデートを肯定した

のは、初めてのことだった。

「あ……」

 質問した明彦本人も、さやかが肯定するとは思っていなかったので、二の句が継げなくなってしまう。ポリポリと気恥ずかしげに頬をかきながら、明彦は

さやかの手に自分の手を重ねた。

「え……?」

 さやかは一瞬意外そうな顔をしたが、明彦が恥ずかしそうに笑っているのを見て、さやかも思わず笑顔で返した。不器用に重ねただけの手をさやかは握り、

集合時間までの数十分間、風の吹き抜ける並木道を歩いていた。

 

 

 オリエンテーリングの基本ルールはいたって単純だった。2人1組のペアを組み、公園内に設置された色付きのフラッグの色を確認し、それを地図に書き

込んでいくというものだ。

 店長代理の朱美とマネージャーの岩倉夏姫は監督役として本部のバーベキュー会場に残ることになり、またペアが組めない人間が出るため、寮の管理人

である木ノ下貴子は朱美たち同様に居残り組になっていた。

 そしてペアを組むのは明彦、さやか、ともみ、昇と君島ナナ、冬木美春の6人となった。君島ナナという少女は美崎の出身であり、昇とペアを組むことに

決まっている。ナナは人見知りが激しいのか天然なのか、道を尋ねただけの明彦を宗教の勧誘員と間違えたほどだ。

 もう一人の冬木美春という女性。明彦への態度はとにかく素っ気無かった。ほかの人間に対しては友好的なようなのだが、明彦に対してはまるで嫌悪感を

覚えるような何かを見るような目で見ていた。当然そんな明彦とペアを組んでくれるはずも無く、明彦はさやかかともみのどちらかとペアを組まなければ

ならなくなっていた。

「お兄さん、ともみと一緒に行こう?」
 このオリエンテーリングの趣旨は、従業員同士のコミュニケーションを取る事が前提とされている。明彦とさやかは本店から一緒に来ていたし、公表は

していないが恋人同士なのだ。

 つまり、両者の現状だけで言えば、これ以上は親交を深めるという意味でのコミュニケーションは取りようが無かった。

「明彦はともみちゃんと組んで。あたしは、美春さんと組むから」

「あ、う、うん…」

「行こう、お兄さん!」

 ともみに無理矢理手を引かれ、明彦たちは出発していく。

「……はぁ」

 明彦の姿が見えなくなると、さやかは誰にも気付かれないくらい小さな溜め息をついた。

「高井さん……いいの?」

「えっ? ……はい……」

 美春が心配そうに問いかけるが、さやかには他の返事が出せなかった。美春にはどうやら分かっていたらしい。

 明彦とさやかが、既に友達以上の関係であるということが…………。

――――本当は一緒に行きたかった――――

(これじゃあ…ちっとも変わらないね…)

 

 

(これじゃあ…ちっとも変わらないじゃないか…)

 意気揚々と歩くともみから一歩下がったところで、明彦は考え事をしていた。自分は本当はさやかと組みたかった。本来の趣旨に反することになっても、

これだけは譲りたくなかった。これからたくさん時間があるから、なんて余裕の持った考えは今の明彦には無理だった。思いを告白して、それを受け入れて

くれたさやかと一緒にいたいと思うことは至極当然だと思っていたし、さやかもそう思っている……と思っていた。

(一方通行だったのかな…)

 一瞬とはいえそう思うと、明彦はなんだか悲しくなってきた。もちろんそれはただの杞憂に過ぎないのだが。

「…お兄さん、聞いてる?」

「え?な、何が?」

 ともみの不満たっぷりの声で、明彦は考えを中断させられた。

「旗の色だよぉ。そこの木の陰にあるやつ」

「あ、ああ…これでOKだよ」

 地図に旗の色を描きこむと、明彦は軽く溜め息をついた。

「お兄さん、さっきからぼ〜っとしてるけど、大丈夫?ともみと一緒じゃ、つまんない?」

「い、いや、そんなことないよ?ともみちゃんと一緒で楽しいよ」

「本当に?」

「ああ、もちろん」

 そう答えたが、やはり明彦の思考にはさやかのことしかなかった。ともみと一緒にいるのは確かに楽しいが、ただそれだけだった。もしさやかと恋人同士

になっていなくても、ともみのことを女性として好きになれるかどうかと聞かれればそれは疑わしい。友達としか見れない異性がいるが、明彦にとっては

愛沢ともみという女の子はまさにそれだった。好感は持てても好意は持てない、というやつだ。

 一方のともみも、明彦のことは好きと言うよりも慕っているだけだった。『お兄さん』という呼び名もある種それの派生ではあるものの、真意は別の所に

ある。もっとも、それを知る術は明彦にはないのだが――――。

「えへへ、それじゃ次に行こう、お兄さん♪」

 ともみは明彦の背後に回り、背中をぐいぐいと押して先に進むよう促した。

「ちょ、と、ともみちゃん……」

 明彦は若干ためらいながらも先に進み出し、次のフラッグを目指して歩き出す。そしてしばらく進み、サイクリングロードの中盤に入ったところで、偶然

さやかたちと合流した。

「さやかさん、美春さん、大丈夫?疲れなかった?」

「ありがとう、愛沢さん」

「あたしも平気。明彦が一番疲れてるんじゃない?」

「馬鹿言うなっての。これくらい余裕余裕」

「どうかなぁ〜?」

 無遠慮にさやかが明彦の顔を覗き込み、明彦は仏頂面になるが、すぐにお互い笑い合う。

(一緒にいられる事って、こんなに安心できることなんだ…)

 さやかが心の中でそう呟くと同時に、小山の中から鳥のさえずりが聞こえてきた。

「この近くに巣があるのかなぁ……」

 ともみがそう呟き、辺りをキョロキョロと見回す。同じように他の3人も見渡すが、どこにもそれらしい巣は無い。

「きっと林の中にあるんだね。見れたら見てみたいなぁ……」

 ともみのその言葉に、明彦は何か引っかかるものを感じた。

(いつだったか……同じような言葉を聞いたような気がする……誰が言ったんだ?)

 頭の片隅に引っかかっている何かがあるのは間違いなかったが、明彦にはそれがいつ、何処で、誰と交わされたものなのかは、全く思い出せなかった。

「……あ、明彦! ちょっと来て!」

 さやかの叫び声にも似た呼びかけに驚いた明彦は、急いでさやかの元に駆け寄った。さやかは林の中に少し入っており、木の下に座り込んでいた。

「どうした? 何か――――」

「小鳥が……木から落ちてたの……」

 明彦が全て尋ね終わる前にさやかはそう答えた。さやかの両手の上には、ようやく産毛が生えそろったばかりの小鳥がふるふると小さく震えている。

「多分、この木から落ちたんじゃないかな……ほら、巣があるし」

 さやかの言葉通り、木の上には鳥の巣があった。それほど高くはない木だが、凹凸が少なく、登りにくそうな木だった。

「……俺が登るよ。そいつ、貸してくれ」

「で、でも……危ないよ」

 さやかが心配そうな目で明彦を見る。明彦も、決して木登りが上手いとか言うわけではない。もしかしたら、ということも考えられる。だが明彦は何故か

譲ろうとしなかった。

「大丈夫だって」

 それだけ言うと、さやかの手の中から小鳥を受け取り、上着の胸ポケットにそっと入れてやった。

「お兄さん……」

「神無月、くん……」

 いつの間にかともみと美春が合流しており、さやかと同じく心配そうな目で明彦を見ていた。明彦は右手に力を込め、わずかに窪んだ箇所を掴む。

「よっ……と」

 2年前までバスケをやっていた恩恵もあってか、明彦の握力は相当のものだが、こんなものを自慢しても何にもならないので、誰にも言わなかったのだ。

 そうこうしている間に明彦は巣に到着した。地面から大体5m程度といった所だったが、下からの見た目よりも高く感じられた。

「よ〜し……すぐに巣に帰してやるからな」

 割と太い枝に腰掛け、胸ポケットからやさしく小鳥を取り出し、明彦は小鳥を巣に帰した。

 と、その時。

 

『―――――――』

 

「…え?」

 明彦の頭に一瞬、何かが聞こえた。耳ではなく、直接頭の中に。

「明彦っ!!」

「あ…っく!」

 その一瞬の間に、明彦はわずかに体勢を崩し、木から落下しそうになったが、さやかの声と、とっさの反射で何とか枝にぶら下がる形で耐えることが

出来た。そこから何とか体勢を整え、明彦は無事に下に降りることが出来たが、明彦が降りてくるなりさやかは涙目になりながら明彦の上着を掴んできた。

「バカ! ばかばかぁ!」

「さ、さやか……」

「危ないって言ったのに、あんなことして……」

 俯いて嗚咽を漏らすさやかに、明彦はただ戸惑うばかりだったが、それと同時にさやかのことが堪らなくいとおしく思えていた。

「……ごめん」

 ともみと美春は、2人の邪魔をしないようにと、そそくさと退散していた。

 だが、明彦もさやかもそんな気遣いに気付ける余裕など、今は持ち合わせていない。
「う……ひっく……ぐす……」

「さやか……泣くなって。な?」

「誰のせいよ……もぉ……」

 ようやく顔を上げたさやかの眼元を、明彦は精一杯優しくぬぐった。赤い瞳が少し濡れて、何とも言えない美しさを魅せている。

「ホントに、ごめん」

「もういいよ……どこもケガとかしてない?」

 と言った直後、明彦の左手の平から血が流れているのにさやかは気付いた。木の枝にぶら下がっていたときに出来たのだろう、擦り傷が出来ている。

「手、見せて!」

「あ……」

「ハンカチくらいしかないけど……痛い?」

「ちょっと……」

 手際よくハンカチを使って簡単な止血を行い、さやかは明彦の左腕を高々と掲げる。

「こうしておけば、早く血が止まるから……絶対に下げちゃダメよ?」

「は〜い、先生」

「もうっ、からかわないのっ」

 さやかがようやく笑ってくれたのを見て、明彦もなんだか嬉しくなっていた。

 一方で、真正面から明彦の腕を持っていたさやかは、違うことを考えていた。

 明彦とさやかの身長差は15,cmといったところで、今の体勢のおかげで、2人の距離は昨日ほどではないがかなり近づいている。

(ちょっと背伸びしたら、届くかな…)

 そう考えて、さやかは少しだけ想像してみる。

 木漏れ日の下で、木に寄りかかった明彦の肩に手をかけて、顔を上げて、つま先立ちになり、目を閉じて……――――。

「…さやか?」

「え、え!?」

「どうしたんだよ、ぼ〜っとして…」

「あ、う、ううん、何でもない…」

 そう言って、さやかは麦わら帽子を目深にかぶり直した。自分でも顔が赤いのが分かるからこそ、明彦には見られたくない。

「美春さんたち、どこ行っちゃったんだろ……」

 関係ない話題を出して、とりあえずごまかすさやか。明彦はそれが多少なりとも気になったが、追求することは出来なかった。

 それよりも、今は別のことが気掛かりだった。

 木の上で一瞬、頭の中をよぎった声。それは遠い過去に置き忘れていた声だった。
『かわいいなぁ……』

(あれは……誰の声だったんだ?)

 頭の中に靄がかかったように、そこだけが思い出せない。子供の声、というのは思い出していたがそれ以上は何も分からなかった。明彦にとって他愛無い

記憶なのか、それとも大事な記憶なのか…それさえも。
 それから数分後、明彦とさやかは林を抜けたところで、待ちくたびれていたともみと美春と合流し、オリエンテーリングを再開した。ロスした時間は

わずか10分程度で、2チームは無事、時間内に全てを回ってゴールすることが出来た。

 明彦は手の怪我のことを朱美に説明し、消毒液とガーゼと包帯をもらい、バーベキュー会場の片隅で手当てをしていた。

「あんまり、無茶なことはしないでね?」
 と、朱美から優しく説教されたことに、明彦は素直に反省していた。柔らかく怒られるのは、激しく怒られるよりも怖いものがあるのだ。

「明彦、大丈夫?」

 さやかがいくつかの料理を皿に盛って明彦の側にやってくる。

「まあ、そんなに大した怪我じゃなかったから……あ、ここ結んでくれるか?」

「はいはい」

 きゅ、と包帯を結ぶと、さやかは明彦の隣に腰を下ろし、麦わら帽子をひざの上に置いた。

「ハンカチ、後で洗って返すよ」

「うん。でも…返さなくてもいいよ。ずっと持ってても…」

 口元に運びかけた肉を取りこぼしそうになり、明彦はあわててそれを空中でキャッチした。さやかがそんなことを言い出すとはまったくの予想外で、どう

返答していいのか分からない明彦は、無言で落としかけた肉を口に運ぶ。

 横目で明彦の様子を窺っていたさやかは、ちょっとだけ赤い顔をしていた。正直に思ったことを口にしただけなのだが、さやかにはそれが凄く恥ずかし

かったのだ。

 昼食をとり終えると、後は各自で自由解散ということになり、明彦とさやかは、しばらく散歩してから帰ることにした。別にどちらが言い出したわけでも

なく、何となくそうなってしまったが、それは決して居心地の悪いものではない。

「……座ろう、か」

「う、うん……」

 明彦が問いかけ、さやかがそれに応じる。並木道の小さなベンチに、二人はそろって腰を下ろした。心地の良い風が2人のわずかな隙間を通り抜け、

さやかの髪をわずかになびかせる。

「あっ…」

 風に耐え切れなかった麦わら帽子が、さやかの頭から離れる。明彦はそれを見てすぐさま立ち上がり、右手で帽子をつかまえた。が、

「きゃっ」

 ぽす、とさやかが明彦の胸の中に飛び込んできた。彼女もまた、自分の帽子を捕まえようと立ち上がったのだが、勢い余ってそうなってしまった。

「大丈夫か?」

「う、うん…」

 つま先立ちになれば届くほどの距離と、木漏れ日の下の並木道。図らずともこの体勢と状況は、先程さやかが想像したとおりの構図になってしまっていた。

「あ…」

 さすがに鈍い明彦にも、この体勢が意味するところはすぐに読み取れた。明彦はすぐにさやかと距離を置こうとしたが、さやかは明彦の上着の袖を掴んで

離れようとしなかった。

「さ、さや……」

「ダメ……?」

甘えるようなさやかの声と瞳に、明彦の理性は半分以上飛びかけていた。

(だ、ダメって…ダメなワケないじゃないっすか…で、でも…やっぱそれなりに覚悟がいると思ってたんだから、いきなり言われても…なぁ?)

と心の中で誰とも知れない相手に呟き、かなり困ったような目でさやかを見つめる明彦だったが、いまさら止めるのもさやかに対して失礼というものだった。

「じゃあ、その……目、閉じて?」

「うん……」

 言われるままに、さやかは静かに目を閉じた。これでもう、明彦も逃げられない。もはや覚悟を決める以外に選択肢はなかった。

 明彦はさやかの細い腰を抱き寄せて、さやかもそれに応じてつま先立ちになる。それからほんの少しだけ間をおいて、2人はゆっくりと唇を重ねた。

「ん…」

 さやかが小さく吐息を漏らす。若干の緊張はあったが徐々に力が抜け、明彦の腕の中にもたれかかる格好になった。

 およそ5秒間唇を重ね、明彦は腕の力を緩め、唇を離す。

「…」

 さやかは自分の唇にそっと手を当てると、花が咲いたような笑顔で明彦を見つめた。

「な、何……?」

「あたしのファーストキスだったんだからね?」

「それは俺も同じなんだけど……」

 ポリポリと情けなく頬を掻く明彦の左手に、さやかは自分の細くやわらかい右手を絡ませる。

 指と指の間にすんなりと納まったその手は、明彦の手に巻かれた包帯よりも、少しだけ紅かった。




あとがき:

実に7年前の作品を自らリファインしました。といっても話の本筋・流れは一切変わっておらず、細部の
加筆・修正を行ったのみです。今後も月イチ程度の頻度で書いていければという感じでいます。


管理人の感想

鷹さんより寄贈して頂きました、Piaキャロ3のif物語でございます。
元々は別のサイト様への寄贈品だったのですが・・・というか、私も昔は読者で、この作品がきっかけでPiaキャロanother summerを書いたと言っても過言ではないほど!
その追記修正版です。べったべたのあっまあまです。プレイしたのに忘れかけている、という人にもお勧めの作品です。

ではでは、次回もお楽しみに〜



2009.10.23