季節は夏。
空から降り注ぐ強烈な日差しを浴びながら、”前田耕治(まえだ こうじ)”はある店の前でその外観を眺めながら立っていた。
「あぢぃ・・・」
今日も最高気温が30度を超える真夏日だ。
彼の額に巻かれている赤いバンダナも、次第に汗を吸って重くなってきた。
「こんな所でつっ立っててもしょうがないし・・・行くか」
そう言った彼が向かう先は、先ほど眺めていたファミリーレストラン。
その場所は、今日から彼が初めてアルバイトの経験をする場所だった。
ここ数年でどんどん業績を伸ばしているその店の名は・・・。
――Piaキャロット中杉通り店――
Piaキャロットへようこそ!!2 SS
「Piaキャロ2 〜another
summer〜」
Written by 雅輝
<1> 夏の始まり
「それじゃあ、これから一ヶ月間よろしくね。前田君」
「はい、こちらこそよろしくお願いします!」
ここは店内の事務室。
Piaキャロット2号店(中杉通り店)のマネージャーである”双葉涼子(ふたば りょうこ)”に対して、元気な返事を返す耕治。
涼子は去年短大を卒業して、親友と一緒にここPiaキャロットへ就職した。
整った顔にメガネをかけ、とても優しい雰囲気を持つ彼女は、今回一緒にこの店の面接を受けた耕治の親友、”矢野真士(やの しんじ)”の従姉弟でもある。
もっとも、真士はバイトよりコミケを優先して面接で落ちたのだが・・・。
そして今は、これからの耕治の仕事のシフトを涼子と一緒に決めていたのだ。
ここ三日間のシフトの説明も終わり、早速倉庫整理の仕事を言い渡された耕治はその場所へ行こうと事務室のドアを開けた。
とその時、
「きゃっ」
外から事務室の中に入ろうとしていた”日野森あずさ(ひのもり あずさ)”とぶつかりそうになった。
「おっと、大丈夫か?日野森」
直接ぶつかってはいないのだが驚いた拍子に尻餅をついてしまったあずさに、耕治が手を貸そうとする。
「ありが・・・!」
あずさもその手を取ろうとしたのだが、相手が耕治と知るなり態度を一変させてしまう。
「結構です。あなたの手なんか借りなくても一人で起きれます」
あずさはすぐに立ち上がり、事務室の中へと入っていってしまった。
「はあ・・・やっぱりそう簡単にはいかないか・・・」
そんなあずさの態度に耕治はため息を一つ吐いて、握られることのなかった右手で後頭部をかきながら倉庫へと向かった。
耕治とあずさの出会いはそれはもう最悪だった。
Piaキャロットの面接当日。
真士と共にキャロットへ向かっている最中、真士があまり時間が無いと言って走り出した。
耕治もそれに追いつこうと仕方なしに走り出したその時、同じくキャロットへ面接に行く途中だったあずさと激突してしまう。
当然耕治は謝ったのだが、一方的に悪者扱いされている内に腹が立ってきて、人の多い駅前で口論が始まってしまった。
結局劣勢だった耕治が苦し紛れにあずさのペンダントを馬鹿にして、それに怒ったあずさが思いっきり耕治に平手打ちを放って去っていくという、耕治の人生においてワースト3に入る無様な最後で野次馬は散っていった。
だが話はこれで終わらない。
店に着いた耕治に待っていたのは、先程たっぷり口論してきた相手と面接控え室で偶然再会してしまうという、なんとも笑えないオチだった。
耕治は口論したときよりかは幾分か頭が冷えていたので仲直りしようと試みたのだが、あずさは聞く耳持たなかった。
そして二人とも無事合格し気まずい雰囲気の中、二人にとっては初となるバイト生活が始まった。
「うわっ・・・これ全部やるのか?」
倉庫に着いた耕治が目にした物は、山のように詰まれたダンボールだった。
確かに涼子は「業者に大量に発注した」と言っていたが、まさかこれほどとは・・・。
『これを全部仕分けするのか・・・俺一人で』
倉庫整理は重たい荷物等を運ぶので、基本的に男がやることになっている。
2号店に耕治以外の男性社員はアルバイトを含めて2人しかいない。
一人はPiaキャロットのオーナー木ノ下泰男の息子で、2号店店長でもある”木ノ下祐介(きのした ゆうすけ)。
もう一人はハスキーボイスと女の子のような端正な顔を持つ”神楽坂潤(かぐらざか じゅん)”。
実は本当に女の子で、演劇のオーディションのために男性の役作りの勉強をするという理由で、一週間程前から男性として働いている。
ちなみにこの事実は履歴書に目を通した祐介と涼子しか知らない。(さすがに履歴書で嘘をつくと犯罪になるので)
もっとも二人にはしっかり理由を話して口止めさせてもらったのだが・・・。
とにかく耕治含めて3人しかいないのである。
祐介は今フロアで働いているし、潤はもともと今日は休みである。
『はあ・・・しょうがない、いっちょやったるか!』
耕治は気合を入れなおして、気の遠くなるような数のダンボールと戦い始めた。
「ふう・・・これで一段落ってとこか」
脚立を降りて、バンダナで汗を拭う。
「やっほー、頑張ってる?」
とそこに、後ろにある倉庫のドア付近から女性の声が聞こえた。
「あ、葵さん」
耕治が後ろを振り向くと、そこにはウェイトレス姿の”皆瀬葵(みなせ あおい)”がなにやら飲み物らしきものを持って倉庫の中に入ってきた。
彼女が涼子と一緒に入社したという親友で、2号店のフロアマネージャーを務めている。
涼子の美しさを月と例えるならば、葵の美しさは太陽だ。
いつも場を盛り上げるキャロットのムードメイカー的存在で、時々周りを巻き込む行動を起こすこともご愛嬌。
しかし無類の酒好きで、”宴会大魔王”と呼ばれるほどの宴会好きでもある。
「どう?初めてバイトした感想は」
「いや〜、結構しんどいっすね〜。明日筋肉痛になりそうだ」
「な〜に言ってんの、いい若いもんが。ほ〜ら、もっとしゃきっとしなさい」
葵が耕治の背中を軽く叩く。
「ははは、もちろんこれからですよ!葵さんの顔を見てたら元気が湧いてきましたしね」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない♪はいこれ、差し入れよ」
「あ、ありがとうございます・・・って葵さん!これビールじゃないですか!」
耕治が受け取った物は、普通に市販で売っているような缶ビールだった。
「あ・・あはは〜、もちろん冗談よ。はい、こっちだったわ」
今度はれっきとしたアイスティーのようだ。
「じゃあ、私そろそろフロアに戻らなくちゃいけないから・・・。あっ、そうそう。涼子がそろそろ耕治君も休憩入っていいって言ってたわよ」
「えっ、もうそんな時間か・・・」
腕時計に目を落とすと、時刻は5時を回った頃だった。
耕治は1時からバイトに入っているので、かれこれ4時間以上も倉庫整理をしていた事になる。
「ふふふ、仕事に没頭してるとそれだけ時間が早く感じるものよ・・・それじゃ、倉庫整理頑張ってね〜」
「あっ、はい。葵さんもフロアの方頑張ってください」
葵はその言葉に微笑みで答え、倉庫を出て行った。
「さて、そろそろ俺も休憩に入るか・・・」
渡されたアイスティーを持って、耕治は『そういえばなんで葵さん、仕事中に缶ビールなんか持ってたんだろう』と疑問に思いながら、休憩室に向かった。
「あずささん、どう?仕事の方は上手くやっていけそう?」
「はい。周りの人が親切に教えてくれるので、とても助かってます」
『この声は・・・涼子さんと日野森かな?』
会話が聞こえてきた休憩室のドアを開ける。
その中では予想通り、涼子とあずさが座って向かい合うような形でお茶を飲んでいた。
「あっ、前田君。お疲れ様。どうだった?倉庫整理の感想は」
耕治に気づいた涼子が話しかけてくる。
「いや〜、さっき葵さんにも聞かれたんですけど、結構ハードですね・・・。でもやりがいのある仕事だと思いますよ」
耕治も涼子の斜め前――あずさの隣の椅子に座って答える。
「そう、それは何よりだわ」
「・・・」
耕治と涼子の会話を黙って聞いていたあずさはおもむろに立ち上がった。
「あら、どうしたの?あずささん」
「私、もうフロアに戻りますね?」
「えっ、でもまだ休憩に入ったばかりじゃない」
涼子の言った通り、あずさが休憩できる時間はまだ30分以上ある。
「大丈夫ですよ。今は一刻も早く仕事に慣れたいですし・・・。それでは失礼します」
あずさは笑顔でそう言うと、ドアを開けフロアの方に行ってしまった。
「どうしたのかしら、あずささん・・・。前田君、何か心当たりとかある?」
あずさの様子がおかしくなったのは耕治が入ってきてからなので、疑われるのは当然の事だろう。
一方、問われた耕治はどう答えるか悩んでいた。
『どうしよう・・・駅での出来事を話すか?いや、けどお店の方にまで私情を持ち込みたくないし・・・』
考えること数秒、結局耕治が出した結論は
「・・・俺もよく分かりません」
と誤魔化すことだった。
休憩時間も終わり、再び仕事を再開して早3時間。
山のように積まれていたダンボールがようやく半分というところで、お店の就業時間が訪れた。
「ふう、疲れたな・・・」
倉庫を出て、男性用更衣室までの廊下を歩く。
首や肩を回すと、パキポキと骨が鳴る音がした。
『うっ、こりゃ完全に運動不足だな・・・』
筋肉にかなりの疲労が溜まっている。
今日は早く帰って休もうと考えている耕治に、後ろから声を掛けてくるウェイトレス姿の女の子が一人。
「あっ、耕治さん!お疲れ様です」
「ん?おう、美奈ちゃん。お疲れ様」
『いや〜、相変わらず美奈ちゃんは可愛いなぁ・・・。あの日野森と姉妹とはとても思えないよ』
そう、彼女――”日野森美奈(ひのもり みな)”はれっきとしたあずさの妹である。
あずさは美奈のことを”ミーナ”と呼んで可愛がり、美奈もそんな綺麗で優しい姉を慕っているというまさに理想的な姉妹関係と言えるだろう。
小柄で、どこか守ってあげたくなるような彼女は耕治にとっても可愛い妹という感じだ。
ちなみに美奈も耕治のことを頼れるお兄さんという風に慕っている。
耕治が彼女と始めてあったのは面接当日。
素直で優しい彼女とは、すぐに親しくなることが出来た。
美奈があずさと姉妹だと知ったときは、何かの間違いだと思ってしまったが・・・。
「どうでしたか?倉庫整理の方は・・・。やっぱり疲れましたか?」
「うん、そうだね。まだ慣れていないというのもあるけど、普段使わない筋肉ばっかり使うからやっぱり疲れるよ」
「倉庫整理の後のシフトは決まっているんですか?」
「いや、まだ決まっていない・・・。涼子さんには自由に決めていいって言われてるけど、これだけ職種があるとどれにするか迷うよ」
キャロットにはウェイター・キャッシャー・掃除・皿洗い・仕込み・調理・倉庫整理の7つの職種がある。
週末に涼子と打ち合わせをして、来週どのシフトにつくか選べるという仕組みである。
「ウェイターをするときはぜひ言ってくださいね?美奈が教えてあげますから♪」
仕事の疲れが吹き飛びそうな笑顔でそう言ってくれる美奈に、耕治も
「ありがとう、美奈ちゃん」
とお礼を言って頭を撫でてあげた。
美奈も気持ちよさそうに目を細めながら、耕治の手を感じていた。
「ミーナ、待たせてごめんね。あっ・・・」
とそこにウェイトレス姿のあずさが、フロアから帰ってきた。
「よっ、日野森。お疲れ様」
耕治が美奈の頭を撫でていない方の手を上げて、軽く挨拶する。
「・・・お疲れ様。さ、ミーナ。早く着替えて帰るわよ」
「えっ、美奈もう少し耕治さんと・・・あーん、待ってよあずさお姉ちゃん」
あずさは半ば強引に美奈の腕を取り、女子更衣室へと向かう。
「そ、それじゃ耕治さん。お疲れ様でした」
「・・・うん、美奈ちゃんもお疲れ様」
”バタン”
耕治の言葉が言い終わるかどうかという所で、女子更衣室のドアが閉まる。
『・・・はあ』
そのドアを見つめながら耕治は心の中で一つ、大きなため息を吐いた。
「あ〜〜、疲れた〜」
耕治は自分の部屋のベッドに勢い良く体を沈めた。
自分の部屋といっても、キャロット2号店の社員寮”コーポPia”の一室なのだが・・・。
Piaまで徒歩15分程のこの部屋は、店長の厚意によりバイトでも借りられるようになっている。
自宅よりこちらの方が店に近い耕治は、バイトをする夏休みの間だけここで一人暮らしをすることにした。
「・・・」
ベッドに仰向けに寝ながら、天井をぼ〜っと見つめる。
『とうとう、始まったか・・・』
耕治は高校三年生のいわゆる受験生である。
本来ならいい大学を目指すために勉強に費やすこの夏休みを、週六日のバイトで潰すなど正気の沙汰ではないのだろう。
でも耕治は大学に進学するかどうか悩んでいた。
当然親からは大学ぐらいは出ておけと耳にたこができるぐらい言われたのだが・・・耕治はそのまま親の言いなりになって、自分の将来の選択肢を安直に狭めることが嫌だった。
別にお金に困っているわけではない耕治だが、こういう経験もいつか必ず自分にプラスな結果に繋がると思ったのだ。
『この夏で、どういう結論が出せるか・・・』
もちろん、なんの結論も出ないかも知れない。
出た結論から、自分の将来が悪い方向に向かってしまうかも知れない。
でもそれはそれで自分の出した結論なのだから、納得がいくし悔いも残らない。
そういう想いをすべて話して、大学を勧める両親をなんとか説得し、キャロットでのバイトを許可してもらったのだ。
「・・・よしっ、明日からも頑張るか!!」
部屋の電気を消した耕治は初仕事の疲れからか、すぐに寝息をあげ始めた。
2話へ続く
後書き
ようやくスタートしました、Piaキャロットへようこそ2SS「Piaキャロ2〜another
summer〜」。
発売から7年経って「今更」って感じですが、一度書いてみたかったので・・・。
この話ではゲーム本編のあずさストーリーとは違った形でのあずさENDを目指したいと考えています。
どれくらいの長さになるかはまったく予想がつきません!(笑)
第一話もバイト初日の話で終わってしまいましたし・・・。
まあ、気長にお付き合いください。
それでは次の更新で会いましょう〜。
2005. 11.13 雅輝