Memories Base 三周年記念寄贈作品

 

 

 九月某日。

 二年三組教室内。

「くぁ……」

 秋の穏やかな日和に誘われて、秋月愛(めぐみ)は小さく可愛らしいあくびを漏らした。

その緩んだ顔を見ながら、対面に座る女子生徒、橘美音(みお)は軽くため息をつく。

「眠そうだね、愛」

「だってぇ〜……いい天気だし、授業は退屈だし……」

「退屈って……文化祭はすぐそこで、その後は中間なんだけど?」

「やめてー。美音ちゃん、中間の話は言わないでぇ」

 今は昼休み。クラスでは中の良い友人同士が座席の向きを変え、他愛のない会話をしながら昼食を楽しんでいる。

 愛は母が作ってくれたサンドイッチ。美音は小さな弁当。どちらも果たしてそれで足りるのか甚だ疑問の量ではあるが、彼女たちはそれで

『満足』できる。だが決して『満腹』にはならない。

 しかしそこは世の男性陣には計り知れない、女の子の永遠の悩み故である。

「美音ちゃんは成績いいもんね……ヤマ、教えてくれない?」

「テスト範囲全部。ヤマなんてそうそう当たんないんだから、下手な博打する位なら全部一通りやった方が早いっての」

「うわー……出来る人の答えだぁ……」

 べちゃっ、と机に突っ伏しながらもぐもぐとサンドイッチを食べる愛。みっともなく、かつだらしないことこの上ない。

「それより……私は文化祭の方が心配だわ。何だってこんな、はっずかしい衣装を着なくちゃなんないのよ……」

 美音がまたしてもため息をつきながら、カラープリントされた用紙を見る。

 そこには、極めて特殊な洋服の画像が印刷されていた。

 白をベースにした長袖に加え、首元、肩、腰、スカート上部に黒のフリルをあしらったツーピース。しかしスカート丈は膝上15センチほどとやや短め。

 スカート部分は二重構造になっていて、黒地が上、白地が下。腰はコルセットが装着されており、白い長袖の裾には小さな黒いリボン。

 首元にも飾りがついた黒いリボンがあしらわれて、また全体に白と黒のフリルがアクセントに、かつ可愛らしく配置されている。

 世に言うメイド服。しかも、やや特殊な部類に入るメイド服である。

「何で? あたしは可愛いと思うけど?」

「可愛い可愛くないの問題じゃなくて……うん、確かに可愛いとは思うけどっ! これ着て接客する意味がわかんないのよ、私はっ!」

 ちなみに、この『メイド服で接客しよう案』を出したのはクラスの男子・福田明生。数少ない服飾部の人間であり、基本デザインから製作まで

彼が行っている。

 しかし、一人が作れる量などそれほど多いはずもなく、残りは福田の知り合いの店に協力してもらっていた。

 結果、総数十六着。さすがにすべての女子が着ることは出来ないが、ここまでして作ってくれたのだから断るわけにも行かない。

 また異常なまでの得票数も手伝って、メイド喫茶は完全に三組の出し物に決定。文化祭実行委員会も、委員長・岸本優司(三組の生徒)の判定で

通過と相成り、生徒会側からの承認も下りていた。

「まったく、職権濫用もいいとこね」

「でも決まっちゃったんだから、着なきゃダメだよー。それに、美音ちゃんなら似合うって♪」

「あんたに言われると嫌味に聞こえるわよ……まったく」

「そ、そんなんじゃないのに……」

 しゅん、と消沈する愛。

 座っているとそれほど分からないのだが、愛と美音の身長差は十センチ近くある。

 しかし、それは決して美音の背が低いというわけではない。単に愛の身長が平均的な数値を上回っているだけだ。

 加えて、愛のプロポーションはグラビアアイドルのそれに匹敵すると言える。こんな相手に似合うなどといわれても、やはり素直には喜べない。

「でもでも美音ちゃん、世の中って上には上がいるんだよねー」

「は? ……あぁ、今村会長ね。あの人は規格外でしょ、あんたが超人なら、向こうは神様の域ね」

 今村会長こと、今村冴霞。昨年度の後期と本年度の前期、二期に渡って生徒会長を歴任した女生徒であり、愛を凌駕するプロポーションに身長、そして

美貌と明晰な頭脳に卓越した政治手腕、さらには運動神経までも兼ね備える、文字通りの神域の人。

 だが愛は、そんな彼女とも面識があった。それは生徒同士のつながりという縁ではなく、もう少し親しい間柄。

「今村先輩、着てみてくれないかなぁ。ねぇねぇ、新崎くんはどう思う?」

「……何の話してんだ?」

 たまたま通りがかった男子生徒、新崎謙悟に話しかける愛。身長は愛の彼氏・森川総志よりも高く、また精悍な顔立ちは男らしく凛々しい力強さがある。

彼もまた一時期は生徒会に籍を置いていた身であり、前会長である今村冴霞とも面識があることは、愛も美音も知るところだ。

「これこれ、このメイド服〜。今村先輩なら似合うと思わない?」

 ひらひらとプリントを振るが、謙悟はそれを一瞥すると自分の席――――愛の前の席に腰を下ろし、同じ物を取り出す。

「……似合うもなにも、着れないだろ」

「もしかしたら、の話だよぅ〜。ほらほら、先輩の姿をイメージして、この服と合体させ……って、いたっ!?」

 ごん、と美音が自分の弁当箱で愛の頭をどつく。さして痛みもないはずだが、愛は大袈裟に頭を押さえ、恨みがましい視線を美音にぶつける。しかし

視線ばかりが怨嗟を放っていても、口元にマヨネーズをつけたままの顔では緊張感などカケラもない。

「美音ちゃん、痛いよっ? あたし傷物にされちゃったよっ!? 責任とって嫁に来てもらうよっ!!?」

「いーからアンタはマヨネーズを拭きなさい、みっともない。新崎くんごめんね、変な事聞いちゃって」

「いや、別にいいけど……でも、そうだな」

 ふむ、と顎に手を当てて考え込む。愛に言われたからという訳ではないが、今村――――冴霞が、このメイド服を着たら。

「悪い、五時間目には間に合うように戻る」

 そう言い残して、席を立ち教室を出て行く謙悟。後に残された美音は肩をすくめるが、愛はにやにやとまるで似合わない怪しい笑みを浮かべていた。

 

 

High School Memorial 〜Autumn School Festival

 

STAGE-A

 

 

 十月五日、土曜日。

 昨年度における生徒会の活動により大きく変貌した、県立陽ヶ崎高等学校の文化祭の『初日』である。本来ならば一日で終わるはずだった文化祭は

前年度後期生徒会長・今村冴霞の施策により三日間に延長され、土、日、月がその期間に当たる。 振替休日は火曜と水曜の二日が用意されており、日曜の

段階で展示は終了、
月曜の午後三時をもってステージもすべて終了。そこから先は撤収作業。そして午後七時からが後夜祭となり、ファイヤーストームと

花火の打ち上げが
予定されている。昨年度、教職員はこれに賛否両論となったが、教頭である都築元治が意見をまとめ、学生の自主性を重んじるという

形で納得している。


もっとも、県内の公立高校でこのような特例姿勢となったのは陽ヶ崎高校が当然ながら初めてであり、他校もそれに習う形でいくつか改革案を打ち出し

たのだが、どの学校も失敗に終わっている。それは校風以前に、政治手腕という個人スキルの絶対的な差だった。

 政治に必要なものは何か。知識、戦略、根回し、人望、カリスマ。そして民意を取り入れる懐の広さと、実践できるだけの人材。

 冴霞は確かに優秀な人間だ。しかし周囲の協力なくして成功はない、ということも理解しており、生徒会のメンバーのみならず一部の教師に対しても

周到な根回しをしていた。そしてその最大の協力者が教頭の都築であり、そしてその上に立つ校長・間(はざま)辰郎である。

 学校において最強の後ろ盾。冴霞は自分に持てる武器である優秀な成績と学生としての立場から見た意見、それらを校長や教頭を始めとする教職員に

正しく認めさせることによってその力を手に入れ、陽ヶ崎高校史上に名を残す大革命生徒会長として君臨し、その功績により生徒たちから圧倒的な支持を

得たのだった。

 とはいえ、そのことを知っているのは壇上に立つ現在の生徒会長である蓮見龍也と、もう一人くらいのものである。

「では、堅苦しい挨拶は省略して――――これより、陽ヶ崎高校文化祭を開催いたします。今村前会長、号令を」

 紹介され、ステージ横から現れる長身長髪の少女。身長は百七十センチを超え、まるでモデルのようにスマートで、それでいて力強い歩みとともに。

 登場とともに鳴り響いた拍手を右手の一振りだけで静めると、今村冴霞は龍也からマイクを受け取り、すぅっと息を吸った。

みなさん!! 限られた三日間ですが!! 精一杯楽しみましょう!!!!

「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」」」」

 短い言葉だが、それに答えようと男子も女子も関係なく、地鳴りのような大歓声が上がる。冴霞がマイクをぐっと天井に向かって高々と掲げれば、

全生徒たちが拳を突き上げる。

一礼し、マイクを龍也に返して、颯爽と舞台袖へと引き返していく冴霞。後ろ姿が見えなくなっても歓声は止むことなく、その光景を見てやはり本物の

カリスマには叶わないな、と龍也は密かに羨望の溜め息をつくのだった。

 

 

 

 陽ヶ崎高等学校・校舎三号棟、一階。家庭科室前広場。

「っあい、オーダー入りまーす!! A定三にB定二!! ボロネ、カルボ各一にカレーセット三!! ラストでケーキセット六!!」

 高らかにオーダーを告げると、厨房――――もとい、家庭科室から女子たちの返事が返ってくる。高平継はそれを確認すると、五枚の伝票をクリップに

挟み、そのまま確認用にと打ち込まれたフックに引っ掛ける。

 継のクラスである二年五組の出し物は、家庭科室とその前にある広場を使ってのオープンレストランだった。本来ならば教室だけでも事足りる程度の

規模に納まるはずだったそれは、思いもよらぬ参加者によって大きく方針転換させられていた。

「はぁ〜い、いらっしゃいませぇ〜」

「に、二年三組と、二年五組の、が、合体レストラン……ぇ、ぇっと……」

 間延びした声を上げる秋月愛とは対極に、もごもごと口篭っているのは柊木要だ。彼女の配置は元々は厨房のスタッフリーダーだったのだが、今は

五組の女子だけではなく三組の女子も手伝って、十分人は足りている。そこを愛が誘拐し、二人そろって――――例の、メイド服に身を包んでいた。

「あぁん、もう。要ちゃんノリ悪いよぉ〜? もっとズバッと! ビシッと言わないと!!」

「わ、分かってるよぅ。……でも恥ずかしいってば、この名前っ」

 抗議の視線を向ける要。だが愛はへらへらとお気楽に笑いながらぽんぽんと要の肩を叩く。何を言っても暖簾の腕押しにしかならないことは、傍目から

見ている継にも分かっていた。

「客が来なかったらお前のせいだからな、要?」

 意地悪な口調で継がそう言うと、要はちょっと泣きそうになりながら、半ばヤケクソ気味に。

「す、すーぱーこらう゛ぉれーしょんれすとらん!! めいどれすとらんすりーふぁいぶへ!! どうぞお越しくださいっっ!!」

 発音まで完璧に、店頭に掲げられた看板の通りにたどたどしく読み上げると、要は真っ赤になって家庭科室に逃げ込んだ。その後ろ姿をしっかりと

見送ってから、継は我慢の限界とばかりに吹き出してしまう。

「愛ちゃん、あんま要のこといじめないでくれよ……くくっ」

「笑っちゃ……駄目だよっ……それに高平くんだって……ぷぷっ」

 かく言う愛も継と同様に笑いを堪えきれないでいた。だがそこへ、がすっ! とわりと容赦のないツッコミが愛と継、両者の後頭部に叩き込まれた。

「あぅっ!?」

「ぐあっ!?」

 頭を押さえ、振り向く二人。そこには愛と同じくメイド服を身に纏った美音と、男子用の給仕服に身を包んだ謙悟が呆れた表情で二人を見ていた。

「まったく! リーダーが泣いて帰ってきたわよ!? あんた達、のっけからこの店を潰すつもり!? 特に愛、アンタは昼過ぎまではウェイトレスじゃ

なくて厨房でしょうがっ!! なに勝手にウェイトレスの格好してんのよっ!!」

 ぐいっと首根っこをつかみ、十センチ近い身長差をものともせず美音はずりずりと愛を引きずる。売られていく子牛のような悲しげな瞳で助けを求める

愛だが、謙悟も継も助けるどころか手を差し伸べることもせず、ナプキンをぱたぱたと振って見送っていた。

「うわ〜ん……新崎くんも高平くんも、はくじょうものぉ〜! 美音ちゃんの人でなしぃ〜!」

「っさい! キリキリ歩け!!」

「首根っこつかまれてたら歩けないよぉ〜。あ、あいしゃる、りた〜んっ!!」

 元帥の捨て台詞を残して連行される愛が厨房に放り込まれる。その様子を最後まで見届けて、謙悟は溜め息をついてから継を見下ろした。

 給仕服とは言ったが、謙悟と継、そしてオーダーを取っている男子スタッフの格好は、基本的に制服のままだ。ただ違うのは上着の代わりにベストを

着用し、胸元にはナプキン、腰にはウエストバッグを身に着け、そこにオーダー用の伝票と筆記用具を入れている。また一部のスタッフはインカムも所持

しており、ウェイターとしてのキャリアが長い継も持たされていた。

 首元にはリボンタイを着け、また襟足の長い継は小さく髪を束ねている。もともと短髪の謙悟はそういったアクセサリ的なものは一切ないが、厨房から

出て来たこともあって、今はブラウンのウェイターエプロンを腰に巻き、またカッターシャツの袖も捲っている。

「俺が悪かったのは認めるけどさ、何も叩かなくたっていーだろ?」

「こっちだって暇じゃないんだ。一番仕事の出来る人間を連れて行かれれば困るのは当然だし、相手がお前なら加減してもしょうがないからな」

 ぽい、アルミ製のトレイを投げ渡す謙悟。継はそれを危なげなく受け取り、くるくると右手の人差し指で回す。

「そりゃどーも。で、客寄せの二人が居なくなったわけなんだけど……やっぱ二クラス合同となると、集客力が違うんだな。外回りの連中も、一体どこで

ビラ配ってんだか」

「だから俺も手伝いに来たんだよ。て言うか正直、厨房は女子の人口比率が高すぎて、居辛い」

 要の大音声と、人目を惹くメイド服。それに何より集客率を上げたのは、可愛らしい二人のウェイトレスの存在だった。開店から一時間と経っていない

というのに席は既に埋まりつつあり、謙悟も継も集まった男子のみならず外来の客を相手に、控えめに息をついた。

「じゃ、いっちょ気合入れていきますか。下手こいてもサポートなんかしてやらねーからな?」

「期待してないし、なんとかやれるから心配するな。それより、お前は柊木に謝る言葉でも考えておけよ」

 ごん、と握り拳を打ち合わせ、二人のウェイターが出陣する。本人同士は言葉では否定しているが、息の合ったコミュニケーションは間違いなく親友

同士のそれであり、互いのことを信頼し合っているというこれ以上ない証明。

 そして二人の登場に伴い、『めいどれすとらんすりーふぁいぶ』は男性客のみならず女性客も増加することになるのだった。

 

 

 

 陽ヶ崎高等学校・校舎内、一号棟二階。渡り廊下。

「あれ、森川じゃないか?」

 外来の一般客としてかつての母校を訪れていた森川総志は、呼び声に応じて振り向いた。白衣を纏い、胸ポケットには二年前と変わらず禁煙用のパイプを

挿している養護教諭、水島智子と――――その隣には、智子よりも背の低い恩師・篠塚さくらの姿。

「どうも、ご無沙汰しています」

「うん、久し振り。去年も文化祭で会ったわね〜。また今年も、秋月さんのお守り?」

 さくらが意地の悪そうな視線を向けるが、総志はそれに動じることもなくキラリと眼鏡を輝かせる。

「ええ、未来の嫁ですから」

「なっ――――ふ、ふん! 余裕見せたって駄目ですからね! 秋月さんが卒業するまでは清い交際をしないといけないんだからっ!」

「勿論です。ですけど篠塚先生? 愛ももう十七歳ですから、法律的にはもう問題ないかと」

「り、倫理の問題ですっ!! 高校生に手を出したら犯罪なんですからねっ!?」

 うろたえて少々大きな声を出してしまうさくら。それをなだめるように、智子がぽんぽんとさくらの頭を叩く。

「一年ぶりに会ってまた弄られてるな、さくら。教師の威厳が全く見られないぞ」

「教師のクセにツインテールが似合う時点でやばいと思うんですけどね、元教え子としては」

「それを言ってやるな。あとセクハラは止めとけ、こいつ経験浅すぎなんだから。二十五歳でまだ処女なんだし」

 智子から見舞われた不意打ちパンチに、さくらの顔が真っ赤に燃える。

「とっ、とととともこさあぁぁぁんっっっ!!?」

「はい黙れー」

 さっと白衣の左ポケットからマスクを取り出し、有無を言わさずさくらの口をそれで塞ぐ。中にはたっぷりと綿が詰められており、ちゃんと外さなければ

声を外に出すことが出来ない仕様にカスタマイズされ、また簡単に外すことが出来ないようにそれぞれの耳掛けからは、二本のホックが付いたヒモが伸びて

ロックできるようにしている。さらにマスクには赤のマジックで『×』マークが書かれているあたり、智子の密かなお茶目が見受けられる。

「相変わらず息の合った良いコンビですね、水島先生と篠塚先生」

「まぁ、昔からの馴染みだからね。お前の嫁ならさっき家庭科室の前でメイドやってたぞ? なかなかさまになっていたが、橘に連行されてたな」

「……あのおバカ」

 ちゃっ、と眼鏡を直す総志。困ったときに取る、昔からの癖だ。智子はそれを思い出しながら、ニヤニヤと笑って今度は白衣の右ポケットから数枚の

チケットを取り出した。

「ほら、お前の嫁がいる店のタダ券だ。校内で配ってるのは割引券ばかりだが、私は三組の男子からもらってな。まだあるから、これだけやるよ」

「はぁ……そういえば、愛からもらったのも割引券だったかな」

 財布の中から取り出した割引券を智子に手渡す総志。智子はパイプを咥えると、ふっと鼻で笑って割引券を総志に突き返した。なぜならその割引券には

『そーじくん専用☆』とピンクのマジックで書かれていたからだ。

「こんなラブメッセージが書かれた割引券なんか使えるもんか。大事に持っておけ」

「でしょうね。じゃあ、ありがたく頂戴いたします」

 うやうやしく無料券を受け取り、総志はぺこりと頭を下げて別れを告げる。さくらはようやくマスクを外し、ふぅと一息ついてからキッと迫力の感じ

られない怒りの視線を智子に向けた。

「ともこさんっ!! 元教え子の前で何てこと言うんですっ!?」

「怒るな怒るな、事実をありのままに教えてやっただけじゃないか」

「尚悪いですっ! それでも先輩ですかっ!? それにあの無料券は新崎君から私達にってもらった物だったのに!!」

 水島智子は以前、謙悟との間にちょっとした縁があった。一学期半ばに起きた事件の折、彼の立場を救うために国語科担当教諭である西野淳司とともに

少々暗躍し、先ほどの無料券はそれに対する謙悟からのささやかな感謝の贈り物だったのだ。しかも義理堅いというか律儀というか、智子と親しい間柄で

あるさくらにも謙悟は無料券を用意しており、今しがた智子が総志に渡したのはその全てであった。

「なんだ、意外と意地汚いんだな、さくら」

「ちっがーーーーう!! 新崎君の厚意を無にするなって言ってるのぉっ!!!!」

 怒り心頭といった感じで大絶叫。しかし智子は素早く二つ目のマスクを取り出し、反応する隙さえ与えずに再びさくらの口を塞ぐ。周囲の反応が徐々に

不穏なものを見るような視線を伴ってきたので、智子はさくらを連れて彼女の城である保健室へ辿り着いた。

 周囲のざわめきとは隔絶された静穏な空間。文化祭の最中であっても保健室は変わらず保健室として機能しており、また特に危険な催し物が予定されて

いない今回の文化祭では、本当に用事のある人間しか訪れることのない場所。

「ったく、いい歳してあんな公衆の面前で大声を張り上げるな。そんなんだから子どもに見られるんだよ、さくらは」

「うっ……で、でもさっきのは、智子さんだって悪いじゃないっ!!」

 冷蔵庫からパックのコーヒーを取り出した智子は、それをポイと放り投げてさくらに渡す。ミルク多めの多糖コーヒー(八十円)である。一方の智子は

ミルク控えめの微糖コーヒー(同じく八十円)。どちらも週に一度購買部の自販機から箱で仕入れている物だ。

「まあ、新崎に言えばタダにはしてくれるだろうし、あいつもあくまで感謝を形にしただけだからな。大切なのは物じゃなくて心だよ。私だって見返りを

求めて新崎のことを庇ったわけじゃない。言ってしまえばあんなもの、ただの紙切れに過ぎないんだ」

「それは……そう、だけど」

 ぷすっとストローを挿してコーヒーを飲むさくら。どうやら昂っていた気持ちも落ち着いたのだろう。智子も同じくストローを挿し、コーヒーを飲む。

「まぁ、とはいえ新崎がいない場合は、その紙切れがないと私たちはこんなパックのコーヒーしか飲めないからな。暇を持て余している西野クンにでも

貰いに行こうか。今頃は視聴覚室での映画発表会に潜り込んで、惰眠を貪っているはずだからな」

「ぶはぁっっ!?」

 智子の言葉にさくらが年甲斐もなく盛大にコーヒーを噴き出す。智子は後輩の狼狽ぶりと次に飛んでくるであろう絶叫に備えて、寄りかかっている机の

引き出しから、あらかじめ淳司から貰って(奪って)おいた無料券をそっとポケットに忍ばせた。

 

 

 

陽ヶ崎高等学校・校舎三号棟、一階。家庭科室前広場。

「へえー……繁盛してるんだ」

 佐伯由紀乃は小声で呟いて、座席を埋め尽くす客と、彼らの間を慌しく行き来するウェイター・ウェイトレスの姿を眺めていた。

 来年にはおそらくこの陽ヶ崎高校に通うことになるであろう由紀乃は、継の父・高平晃司が再婚した佐伯智佳の連れ子であり、継にとっては義理の妹に

なる。といっても晃司と智佳は正式に入籍したわけではなく、また由紀乃も高平の籍に入っているわけではない。本人たち曰く、形式的なものでしかない

夫婦関係だそうだが、強いてあげるなら事実婚といったところだろう。

 だがそんな親同士のことは由紀乃の知ったことではなかった。義理とはいえ継、そして継の兄である弌(はじめ)という二人の兄が出来ることは彼女に

とって寝耳に水であり、また思春期という多感な時期である。反対こそしていなかったが、やはり再婚には同意しかねていた。

 しかし、継と由紀乃の間には思いもかけない縁があったため、高平兄弟と由紀乃の関係はそれなりに、良好なものとなっている。

 その縁とは、再婚話が上がるよりも少し前。由紀乃がガラの悪い不良連中にナンパされているところを、たまたま通りがかった継が助けたことがあった

のだ。由紀乃は以来、継に対して義兄妹以上に信頼を寄せ、また同時に継に対して長年想いを寄せていた要の後押しをしたこともある。継自身は知らない

事ではあるが、由紀乃は継と要の関係を大きく進展させたキューピッドでもあった。

「継さんっ!」

「ん? おぉ、由紀乃ちゃん! 来てくれたんだ! わりぃけど、ちょっと家庭科室の方で待っててくれ!」

 忙しそうにまくし立てると、継はそのまま次のテーブルへと早足で向かう。しかし急いでいるといっても焦っている様子はどこにもなく、むしろ余裕の

ようなものが感じられる。そしてチラリと背の高いウェイターに目配せをすると、相手もそれを察したのか浅く頷いて接客を切り上げて、由紀乃のほうへ

歩み寄る。短髪で、見るからにスポーツマンといった感じの、逞しくそして精悍な顔立ちのウェイター――――謙悟だ。

「話は高平から聞いてるよ。えっと……」

「由紀乃です。佐伯、由紀乃。継さんの義理の妹です。はじめまして新崎さん」

 ぺこりと頭を下げる由紀乃に、謙悟もつられて礼をする。身長百五十六センチの由紀乃からすれば、三十センチ近く差のある謙悟はややもすれば多少

怖い印象を抱いてしまいそうだが、事前に継から情報を得ていたので、それほど強く気にするほどでもない。

「……俺のこと、高平から聞いてたのかな?」

「はい。ちょっとムカつくし、自分より身長が高いのが気に入らないって。それに継さんってば、バッティングセンターでホームラン競争に負けたの、まだ

根に持ってるみたいですよ」

 夏休み中に友人や恋人を交えて行った、スポーツセンターでの一幕。十本勝負のホームラン競争で継が七本だったのに対し、謙悟の記録は八本だった。

数字にすればわずか一本の差なのだが、継はそのことがいたく気に入らなかったらしい。

「あいつ……ったく、仕方のない奴だな」

「はい。仕方のないおにーさんです。でもですね、新崎さん?」

 ちらり、と継がこちらを見ていないことを確認してから、由紀乃はちょいちょいと謙悟に手招きをする。謙悟がそれに応じて軽く膝を落とすと、もう一度

継のことを確認して、由紀乃は小声で。

「新崎さんのことを話してるときの継さん、とっても楽しそうでしたよっ。素直じゃない人ですけど、仲良くしてあげてくださいね」

「まぁ……とりあえず、善処するよ」

 謙悟も由紀乃と同じように継を見る。思えば初めてのちゃんとした会話はケンカ腰だったが、継は行動力もあり、気配りも出来る男だということは、

夏休みから何度となく感じさせられていた。それに今回のこの出し物である『めいどれすとらんすりーふぁいぶ』の実行に一役買ってくれたのも、実は継の

力による所が大きい。謙悟にとってのワガママでしかない思いつきを叶えてくれようと奔走し、最後には級友である生徒会長、龍也にまで掛け合って企画を

成立させてくれた。それを素直に本人に感謝してる、と伝えたところ――――

『やめろって、照れ臭い。それに、別にお前だけのためじゃねーんだからな。俺だってどうせなら、面白いイベントにしたいからよ!』

「(素直じゃない、か。でもそういう高平だから、俺たちは……友達になれたんだろうな)」

 普段ならば決して口にしない『友達』という言葉に、口元をわずかに緩めて笑う謙悟。その横顔を見上げて、由紀乃もクスッと笑みを漏らした。

「じゃあ新崎さん、そろそろ家庭科室に案内してもらえます?」

「あぁ、ごめん。こっちだよ」

 客席を外回りにぐるっと回り込み、オーダー用の伝票を貼り付けているカウンターとは少し離れた場所にある戸口を開ける。

「っと……柊木ー、案内してきたぞー!」

「あ、はぁーい!」

 制服にエプロンを着けている女子たちの中で、一人だけ仕事着であるコック服に身を包んでいる要が作業を切り上げて謙悟の元にやってくる。この格好

だと本人曰く気合の入り方が違うそうで、何より彼女はキッチンスタッフのリーダーである。他のメンバーと差別化を図るという意味で、この服装は文化祭

実行委員会と生徒会にも、メイド服と同じく許可してもらっている。

「こんにちは、要さん。来ちゃいましたっ! よかったらお手伝いしましょうか?」

「気持ちはありがたいけど、大丈夫だよ。スタッフは多いし、ウェイトレスも足りてるし。それに由紀乃ちゃんはお客様なんだから」

 にっこりと微笑む要。一方で謙悟はカウンター越しに客席の様子を見て、家庭科室内にある掛け時計へと視線を移した。

時刻は既に午後二時を回っている。昼食時のピークは過ぎ、客足もかなり落ち着きを見せてきた。今現在、席に着いている客が全てさばければそれなりに

余裕が出てくるだろう、と継も言っていたし、そろそろ謙悟の『ワガママ』を実行に移す好機かも知れない。

「じゃあ、柊木。俺はそろそろ……」

「あ、うん。えっと……頑張ってねっ!」

 控えめな応援と昼食代わりにと差し出されたおにぎりを受け取って、謙悟はウェイターエプロンとリボンタイ、ベストを脱いで制服姿に戻る。そして

要から受け取ったおにぎりを一口で食べきると、外に抜ける戸口とは逆の、本来の出入口から出て行った。

「新崎さん、どこに行ったんですか? それに頑張るって?」

 由紀乃の疑問を受けて、要はちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめながら。

「綺麗な言葉で言っちゃうなら、大事な人を迎えに行った……かな?」

「?」

 首を傾げる由紀乃。そして言った本人である要も、自分の言葉に苦笑いしていた。

 

 

To Next…



STAGE B へ続く




2008.10.5