BGM Parallel World Story
Derivation Projection to make a Future
突然だが。
南條くららには、二つの夢がある。
一つは、愛する男女――――新崎謙悟と今村冴霞の二人と幸せに過ごすこと。三人で付き合い始めてから二カ月以上が経過し、今のところこの夢は何の問
題もなく達成されている。未来においてもきっと多くの難関が待ち構えているであろう事はくららにも分かっているが、三人で力を合わせて、そして協力し
てくれる謙悟の両親と冴霞の両親からも僅かばかりの力添えを得て、これからの道を切り開いていけると信じている。
生憎、そこにくららの両親からの援助は無いのだが……無理にでもくららを謙悟と冴霞から引き離さなかった事、変わらず生活費が振り込まれている事、
そして謙悟と冴霞とともに数日を過ごした『新婚旅行』から帰って来た時に届いていた手紙で、理解を示してくれたというだけでも嬉しい。
もう一つの夢は、将来の職業。くららも高校三年生という大切な時期、既に進路は定めており、彼女が通う私立桃桜女子高を運営する学校法人が設立して
いる私立桃桜女子短期大学を第一志望に据え、その中で目指す学科ももう決まっている。
南條くららが目指す未来。それは優しく明るい彼女にはとても似合うと、誰もが口を揃えて言ってくれる職種。しかしただそれだけでは叶える事が出来な
いという事は、くらら自身が誰よりも理解している。
夢を叶える、夢を形にする。
達成出来ればそれは無論喜ばしい事だが、ただ描くだけの夢では意味がない。努力を怠らず、諦めない強さこそが何よりも重要であり、くららも自分だけ
の力だけではなく、冴霞や謙悟の協力を得て学力を向上させて来ていた。だが根を詰め過ぎても良くないという冴霞の助言により、残り少ない夏休み、その
一日を利用して、息抜きをすることにした。
集合場所は、くららと冴霞が住む天桜町からはバスを使って行かなければ少々遠い暁月町にある謙悟の家。これまで距離的な問題もありくららだけでなく、
冴霞も訪れた事のないそこでゆっくりまったり、三人のみならず謙悟の家族とも歓談を楽しもうとプランを立てた――――のは、良かったのだが。
「ごめんなさい、くららちゃん。どうしても抜けられない生徒会の急務が入ってしまって……明日一日は付きっきりになりそうなんです」
「俺も出なくちゃいけないらしいから……家には行っててくれて構わないし、お袋はいないかも知れないから、一応鍵も渡しておく。それにくららなら、多
分大丈夫だと思うし」
「?」
謙悟の言葉に首を傾げるくらら。だが謙悟は「行けば分かる」とどこか意地悪な笑みを浮かべ、冴霞も冴霞でニコニコと笑って誤魔化しているようだった
が、兎にも角にも行ってみる他無い。
それが、昨日の出来事。南條くららは暁月町三丁目のバス停で降りると、携帯電話のGPS機能と謙悟が書いてくれた手書きの地図を頼りに十分ほど探し
回り、ようやく目的地である謙悟の家に辿り着いた。
「はぁ……ここが、謙悟くんのお家……」
時刻は間もなく正午。
表札に間違いなく『新崎』と書かれたその家は、どこにでもあるような二階建ての一軒家だった。駐車場と思しきスペースには車の姿はなく、そしてその
奥に広がる庭はそれなりの広さ。その気になれば犬の一匹くらい飼える、とは謙悟が漏らしていた言葉だったが、確かにそれくらいは余裕で出来るだろうし、
もしかしたら小型犬ならもう数匹はいけるかもしれない、とくららは妙に納得していた。マンション暮らしだがペット厳禁のくららの家では想像もつかない
環境であり、そもそも現状一人暮らしをしている学生の身ではペットなど夢のまた夢。だが欲を言えば、猫の一匹くらいなら飼ってみたいというのは、冴霞
の家で知り合ったバーマン姉妹・シルビアとフレデリカの影響である事は間違いないだろう。
さておき、いつまでも玄関の門前で茫然と突っ立っていても仕方がない。車が無いという事は謙悟の母・新崎陽子は不在なのだろうが、だからと言ってい
きなり鍵を開けていいという道理はない。門を開け、低い階段をトントンと上り、確認の意味を込めてインターホンを鳴らす。
『ピンポォーーン』
鳴り響く軽快な音。しかし案の定、返事は無い。本来ならばちゃんと挨拶をした上で謙悟の家には上がりたかったのだが、くららは謙悟から渡されていた
鍵をバッグから取り出し、そっと鍵穴に添えようとした。
「あっ――――こ、こんにちはっ!」
突然の挨拶が飛んでくる。しかしその声は玄関やインターホンからではなく、先ほど眺めた庭から。
まだ幼い、愛らしい声。それは以前一度だけ聞いた事のある女の子の声。
「……どこですかー?」
ひょい、とくららが庭を覗き込む。庭に出る事が出来る出窓からスリッパを引っ掛けて歩いて来ていた女の子と目が合い、うろ覚えだった記憶の中の姿と
目の前の姿が合致する。あの時も今のように、ちょっと不安げな表情をしていた事も思い出しながら、くららは女の子と目線を合わせるべく少し膝を落とす。
「えっと……会うのは二回目だけど、ちゃんとご挨拶してなかったよね? あたし、南條くららっていいます」
「し、新崎麻那(まな)ですっ……あの、おにいちゃんはいないですけど……」
謙悟と同じ『新崎』という名字。そしてその謙悟を『おにいちゃん』と呼ぶこの麻那こそが、謙悟とは十歳も歳が離れた実の妹。それはつまり、くららに
とっても大切な存在と成り得る存在。
「うん。おねえちゃん、謙悟おにいちゃんに遊びに来ていいってお呼ばれされたの。麻那ちゃんはお留守番?」
「うん……おねえちゃん、はるかおばさんのおうちであった事ある……」
麻那の言葉に、くららもこくんと頷く。
今村家で三家族揃っての話し合いの席では、麻那も母である陽子に連れられて来ていた。しかし話が話だけに同席する事は出来ず、今村家の飼い猫である
シルビアとフレデリカと共に冴霞の両親である悠香と稔臣の部屋で、話し合いが終わるまで戯れていたのだ。
その際、くららも一度だけ麻那と顔を合わせている。ろくに話も出来ず、くららの方から手を振っただけという浅過ぎるコミュニケーションだったが、麻
那もそれに応えて手を振り返してくれていた。陽子と悠香が昔の友人同士という事もあり、冴霞とは麻那も何度か会っている。あの笑顔の意味はこれだった
のか、と納得したくららは、そっと右手を麻那に差し出した。
「おねえちゃんね、冴霞おねえちゃんともお友達なの。だから、麻那ちゃんともお友達になりたいな」
「さえかおねえちゃんの……?」
じっと見つめてくる、謙悟と同じ黒曜石のような色の瞳。その瞳が何を見据えたのかは分からないが。
くららの手を握る小さな手は、暖かくて柔らかく――――華が咲くような麻那の笑顔は親愛の証として、くららに向けられた。
Boy & Girls Memories
Girl meets Little Girl 〜Let's become Sisters !!〜
麻那と一緒に玄関の鍵を開けてサンダルを脱ぎ、くららは麻那に手を引かれるままリビングに通された。先ほど麻那が顔を出したのもこのリビングに設け
られた出窓であり、エアコンによって冷やされていた空気は外の空気と混ざり合った事でわずかにその涼やかさを逃している。
今村家と比するほどではないが、新崎家のリビングもそれなりの大きさを有している。ふと視線を向けたダイニングテーブルには懐かしい『なつやすみの
しおり』が広げられており、ついさっきまで麻那がこれに取り組んでいたのかと思うと、くららは麻那の邪魔をしてしまったのではないかと申し訳ない気持
ちになった。
「ゴメンね、あたしがいきなり来たから、麻那ちゃんの宿題邪魔しちゃったね」
「ううん。今ね、にっきかいてたの」
テーブルからしおりと共に置かれていたノートを取ると、麻那はくららを引っ張ってソファーに座る。くららもそれに従うように麻那の隣へ腰を下ろすと、
懐かしいデザインの日記帳を見せてもらった。しかしその内容はくららの頃とはまるで違い、デジタルカメラで撮影した写真が貼り付けられていた。
「写真……だね?」
「うん! アサガオの、かんさつにっき」
庭を指差され、その先を見ると確かに赤と紫の花をつけたアサガオがまだいくつか残っており、写真そのままの姿を残している。くららが小学生の頃は早
起きして色鉛筆を使い分け、今にして思えばあまり上手ではない絵を描き残していた観察日記が、まさかここまで進化するとは思いもよらず、しみじみと溜
め息を吐いてしまうのも仕方がないだろう。
「スゴいね……麻那ちゃん、デジカメ持ってるんだ?」
「ううん、麻那のじゃなくて、おにいちゃんのだよ」
テーブルの上に置かれていたデジタルカメラを手に持って、くららに渡してくれる。電化製品にはそれほど詳しくないくららだが、最近雑誌で見た物より
少々角ばったデザインはどこか古臭さを感じさせるものの、傷もほとんどなく光沢を放っており、そしてあの海辺の別荘でくららと冴霞と謙悟の三人で過ご
した『新婚旅行』でも目にした物と同じカメラだった。その時に少し操作方法を教えてもらっており、メモリーカードに入っているデータを習った手順で呼
び出してみる。
「…………アサガオばっかり。麻那ちゃん、この前にあった写真はどうしたのか知ってる?」
「前のはおにいちゃんのカードだから、しらない。でもおにいちゃんのおへやにあるよ?」
三人の思い出は、ちゃんと残っている。謙悟が削除するとは微塵も思っていなかったが、麻那の言葉でそれが証明され、くららも思わず嬉しくなる。
「そっか……そうだよね。大事な思い出だもん」
「?」
突然のくららの笑顔に首を傾げながらも、麻那はちらりと庭に視線を向けた。
日記をつけていたのは本当の事だが、実は今日書こうと思っていた事はアサガオの件ではない。今日の朝出会い、謙悟にも陽子にも内緒で家に招いた知り
合ったばかりの『おともだち』の事を書こうとしていたのだ。その撮影用にと謙悟から貸してもらっているデジタルカメラを用意して庭に出ようとしていた
のだが、そこに今度はくららがやって来てしまった。
「――――あっ!!」
庭を動く小さな影。それは間違いなく『おともだち』のもの。それに驚いて思わず麻那は声を上げてしまい、それに反応してくららが麻那を見る。
「? 麻那ちゃん、どうしたの?」
「あ、あぅ……」
ちらちらと視線は外を気にしつつも、上手く説明できないといった様子の麻那の態度にくららは不安を抱いてしまう。しかしだからこそ今この場で麻那を
無理矢理に足止めしてしまうのも良くは無いだろう。出会ってからまだ間もないのだからまずは強制で拘束する事ではなく、麻那がしたい事をさせてあげる
べきと考えたくららは、麻那の頭をふんわりと優しく撫でた。
「ふぁっ……おねえちゃん?」
「お外に出たいんだよね。行って来ていいよ」
微笑みかけ、柔らかいふわふわの髪を梳いてあげる。くららほどには長くないが肩に届くほどの栗色の髪は触り心地が良く、子ども特有の柔らかさがある。
麻那も麻那で撫でられるのが嬉しいのかくららの手を目を細めて受け入れ、こくんと一度頷いた。
「おねえちゃん、まってて。麻那の『おともだち』、つれて来るからっ」
そう言って麻那はガラリと窓を開け、芝生の庭に飛び降りてスリッパを引っ掛ける。くららはその後ろ姿を見送ってから、麻那の言う『おともだち』なる
存在について思案する。
家の中から麻那に見えたという事から考えて、昆虫では無いだろう。もしそうだとしたら蝶でもない限り、蝉や蜂、カマキリなど多種多様な虫のほとんど
を苦手としている、多くの女の子と同様の当たり前の感性しか持ち合わせていないくららは、ハッキリ言って卒倒する自信がある。
あとは、悪い方向の選択肢で言えばカエルくらいか。こちらもアマガエル程度のサイズなら見るくらいは平気だが、大型のモノはやはり耐えられないしも
し触って欲しいなどと言われたら絶対に無理だ。
「うぅ……どうか、イヌかネコくらいでありますようにっ」
祈るような気持ちで帰りを待っていると、すぐに麻那は戻って来た。そしてその手の中にいた『おともだち』の姿は。
「はい、おねえちゃん。この子が麻那のおともだちだよっ!!」
麻那の小さな手にも納まるほどに小さく、また柔らかそうな短い毛は特徴的なトリコロール。くりっとした瞳はどこか麻那に通じる黒色。
「わぁ……三毛の子猫だね。女の子かな?」
「うんっ! かわいいでしょ♪」
「みゃぁ」
幼く高い鳴き声を上げる子猫を得意気に差し出し、満面の笑顔を浮かべる麻那。その笑顔の方も子猫に負けず劣らず愛らしく、くららは麻那と子猫の両方
に笑顔で応えた。
麻那が子猫と出会ったのは、町内の公園で行われた朝のラジオ体操からの帰り道だった。植え込みをカサカサと揺らす音に気がつき、その正体を確かめよ
うと近付いてみると、一人ぼっちの子猫が頼りなさげに震えているのを発見した。思わず手を伸ばしたところ、最初は怯えられたが特に威嚇される事もなく、
子猫は麻那の手を受け入れそのまま麻那が言う所の『おともだち』になった。
辺りを見渡したが親猫らしき姿は無く、かと言ってこのまま放っておく訳にもいかなかった麻那は子猫を連れて帰宅し、既に朝早くから仕事に出ていた母・
陽子と、同じく入れ違いで学校に行った謙悟と鉢合わせる事も回避し、無事に連れ帰る事に成功した。しかし、母や兄の許可もなしに動物を家に入れる事は
流石に躊躇ったのか子猫を庭に放し、道路に出たりする事が無いよう常に見ていられるリビングを拠点として、かれこれ四時間以上過ごしていたらしい。
そして今、子猫はくららと一緒に縁側に腰かけた麻那の膝上で彼女の手を相手にコロコロと転がっている。麻那はその姿を見ながらこれまでの経緯をくら
らに語り、くららもくららで可愛らしい子猫の姿に頬を緩ませながら麻那を見つめる。
「でも麻那ちゃん、もう一回この子のお母さんを探してあげないと……麻那ちゃんのお家では、ペットは飼えないんでしょ?」
「! うぅ……………………ぅん」
悩んだ末に頷く麻那の姿を見て、くららはほっと心の中で安堵の溜め息を吐く。自分勝手で子猫を連れてきた事に対する後ろめたさもあれば、どこかにい
た筈の親猫と引き離してしまったことへの罪悪感も、麻那はきちんと理解している。ペットが飼えない、と強調はしたが恐らく謙悟に話をすれば彼の協力を
得て陽子を説得する事も出来るだろうし、陽子も陽子で謙悟と麻那、そしてくららからの提案となれば無碍に断る事もしないだろう。
「おねえちゃん…………麻那、わるいことしちゃった?」
「……ううん、そんな事無いよ。麻那ちゃんはこの子の事助けてあげたんだから」
柔らかい栗色の髪を撫でてあげると、麻那は気持ち良さそうに目を細める。その表情がまるで彼女の膝に乗る子猫のようで、くららの表情も優しく緩む。
「じゃあ麻那ちゃん、まずはこの子を綺麗にしてあげよっか? このままおうちに上げたら、謙悟くんもお母さんも怒っちゃうよ?」
「おふろいれるの?」
麻那の視線を受けて、子猫が「?」と疑問を浮かべるように首を傾げる。くららはそんな麻那と子猫を見ながら立ち上がり、麻那に手を差し伸べた。
「おねえちゃんも猫飼った事無いけど、シャワーはあんまり好きじゃないんだって。だからちっちゃい洗面器で、猫ちゃん用のお風呂を作ってあげようね。
麻那ちゃん、出来る?」
「うん! きれいにしようね〜」
腕の中に話しかけるが、当の子猫は麻那に抱かれたままどことなく眠そうに欠伸をこぼしていた。
くららの提案で行われた『ねこお風呂』作戦は功を奏し、子猫もほとんど抵抗する事無く入浴は終了した。今日中に家族と合流することを考慮して香りを
残すシャンプーは使用せず、お湯で身体を拭き簡単に毛を整え、今はリビングのソファーでタオルを使って乾かしている。まだまだ短い毛は乾くまでにそう
時間もかからず、しかしぬるめのお湯に身を浸した心地良さからか、タオルの中でうとうとと舟を漕いでいる。
「眠くなっちゃったかな? ずっと外で遊んでたから、無理ないかもね」
「うん……おやすみ〜」
くららと麻那の手でタオルに包まれて、一度目を開けたが子猫は直ぐに眠りに落ちた。その姿を見届けて麻那とくららは顔を見合わせ、にっこりと微笑み
合う。
「お疲れ様、麻那ちゃん。もうお昼過ぎだけどお腹空いた?」
「ちょっとだけ……おねえちゃんは?」
麻那に問い返されたくららも、それほどではないが空腹を覚えている。あまり重くならない程度の物ならば食べるのも良いだろう。
「おねえちゃんもちょっとお腹空いちゃった。麻那ちゃん、何か食べたいものある? くららおねえちゃんが作ってあげるよ?」
その言葉に目を輝かせて、麻那の顔とくららの顔が急接近する。麻那の瞳に宿るのは期待と尊敬の光であり、逆にくららはどんな無理難題を乞われるのだ
ろうと内心ドキドキしながら、しかし麻那から出されるリクエストならばどんなものでも応えようと決意を固める。
「あのね、麻那ねぇ……どーなつたべたい!!」
「ど…………ドーナツ? お店で作るみたいな、こんなの?」
くららが手でくるんと円形を描く。しかし麻那はふるふると首を横に振って、小さな手で握りこぶしを作り、それを突き出した。
「おかあさんがね、まえつくってくれたの。ほっとけーきでつくるどーなつだって!」
そう言われて、くららもようやく納得した。麻那はどうやらホットケーキミックスを流用した家庭用のお手軽ドーナツを食べたいらしく、またそれならば
くららも問題なく作れる。通常のホットケーキとは違い牛乳の量を大幅に抑え、また油で揚げるものだ。もちろんこれも形を整えれば穴開きの一般的なドー
ナツとして作る事は難しくない。
「おっけーおっけー。じゃあ、途中までは麻那ちゃんも一緒に作れるから、おねえちゃんと二人で頑張ってみようか!」
「うん! がんばる!!」
花が咲いたかの様に愛らしい麻那の笑顔にくららも笑顔で応じる。いつの間にか触れ合う事を当たり前にしていた二人の距離は、既に手を握り合うよりも
遥かに近くなっており、今では麻那の方からくららに飛びつくほど親しく、また心許し合うほどになっていた。
麻那に教えてもらい、必要な材料と器材を揃えてひとまず手を洗ってから、くららが手早く生地を作っていく。ホットケーキを作る時のおよそ五分の一程
度に牛乳の量を抑え、レンジで溶かしたバターをボウルに移し、その上にミックスと牛乳、卵を投入したものを、泡立て器と一緒に麻那に手渡す。
「じゃあ麻那ちゃん、混ぜてみて? 粉と卵がちゃんと混ざるまでねっ」
「はぁ〜い」
身長が足りず台に乗っての作業、しかも力の入れ過ぎで泡立て器は何度も何度もボウルに直撃したが、くららが支えてくれていたおかげで転倒だけは防が
れた生地の練り込みはほどなく完成し、そこから先はよく洗った手で形を整えていく作業になる。麻那のイメージでは一口大かそれよりも大きな丸型らしく、
くららと二人で球形を作っていく。ミックスを二袋分も使ったため、大皿の上は大小入り乱れるドーナツでいっぱいになってしまった。
「ちょっと作り過ぎちゃったね。謙悟くん達の分にしよっか?」
「うん! でも麻那、いっぱいたべるよ!」
得意気に宣言する麻那。この小さな身体でどれだけの量をたいらげるのかという興味があるが、くららは麻那の頭を優しく撫でながら。
「いっぱい食べても良いけど、その代わりちゃんとお片付けまで手伝ってね♪」
「はいっ!」
元気の良い返事は満面の笑顔と共に。それに応じるようにくららも笑みをこぼし、同時にドーナツを揚げるため温めていた油の温度を調整する。ここから
先の工程はまだ危険も伴うため、麻那が直接手を出す事は無い。しかしその様子だけは見たいという申し出は許可され、くららの後ろでドーナツの揚がる音
と香りを楽しみながら、そして彼女の後ろ姿に今はいない母の姿を重ね合わせながら、麻那はドーナツが出来上がるのを待っていた。
大量に作られた丸型ドーナツは麻那とくららで何とか三分の二程度を消化し、残ったものはキッチンタオルをかぶせて食卓の上に置かれている。
「おなかいっぱぁい〜……おねえちゃんは〜?」
「ん。おねえちゃんもお腹いっぱいだよぉ」
膝の上に麻那を乗せて、彼女から貸してもらっているiPod touchを操作しながら返事をするくらら。学校の友人達が使っているものを何度か操作させても
らった事はあるが、こうしてじっくり手に取るのは初めてのデジタルツールは実はかなり麻那によるカスタムが施されており、とても小学一年生が使ってい
るとは思えないほど多くのツールやゲームが導入されている。
「すごいんだね、麻那ちゃん。くららおねえちゃん全然分かんないよ」
「えへへ〜」
嬉しそうに笑う麻那の膝上には、くららと麻那の体勢を真似るように子猫が寝転がっている。既に目を覚ましてはいるが、甘い香りの残る麻那の手が気に
入ったのか特に抵抗する訳でもなく、またどこかに行こうとする訳でもなく麻那に抱かれたまま、気持ち良さそうに頭を押し付けていた。
その姿を見て、くららの胸がちくりと痛む。
麻那には言い聞かせたが、これだけ懐いている子猫を麻那から引き離すのは正直気が引ける。そしていざその時になれば、麻那だけでなく自分にも躊躇い
が生まれてしまうのではないかという確信めいた予感が、既にくららの中にはあった。
それに、親猫を探しに行くとは言ったものの、親猫が見つかるという確証はどこにもない。むしろ見つかる可能性の方が低いと言っていいだろう。ならば
いっその事この子猫を連れ出さず、帰ってきた謙悟と陽子を説得して麻那と一緒に過ごせるようにするべきではないだろうか――――。
「――――って、そんなのダメだよね……」
「?」
くららの呟きに振り返り、首を傾げる麻那。それに合わせるかのように子猫もくららを見上げる。黒曜石を思わせる二組四つの瞳は透き通るほどの輝きを
放ち、その無垢な光に呑まれてしまいそうになるが、拒むようにくららは麻那と子猫を抱き締めた。
「わぅっ、おねえちゃん?」
「麻那ちゃん……猫ちゃんのお母さん、探しに行こう」
くららが自分自身の気持ちに決着を着ける意味でも告げたその言葉に、麻那が身を固くする。その動作も腕の中に感じながら、くららは麻那と一緒に子猫
の頭を優しく撫でた。
「うん……まぁくも、おかあさんといっしょがいいもんね」
「まぁく?」
聞き覚えのない呼び名。くららの問いかけに麻那はこくんと頷き、同じように子猫の頭と身体を撫でていく。
「この子のおなまえ、かんがえたの。麻那と、くららおねえちゃんからとったんだよ」
ずきん、と激痛がくららの胸を打つ。麻那にそのつもりが無いのは十分理解しているが、その言葉はくららを責めているかのようだった。
自分とまぁくを引き離そうとする、意地悪なお姉さん。麻那がもっともっとわがままであればその図式は間違いなく当て嵌まるだろうし、いっそその方が
くららとしてもいくらか救われた。しかし麻那は健気なまでに無垢で純真な子どもであり、そうした真っ直ぐさはどこか謙悟に通じるものがある。
辛い事を経験させてしまう。それは経験する側だけでなく、経験させる側のくららにとっても等しく苦しい出来事だ。
どうして自分なのだろう。今日初めて出会ったばかりの麻那ちゃんにこんな事を体験させてしまうなんて、こんな意地悪な事があっていいのだろうか。も
っと普通に、当たり前に謙悟くんの妹として麻那ちゃんと接してみたかった――――けど。
同時に、大切な事だっていう自覚もある。麻那ちゃんがこれから大変な事に出くわしたり、それこそ泣いてしまうような悲しい事が起きた時に、今日起き
た事とその経験はきっと麻那ちゃんを助けてくれる。それは一人の人間として間違いなく大切な事。
だったら、あたしは――――南條くららは、謙悟くんの妹としての麻那ちゃんよりも、一人の人間としての麻那ちゃんの為に。
「……ありがとう、麻那ちゃん。まぁくの為にも、お母さんを見つけようね」
「…………うん、くららおねえちゃん」
麻那の方から身体を預け、それに応じるようにくららも再び麻那を抱き締めた。
暁月町五丁目みどり公園。規模としては大きくもなければ小さくもないありふれた公園で、しかし住宅地の中に位置するという立地から住民たちの散歩コ
ースになっており、また野良猫の溜まり場にもなっているという麻那の情報に間違いはなく、既に数匹の猫を見かけている。
そして今――――夏休みには朝のラジオ体操が催される会場としても活用されており、麻那と彼女が腕の中に抱いているまぁくが出会ったのもこの公園だ。
真っ昼間の公園は文字通りうだるような暑さで、何もしなくとも自然と汗が噴き出してくる。そんな環境にまだ小さい子猫のまぁくを放すというのはくら
らも麻那も躊躇い、まずはまぁくを抱いたまま野良猫たちを探すことにした。
「まぁくとは、どこで会ったの?」
「あっちの、木がいっぱいあるとこ」
麻那が向いた先には『みどり公園』の名に相応しく豊かな植え込みと、背の高い木々が緑葉を茂らせている。日中でも影になっているそこはもう少し整備
されていれば人間でも快適に過ごせそうで、野良猫たちの憩いの場としても悪い条件ではないだろう。
「闇雲に公園の中を探すより、ここで探したほうが良いかも」
「うんっ! まぁく、おろしてあげるね〜」
しゃがみ込んでまぁくを地面に下ろす。まぁくはくんくんと地面の匂いを嗅いでからきょろきょろと辺りを見渡してから、麻那とくららに振り返った。
その瞳が、何を訴えかけているのかは分からない。猫と人間では意志の疎通を図ることは叶わない。
けれど、麻那とくららはまぁくの視線に答えるように大きく頷いて。
「いいよ、まぁく。おかあさんのことよんでっ」
麻那の声が承諾する。そしてまぁくもそれを受けて小さく歩を進めながら、高い声で鳴き出す。
「みぃぁ〜〜ぅ……みゃぁ〜〜ぉ」
子猫が親猫を探すときに出す独特の鳴き声。くららと、そして麻那と一緒にいる時には一度も発する事のなかったその鳴き声は、同音異句の言葉通りに泣
いているかのようでもあった。母親を求めて彷徨う不安げなまぁくの声に衝撃を受けたのは他ならぬ麻那であり、自分の行いはやはりくららの言うように間
違いだったのだと改めて思い知らされ、じわりと涙腺が緩んでしまいそうになる。
しかし、それでも見届けなければいけない。肩に手を置いて支えてくれているくららの体温と、そこから伝わってくる優しさに応えるためには、目を逸ら
してはいけない。何よりも、まぁくを母親の元に帰すのは麻那自身が決めたことだ。
「まぁく……がんばって」
「麻那ちゃん……」
麻那の言葉にくららは驚きを隠せない。まだ小学一年生の子どもなら、もっともっとわがままになっても良いはずだというのに、麻那の言葉も態度も年不
相応に大人びている。謙悟の妹だからといえば多少なりとも頷けるところはあるが、だとしても不自然なことに変わりはない。
「(謙悟くんも、陽子さんも……気づいてるのかな……?)」
わがままを言わず、聞きわけの良い子。けれど心の内ではもっともっとわがままを言いたいと思っていてもおかしくないはずだ。今日知り合ったばかりの
麻那は既に、くららにとって『恋人である新崎謙悟の妹』というだけではなく、『新崎麻那』という一人の人間として見るに至っている。
「麻那ちゃん、あとで――――」
「あっ!!」
くららが言いかけた声を遮って、麻那が大きな声を上げる。それに合わせてくららも言葉を噤み、地面を歩いていたまぁくと――――その先に現れた、黒
と白の体毛を有する大柄な猫の存在に気づく。
「みゃぁ〜〜」
「…………」
甘えた声を上げるまぁくがすり寄ると、猫はぺろぺろとまぁくの身体を舐め始める。そして首の柔らかい部分を咥えてまぁくを難なく持ち上げると、麻那
とくららを見上げ、しかし数秒も視線を合わせることなく踵を返した。
「ばいばい、まぁく…………げんきでね……っ」
掠れかけた涙声。ちゃんとお別れの言葉は言えなかったけれど、母猫との再会を果たすことができた小さなおともだちを祝福したいと思っての言葉。だが
それもくららにとっては『らしくない』態度。
「麻那ちゃん」
ぎゅっ、と。
麻那を振り向かせて抱き締め、その豊かな胸で包み込む。麻那はそれに抵抗することなく、くららの身体にしがみつく。
「無理しないでいいよ。泣きたいときは泣いたっていいし、聞きわけ良くなんてしなくていいの。くららおねえちゃんにだけは、わがままな麻那ちゃんでい
て良いから……大人のフリなんてしなくたって良いんだから。ね?」
「おねえ、ちゃ……………………んっ、うぅ、うわぁあぁぁぁ〜〜〜〜〜んんっっ!!!!」
感情の爆発。大切に思っていた子猫との別れと、無理をしなくていいという許可を得たことで、麻那の中で溜め込んでいた悲しみがせきを切って溢れ出す。
その姿に、くららはようやく安堵した。無理に感情を押し込めず、あるがままに己を表現するのが子どもの特権だ。そうした子どもたちと接する事を未来
図として。
優しく明るい、柔らかな陽射しのようなくららにとって天職とも呼べる『保育士』という職業を描いているからこそ、今の麻那の姿を受け入れる事ができる。
新崎家に帰り着くと、泣き疲れた麻那はくららに抱かれる形で一休みしていた。しかし眠ってはおらず、くららに髪を梳いてもらいながら彼女の胸を枕に
しており、くららもくららで麻那の細い髪の毛を器用に束ね、短いながらもツインテールに結んで可愛がっている。
「……おねえちゃん、ほんとにわがままいっていいの?」
「うん。くららおねえちゃんに出来る事なら、なんでも任せなさいっ」
涙の跡が残る顔はどこか不安げなものだったが、くららから向けられた完全無欠の笑顔の前ではその不安も無意味でしかない。
そして、太陽のようなくららに引き上げられるように、麻那もまた天使のような愛らしい笑顔で。
「じゃあ――――麻那のおねえちゃんになってくださいっ♪」
「――――うん、こちらこそよろしくね。麻那ちゃん♪」
別れと共に、新たな絆を。
経験した別れは、小さな少女を一つ成長させ。
結ばれた絆は、後の家族として受け継がれていくまでの前奏曲。
終
あとがき:
艱難辛苦を乗り越えたと言うには少々物足りない感を残していますが、今までにない麻那像を表現する
ことを念頭に置いて書きました。今までの麻那は甘えることも少なくはなかったけれど、相手のことを思い遣る
優しさと、場の空気を読める、ある意味年齢不相応な女の子でした。そんな彼女が心から甘えることを
許される、許してくれる存在としての役割をくららちゃんに担ってもらう形にしたつもりです。まだまだ足りない部分は
また別作品で描いていけたらいいなぁと思いつつ、拙いあとがきとさせていただきます。
管理人の感想
新年一発目、鷹さんから頂いた作品の更新です〜^^
実はこの作品、12月に頂いていたのですが、私の多忙さと実家への帰省が重なり、しかも実家はネットが使えないという悲劇のため、更新が遅れてしまいました。鷹さん、申し訳ないですm(__)m
さて、今回はくららと麻那ちゃんの姉妹的なお話をお送りして頂きました。
冴霞と麻那の関係はもう周知の通りですが、では前回の5周年記念で送って頂いた作品に登場したくららとはどういった関係を築くのか・・・というところに焦点を当てた作品。
あくまで私の個人的な意見ですが、麻那から見たそれぞれの人物像は・・・。
冴霞:憧れのお姉ちゃん
くらら:親しみやすいお姉ちゃん
って感じですね。もうひとつ例として、ギャルゲーのヒロイン風に言うと。
冴霞:才色兼備、憧れの生徒会長
くらら:元気で明るい、世話好きなクラスメイト
ってなところでしょうか。うん、逆に分かりにくくなった気がする!(笑)
もちろん、二人とも大好きなお姉ちゃんという点では変わりませんが。
それでは、この辺で。今回もありがとうございました!