夏季休暇。
学生の立場にして言い換えるならば、夏休み。
そして学生として最大のイベントである受験を控えた受験生にとって、常に勝負の季節といわれる時期。
今村冴霞もまた、およそ受験生という立場である以上追い込みの一つもかけなければならない時期であることは間違いないのだが、
彼女にはその必要性が、残念なことに全くなかった。
既に推薦入試を受験することが決定している冴霞は、今更のように焦ってあれこれと手をつけるというどこの誰でもやるような
愚を犯さない。そもそも大学進学を目指して進学校を選んだのだから、高校に入学した時点でさっさと用意しておくべきだとも、
入学当時の冴霞は思っていた。
そうすることで、先々起こりうる混乱を未然に回避し、進路の指針を効率的に立てることが出来る。
また結果的に、三年間という決して長いとは言えない高校生活を謳歌することも容易になる。
だが大多数の人間、特に高校受験に合格したばかりで浮き足立っており、そこまで生真面目に気の回る新入生など、おそらく
どこを見渡しても同学年では冴霞以外には居なかっただろう。
そんなわけで。
冴霞は他の受験生を差し置いて、恋人の元に向かうべく急ぎ足で廊下を歩いていた。
今日は七月二十一日。
一学期の終業式は終わり、午後の時間は校内に用事のある人間や、部活動に励む生徒以外は既に下校している。
冴霞もまた部活動には所属していないが、今年度前期生徒会長としての雑務はそこそこではあるが残っている。
それを理由に、冴霞と彼女の恋人は『あくまで合法的に』学校に居残り。
手に持った鞄の中に詰め込んだ、少し大きな弁当を一緒に食べようと、彼女たちの仕事場で待ち合わせをしていた。
自分たちの仕事場――――生徒会室のドアに手をかけ、ガラッと威勢よくスライドさせる。
「謙悟くん、お待たせしましたっ!!」
語尾にハートマークがつきそうなくらい可愛らしい声。普段の生徒会メンバーが聞けば大混乱を引き起こし、卒倒する者まで
出るのではないかというほどにキャラクターの違うその態度。
だが、挨拶した冴霞を待っていたのは。
「あぁ、会長。お疲れ様です」
「って、おい蓮見! 操作中に余所見すんな!!」
会議用にと予算を切り崩して購入した42型大型液晶テレビで、レースゲームに興じる恋人と生徒会副会長の姿だった。
B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in
01.生徒会室にて
「……どこから持ってきたんですか、こんな物」
一昔前の少し大きめな、黒い筐体のゲーム機・PS2を冷ややかな眼で一瞥して冴霞が質問する。世界一億台売れたと言われているその
テレビゲーム機は無論、冴霞の自宅にも次世代後継機が置かれている。次世代機の存在が既にある以上、いまや中古で出回ることなど当たり前に
なった機種であるため、手に入れる手段はそれこそいくらでもあるが、それが学び舎でありまた生徒たちの代表が集うこの生徒会室にある
ということは、既に大問題である。
「僕が持ってきました。というか、随分前ですけれど」
悪びれる様子もなく、生徒会副会長こと蓮見龍也があっさりと自供する。身長は冴霞よりも若干低く、眼鏡をかけた真面目そうな学生だ。
実際、龍也は成績も上位であり、先日の期末試験では五教科平均87点と素晴らしい結果を出している。次期生徒会長との噂も高い
生徒であり、そんな彼がいくら学期の終わりで気が緩むとはいえこんな遊具を持ち出すなど、冴霞には少々信じられなかった。
「蓮見くん……貴方は仮にも生徒会の人間で、その副会長なんですから。こういった行動は自重してください」
「確かに軽率だったとは思います。ですが……」
ちら、と龍也の視線が謙悟に行く。謙悟は「?」と疑問符を頭に浮かべ、また冴霞も謙悟を見てから龍也に視線を戻した。
「けん……っ、彼がどうかしましたか?」
「はい。僕と新崎くんは同じ生徒会のメンバーでありながら、ほとんど話をしたことがありません。会長が仰るには、新崎くんは前期だけの
特別メンバーだということですが、少なくとも九月までの間に全く話をしないのは僕としても心苦しく、また他のメンバーにも何かと窮屈な
思いをさせてしまうでしょう。そういう訳でなんとか新崎くんと親しくなろうと思案したのです。そしてふと、いつだったか仕舞い込んだまま
にしていたこのPS2があったのを思い出しまして。これで交友を図ろうといざ誘ってみたのですが」
長々と弁舌をぶったかと思うと、龍也は親しげに謙悟の肩に手を置いた。
「思いのほか盛り上がりまして。聞けば新崎くんも『これだけ大きなテレビなら、ゲームでもやれば面白いだろう』と思ってくれていたようで。
偶然にも僕と同じくレースゲームには造詣が深かった為、対戦などは特に白熱してしまい……ついつい時間が経つのを忘れてしまいました」
鷹揚に両手を広げ、わざとらしく深々と頭を下げる。芝居がかった仕草はまさにそのまま芝居であり、しかしどこにも虚偽はない。
正直なところ、冴霞は龍也のこういうところが苦手だった。
成績も良く、弁論に長け、また周囲からの信頼もそれなりに厚い。だが持って回った言い方は時にイラッとさせられることも多く、敵が
少なくないことも事実だ。実際、自分も何度龍也に煙に巻かれたことか。
「言い分は分かりました。ですが、それで遊んでいた事実を認めても、貴方のした事が許されるわけではありません……蓮見くん」
「はい」
柔和で人懐こい笑顔だったが、その奥にはまだ何がしかの企みがある――――冴霞は直感的にそれを感じ取った。
「これは没収します。生徒会役員としての規律を乱した事は紛れもない事実ですから」
「ええ、結構ですよ。ですが――――それを言うなら、会長もではないですか?」
瞬時に切り替えされる。
来た、と冴霞はぐっと握りこぶしを作る。
「何のことですか?」
「規律を乱した、という事ですよ。貴方もこの場所で新崎くんと待ち合わせをしていた。そして、まぁ何事かは分かりませんが、新崎くんと
何事かをしようとしていました。その内容次第では……」
冴霞の胸にずきっと言葉の刃が突き立てられた。
確かに、皆に内緒で謙悟と二人きりになり、恋人同士らしく甘いひと時を過ごしたいと思っていたことは事実だ。
だが龍也の言葉はそれ以上のものを暗喩しており、暗に謙悟と交際している事自体を非難されているようにも聞こえた。
何故そんなことを、龍也に言われなければならないのか。
龍也に自分と謙悟の、何が分かるというのか。
感情が理性を屈服させる。怒りの剣が切っ先を上げる。
「わ、私は――――っ!!」
「ちょっと待て、蓮見……冴霞も」
冴霞を制し、立ち上がって龍也を見下ろす謙悟。
そのえも言われぬ迫力に、二人とも押し黙るが――――口を開いたのは、龍也だった。
「……何か?」
「お前ら、何か勘違いしてないか? 議論がしたいのか? それとも相手を馬鹿にしたいのかよ」
飾りも何もない、真っ直ぐな意見。冴霞は力なく椅子に腰を下ろし、疲れたように肘を突いて額に手を当てて呟いた。
「もういいです……蓮見くん、ごめんなさい」
「いえ……僕のほうこそ、申し訳ありませんでした」
龍也はそういうと、PS2を箱に戻し倉庫の中へと仕舞い込んだ。そして鞄を取り出すと、そのまま何も言わずに退室しようと出入口へ
足早に向かおうとする。
その背中に、謙悟は声をかけた。
「蓮見」
「……はい?」
「なんつーか……ありがとうな」
「――――」
返事はなかった。だが龍也は背中越しに手を振り、ドアに手をかけて。
「あぁ、そうだ……会長?」
「…………なんですか」
顔を上げ、物憂げな瞳で龍也の背中を見る冴霞。龍也はそれを察したのか、横目で冴霞と謙悟を見ながら
「さっきの声、普段の会長からはとても想像もつかない位に可愛らしかったですよ。では」
最後の最後にとんでもない爆弾を残して、龍也は生徒会室を後にした。だがその爆弾を受けて、謙悟は思わず含み笑いをこぼし、
冴霞は真っ赤になって謙悟を見上げた。
「け、謙悟くん! 笑わないでくださいっ!!」
「いや、だって……結局、冴霞の一人負けじゃないか」
「〜〜〜〜っ!!」
悔しいのか恥ずかしいのか、あるいはその両方か。
冴霞はぷいっとそっぽを向き、謙悟の言葉を徹底的に聞こえないふりをしていた。
「ひとつ、気になったんですけど」
焼き魚を箸でつまみながら、冴霞が問いかける。謙悟も同じくサラダを箸で口に運び、咀嚼しながら視線を冴霞に向ける。
「?」
「どうして蓮見くんに『ありがとう』だったんですか?」
ぱくりと箸を口に運び答えを待つ。食べ終わった謙悟はそれを察して、箸を弁当箱に置いた。
「あいつの言った通りだよ。俺は生徒会では外様もいいとこだし、他の連中と話すことがほとんどないからな。蓮見の誘いは正直、
いい機会なんじゃないかって思えてさ」
「だからって、あんな事をこの部屋でするなんて……非常識です。それにもし私じゃなくて先生方が入ってきたら、謙悟くん……
今度こそ停学になっちゃいます。私がいない時にそんな事になったら……」
箸をくわえたまま抗弁する冴霞。まるで子供のようなその態度に、謙悟は呆れながらも笑みを漏らした。
「冴霞、お行儀悪い」
「ぁっ……ごめんなさい」
ぴっと箸を口から抜き取り、弁当箱のふたに置く。二人とも箸を置いてしまったために、食事は一時中断。
「……前から思ってたんだけど」
「はい?」
ずい、と椅子ごと冴霞との距離を詰める。冴霞はやや切れ長の目をぱちくりと瞬きさせて、謙悟の顔を見ている。
「冴霞って、俺といるときかなり幼児化してないか?」
「!!」
ぼふっ! と音を立てたのではないかというくらいの勢いで冴霞の顔が真っ赤に染まる。
謙悟もなんとなく分かってはいたが、ここまで分かりやすいリアクションを取られるとは予想していなかった。
「一応、自分でも分かってはいたんだな」
「〜〜っ! い、いけないんですか!? 彼氏の前で甘えちゃダメなんですか!? 私は謙悟くんの彼女で、謙悟くんは私の彼氏
なんだから別にいいじゃないですか!」
おお、なんだか怒らせてしまった。でも面白いからそのままにしてみよう――――と思いながら口を開く謙悟。
「いや、別に悪いって言ってるわけじゃないんだ。ただ気がついただけ」
「気がついても言わないで下さい! わ、私だって、その……自分がこんなになるなんて思わなかったんですから!!」
もともと遠慮がなかった冴霞と謙悟の関係。他の人間とは呼び方からして違ったスタート。
それが冴霞にとってどれだけ居心地が良かったかというのは、謙悟も既に知っていることだ。
今まで壁だらけだった彼女の周りに、ひとつ大きな穴を開けた存在。今までの閉じた世界に吹き込んできた、新しい風。
向き合い、語り合い、時に感情をぶつけ合い。
立場という殻に今まで閉じ込めざるを得なかった『今村冴霞』という個人を、真正面から受け止めてもらえる相手。
そんな相手に甘えてしまう彼女を、どうして責められるだろうか。
「でも、いいじゃないか」
「なにがですか!?」
「たまにはこうやって、怒って言いたい事言うってのも」
「――――ぁ」
はたと気がつき、冴霞はまたしても自分の理性を放り投げて、感情だけで話していた事に気がついた。
だが今回の謙悟に対するそれは、龍也のときとは比較にならない。
龍也のときには、まだ自制しようという思いが働いていた。だが謙悟に対しては瞬間沸騰し、思う存分言いたい事を言えていた。
「わ、私、なんてことを……ち、違うんです! 謙悟くん、私そんなつもり全然なくて……」
「いいっていいって。俺が焚きつけたのは分かってるし、悪いのも俺。冴霞は何も悪くない」
「謙悟くん……」
そっと謙悟の手が冴霞の頭を撫でる。冴霞はそれを気持ちよさそうに受け入れ、無意識に目を閉じた。
「まぁ、俺は馬鹿だから、あんまり気の利いたことは言えないけどさ」
「はい……あっ」
うっかり返事をしてしまった。それは聞きようによっては謙悟=馬鹿を肯定したようにも聞こえる。
「そこで返事するなよ。ちょっと傷つくぞ」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を上げ、謙悟を見上げる。
瞬間、頬に。
優しい感触があった。
「え? ……えぇ?? け、謙悟くん、今……」
「いや、言わないでくれ、俺も今すっげぇ恥ずかしいから!」
それは紛れもない、口付けの感触。だがそれを冴霞は理解できない。
そして謙悟もまた、なぜ突発的にそんな行動に出たのかと問われても、返す答えなどあるはずがない。
「も、もう一回! 今のは正直よく分かりませんでした! やり直しを要求しますっ!!」
「だから、勘弁してくれ!」
「ダメです! お願いですからもう一回! もう一回だけでいいですから!」
結局、ふたりの一進一退の攻防は弁当箱がひっくり返りそうになるまでの間、延々と続いた。
・・・・・・・・・・・・・・・
キャラクター設定
蓮見 龍也(はすみ りゅうや)
県立陽ヶ崎高等学校 二年五組。
身長165cm、体重52kg。10月24日生まれ、AB型。
・生徒会副会長を務める、眼鏡をかけたインテリ風の少年。成績も良く、弁論に長ける。
・もって回った言い方が誤解を招きやすいが、謙悟とも容易に親しくなるなど、友人を作るのは得意。
・自分の非を認める潔さも持ち合わせているが、それ以上に相手を貶める策を必ず用意しておくなど、腹黒い面もある。
あとがき:
内容的にはB&Gの過去部分と現代部分とをつなぎ、なおかつ題材にしやすい夏をメインにした話。
冴霞と龍也やりとりは謙悟の存在がなければ起こりえない諍いですが、最終的に場を収めたのは当事者である
謙悟自身。こういった空気を読めるところが謙悟のいいところであり、精神的に大人だとも言えるところ。
精神修行は武道をする上で大事なので、ある意味当然といえば当然だったのかも。
管理人の感想
またまた鷹さんより頂きました、B&Gの番外編。
B&G MEMORIAL of SUMMER、略してBGMの第1話です!^^
今回は続きものだそうで・・・大みそかに頂きましたB&Gの二人を、そのまま主役で行くようですね。
その記念すべき1話は、1学期の終業式当日の、生徒会室が舞台。
蓮見はなかなかいいキャラしてるなぁなんて思ったり。
生徒会長としての冴霞と、謙吾の恋人としての冴霞。二つの側面を知った蓮見は、果たして今後動いてくるのか?