朝7時半に目が覚めた。「もしや!」と思いカーテンを開けると、昨日までの雨は嘘のように空はすっきりと晴れていた。まったく今日帰国するというのに、何だよ〜・・・トホホ。帰りの飛行機は13時30分発。それに搭乗するためにガイドの陳さんが10時15分にはホテルに迎えに来てしまうので、実質今日はどこにも行けない。しかもこの10時15分という早めの集合時間は、陳さんが我々を免税店に「連行する」時間をみての設定だ。そんなの要らないのに・・・。そんな訳で、ホテルのレストランでだらだらと朝食を済ませ、荷物をパッキングしていると、あっというまに10時になってしまった。
フロントでチェックアウトを済ませ、みんなが集まるまでロビーでぶらぶらしていた。このホテルは本当に立派なホテルで、老舗の『圓山大飯店』の次にいいホテルではないかと思う。そしてその威厳を見せ付けるかのごとく、ロビーの中央には天井まで届きそうな巨大な生け花が高々とそびえている。私はその花の前でひとりで、この3日間を懐かしみながら何気なくぼーっと立っていた。すると、正面から30代くらいの「桂文珍」似の男が近づいてきた。その男は私にむかって突然何やら「きれいですね。」と言ってきた。「なんだ?花のことか?」と思って聞いていると、中国語と英語と日本語の入り混じった言葉で「私の日本の名前は"山本”です。」「私のお父さん、お母さんは日本にいます。」と訳のわからないことを言ってきた。「荒手のひったくりか?」と思い、バックを持つ手に力を入れる、とその男は右手を差し出し、握手を求めてくる。よく分からないが、悪い人でもなさそうだったので、とりあえず愛想良く握手をして、その場を離れる。?で頭がいっぱいのまま、スーツケースをバスに積み込み、他のツアー客を待つ。いよいよ出発の準備も整い、バスに乗り込もうとすると、またさっきの文珍がやって来てぺらぺらひとりでしゃべり始めた。そして最後に「テレフォンナンバー?」などと空とぼけたことを聞いてきたので、「急いでるからダメだ。」といって無視したら、また最後に握手してくれというので、仕方なしににっこり笑って握手して、逃げるようにバスに乗り込んだ。まったくいったい彼はなんだったのだろうか。きっと花の前で気取って立っていたのが悪かったのだろう。でもナンパだとしても、どうみてもあれは30代だな。へたしたら40近いかもな。しかも久し振りに声をかけられたかと思えば桂文珍かよ。そういえば最近すっかり若い人から声をかけられなくなったなぁ。年相応と言えば年相応だけど、なんだかさびしいなぁ。
機嫌を取り直してバスはホテルを出発する。あいかわらず要領の悪いガイドの陳さんのおかげで(でも、いい人)、予定時間を少しオーバーする。その後陳さんに「連行」されたお土産物屋で、まずくて高いお茶を試飲させられる。当然ここでは市場調査をしただけで、何も買わない。本当は、この時点で台湾元が6000円分ほど残っていたので、できることなら『奇古堂』という中国茶専門店で急須を買いたかった。だけど、今日はもう時間がない。かといって、この店でコストパフォーマンスの悪い急須を買う気にはなれない。手に入らないと思うとますます欲しくなるのが人の心。実は台北空港で日本円に再両替する前に、ふらっと入った免税店でそこそこの値段の急須を発見してしまった。あこがれの『奇古堂』のものとは比べ物にならなかったけれど、大きさも色も形も値段もまあまあ。おそらくこの先台湾に来ることはないかもしれない。それにこの旅で山のように買ったお茶を是非この急須でいれてみたい。日本の急須では同じ味が出せないかもしれない。う〜ん。などど、しばらく考えてから、とうとう買うことにした。そして心置きなく台北を後にした。
(後日談) やっぱり『奇古堂』もしくは『張さんのお店』で買っておけば良かったと、後悔している。
日本人と台湾人の見分け方
この台湾旅行の間、極めて不思議だったのが、現地の人々が私たちにかなりの確信を持って日本語で話しかけてくるということだった。ホテルはもちろんのこと、レストラン、観光地、お土産物屋など、特にこれといって外国人向けの場所でないところでも、彼らはかなりの精度で日本人を見分けることができるのである。確かに私たちの泊まったホテルは半分が日本人で半分が西洋人と言われている。しかし、中には国内から来ている人もいるだろうし、香港や中国から来ている人だっているだろう。それなのに彼らは、朝レストランなどで出会うと必ず「おはようございます。」と言ってくる。台湾や香港の人からしてみれば、日本人に間違えられて「おはようございます。」なんて言われたらあまりいい気はしないだろう。おそらく彼らはすばらしい精度で国籍を見分けることができるので、そんな失礼は起こらないのかも知れない。
しかし4日もこの国で暮らしていると、だんだん自分にも見分ける能力が身についてきた。しかもそれはとても簡単なことだった。顔の表情を見ればわかるのだ。日本人はなんとなく疲れたような冴えない顔をしているが、台湾の人は生き生きとしている。目の輝きが違うのだ。はっきり言って日本人は目が死んでいる。これは肌で感じたことで断定はできないかもしれないけれど、台湾は今、日本の1970年代後半から1980年代前半の活気に満ちていた時代と同じ状況にあるのではないかと思う。まさに私の子供時代で、私はこの時代の日本を『古き良き日本』と呼ぶ。現在の成熟して疲れきった日本で暮らす私たちと、まさに青年期の台湾で暮らす人々の表情に大きな違いがあるのも当然のことなのかもしれない。そのほかの見分ける要因としては、特に女性に限って言えば、服装、髪の色、化粧がある。台湾の女性で髪を染めている人はまだまだ少ない。化粧もナチュラルで、していない人もいる。当然まゆ毛を処理している人もほとんどいない。日本を訪れたことのある台湾人は、「日本人は皆、芸能人みたいに綺麗だ」という。確かにそうかもしれない。そんなわけで「日本人見分け術」を習得した私は、「この人は日本人かもしれないな」と思われる人物の口から、ことごとく日本語を聞き出すことができるようになったのである。
今回の旅を通して、私は台湾が大好きになった。それはただ単に、近くて安くて食べ物が美味しくて人々が親切だからではない。(まあそれだけでも充分魅力的なのだが・・・)。一番の要因は、この国の持つ懐かしさみたいなものが心の琴線に触れるということだ。台湾は今どんどん発展を続けていて、そのうち物価も今とは比べ物にならないくらい高騰してしまうかもしれない。さらに、中国の出方しだいではこの先どうなってしまうかわからない。爆弾一つで壊滅してしまうかもしれないし、中華人民共和国として衰退の一途をたどっていくことになるかもしれない。そうしたら今回のような安近短でお気楽な旅行は二度とできなくなってしまうだろう。自分勝手な希望だけど、いつまでも変わらない台湾でいて欲しい。
再見!
張さんからもらった台北ウォーカー