強い水

l'eau-forte

強い水 1985/11/5 静岡県藤枝/不動渓 

 

eau-forte たま川BUSH 1985/12/29 東京/多摩川河原

 

 一九八五年十一月二日、静岡県藤枝の不動峡で、ダンサー縫部憲治と舞踏会「強い水」をもつことができた。舞台は大きな岩々に水流の音がとどろく、暗くみずみずしい渓谷である。岩にのぼり流れをよぎるだけのおさない舞だった。終わったら遠くから見ていたおばあさんが上の道際にまで来て手を合わせていた。東京から見にきた人たちが夜の酒の席で一悶着起こし、招んでくれた地元の人に迷惑をかけた。
 同じ年の十二月二十九日、多摩川の河原で、こんどは独りで舞踏会「eau-forte」を強行した。橋にはさまれた一帯はいちめんの草原で、突然のいびつな凹みだけにニセアカシアの木が数本寒そうに立っている。この辺鄙な地まで足をはこんでくれた人たちは、木にのぼったりよりかかったりして窪地を見下ろしていた。おだやかな午後だったが、終わりちかくには誰かによって火が焚かれた。煙りを見たのだろう近所の子供たちがやってきて、踊っている人間をひやかしながら遊びはじめた。  
  先日久しぶりに河原に行った。まわりの状況は大きく変わっていたが、そこはそのままあった。棘のあるニセアカシアも同じ姿で、ある。ちかくまで行ったらホームレスの人達の住処となっているようだったので、入るのを遠慮した。初めて来たときにはシンナーのビニール袋や空き缶などが落ちていて、私はこの窪地で踊るために掃除をさせてもらったのである。
「eau-forte」 強い水の意。硝酸。また硝酸で腐蝕させる銅版画のこと。

独舞再踏第一回「eau-forte」案内状より


アリアドネにしてアリアドネの糸(抜粋)  岡田隆明 
 室野井洋子の踊りほど、踊りが身体的な行為である以上に心的な行為であるということを、つまり心の仕事であるということを、感じさせる踊りはめずらしいのではないだろうか。  
  初期の彼女の踊りの場に強く感じられたのは、線型の時間制を著しく阻害する力、始まりも終わりもなく方向性をもたない衝動が渦巻く、迷路のような時間性であった。彼女は心という迷路に手ぶらで直面していた。身体の内的な諸状態を表現する象形文字が、あたかも物のように配置されていくその踊りは、しかし、文字と文字の関係の秩序をつくるシンタックスを、決定的に欠いているという弱点をもっていた。それゆえ、線型の秩序にたよらずに、心という迷路の、その始まりも終りもない時間性をどのようにすれば表現できるのかということが、最大の課題であったのだ。  
  十年にわたる試行錯誤を経て、最近になってようやく彼女はその方法をつかみかけたように思う。始まりも終りもないということはどこにでもムーヴメントの起点を置くとこができるということである。それは、一つの動きが、たとえば手を上げる動きが、その動きとして完遂されていながら、同時にその動きのなかに幾通りもの他の動きを内在させることを可能にするような地平である。四散していくほかなかった身体感覚の微少な断片が、彼女の踊りのなかで、線型の時間性とは異なる秩序のもとに不思議なまとまりをみせるようになった。語るためのシンタックスを欠いて、沈黙していた象形文字が、その沈黙そのものを語り始めたのである。
独舞再踏第一回「eau-forte」案内状より

 

performances

強い水
1985/11/5 静岡県藤枝/不動渓 
共演=縫部憲治

eau-forte たま川BUSH 
1985/12/29 東京/多摩川河原

eau-forte [独舞再踏第一回]
1996/12/22東京/スタジオ・キャロル

強い水
1998/10/19 福岡県柳川/御花お庭
共演=向井千恵(胡弓)