from<s2218.hp.infoseek.co.jp/jyo.htm>

小学校時代いじめに苦しみ「己の欲せざること、他に施すなかれ」の論語に出会って

私の小学五、六年の二年間は、いじめられ続けた暗黒の時代だったと言える。いじめられることが、これほどまでに辛(つら)くて悲しいものなのか、二年間で嫌と言うほど味わった。だからその苦さを、今でも身体中がしっかりと覚えている。しかし、やがて出会うことになる「恕」ということばが、苦しみの淵から私を救った。それからは「恕」が、かけがえのない私の同志となった。

  六・三制の新学制に移行される一年前、私は旧制中学校最後の受験に挑んで失敗した。このことは、手ぐすねひいているだろういじめっ子たちとともに、尋常高等科に進むことを意味した。つまり、この受験失敗はいじめからの脱出失敗でもあったのである。私はこれからも続くであろういじめのことを考えると、もうこれ以上耐えられないと思った。まさに押しつぶされる寸前だった。
 先生たちは、いじめられている子の存在を気付けなかったくらいだから、いじめをなくすことなどできるはずがない。そう思うと、新しく担任になったT先生に、はじめから期待も信頼もしていなかった。常に無表情であり続けること、無言のまま目立たないように振る舞うこと、そして、たとえそれが先生であっても、自分の心の内を見せてはならぬこと、つまり他人を簡単に信じてはならないこと。これが二年間の苦しみから生まれた私の悲しい生活の知恵だったのである。
 担任としての、先生の第一声は「弱いものいじめは人間として最も恥ずかしい卑怯(ひきょう)な行ない。だから絶対に許さない」だった。いくら先生が熱く語ろうと、私は相変わらず疑い深く冷めた目で先生をながめていた。

  しかし「許さない」と言った先生のことばは、うそではなかった。先生は、教室の中のどんなに小さな動きであっても見落とさなかった。「いじめではない。遊びだ」と、いくらいじめっ子たちが言い繕(つ)くろっても、静かにその非を説く先生の前で、最後は誰もが恐れ入った。その後決まって言われることばが「恕」だった。「子貢問いて曰く、一言にして身を終わるまで之を行うべきもの有りや。子曰く、それ恕か。己の欲せざること、他に施すなかれ」の論語の一節とともに「自分がされて嫌なことは誰でも嫌だ」と全員に話された。

師匠の言葉「どんなに小さなことでも見落とさず、きっちり褒めて叱ること」を教育理念として
朝と帰りの学級の時間、「恕」の出典であるこの論語の一節は必ず先生から聞かされるようになった。と同時に先生の目を盗んで行なわれていた弱いものいじめが、ぴたりと止んだ。途端に、びくびくしていた学級の空気が穏やかな安心へと一転した。「今までのことごめんな」にわかには信じられないような彼等のことばだった。この瞬間、長くて辛かった私の暗黒時代は終わった。私は、迷うことなくT先生のような学校の先生になろうと決めた。そして公立中学校教員に採用された。
 先生は「一があるから二が生きる」と新米教員の私に言う。『一は理想とする教育理念を、常に子どもたちに言い続けること。教師の思いが子どもに伝わる。二はどんなに小さなことでも決して見落とさず、きっちり褒めて叱ること。教師に対する信頼が育つ。この順序を間違えず手抜きをしないこと。子どもたちは健やかに育つ』この教えも「恕」とともに私の教育理念の一つとなった。

  私は勝手に先生の弟子であり続けた。そして先生を「師匠」と呼んだ。平成元年、図らずも私は校長になった。「あの時のいじめられっ子が中学校の校長先生になった。よくがんばったうれしいよ」そう言って老師は涙を流してくれた。しかし、四年後の冬、師匠は「いい弔辞を頼んだよ」と言い遺(のこ)して逝(い)ってしまった。
「先生にはまだやってもらうことがある。引退は早い」と、教え子たちが言ってくれる。お世辞でもうれしい。「それなら」とその一人が、この拠点を立ち上げてくれた。今も師匠のひ孫弟子にあたる子どもたちに、『一』としての『恕』を伝え続けている。



  論語 20選 from<www5.airnet.ne.jp/tomy/koten/rongo/rongo_d.htm>

01子曰、学而時習之、不亦説乎、
 有朋自遠方来、不亦楽乎、
 人不知而不慍、不亦君子乎


 子曰く、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや、
 朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや、
 人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや

 学問をすること、そして実践を通して学問を身につけていくこと、これは無上の喜びだ。
 次第に同志ができ、見ず知らずのその同志たちが集まってくる。こんな楽しいことはない。
 人に認められようが認められまいが、そんな事は気にかけずに勉強を続ける。これが本当の君子である。


02子曰、後生可畏、焉知来者之不如今也

 子曰く、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。いずくんぞ来者(らいしゃ)の今にしかざるを知らんや

 年が若いとは、将来に希望があることだ。今後の世代が、現在の世代を乗り越えていかないとはいえないのだ。


03子曰、道聴而塗説、徳之棄也

 子曰く、道に聴きて塗(みち)に説くは、徳これ棄つるなり

 聞きかじったことを右から左へ受け売りして得意がる。これでは徳は身につかない。


04子曰、温故知新、可以為師矣

 子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、もって師たるべし

 歴史を深く探求することを通じて、現代への認識を深めていく態度、これこそ指導者たるの資格である。


05子曰、学而不思則罔、思而不学則殆

 子曰く、学びて思わざれば罔(くら)し、思いて学ばざれば殆(あやう)し

 読書にのみふけって思索を怠ると、知識が身につかない。思策にのみふけって読書を怠ると、独善的になる。


06子曰、道不同、不相為謀

 子曰く、道(みち)同じからざれば、あいために謀(はか)らず

 異なる道を選んだ人間に、自分の道を理解させることは難しい。


07子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、
 五十而知天命、六十而耳順、
 七十而従心所欲、不踰矩


 子曰く、われ十有五(じゅうゆうご)にして学に志(こころざ)す、三十にして立つ、
 四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、
 七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず

 わたしは十五歳のときに、学問によって身を立てようと決心した。三十歳になって自分の立場ができた。
 四十歳で自分の方向に確信を持った。五十歳で天から与えられた使命を自覚した。
 六十歳で誰の意見にも耳を傾けられるようになった。
 七十歳になって、自分を押さえる努力をしないでも調和が保てるようになった。


08子曰、君子不以言挙人、不以人廃言

  子曰く、君子は言をもって人を挙(あ)げず、人をもって言を廃せず

 君子は言論だけを買ってその人物を登用することはない。
 しかし、妥当な意見でさえあれば、どんなに低い地位にある人物の発言にも耳を傾ける。


09子曰、人之過也、各於其党、観過斯知仁矣

 子曰く、人の過(あやま)つや、おのおのその党においてす、過ちを観(み)ればここに仁を知る

   誰にしろ、いかにもその人らしい失敗をやる。失敗を観察していれば、その人の人間性がわかる。


10子張問仁於孔子、孔子曰、能行五者汚天下為仁矣、
 請問之、曰、恭寛信敏恵、恭則不侮、寛則得衆、
 信則人任焉、敏則有功、恵則足以使人


 子張、仁を孔子に問う、孔子曰く、「よく五つのものを天下に行なうを仁と為す」、
 これを請(こ)い問う、曰く、「恭、寛、信、敏、恵なり、
 恭ならば侮(あなど)られず、寛ならば衆を得(う)、信ならば人(ひと)任(にん)じ、
 敏ならば功あり、恵ならばもって人を使うに足る

 子張が、どのような行為が仁なのでしょうか、と孔子にたずねた。
 「五つの徳を政治に生かすことができれば、まず仁といってもいい」
 「その五つの徳と申しますと」
 「慎重、寛大、誠実、勤勉、慈愛の五つだよ。
 慎重であれば人から軽視されることはない。寛大なものには人望が集まる。
 誠実なものはきっと信頼される。勤勉ならば実績は当然あがる。
 慈愛をもって接すれば人は喜んでついてくる」


11子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、
 子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人

 子貢(しこう)問いて曰く、「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」、
 子曰く、「それ恕(じょ)か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」

 「この一言なら生涯守るべき信条となる−そういう言葉はあるでしょうか」
 子貢にこう尋ねられて、孔子は言った。
 「まず恕だろう。人からされたくないことは、自分からも人にしないことだ」



12曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、
 仁以為己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎


 曾子(そうし)曰く、士はもって弘毅ならざるべからず、任重くして道(みち)遠し、
 仁もっておのれが任となす、また重からずや、死して後(のち)やむ、また遠からずや

 曾子が言った。「士は見識が大、意志が強固でなければならない。なぜなら、その使命は重く、道は遠いからである。
 仁の実現、これは重い使命ではないか。死ぬまで歩き続ける。これは遠い道ではないか。」


13曾子曰、吾日三省吾身、為人謀而不忠乎、
 与朋友交而不信乎、伝不習乎


 曾子曰く、われ日にわが身を三省す、
 人のために謀(はか)りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか

 曾子が言った。「わたしは日に何回でもこう反省する。
 いったい自分は、人に頼られながら、つい人のことだといいかげんにすませたりはしなかったか。
 友人に対して誠実でない態度を取ることはなかったろうか。
 自分に確信がないことを、まことしやかに人に吹聴したりしなかったろうか。」


14子游曰、事君数、斯辱矣、朋友数、斯疏矣

 子游(しゆう)曰く、君(きみ)に事(つか)えてしばしばすれば、ここに辱(はずかし)められる、
 朋友にしばしばすれば、ここに疏(うと)んぜらる

 子游が言った。「せっかくの進言も、あまりくどいと主君から馬鹿にされる。友情からする忠告も、あまりくどいと
 煙たがられる。」


15割鶏焉用牛刀

 鶏(にわとり)を割(さ)くにいずくんぞ牛刀を用いん

 鶏を料理するのに牛刀を持ち出したようなものだ。


16有国有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安

 国を有(たも)ち家を有つ者は、寡(すくな)きを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患え、
 貧しきを患えずして安からざるを患う

 為政者や家長は、収入が少ないことを心配するのではなく、不平等がある事を心配せよ。
 また、貧しいことを心配するのではなく、安心して暮らせないことを心配せよ。


17子曰、三人行、必有我師焉、択其善者而従之、其不善者而改之

 子曰く、三人(さんにん)行なえば、必ずわが師あり、
 その善なる者を択(えら)びてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改(あらた)む

 かりに何人かで共同作業をするとすれば、わたしにとって、彼らはみな先生となる。
 優れた人からは学ぶべき事を得られるし、劣る人からは反省の材料を得ることができる。


18子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之

 子路(しろ)、君(きみ)に事(つか)えんことを問う、
 子曰く、欺(あざむ)くことなかれ、而(しか)してこれを犯(おか)せ

 子路が、主君にどのように仕えるべきか、と尋ねた。
 孔子は言った。「言うべき事はあくまでも言わなければならない。
 その為には主君と衝突することも辞すべきでない。」


19子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也

 子曰く、その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは、諂(へつら)うなり、義を見てせざるは、勇なきなり

 祭る理由のない神々を祭るのは、主体性の放棄である。勇気を持って人として行うべき事を行うべきなのだ


20子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也、
 必也臨事而懼、好謀而成者也


 子曰く、暴虎馮河(ぼうこひょうが)、死して悔いなき者は、われともにせず、
 必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀(はか)りごとを好んで成す者なり

 素手で虎に立ち向かったり、歩いて黄河を渡るたぐいの命知らずとは一緒にいたくない。
 むしろ臆病なほど注意深く、成功率の高い周到綿密な計画を立てる人間のほうが頼りになる。



  論語 from<www.geocities.jp/axz099/rongo.htm>

序文
◎『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。』    
(もし朝に人生を送る本当の道を体得できれば、その夕方に死んでもよい)


「なんとすごい言葉か。」一つの出来事の前でうろたえる私の胃の中に、この言葉が重い石のように 消化できないまま残っている。「人生の本当の道」とは何なのか!!。「人間として生きる真実の道」とは何なのか!!。私も何とかその「道」を体得したい。体得できないまでもその「道」の一部分でも理解したい。そ者の「道」を体得した孔子の言動を書き残した本がある。「論語」である。浅薄な知恵しかもちあわせない私であるが、無謀にも、「論語」を読みたいと心から思う。


1、子頁問ひて曰<い>はく、「一言にしてもって終身之を行うべき有りや」 子曰く「其れ恕<じょ>か。己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」

(子頁が孔子にお尋ねして言うには、「一つの言葉だけで、一生涯、この言葉の内容を実践してゆく値打ちのある、そのような言葉があるでしょうか」 先生が答えて言うには「それは恕という言葉だな。恕という言葉の内容は、自分がしてほしくないことを、人にしてはいけないということだ」)


どのような社会でもルールのない自由はない。猿社会は猿社会のルールがきっとあるだろう。人間社会には、勿論人間社会のルールがある。
孔子は晩年、自分の人生を振り返り、人間形成の過程に区切りをつけた有名な文章がある。15歳を志学、30歳を而立、40歳を不惑、50歳を知命、60歳を耳順とした。そして最後に次のような文がある。「七〇にして心の欲するままに従へども、矩<のり>を踰<こ>へずと」 (自分の心の中に生じる思いをそのまま実行に移しても、人の道を踏みはずさなくなった。)。聖人・孔子ですら70歳までは、心の思うままに行動すれば、人の道を踏み外したのである。凡人である私であれば、なおさらである。自分の心の中を覗けば、邪悪な思いに満ち溢れている。それをそのまま言動に移すわけには行かない。移して良い思いと悪い思いがあるはずである。その基準になるのが<恕>であると、孔子が言っているのだ。<己の欲せざるところは、人に施すことなかれ>と。私は心に刻む、心に生じた思いを言動に移すとき,もっとも 原初的な基準になるのは、恕あると。