3月15日付・読売社説(1)

 [取材源秘匿]「報道の意義を否定する決定だ」

 東京地裁の決定は、国民の「知る権利」や「報道の自由」の意味を誤解していないか。

 国家公務員らに新聞記者が取材して、一般には明らかになっていない情報を入手しようとするのは、国家公務員法の守秘義務違反を犯させる行為だ――。地裁決定は、そう言うのである。

 戦前・戦中の国の言論統制を思い起こさせる。大本営発表を真実として伝えてしまった反省に立ち、戦後、報道機関が苦しみながら築いてきた「報道の自由」を踏みにじる内容だ。裁判の当事者が本紙記者であることを差し引いても、到底納得できるものではない。

 裁判は、米国の健康食品会社の日本法人の課税処分に関する報道に絡んで行われた。日本の各報道機関の報道について、米司法当局が記者らの嘱託尋問を求めた。その尋問で記者が取材源について証言拒絶したことの当否が争われた。

 このうちNHK記者についての昨年10月の新潟地裁決定は、記者にとって取材源は民事訴訟法上、証言拒絶が許される「職業の秘密」に当たると認定した。

 「正確な情報は、記者が取材源を絶対に公表しないという信頼関係があって初めて取材源から提供される」とも述べ、証言拒絶の正当性を認める極めて妥当な判断だった。

 これに対し、東京地裁決定は「職業の秘密」であっても、「情報の漏洩(ろうえい)が刑罰法規に触れる」といった「特別事情」がある場合は証言拒絶は許されない、という特異な論理を持ち出した。

 記者に情報を提供する行為が、国家公務員法違反に問われる可能性のある場合などは、記者の証言拒絶権は認められないと、決定は断じている。

 記者が情報源を明かせば、それ以後、協力は得られない。それでも、決定は「刑罰に違反する行為が行われなくなるという意味で、法秩序の観点からむしろ歓迎すべき事柄だ」とまで述べている。

 報道が公的機関の発表だけに頼っていては、真に国民が必要とする情報を提供することはできない。これでは、民主主義社会は成り立たない。国政に関する取材で、記者が国家公務員らから真実を聞き出す努力をするのは、ジャーナリズムの基本である。

 記者が公務員に“秘密情報”の提供を働きかけても、「真に報道目的で、社会観念上も認められるものなら、それは正当な業務行為である」――。最高裁が「外務省機密漏洩事件」で1978年に出した判決に、そうある。

 東京地裁の決定は、この判例にも背いている。

(2006年3月15日1時46分 読売新聞)