地獄

死後赴くべき他界の一つ。冥界,冥府,陰府(よみ)などともいい,英語の hell,ドイツ語の HÅlle,フランス語の enfer,イタリア語の inferno などに相当する。

一般に,墓地の情景や死体の腐乱過程との連想から生みだされたものだが,超常的な観念や表象によって作りだされた場合もある。

〈地獄〉の語はもとサンスクリットに由来し,のちに仏教とともに中国に輸入されると,泰山府君の冥界観と結びついて十王思想を生みだし,さらに日本に伝えられると,記紀神話に描かれる黄泉国(よみのくに)や根の国の考え方と接触融合して独自の地獄思想を生みだした。

地獄の観念に共通にみられる特色は因果応報や,受苦と審判の思想である。そのため古今東西を問わず地獄ないし類似の観念は広く認められる。その主要なものを概観する。

【世界の代表的地獄観】

古代ギリシアでは地獄の観念は3段階ほどの発展をみせた。一番古い段階のものは墓の中を冥界とする観念で,そこにはエイドラ eidヾla とよばれる小さな翼をつけた死者と大蛇が住んでいると想像された。その次の段階を示すものがホメロスの叙事詩の中にみられる〈死者の国〉である。そこはオケアノスによってへだてられた,力なき亡者が影のようにさまよっている世界である。そして最後の段階が,罪を犯した人間に罰と浄化を課する地獄である。たとえばコリントスの邪悪な王であったシシュフォスが堕(お)ちた世界がそれで,彼は石を山頂まで転がしていく作業を永久に続けなければならなかった。ギリシアではこのような地獄を一般にハデスとよび,神名ともなっているが,のちにキリスト教において発達をみた地獄は,ゲヘナである。また新約聖書にはゲヘナのほかにギリシア以来のハデスの語も用いられているが,これはもっぱら死者の霊の赴くところとされ,ゲヘナが悪しき者に永遠の刑罰を加える場所とされているのと好対照をなしている。

キリスト教の地獄の観念を体系化し,それに感覚的な肉付けを行ったのはカトリック神学であるが,とりわけ地獄と天国のあいだに鮭獄(れんごく)を設定したところに特徴がみられる。鮭獄は死者が一時的な浄(きよ)めのために赴くところであるが,このような地獄―鮭獄―天国の三界遍歴を主題にした宗教文学の代表がダンテの《神曲》である。ダンテの描く地獄は大地の下方にひろがる漏斗状の暗黒世界で,第一獄からはじまって地核にあたる第九獄までの空間から構成されている。イスラム教ではキリスト教の場合と同様に終末論との関係で地獄が問題とされる。そのイメージはとりわけ業火の激しさによって特色づけられており,ナール(火),サイール(炎),ジャヒーム(火のかまど)などの語が地獄をあらわす際に使われる。また,コーランでは地獄のことをジャハンナムjahannam ともよぶが,これは前述のゲヘナに由来する。コーランの記述からは地獄の形状は必ずしも明らかではないが,七つの門をもつ巨大な穴としてイメージされており,罪人はここで裁きをうけ,その罪に応じて7層に分けられた場所のどこに住むかが決められるという。

一般に地獄に堕ちた者の試練は,心身に加えられるさまざまな拷問,罪や苦悩や絶望の感情,出口なしの閉所恐怖症的な狂気などによって彩られ,最後の段階で善行と悪行が障にかけられ審判を受けることになっている。また,主としてキリスト教世界では地獄的な状態は永遠につづくものと考えられているが,ヒンドゥー教やジャイナ教,仏教やチベット密教など東洋の宗教では,地獄を死と再生のサイクルにおける一時的な場所と考えている。中央アメリカでも,たとえばアステカの《ボルジア絵文書》やマヤの《ポポル・ブフ》などの冥界神話にうかがえるように地獄は死者が永遠の罰として閉じこめられる場所ではなく,むしろ創造のサイクルに必要な移行の地点とみなされている。なお近年ムーディ R. A. Moody やノイズ R.Noyes などの研究により,心理学や精神医学の分野で,山での墜落事故や交通事故などで臨死体験をした者が,天国(極楽)イメージとともに恐怖の地獄イメージを瞬間的に経験(幻覚)するということが注目されるようになっている。さらにそれとの連関では,薬物やある種の精神障害にもとづく幻覚経験においても,同様のイメージやビジョンがあらわれる場合が少なくない。1961年にオシスK. Osis とその協力者たちは臨死患者の体験を記録して細かく分析したが,患者たちによる天国や地獄についての超常経験は,LSD やメスカリンによって引きおこされる幻覚症状に類似しているという。また精神分裂病患者はしばしば,終末論的な神話に対応するような宗教的・神秘的な体験について語ったり,それを絵に描いたりしているが,そのなかにも地獄や天国のイメージやビジョンに酷似する場面があらわれるという。そういう観点から反省してみるとき,地獄や天国に関するイメージやビジョンはたんに神話的なできごとや想像上のことがらに属するものと考えるべきものではなく,むしろ人間の表象や意識における普遍的現象でもあるということに注目すべきであろう。

【日本】

日本の地獄観は,さきにもふれたように記紀神話にあらわれる黄泉国の観念に,インド仏教の地獄観や中国の冥府思想が結びついて独自の発展をとげた。

黄泉国は死んだイザナミノミコトが赴いた冥界として知られるが,そこは垂直的な地下世界というよりは,〈葦原中国(あしはらのなかつくに)〉に対する〈四方国(よもつくに)〉,すなわち周縁的な世界として水平的な方向に想定されていたと考えられる。そのことから,黄泉国のあり方を古代墳墓に登場する横穴式石室墳の構造と対比する見方も生まれることになった。このように水平的な方向に他界を想定する記紀神話の見方は,仏教の影響をうけたのちにも基本的に変化することがなかった。

たとえば平安初期に作られた日本最初の仏教説話集である《日本霊異記》においては,記紀神話に固有の黄泉―常世観と仏教の地獄―極楽観が重層的に表現されているが,そこでは極楽と地獄が上下の関係においてではなく同一の平面に配置され,現世の地上世界との連続感が強調されている。

日本人の地獄観で第2に重要なのは,山中に地獄を想定したという点である。日本列島には各地に霊山が存在するが,そのほとんどの山中に阿弥陀が原や賽(さい)の河原などとならんで地獄谷といった地名がつけられている。これは古くからの山岳信仰と仏教とが習合した結果つくりあげられた山中他界観であって,その後の日本人の信仰に大きな影響を与えた。そのためたとえば中世の《地獄草紙》や近世の《立山曼荼羅》などからもわかるように,地獄の景観が山岳世界に求められることが多い。古代末期に作られた《道賢上人冥途記》においては,失神して一時的な他界遍歴をする道賢上人が金峰山浄土で菅原道真に会い,地獄の鉄窟では苛責(かしやく)の苦しみをうけている醍醐天皇と藤原時平を見るが,その場合の浄土と地獄も山中のできごととして語られている。

日本で最初に描かれた地獄関係の絵は,東大寺二月堂本尊の身光の毛彫のなかにでてくる火炎のなかの鬼であるが,のち平安後期になると,中尊寺に残されている紺紙金泥一切経の見返し絵にみられるように地獄変の図柄があらわれる。また宮廷では,毎年のように年末になると仏名会という懺悔滅罪の法会が行われたが,そのとき周囲には地獄絵を描いた潅風が立て回された。しかし,八熱地獄や八寒地獄などインド以来の仏教のさまざまな地獄観を体系的に記述したのは平安中期の源信であった。彼の主著である《往生要集》の第1章〈厭離穢土(おんりえど)〉は日本の地獄学の先蹤であるといってよく,その地獄の描写は信仰,思想,文学,美術,建築などの面で,その後の日本文化に甚大な影響を与えた。⇒極楽‖地蔵  山折 哲雄

【インド】

〈地獄〉の語は元来サンスクリットのナラカ narakaまたはニラヤ niraya の訳で,地下にある牢獄を意味する。奈落(ならく)または泥犂(ないり)は音訳。

仏教の世界観によると,贍部洲(せんぶしゆう)(われわれの住む大陸)の地下に種々の地獄がある。抑舎論によれば,まず八熱地獄があり,上から(1)等活,(2)黒縄(こくじよう),(3)衆合(しゆごう),(4)号叫,(5)大叫,(6)炎熱,(7)大熱,(8)無間(むげん)と重なっている。(1)は責苦をうけて息たえても息を吹きかえして再び責苦をうける地獄,(2)は大工の墨糸でからだに線をひかれ,そのとおりに切られる地獄,(8)は間断なくさいなまれる地獄で,原語アビーチ av ̄ci の音訳語〈阿鼻(あび)〉でもよばれる。

次に副地獄がある。各熱地獄の四方のそれぞれに4種ずつ副地獄があるので,副地獄の数は全体で128になる。4種とは(1)殺擦(とうい),(2)屍糞(しふん),(3)鋒刃(ほうじん),(4)烈河(れつか)である。(1)では熱した灰(殺擦)の中を歩かされる。(2)では死体と糞の泥沼につかり,蛆(うじ)虫に骨をうがたれる。(3)では剣の上を歩かされ,剣状の葉に身を貫かれ,剣の刺の密生する木にのぼらされる。(4)では煮えたぎる湯の川に投ぜられる。 次に八寒地獄がある。(1)髭部陀(あぶだ),(2)尼剌部陀(にらぶだ),(3)髭臆陀(あただ),(4)狙狙婆(かかば),(5)虎虎婆(ここば),(6)科鉢羅(うばら),(7)鉢特摩(はどま),(8)摩訶鉢特摩(まかはどま)。(1)では寒さのために身体にはれもの(あばた)ができる。(2)ではそれがつぶれる。(3)(4)(5)では寒さのため〈あたた〉等の悲鳴をあげる。(6)(7)(8)では極寒のために身体が破裂して青蓮華(殺鉢羅),紅蓮華(鉢特摩)の様相を呈する。

最後に孤地獄がある。この地獄は組織化されず,各地に散在し,罪人は孤独の状態でさいなまれる。犯した罪に応じて,入る地獄も定まるのだが,その関係は必ずしも明らかではない。六道のうちの最悪の場所であり,僧侶たちは人々を悪行から離れさせるためにしだいに地獄の描写を詳しくしたものと思われる。《正法念処経》《観仏三昧海経》には多くの地獄名が記載されている。仏教の地獄に似たものはヒンドゥー教やジャイナ教でも説かれる。なお,仏教では罪人が地獄におちるのは自業自得の理によるのであり,閻魔(えんま)や審判の思想が生まれるのはやや後世に属する。 定方 晟

【中国】

地獄という観念が中国文化の中で結晶化したのは,やはり仏教からの影響であろう。最も早い時期の漢訳仏典の中にすでに地獄を説く経典が見られ,南北朝から唐初にかけての《経律異相》や《法苑珠林》などにも地獄の章がたてられ,多くの仏典が引用されている。しかし地獄という観念が中国に定着するについては,その基盤が中国古来の伝承の中にあったのであり,仏教流行のあとにも,中国独自の地獄が伝承され発展している。

先秦時代,君主や功臣たちが,死後,天帝のもとで生活しているという観念は経典や金文資料に見えるが,一方,死者が地下にいるという観念の存在も,たとえば《春秋左氏伝》に記述される苫の荘公の〈大隧(たいすい)の歌〉の故事からうかがわれる。おそらく一般の民衆は死者の行方を地下に考えることが多かったのであろう。江陵の前漢墓出土の〈地下の丞〉にあてた文書は,地下に死後の世界を考えていたことの明証であり,後漢墓から死者の罪を解除することを願う文章を朱書した壺が出土することは,死者が生前の罪により罰せられるという観念がすでに存在したことを示唆する。これらは仏教的な地獄を受容する際,その基礎となったであろう。また文献資料によれば,漢代の人々は死者の行く所として泰山を考え,そこには泰山府君という支配者がおり,人々の寿命を記した帳簿もそこにあると考えていた。初期の漢訳仏典で,地獄の語の代りに〈泰山〉の語が用いられるのは,そうした中国の伝承を利用したものであり,逆に泰山にある死者の世界も仏教の地獄に似たものとして描かれることにもなる。泰山とならぶもう一つの中国的な死者の世界,羅惇都(らほうと)(惇都)の詳しいようすが述べられるようになるのは六朝中期ごろからで,《真誥(しんこう)》に見えるそれは中国から遠く隔たった北方の地にあるのであるが,やがて四川省の惇都に地獄があるのだとされるようになり,近世,その地では地獄にまつわる呪術的信仰と民間伝承とが発達した。道教内部にあっても,仏教の影響を受け,また民間伝承も取りこんで,唐代にはすでに八地獄,二十四地獄,三十二地獄といった地獄の組織化がなされている。また唐末ごろには,道教・仏教や民間信仰をごちゃまぜにした地蔵十王の地獄が形成され,そこでは閻羅王も泰山府君も同等の地位で死者を取り調べる裁判官として登場する。

中国的な地獄の第1の特徴は,現世の裁判制度をそのまま反映し,地獄にも官僚制的な要素が多く付随することであろう。地獄で受ける苦しみも現世の刑罰とあまり異ならず,仏教の嗜虐的な責め苦の記述とは同じではない。地獄は罪のつぐないと浄化の場所であって,道教では,下級の仙人はみずからの身を鮭(きたえ)るためにわざわざ地獄に入るともされている。また鮭獄的な地獄も考えられている。なおこうした中国的な地獄の組織やそこでの責め苦の様相については,実際にそこに行ってきた人の見聞なのだという枠組みで語り伝えられ,そうした地獄めぐりの物語は,六朝志怪(しかい)小説以来,小説や戯曲あるいは民間伝説など中国文学のさまざまな部面にその素材として取り入れられている。  小南 一郎

【キリスト教】

[旧約聖書の〈シェオール〉と〈ゲヘナ〉] キリスト教における地獄も,そのなかにさまざまな観念をふくんでいることは,聖書で〈地獄〉を意味するヘブライ語やギリシア語の原語が一様でない事実に照らして明らかである。まず旧約聖書で黄泉あるいは陰府を意味するヘブライ語シェオールsheol が,どんなふうに内容を変えていったかを見よう。

黄泉に対する初期の考え方がよくあらわれているのは,《詩篇》の31篇と88篇で,そこでは悪しき者が恥をうけ,何者のように陰府に下っていく。陰府はヤハウェの立法のらち外にあり,ヤハウェの存在とはなんのかかわりもない。そこへはいった死者は,前世の地上生活を知っている場合もあれば,また全然知っていない場合もある。

前者の考え方のほうが古く,それによると,死者はそれぞれ自覚をもち,黄泉での生活は現世の地上生活のおぼろげな再現として意識される。黄泉を全き〈忘れの国〉(《詩篇》88:12)と見る後者の考え方は,《ヨブ記》,とくに7,14,26章で最も明らかに示されている。そこは眠りと,完全な忘却と,沈黙の国である。死者はどんなことが地上で行われているかを知らず,したがって地上の事件に影響を与えることはできない。同じ考え方は《伝道の書》にも強くあらわれ,9章には,〈死者は何事をも知らない,また,もはや報いを受けることもない。

その記憶に残ることがらさえも,ついに忘れられる。その愛も,憎しみも,ねたみも,すでに消えうせて,彼らはもはや日の下に行われるすべてのことに,永久にかかわることがない〉とか,〈あなたの行く陰府には,わざも,計略も,知識も,知恵もない〉とかの言葉が見いだされる。

しかし,バビロン捕囚時代以後の旧約諸書には,終末論にいちじるしい発展が見られ,ペルシアからの影響もあって,古い信仰を固守するサドカイ人をのぞき,死後復活の思想が色濃くはいりこむ。この思想を最もはっきり表現しているのは,《イザヤ書》26章19節の〈あなたの死者は生き,彼らのなきがらは起きる。ちりに伏す者よ,さめて喜びうたえ。あなたの露は光の露であって,それを亡霊の国の上に降らされるからである〉および《ダニエル書》12章2〜3節の〈地のちりの中に眠っている者のうち,多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり,また恥を,限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。賢い者は,大空の輝きのように輝きまた多くの人を義に導く者は,星のようになって永遠にいたるでしょう〉などの言葉であろう。前2世紀ごろになると,死者の住む国についての考えがひじょうに明確となり,悪しき者はゲヘナに投げこまれて永遠に焦熱の苦患をうけ,シェオールには正しき者も悪しき者もともに送られ,それぞれ二つずつの区画を占めることになる。ゲヘナは《ネヘミヤ記》11章30節に出ている〈ヒンノムの谷〉,または《ヨシュア記》15章8節,18章16節に出ている〈ベン・ヒンノムの谷〉からきた語で,谷はエルサレムの南をめぐり,《エレミヤ書》19章2節に見えているように,もと瀬戸かけの門の入口にあり,そこではバアルやモロクへの犠牲として幼児が焼かれ,のちには町のあらゆるがらくたや,動物および罪人の死体などが投げすてられ,それらを焼くためにいつも火の絶えなかった場所である。この谷のもつこうした凶兆が,ミルトンの《失楽園》第1巻で,〈ソロモンのげにも賢い心をあざむき,神の宮の真むこうに,あの不浄の山に宮を造り,美しいヒンノムの谷をわが森としたので,それ以来トペテ topheth または黒いゲヘナの呼称をえ,地獄の型となる〉と歌われているように,ゲヘナをキリスト教の代表的な地獄の呼び名にした。

[新約聖書の〈ハデス〉] 新約聖書では,死者の霊の赴くところとしてはハデスが用いられ,悪しき者が永遠の刑罰を受ける場所としてはゲヘナがあてられる。ハデスはホメロス時代には死者を宰領する地下の神の名であったが,のちには死者の霊が住む国(冥府)をさす語となった。それは地下に想定される暗い場所であるが,むしろヘブライ語のシェオールに匹敵する語であって,苛責の獄を意味するものではない。また,《ペテロの第2の手紙》2章4節には,〈神は,罪を犯した御使たちを許しておかないで,彼らを下界におとしいれ,さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた〉とあるが,この堕落天使たちの住居である〈暗やみの穴〉の原語はタルタロス(神の名でもある)で,ホメロスはこれをハデスよりもさらに下方に設定している。すなわちゼウスがティタンたちを閉じ込めた場所である。地獄ゲヘナに投げ入れられる悪しき者は,はてしなき刑罰を受ける定めであるが,この〈はてしなき〉を意味するギリシア語の形容詞〈アイオニオス aiヾnios〉が,〈永い時期〉を意味する名詞〈アイオン aiヾn〉に由来するところから,3世紀アレクサンドリア学派のオリゲネス以来,〈永い時期〉は〈永遠〉と異なり,いつかは時満ちて,極悪者はもとより,堕落天使であろうとも救われると考えた神学者も,カトリックおよびプロテスタントを通じて少なくない。しかし初代および中世のキリスト教会では,永遠の刑罰はけっして終わる日がないという点で,正統派の意見は一致していた。この地獄の刑罰の永遠性を論証するために,しばしば引用される聖書の言葉としては,〈彼ら(悪しき者たち)は永遠の刑罰を受け,正しい者は永遠の生命に入るであろう〉(《マタイによる福音書》25:46),〈その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼる〉(《ヨハネの黙示録》14:11),〈彼女が焼かれる火の煙は,世々限りなく立ちのぼる〉(同書19:3),〈彼らを惑わした悪魔は,火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには,獣もにせ預言者もいて,彼らは世々限りなく日夜,苦しめられる〉(同書20:10)などがある。また,キリストがイスカリオテのユダについていった言葉〈人の子を裏切るその人は,わざわいである。その人は生まれなかったほうが,彼のためによかったであろう〉(《マタイによる福音書》26:24)は,もしユダが地獄の刑罰をゆるされるとすればその真実性を失うとの論理によって,よく援用される。

[地獄の苦しみ] キリスト教の地獄の苦罰を最も具体的に考えているカトリック神学によれば,それは〈喪失の苦罰〉という精神的なものと,〈感覚の苦罰〉という物質的なものとから成り立っている。地獄にいるのろわれた者たちは,至福の直観も,神の中に安らぎを見いだす霊魂の諸能力も失っており,それとともに,すべての超自然的なたまものにも見はなされる。その結果,極度の空虚が彼らを訪れ,空虚感ははかり知れない苦悶をひきおこす。一時的のむなしい快楽を求めれば求めるほど,最上の祝福を失ったことがいよいよはげしく自覚され,わが身のみじめさがいよいよ痛切に感じられる。このような状態にあっても,もし天主をまのあたりに見ることができるなら,地獄も一種の天国となるであろうが,それが全く失われているために,永遠の苛責がつづくのである。

つぎに感覚の苦罰とは,聖書の中に,〈見よ,彼らは藁(わら)のようになって,火に焼き滅ぼされ〉(《イザヤ書》47:14)とか,〈地獄の火〉(《マタイによる福音書》5:22)とか,〈炉の火〉(同書13:50)とか,〈永遠の火〉(同書18:8)とか,〈地獄では,蛆がつきず,火も消えることがない〉(《マルコによる福音書》9:44)とか,〈硫黄の燃えている火の池〉(《ヨハネの黙示録》19:20)とか表現されている〈火による苦しみ〉をさす。多くの神学者たちは,この火を物質的な実際の火と解している。なおこの二つの本質的な苦罰の上に,地獄にある者はわずかの真のよろこびをも経験することができないとか,同じ苦罰を受けて苦しむ者の間に住むことにより,苦しみがますます痛切となるとかの,偶有的な刑罰が加えられる。

[地獄,鮭獄,天国] 上に引用した《マタイによる福音書》25章46節のことばにも明らかなように,悪しき者のおもむく地獄と対比して,正しい者のはいる永遠の生命,すなわち〈天国〉が当然考えられてくる。天国をあらわすギリシア語〈パラデイソス paradeisos〉はペルシア語に由来し,それはペルシアの王たちが宴楽する広い囲いのある遊園を意味した。それがキリスト教にとり入れられて,エデンの園や至福者の赴く天上の住所をあらわすようになったが,キリスト教の教理はさらに展開して,永遠の苦罰には値しないが,なお一時的な浄めを必要とする死者の赴くところとして,鮭獄を立てる。しかし鮭獄の原初的思想は,早くからユダヤ民族の間にあり,彼らは死者の魂は死後1年間,もとの肉体や,それがとくに愛した場所や人を訪れると信じていた。この中有の状態は,〈アブラハムの胸〉〈エデンの園〉〈ゲヘナの上〉など,いろいろな名称でよばれていたのを,キリスト教の初代教父たちが,新約聖書の《ヨハネの黙示録》6章や,《ペテロの第1の手紙》3章などを援用して,ついに鮭獄の教理にまで仕上げたものである。

[美術と文学における地獄の主題] 西洋で地獄が造形芸術の対象となるのは中世以後で,キリスト教以前の多神教時代の遺品には地獄を主題とした見るべき作品はほとんどない。中世キリスト教美術では,〈最後の審判〉図の中に審判者キリスト,大天使ミカエル,善人と悪人の群れとともに天国と地獄の図を表現することが行われ,ロマネスクとゴシックの教会堂西正面のタンパン浮彫にその例を見る。ダンテの《神曲》以後,地獄を主題とした美術作品が多くあらわれるようになるが,これらは中国や日本の現実的な地獄描写と異なり,残酷さを強調せず,むしろ絵画または彫像としての独自の芸術性を追求している。16世紀には,好んで地獄を描いたため〈地獄のブリューゲル〉とあだ名されたピーテル・ブリューゲル(子)がフランドルにあらわれ,《地獄のオルフェウス》《鮭獄の亡魂を救うキリスト》など,異教・キリスト教二つにわたるさまざまの地獄図を世に残した。近代になるとドラクロア,W. ブレーク,ドレなどが知られる。またロダンに《地獄の門》がある。

文学にあらわれた地獄は,これを広義に解するとなかなか豊富な内容を提供する。《神曲》や《失楽園》のように,地獄そのものを対象としたものはもとより,終末論にふくまれている地獄の意義がその対象となるであろう。さらに近代文学では,地獄を象徴的・比喩的に使うことがしばしば行われるので,その範囲がいよいよひろまる。⇒他界‖天国  寿岳 文章

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