眼横鼻直

今から750余年前曹洞宗開祖道元禅師は、24歳の時中国に留学し、天童寺如浄禅師に学ばれ、28歳で帰国。帰国後の第一声が「空手還郷」クウシュゲンキョウ、「眼横鼻直」ガンノウビチョクというものでした。

空手還郷とは、「経典や仏像など持ち帰らず、手ぶらで祖国日本に帰ってきました」。
眼横鼻直とは、「眼は横に鼻は縦についていることがわかった」と言われたのです。
読んで字の如く、「あたりまえ」という意味で、人間として如何に生きるか、あたりまえをあたりまえに行ずることであります。仏教や禅というと、私たちは特別なものとして構えてしまいますが、そうではなく、自分の足元をしっかりと定め、日常生活が真剣に修行として行ずるならば、そこにこそ仏になる道がひらけてくるということを示されたのです。

私たちは、あたりまえをあたりまえに行じているだろうか? 食事をすること、掃除をすること、風呂に入ることなど。

食事とは・・・私たちが食する野菜の生命や魚の生命、肉の生命など動植物の尊い生命の犠牲の上に成り立っていること。動植物の生命を食することにより私たちの生命が保たれています。だから「生命をいただきます」と感謝していただいているのです。生かされているのです。

掃除とは・・・周りが綺麗であれば掃除はしない、汚れているから掃除をする。ということでなく、自己を磨くこと。己の心を磨くことが掃除であります。

これらあたりまえの日常生活の営みを真剣に行じていくことが、眼横鼻直の意味するところであります。

日常生活を真剣に行じることが、すべての人が宿している、仏さまの種(仏性・仏心)が芽を出し育ち、花が開くのであります。

大雄寺住職 倉澤良裕 

    眼横鼻直

道元禅師が最初に正式な説法されたのは京都・宇治の興聖寺においてでありました。その時、「眼横鼻直」(がんのうびちょく)という言葉を使っておられます。

どういう話のすじで使っておられるかといいますと、自分はわざわざ海を渡って中国(宋の時代)で学んできたけれども、眼横鼻直(眼が横に鼻が縦についている)、すなわち「あたりまえ」ということが人間のあり方だと悟って、だから他には一切何も持たずに手ぶらで帰ってきた、と言っておられます。

しかし、この「あたりまえ」とはどういうことでしょうか。私は『法句経』の「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」(悪いことをせず、善いことをする。そして自らの心を清める。これが諸仏の教えである。)の前半の句「諸悪莫作、衆善奉行」を思い出します。

確かに「あたりまえ」でしょう。しかし、私たちは果たしてこの「あたりまえ」の生活をしているでしょうか。そうではないと思います。ああしたい、こうしたい。あれが欲しい、これが欲しい。ああでもない、こうでもないと、欲望とこだわりの垢にまみれて今にも病気になりそうになって生活しているのではないでしょうか。

『法句経』の「自浄其意」とは、このような欲望とこだわりの垢を投げ捨てることを言うものと思います。そこに修行ということがあることになりますが、いろいろな修行のうち、道元禅師は坐禅を仏法の正門として選び取られました。そして、坐禅という修行をとおして欲望とこだわりの垢を落として「諸悪莫作、衆善奉行」というあたりまえの生活を過ごすことが仏の教えであるとわかったと、そんなことが「眼横鼻直」という言葉に込められているのではないかと思います。
きれいに洗ったコップで水を飲む。それまでどんなに汚れたコップでも。(平成7年1月)

なるほど法話 海潮音

    空手還郷

空手還郷(クウシュゲンキョウ)、空手にして郷に還るという道元禅師の言葉も有名である。道元禅師は比叡山の僧侶に失望して山から降り、また京都建仁寺をあとにして二十四歳のとき宋の国へ旅立つ。遍歴後、天童山で生涯の師と仰ぐ如浄禅師に出会い、師の下で「身心脱落」の大事を悟って宋から帰国したのが1227年、二十八歳のときである。「かえる」はここでは「還る」となっている。野球などではホームから一塁二塁三塁をまわって元のホームに生還するのに「還る」が使われる。旅立つ前の道元と帰国してからの道元は同じ道元でも違う道元である。宋の国へ行って「眼は横に、鼻は直に」というあたり前の事実がわかったのである。帰国後、宇治の興聖寺で衆を集めて次のように説法する。

山僧さんそう、 叢林そうりんを 歴ふること 多おおからず、 只是ただこれ 等閑なおざりに 天童てんどう 先師せんしに 見まみえて、 当下ただちに 眼横がんのう 鼻直びちょくになることを 認得にんとくして、人に 瞞あざむかれず、 便乃すなわち 空手くうしゅにして 郷きょうに 還かえる。 所以ゆえに 一毫いちごうも 仏法ぶっぽうなし。
(『道元禅師語録』、『宇治興聖禅師語録』)

(拙僧は諸方の寺院を多く訪ねたわけではないが、はからずも天童山で師である如浄禅師にお目にかかり、その場で眼は横、鼻は縦であることがわかって騙されなくなった。そこで何も携えずに故郷に還って来た。だから拙僧にはいささかも仏法はない。)

眼は横に、鼻は直についているというのは「あたりまえ」が「あたりまえ」としていただけるということだ。私はたいして修行してきたわけではない。ただ師匠に出会って眼横鼻直がわかり、みんなから騙されなくなった。他の人は中国へ行くと仏像を持って帰ったり経典をを持って帰ったり、色々なものを持って帰ったりしているが、私は何も持って帰ってこなかった。だから私には仏法などないのだ― これは聞きようによってはたいへんな謙遜、厭味な謙遜に聞こえるかもしれない。しかし、中国から「還ってきた」道元禅師はこの後さらに次のように続けられる。

朝ちょう 朝ちょう 日ひは 東ひんがしより 出いで、 夜夜やや月は西に沈む。雲収まって 山骨さんこつ露われ、雨過ぎて 四山しさん低し。三年に 一閏いちじゅん遭い、 鶏とりは 五更ごこうに 啼なく。

お日様は東から出て月は西に沈む。三年経てばまた閏年がやってきて、鶏は朝の四時ごろ鳴くのである。仏法はお寺にあるのではない。坊さんが持っているものでもない。お経に書いてあるものでもない。あたり前のことをあたり前として受け取ることにあるのだ、と道元禅師は仰りたいのである。「眼横鼻直」という言葉は実にこの消息をあらわしている。臨済禅師もまた「無事是れ貴人」ということばを遺しておられる。禅の教えは教外別伝、不立文字と云われるように、生活に即して「あたりまえ」を「あたりまえ」として有り難く頂くことに眼目を置く。これを禅者は「仏知見」を開くという。わたしたちの経る一年一年はこの仏知見を開いていく一年一年でなければならない。

甲州光沢山 青松院