トインビー Arnold Joseph Toynbee[1889―1975] (日本大百科全書)

 イギリスの歴史家、国際政治学者、文明批評家。ロンドン生まれ。オックスフォード大学のバリオール・カレッジを卒業、そこで1911〜15年まで研究員ならびに指導員として古代史研究にあたる。第一次世界大戦中に外務省政治情報部に入り、19年パリ講和会議では中東地域専門委員として活躍。その年、ロンドン大学キングズ・カレッジ教授としてギリシア関係の記念講座を担当、25年以降は、同大学国際史研究教授および王立国際問題研究所の研究主任として、毎年『国際問題大観』の執筆にあたる。第一次大戦の初めごろトゥキディデスを講義中、ギリシア史と現代史との間に顕著な類似性、つまり哲学的同時性が存することに気づき、彼の比較文明的世界史像構築の端緒となる。

 その内容は、文明のサイクルと出会い、挑戦と応戦の方式、創造的少数者の意義、解体の指標となる内的および外的プロレタリアート、軍国主義、世界国家、世界教会など、彼の百科全書的な知識で彩られる。晩年に至り、文明を「独立文明」と「衛星文明」に分け、28の文明を設定した点など、これからの文明論の展開の方向性を強く示唆している。彼の文明史学はもろもろの欠陥も存するが、その意義もまた、西洋中心的な歴史観が乗り越えられるにつれて重さを増すに違いない。

 おもな著作に『歴史の研究』12巻(1934〜61)、『試練に立つ文明』(1948)、『世界と西欧』(1953)、『一歴史家の宗教観』(1956)、『ヘレニズム』(1959)など。[神川正彦]

以上は (日本大百科全書)による解説である。日本へは何回か訪れている。昭和40年代の初め毎日新聞に掲載されていた内容が、世界経済圏の三極という見通しである。三極とは書いてなかったが、このことは強烈に記憶に残っている。歴史を学ぶ目当てにかなっていたからである。多くを知ることは思考分野の裾野を広げることであって勿論大事なことだが、目的はやっぱり『温故知新』にあると思っていたからである。