米国の『単独行動主義』について

2003年に初版発行された


ロバート・ケーガン著
山岡洋一訳
「ネオコンの論理」
アメリカの新保守主義の世界戦略
2003年5月25日 初版1刷発行



この本が発行されて大変な反響を呼ぶことになったという。それもそうに違いない。著者のロバート・ケーガンの紹介にはこんなことが載っている。

「カーネギー国際平和財団の上級研究員で、アメリカ・リーダーシップ・プロジェクトの責任者。ワシントン・ポストなどの新聞・雑誌にコラムを執筆している。 本書のもとになった論文「力と弱さ」はポリシー・レビュー誌2002年6/7月号に発表された直後から大きな反響を呼び起こした。
レーガン政権時代の1984〜88年に国務省に勤務し、国務長官のスピーチライター責任者、政策立案スタッフの一員であった。」

序文になる「はじめに」は11頁にわたり本書のアウトラインを述べている。殊にその冒頭の2節だけ転載した。


はじめに
 ヨーロッパとアメリカが同じ世界観を共有しているという幻想にすがるのはやめるべき時期がきている。同じ世界に住んでいるとすら考えるべきではない。力という決定的な点についての見方、つまり軍事力の有効性、道義性、妥当性についての見方が、アメリカとヨーロッパとで違ってきている。

 ヨーロッパは軍事力への関心を失った。すこし違う表現を使うなら、力の世界を越えて、法律と規則、国際交渉と国際協力という独自の世界へと移行している。歴史の終わりの後に訪れる平和と繁栄の楽園、十八世紀の哲学者、イマヌエル・カントが『永遠の平和のために』に描いた理想の実現に向かっているのだ。これに対してアメリカは、歴史が終わらない世界で苦闘しており、十七世紀の哲学者、トマス・ホップズが『リバイアサン』で論じた万人に対する万人の戦いの世界、国際法や国際規則があてにならず、安全を保障し、自由な秩序を守り拡大するにはいまだに軍事力の維持と行使が不可欠な世界で、力を行使している。主要に戦略問題と国際問題で現在、アメリカ人が闘いの神、火星から、ヨーロッパ人が美と愛の神、金星からきたとされているのは、そのめだ。両者が合意できる点は極めて少なくなり、相互の理解も希薄になってきた。そして、この状態は一時的なものではないし、アメリカの政権交代や悲劇的な事件の結果でもない。欧米の違いをもたらした原因は根深く、長年にわたって形づくられてきたものであり、今後も長く続く可能性が高い。国益の優先順位を設定し、脅威を確認し、課題を明確にし、外交政策と国防政策を策定し実行するにあたって、アメリカとヨーロッパは別の道を歩むようになった。



恐らくは日本の政治家にしても、この「ネオコンの論理」には目をとしているに違いない。ただこの意識で日本の将来のあり方を共通の課題として論議しあうというレベルに到っていないように思われる。

「ネオコンの論理」を認識の基盤にして将来のあり方を探り続けなければならない。これは私一人の意見ではないはずである。

以上