拝啓
高原を吹く風はいつしか初秋を感じますこの頃と
なりました。
先生お元気でいらっしゃいますか。
ごぶさたをしております。 今日は突然に
お手紙を差上げますことお許し下さい。私、去る
六月末に飯田を離れます時に、どうしても先生には
お逢いしたかったのですが、その時はまだ心の整理が
ついていなくてお訪ねすることが出来ませんでした。
それからひと夏の月日が過ぎようやく今こうして
お話の出来る状態になれました。
先生には大変にご迷惑と思いましたが、遠い昔の
生徒の話としてお聞き下さいますように
お願い致します。
すでにご存知かと思いますが、去年六月
どこへ行くとも、いつ帰るとも、一言の言葉も残さずに
私の側から姿を消してしまった夫が帰宅しなく
なってもう二回目の秋を迎えようとしています。
夫は曲がったことの嫌いな、竹を割ったような人柄でした。
そして猛烈な企業兵士でもありました。
その夫の後を私は追いつづけ走りつづけた四十三年
間でしたが、あの日を最後に全ての事が止ってしまいました。
その後は遺産相続、新会社設立、莫大な税金の(2枚目)
納税………と、まるで台風の中に巻き込まれてしまった
ような日々が続きましたが、去る六月に全ての事に
ピリオドをうって、自分の再出発の為に生活の場所を
変えました。
先生、 私は今、茅野市蓼科の山荘で日々を過ごして
います。山の中で生まれ育った私に夫が残してくれた
この家はとってもすばらしい所です。海抜1650mの
場所で、右に横岳を左には蓼科山を見て、美しい
空には手が届きそうな所です。
この大自然の中で生かされている小さな小さな自分に
気づきながら、ひと夏の月日とゆったりとした時間の
流れが、私の心に安定と安らぎを呼び戻してくれました。
そしてもう一度、自分の人生をしっかりと生きてみよう
という意識を植えつけてくれました。
先生
私には今も決して忘れることの出来ない風景があります。
それは生まれ育った千代です。 通学路の風景………
そして中学校の周辺です。 今はなくなってしまった
校舎の、一番端の西組の教室………その教壇に立って
いられた先生の姿を今もはっきりと覚えています。
人間形成の一番大切な時期の中学校時代に
先生の最初の生徒として出逢いのあったことが、その後の
私の人生のドアを開いてくれました。 と申しますのは(3枚目)
心配をいっぱいに抱えた私を先生が高校へ進学するように
背中を押して下さったことです。何とか入学が出来ました。
そこで出逢いのあった友達の関係で、次の私の人生の
ドアも開いたのです。
中学校三年生の夏休みのことでした。
先生から一通の絵はがきを頂きました。
アルプスの山々でしょうか、連なる山々の絵の下に
「するめをかむごとくよく味わってみなさい」と
先生は書き添えて下さいました。
それからの長い年月……幾つもの山を越えてきました。
小さな頃からあの山の向こうには何があるのだろうかと
好奇心を持ちながら、どんなことでも乗り越える勇気
と意識を持って、苦労などとは思わずに走りつゞけた
日々でした。
その礎を教えて下さったのは先生から頂いたはがきでした。
今、ふり返ってみますと、先生には人としての道しるべを
沢山に教えていただきました。 そして大勢の良き
クラスメートにも恵まれ沢山の支えを頂きながら
乗り越えられてきた年月を、今、心から
感謝しております。
先生
不謹慎かも知れませんがお話しすることをお許しください。
今も私は○○さんのこと大切にして心の奥に刻んでいます。(4枚目)
高校卒業を目前にしていた時、先生は私にこんな風に
言われました。「きよ子さんや、○○のことどうするんだ」と、
今でもはっきり覚えています。私はその時には
返事が出来ませんでした。
これから先も、今までと同じように○○さんの倖せを私は
心から祈っています。
重荷を背負いつづけ懸命に生きた夫は、こんな
言葉を残してくれました。
「そうは言っても、俺はいい人生だったなあ……」と、
時折私に言ってくれました。 一心同体で過した
四十三年間に教えられた沢山の事柄をしっかりと
守って、私はやり残した人生の宿題に挑戦して
みようと考えています。
いつの頃でしたか先生がこんなことをおっしゃいました。
「一度皆で集まって一晩ゆっくり話をしよう、きよ子さんもな」
今も耳の奥に残っています。 そんな時があったら
いいのに……と今思っています。
人生のたそがれ時期を迎えても私には先生とお呼びする
ことの出来る先生が居て下さること大変に倖せに思います。
先生、私のこと、手のかかる大きな大きな生徒と思って(5枚目)
いつまでもいつまでも先生でいらして下さい。 そして
中学校の時のように道しるべを教えて下さい。
お願い致します。
以前に先生から○○○○を沢山頂きました。
今も大切にしております。 今、私は相田みつを
さんの「道」という文章に心を奪われています。
涙は沢山流しても弱音は吐かないで明日を信じて
前向きに生きてゆきます。そんな心がけで明日に
向かっていることを知って頂きたくて失礼かとも思いましたが
上京の折に銀座の美術館で求めて参りました。
お受け取り下さい。
先生
高原の秋は、早く通り過ぎてゆきます。
春は芽ぶき、夏は美しいみどりの涼しさ、秋は
すばらしい紅葉です。自然の織りなすさまざまな
模様はそれはまた見事なものです。
先生、一度お出掛け下さいませんか。春、夏、秋と
いつの季節でも楽しめる場所だと思います。
先生、おそばお好きでしたか、いつも同じものですが、
こちらに来てから製造元を見つけました。
少しばかりお届けさせて頂きます。
先生、これからは決して無理をなさらないでいつまでも(6枚目)
お元気でいて下さい。 そして
末筆になりましたが、奥様によろしくお伝え下さい。
今日はつたない文面で長々と綴ってしまいました。
右手の薬指を傷めていて、4Bのエンピツでないと文字が
書けないんです。大変にお見苦しいと思いますが、
どうぞご判読下さい。
又お目にかかれますのを楽しみにしております。
紅葉の終わる頃、私は東京に移る予定でいます。
くれぐれもご自愛下さいますようにお元気で、
失礼します。
九月十一日 清子
下平先生