● 孝経


孔子の弟子の曾子の作といい伝えられる儒家の古典のひとつ。

《論語》とならんで五経につぐ地位があたえられた。孔子と曾子の対話の形式にかりて,天子から庶人にいたるまでの各階層それぞれの〈孝〉のありかたが説かれ,また〈孝〉の徳が〈天の経,地の義,民の行〉と天地人の三才をつらぬく原理として形而上化されている。

〈孝〉は儒教倫理の中心であり,かつ《孝経》は短編でしかも《詩経》の引用を多くふくんでいて暗誦にたやすかったから,知識人家庭では《論語》とともに《孝経》を幼童の教育に用いた。

歴代の王朝も《孝経》を重視した。漢代にはその読誦を天下に奨励し,唐の玄宗は今日ももっともひろく行われる注釈を書くとともに,744年(天宝3)には家ごとに一本を備えるよう命じた。

同様の勅令は,日本でも757年(天平宝字1)に出されている。北魏時代には鮮卑語訳が,元代には蒙古語訳およびさまざまの口語訳,いわゆる〈孝経直解〉がつくられた。

また六朝時代には,仏典の《観音経》になぞらえて,霊験あらたかな宗教経典として読誦されたことにも注目される。 吉川 忠夫

(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

● 藤樹書院跡


琵琶湖周辺では湖東や湖北には文化遺産や史跡など多く、訪ねた人も多い。湖西となるとめっきり少ない。

湖西へ行くようであれば、白髭神社と藤樹書院跡を一度は訪れたいものです。

白髭神社は郷土の韓郷社との因縁も浅くはない。中江藤樹の書院跡は安曇川町小川にあり、調べれば行くのに困ることはない。書院跡の前には清らかな水が流れており錦鯉が餌をほしがっています。書院での見学が終わったら近くにある藤樹のお墓にお参りするとよい。

戦前の教科書には“孝行はだいじなこと”として、母を思う子と、子の修行を願う母の気持ち、を題材にして“あかぎれ”の話がでていた。

倫理観の養育にはいい題材なんだが、戦後の教科書からは倫理教育が軽視され反省もされていないのは悲しい流れである。

…戻るボタンを押して戻ってください…