江田島最後の週には2つのミーティングが企画されていた。
ひとつは”WAVE”と我々衛生課幹部候補生との懇談だった。
「なんで我々だけが特別に”WAVE”と懇談しなければならないのだ?それも学校側のさしがねだという。・・」
「ははーん、人材不足の医官をつなぎ止める腹づもりだな、これは。」
「たかだかミーティングじゃだめだな。この前見たけどブスばっかりだったぞ。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「ちょっといいのがいたぞ、ひとり。」
「ああっ!おまえがこのあいだ 食堂でジロジロ見ていたやつだろう。」
「あ、あの背の高いのか?」
「ちがうちがう。ほら、わりと丸顔で鼻のちょっととがったコ。」
「ああ、あれ。えーと、名前なんてったっけなあ・・・。たか?高?高野とか・・。」
「どうせ会わせてくれるのなら広島の街でしてくれればいいのに。」
「あのコこのまえ走っているの見たけど、これもんだったぞ。」(オッパイの搖れる手真似をしながら)
「高木じゃあないし・・・。」
「ひとりだけメガネしてるのいただろ。あれ なんか割に理知的じゃん。」
「えーっ!へんな趣味。」
「あれがいちばんピストルうまかったんだぜ。関係ねえか。」
「たか・・タカ・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「なに話せばいいんだ?まさか避妊法おしえろってんじゃないだろな。」
「じ、実践してみせるとか!ハハハ。」
「・・タカ・・。下はたしかレイコってんだよな。ありきたりだけど。」
「6対4じゃ分が悪いよ。」
「ばーか、ふたり余るからこっちが有利だよ。」
「ら、乱交するつもりか?」
「だから、広島がいいって言ったんだ。」
「・・たか・・・。なんてったっけなぁ。ここまで出てるんだけど。」
「・・・・・・・・・・。」
期待に胸と股間をふくらませて会場の教室にのりこんだのだった。期待はものの見事に外れ、俺達は自衛隊に入った動機をインタビューされたり健康相談の回答者にされたり国防論議に巻き込まれたりした。全く何の意味も無いミーティングだった。
もう一つは、江田島学校長との会食だった。
校長室脇の豪華な貴賓室での昼食だった。正・副校長と教官殿 我々4名の外に数名の同席者がいた。まずいことにMと俺が校長の真向いの席だったのだ。
校長閣下がお言葉を述べられた。なんと、この学校を「バカ学校」と世間では言っておるという御言葉だ。俺はそんな事は聞いた事がない。憲法にも乗らず、世論調査でも容認派が20〜30%、当時の野党もほとんど認めていないという日本の 鬼っ子自衛隊の被害者意識の反映であろう。校長閣下は50代前半で 旧帝国海軍を知らないはずなのに しきりに懐かしがる。閣下もアナクロ人種であらせられるのだ。
食事が始まってすぐに閣下は俺に話しかけられた。
「堀田2尉は山本五十六元帥と同郷であると伺いましたが・・・。」
(また これだ。武見太郎とも田中角栄とも同郷なんですが・・)
「はい。長岡高校の出身です。」
「なかなか 射撃がうまいらしいですね。」
「いいえ。松下先生の方が成績よかったですよ。」
「水泳もかなりやるんですねぇ。」
「はあ、以前 水泳部にいましたから。」
「歯医者になった理由は何ですか?」
「・・・? 家が歯医者だったからです。」
「そうすると 跡を継ぐわけですか?」
「いいえ。兄がやはり歯科医ですので 僕は・・・。」
「どうですか、衛生課を離れて本科にはいっては?」
「????? はぁ?」
「着任報告の時も 分隊行進の時も姿勢がじつにきまっていた。将校向きだ。おまけにヒゲが似合っている。」
「そいつぁいいや!! なっ、なっ、そうしろよ。」(M 横から俺に向かって)
「あ、あの、・・・それはちょっと・・。」
「どうですか? 正式に自衛隊幹部になっては・・・。」
「でもそれは・・・。無理ですよ。」
「それ、キマリだよ。ひとりくらい そおいうのがいてもいいよ。」(M)
「なに無責任なこと言ってんだよ。俺そんなつもりでここに来たんじゃないよ。」(俺、Mに向かって)
「でも、考えてみてもいいだろ?」(M)
『マジに考えるか、ばかめ。』(俺、腹の中で)
「ここで胃潰瘍が出るくらいですから・・」と断わった。
話題は他に移って行った。単なる冗談で終ってしまったけれど、しかし、その時の校長の目はマジだったという感じがする。あの時O.K.していたら俺の人生はどうなっていただろう。これが、本当の人生の転期だったのかも知れない。或いは海上自衛隊は偉大な提督の誕生のチャンスを逃したのかも知れない。
もうひとつ予期せぬミーティングがあった。
江田島最後の夜だった。突然「幹事付」の竹内2尉が我々の自習している教室を訪れた。こういう時は大抵御小言かビンタが待っているのが普通だった。その日は違った。幹事付のふたりが 我々のサヨナラ・パーティーを催してくれたのだ。彼らの居室は玄関ホール二階のすぐ脇にある一見物置風の小部屋だった。部屋の中は狭いながらもきちんとしていて 本がいっぱいだ。彼らとて猛烈に勉強していることを知らされた。
きびしかった彼らも一介の若者に戻って酒を飲んだ。料理なんか何もない。するめとピーナッツだけのつまみに「サントリー・レッド」しかも大瓶だった。
彼らは我々に辞められると困るので おおいに手加減したんだそうである。そんな苦労も知らずに ひたすらゴメンナサイのひとことだった。我々を無事に送り出すことが出来そうでてほっとしている、とも言っていた。彼らは今の候補生が卒業して 訓練のための遠洋航海が終るまでつき合うのだそうだ。頼りになる兄貴分だったのだ。 熱い夜だったので殆ど上半身裸で飲んだ。明日はもう訓練は無い。娑婆だ、シャバダ、シャバドゥビィヤと飲んだ。
胃潰瘍の事はすっかり忘れていた。
いよいよ、江田島最後の日が来た。海上自衛隊らしく卒業生は正門である桟橋からランチ(内火艇)でサヨナラするのだ。たった1カ月の物見遊山の訓練であったが、だらけきっていた精神と肉体にはとてもいい刺激だった。もっとも、そう思えたのはずっと後になってからで、その日の感想は やっとシャバに戻ることができる安堵感でいっぱいだったのだ。
ともあれ、密度の濃い1カ月を過ごした所を去るにあたって、多少の感慨が無いでもなかった。卒業の日も江田島は快晴で真っ青な空と白い地面がまぶしかった。校舎から正門桟橋につづく道には あと9カ月もの間ここに留まっていなければならないかわいそうな在校生一同が並んで見送ってくれた。桟橋のたもとで教官に敬礼してランチに乗り込んだ。
ランチが動き出すと突然 岸壁で「帽振れーっ!」の号令がかかった。振り返ると百人余りの在校生が岸壁に横一列に並んで一斉に制帽を高く振っている。
感動的なシーンだ。青い空、緑の松林、その向こうにレンガ造りの校舎、その上には古鷹山のこんもりとした姿、岸壁に釣り下げられているグレイの短艇、そして白い制服の列、波立つ帽子の白いうねり。なにか口々に叫んでいる。罵声も混じっていた事だろう。一緒に酒を飲んだ奴、ケンカした奴、朝起こしてくれた奴、ホームシックになって辞めようかと愚痴をこぼしていた奴、もう遠すぎて区別がつかない。
我々4人も立ち上がり、帽子を高く振った。
「ありがとーっ!」「頑張れよーっ!」「さよならーっ!」「元気でなーっ!」
ランチは速度をあげ、白い隊列は搖れながら小さく 小さくなってゆく。
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