紅白歌合戦からみる社会学序説
 年の瀬恒例の紅白歌合戦の出場歌手が発表された。そしてまた近年の恒例となった「出場辞退」の嵐と、「紅白の地位低下」が叫ばれて、また時が過ぎていく…。しかし、「紅白」の衰退は今にはじまったことなのかと考えると、簡単には首肯できない。一体いつからだろう。

小生の手許に「紅白歌合戦の歴代視聴率表」(ビデオリサーチ調べ・関東地区)があるが、視聴率調査開始の1962年が80.4%、昨年の紅白(第2部)が50.8%、歴代の最高視聴率は1963年の81.4%である。この視聴率の歴史を紐解いていくと、ある大転換点があることに気づく。それは1985年、昭和60年である。前述の1963年以来約20年間、75%を前後に安定してきた視聴率は、前年(1984)の78.1%から66.0%に12ポイントも落ち込んだのだ。戦後40年目のこの年、『プラザ合意』でアメリカは日本に頭を下げて円高誘導を乞い、日本が世界一の経済大国となる。それは同時にアメリカに追いつけという国家的目標の喪失した瞬間だった。奇しくもこの年を境に視聴率が60%を越えることはなくなり、経済はバブルを謳歌し、そして崩壊した。

「紅白」は「発展途上国・日本」の文化だったのではないだろうか。この数字を見る限り、本当の意味では昭和60年(1985)で「紅白」は終焉を迎えているのだと小生は感じる。小生自身が見てきた「紅白」は、その残滓であったということだろう。確かに、「仮面ライダー」事件(1986)や、かつて「長髪」を理由に選考からはずしたGroup Soundsスパイダースの元メンバーである堺正章を司会に起用した(1991)時点で、「権威」はなかったわけである。ここ数回とみに目に付く出場歌手の歌詞間違いやカンペの横行などは痛々しいくらいである。逆に言えば、形を変えずに何でも取り込んで生き延びていくという点では、最も日本的な番組かもしれないが

いずれにしても、すでに「紅白」はフツウの番組であって、夏に某局が莫大な予算をかけた揃いのTシャツを着て、子供に小遣いを募金させる番組や、春秋の改変期にタレント集めて大騒ぎして赤坂の道路でマラソンやる番組などと、恒例イベント番組という意味では大差がない。誰が出て誰が出なくても大騒ぎするほどのものでないであろう。

なぜ「紅白」がかつて求心力を持ちながら、それを失っていったのかを考えていくとき、様々な社会学的なアプローチが可能である。家族揃って茶の間でテレビを見るかたちから、一人一台の個別化傾向に変化するなどテレビ視聴の多様化が起こったことは、「家族社会学」「メディア文化社会学」であり、音楽界では、様々なブームが訪れては去り「演歌」と「J-POP」(双方定義が不明確なので敢えて括弧つきにした。)のシェア格差の広がりが現実として残ったことは、「音楽社会学」「流行の社会学」からの分析が可能であろう。辞退組が続出するなかで、「紅白」を重要に位置付けているアーティストは沖縄勢である。この暮れの「紅白」にも安室奈美恵、MAX、DAPANPが出場する。とくに安室は「紅白」を最後に産休に入り、「紅白」で復帰した。このような動きの背景には、沖縄に残る家族・地域共同体文化が大きく影響しているであろうことが容易に考察される。これも「地域社会学」「文化人類学」のフィールドに含まれるだろう。

このように、時代と社会の変化の過程が「紅白」の歴史に投影されているということがよくわかる。「紅白」を社会学することは、戦後日本社会を側面から分析する有力なツールになることの証左でもあるのである。