ミニ旅行記
社会学の舞台を訪ねて
この夏(2002年)、勤務のまとまった休みが取れたため、東北を旅行する計画を立てた。そのコース選定の際、ある場所に寄ってみようと思いたった。幸いその近くには温泉があり、体を休めつつ、読書や執筆に励めることができればと、行ってみることにしたのだ。その場所とは、岩手県岩手郡安代町大字石神 である。なぜここが社会学の舞台なのかというと、日本を代表する社会学者の一人、有賀喜左衛門(あるが・きざえもん)が昭和初期、調査研究の舞台としたところがここ、石神地区(当時は二戸郡荒沢村石神)なのである。その研究は『大家族制度と名子制度』(1939)として公刊され、農家同族団等の研究の古典になっているのである。
JR花輪線・鹿角花輪から雨は本降りになり、荒屋新町駅についてもその雨は変わらなかった。駅前にはタクシーが一台のみ。初老のドライバーに来意を告げた。年に何件かそういう石神へのリクエストがあるらしい。車は鹿角街道を一旦北上したあと津軽街道に分岐し、二戸方面へ進む。今年は格別雨が多いとの話である。途中東北自動車道をアンダークロスして山の中へ、ここ安代は東北道と八戸道が分岐する安代ジャンクションがあり、現在も交通の要衝である。そして視界の中の田の面積が少なくなり、山が迫ってくると、斜面にはタバコ畑が多く見えてくる。駅から約5、6kmくらいで不意に車が右折すると、道幅が狭く急な坂道を上りはじめた。「ここからが石神です。」やや高台にあるという。意外な感じがした。雨がますます強くなり、外に出られそうもないので徐行してもらって写真をとることにした。それが以下の写真である。
↑:赤い鳥居は山神社?の入り口かと思われる
↑:今も残るかやぶきの旧家・しかし現在住んでいるのは1軒のみという。
↑:石神の「オオヤ」
石神は「大屋」と呼ばれる総本家が旧南部藩士で帰農し、寛永年間に開墾して以来、親族分家のほかに、奉公人分家(名子)をだしてきた。名子は大屋の所有地に家を建ててもらい、耕地を分けてもらい独立する。名子に次三男が生まれると、大屋に召使として奉公し、35前後になると、「エーヲモタセル」ということで名子分家ができるという「生活保障」システムを有賀は調査したのである。しかし、戦後は農地改革等によって大きく変化したが、現在でも形こそ変わったが名子と大屋の交流はあるとのことだ。
徐行で数分進むと「もうこの先からは隣の部落です」とのこと、そこで引きかえしてもう一度石神を回った後、県道を駅方向に戻り、今日の宿泊地、「新安比温泉」に到着し、短いながらの石神訪問を終えた。