落書き1万回、被害届100通、不起訴

 10月12日付毎日新聞東京版の「落書きにNO!」によると、アルファベットを崩したような自らのマークを書きつける「タギング」と呼ばれる行為を1万回ほど重ねた青年が警察で聴取され、およそ100通の被害届の束をたたきつけられたが起訴はされず、署員の指導で自分の落書きをシンナーで消しに行ったとある。1回の反戦落書きが1通の被害届け(しかも警察が用意して区職員にサインさせた)によって即起訴されたことに比べると、扱い方に天と地ほどの差がある。これは「法の下の平等」に明らかに反する。

 なぜこのような極端な差別が起こりうるのか。それは、地域警察と国家政治警察という、日本の警察機構の二重性に基づくものである。上記「タギング」記事に登場する警察は前者で、そこでは警察はホームドラマや、あるいは毎日新聞夕刊の連載マンガ『ウチの場合は』にでも登場しそうな、思いやりのある「おまわりさん」の顔をしている。そういう「おまわりさん」にしか接したことがなくて後者をほとんど知らない人は、素朴に尋ねる。「どうしてそんなに警察を嫌うの?」

 さて、1945年以前の特高警察の流れを汲み、現在は警視庁および各道府県警察公安部・課等に分属する国家政治警察要員たちのほうでも、政治には選挙投票でしか関わらない人びとや、そういう「善良な」市民を困らせる名前タグ落書き常習青年などには用がないのである。だがひとたび政府方針に異議を唱える直接行動を見つけるや、彼らは行楽弁当を狙うトビのように飛んでやって来る。そしてデモの過剰警備に抗議した人を「公務執行妨害」で、公共の場で政治集会のビラを配布しようとした人を「建造物侵入」で、労働組合旗を電柱に結わえ付けた人を「軽犯罪法違反」で逮捕する。逮捕後はすかさず家宅捜索を行う。だがこの種の権力行使の多くは政府批判的運動勢力に対する威力偵察兼いやがらせに過ぎず、あからさまな職権濫用であり、口実となった「容疑」というのも起訴どころか逮捕の具体的理由すらはっきりさせられないようなものであるため、被疑者は起訴前の勾留期限(23日間)以内に釈放されるのが大半である。

 杉並の反戦落書きの件でも、慢性的に人員過剰でリストラの瀬戸際にある彼ら公務員が「反戦」と聞きつけて、「こっちに回せ!」と、飛びついたのだろう。彼らとしては、普段から100本の「マンション分譲中」や「新装開店」ノボリを無視して1本の組合旗を追い、10万枚のピンクチラシを無視して1枚の政治集会ビラを押収しているわけだから、それと同じように、1万回の名前タグ落書きを無視して1回の反戦落書きを指弾したことには何の不思議もない。

 折りしも「落書き」にとっては不利な社会状況にある。マスコミは反落書きキャンペーンを繰り広げ、多くの自治体が落書き禁止を含む安全美化条例なるものを制定しようとしている。「落書きは凶悪事件の始まり」などという「破れ窓理論」なるものが持ち上げられ、予防拘禁・懲罰のような人権侵害が公然と認められつつある。落書きをする者は未来の凶悪犯だからあらかじめ重罰を加えよ、というわけである。「未来殺人」の容疑者が事前に逮捕されるSF『マイノリティ・リポート』の恐るべき世界が現実のものになろうとしている。反戦落書きを起訴するにあたって国家政治警察・検察は、こうした社会状況を順風と判断したのだろう。

(2003.10.24)
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