Hegt of Yamate 254


  横浜・山手にある服飾資料博物館<岩崎ミュージアム>の関連情報を紹介しています。



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横浜山手ヘフト祭 資料・写真寄稿のお願い

 1971年(昭和46年)より開催されてまいりました「ヘフト祭」も今年で40周年を迎えることとなりました。ひとえに皆様の暖かなご支援のたまものと、実行委員一同心より感謝の意を申し上げます。

 第1回から第9回までは横浜市イギリス館で開催され、第10回より、岩崎ミュージアム内における山手ゲーテ座で開催され現在にいたっております。40年にわたる長き道のりを形として残していきたいと思い、記念のパンフレットを作成いたしたく存じます。

 つきましては、「ヘフト祭に関する資料(写真や新聞記事など)」や同時代の演劇や音楽、山手地域に関するものなどを、もしお持ちでございましたら、下記事務局までご一報頂戴できればと存じます。

横浜山手ヘフト祭実行委員会
(社)横浜演劇研究所
横浜交響楽団
岩崎博物館(ゲーテ座記念)

連絡先(横浜山手ヘフト祭事務局
岩崎ミュージアム内
住所:〒231-0862 横浜市中区山手町254
TEL:045-623-2111
FAX:045-623-2257
e-mail:museum@iwasaki.ac.jp

担当:小川

ノールトフーク・ヘフトと横浜、山手、そしてゲーテ座

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 オランダ人ノールトフ-ク・ヘフト(M.J.B.Noordhoek Hegt 1821-1894)は、横浜のみならず日本の近代化に貢献した外国人の一人といえます。
 ヘフトはオランダの東部の町デルデンに生まれ、1860年代初頭に来日するまで商船の船長として各地
を往来していましたが、来日後はその経験を生かして一般商品のほかに船具や弾薬なども扱う問屋と小
売の「ヘフト商会」を居留地30番に開き、結構繁盛していたようです。
 開港当時、遠く祖国を離れて、日本にやってきた居留外国人達は、満足な娯楽施設も社交場もなく、
無聊をかこっていました。やがて彼らはアマチュア劇団を結成し、バーレスクやファースなどを上演し
て楽しむようになりました。それまでに借用していた中国劇場が、色々な点で不便となったので、ヘフ
トに劇場建設の相談を持ちかけたところ、劇場として経営していけなくなった場合には、倉庫などの用
途にも使えることのできるよう、予め建物を設計しておくという条件付きで、劇場を建てることに応じ
たといわれています。
 かくして1870(明治3)年12月6日、本町通りに面した68番(現在の中区山下町68番地、谷戸橋交差点中華街側) に「ゲ- テ座(GaietyTheatre)」が開場しました。アマチュア劇団は賃貸料を払ってこの劇場を運営利用していきます。本町通りの「ゲーテ座」を建設したヘフトは、他方面でも活躍しています。
 元町と山手を結ぶ坂の1つ「代官坂」は、居留外国人の間では「ヘフト坂」と呼ばれていました。ヘフトの所有地から元町へは抜ける道がなく、付近の人々も谷戸坂か地蔵坂まで遠回りをするなど、大変不便な思いをしていました。そこでヘフトは道を作る許可を得て自分の土地を削って坂を作り上げたために付けられた名です。
 またヘフトは、ビールの醸造会社を山手に作ったり、消防活動にも情熱を傾けました。居留地であれ日本人町であれ火事が起きると積極的に協力活躍する一方、自ら輸入し、いつも自分の家に置いていた1台の消防車を消防隊に貸し出したりしました。1866(慶応2)年11月26日の大火、いわゆる「豚屋火事」の際にも消火活動に貢献し、感謝状を贈られています。他にもオランダ領事裁判所の陪席判事や、居留地の自治組織にオランダ代表の1人として委員に選ばれたりしています。
 彼はこのように、単に商人として利益をあげることだけでなく、利潤を有益に使う術も心得ていたようです。
 1875年頃に一旦オランダに帰国し、間もなく横浜に戻り、1894(明治27)年5月21日に72歳で亡くなり、夫人と娘ともども山手の外国人墓地に埋葬されています。
 アマチュアも含め、横浜の演劇や演奏活動が盛んになるにつれ、本町通りゲ-テ座が手狭になってきた
ため、自分たちの劇場を建てようということになり、1885(明治18)年の春「パブリックホ-ル」(後の
「山手ゲ-テ座」)が山手256番及び257番に開場しました。当時の敷地は、現在の山手町254番地・港の見える丘公園から外国人墓地に向かって、中間の左側に位置しており、現:岩崎ミュ-ジアム【正式名称/岩崎博物館(ゲーテ座記念)昭和55年開場】はこのゲ-テ座にその名の由来があります。(パブリックホ-ル/ゲ-テ座はその後、関東大震災で崩壊し、当時の資料の大部分が消失してしまいました。)
 また、本町通りの「ゲーテ座」は山手の「ゲ-テ座」が完成したあと、しばらく開場していましたが、
やがて閉鎖されました。

【出典/升本匡彦著「横浜ゲ-テ座」第二版】