Yamate254

横浜・山手にある服飾資料博物館<岩崎ミュージアム>スタッフによる情報告知用HPです。

プロフィール

1964年 川崎市に生まれる。1990年 和光大学人文学部芸術学科卒業。現在、横浜市鶴見区在住。スケッチ40%を主催。舞台美術の制作を皮切りに、抽象具象、平面立体を問わずジャンルをクロスオーバーしながら制作活動を行っている。…その為、「専門は?」と問われるのが一番の弱み。近年はこの岩崎ミュージアムをはじめ、川崎市市民ミュージアム、郡山市立美術館、いわき市立美術館などでワークショップの講師を数多くつとめるほか、横浜市教育文化プログラムの一環で、小学校への出前造形教室を行い、美術の楽しさを広める活動にも力を入れている。

COLUMN 2019

 Sem saber…知らずに…

山手公園

2019年4月

 
今朝の日記の書き出しは、
Parecia que tomei as medidas da alergia de pólen sem saber.。〈注1〉
毎朝5時半に起きて一度アトリエに行き、雨戸を開けたり、お湯を沸かしたりしながら、ポルトガル語で…だいたい30分くらいだろうか、日記をつけている。もうかれこれ7年くらいになる…われながらよく続いているものだと…。
 
何かを学ぶ時にはアウトプットが効果的なのだという。ぼくらはどうしても受験の呪縛から逃れられずに勉強といえば覚えること、つまりインプットすることだと思いがちだ。でも実際は語学でもなんでも作文を書いたり手紙を書いたりして自分の意思を伝えてあげることの方が大事だったりする。
ポルトガル文化センター〈注2〉でポルトガル語を教わっていた頃、授業の始めにひとり5分間何か話題を決めて話さなければならなかった。いま思うとそれが何より得難い勉強になった。もちろん次の授業までの1週間は原稿作りに追われてかなり大変だったのだけれども、辞書を首っ引きで何回も推敲し書き直していくうちに、リズムが整い自然とポルトガル語らしくなって行くのを実感できたから。
 
かなり酷かった花粉症が昨年くらいから嘘のように軽くなった。
ポルトガル文化センターへ通っていた頃は花粉の最盛期になると、寝起きからすでに体が怠くてその日に話す原稿は用意しつつも家の外に出るのさえままならず、「今日は花粉でダメです、お休みします」と連絡をするのが常だったのに。
ところが…。
理由はよく分からない。
3年ほど前から妻に言われて渋々飲み始めたサプリメントが効果を発揮し始めたからなのか、はたまた新たに処方されたビラノアという薬がぼくに合っているからなのか、それとも先月のこのコラムで急性腸炎で動けなくなった話を書いたけど、それ以来食べ過ぎに細心の注意を払って来たのが良いからなのか、どれが本当に効いているのかがいまいち分からないのだけれど、毎年桜が咲き始める直前に強く感じていた物憂さや倦怠感がいまは無くなりスッキリしている。
そんなことを考えながらこの原稿を書きはじめたところ、思わずつけたテレビで、イギリスに「鼻バリア」というものがあって、それがとても効果があると。〈注3〉
そもそも花粉症の由来はいまから200年前のイギリスでHay fever(干し草熱/枯草熱)と呼ばれ始めたものだ。〈注4〉
花粉症は鼻に入った花粉のアレルゲンが鼻の粘膜に炎症を引起こすことで起こる。ぼくらがマスクをするのはその花粉を阻止するため。ところが…マスクをせずとも鼻の入り口付近にワセリンを少量塗ることで、ワセリンに含まれる油分が花粉を鼻の手前でキャッチしてアレルゲンの侵入を未然に防いでくれるらしい。それをイギリスでは「鼻バリア」と言うのだそうだ。
あっ、このところリップクリームの代わりにワセリンを使っていて、唇に塗るついでに鼻の下にも塗っていたからもしや!知らないうちに!これが効いていたのか⁈
そして、それに加えて日光浴が必要なのだと言う。〈注5〉
人間は紫外線に当たると体内にビタミンDが作られる。実はこのビタミンDが「免疫調整ホルモン」としてぼくらの免疫力を高めてくれているから当然免疫抗体反応の花粉によるアレルギー症状にも効果がある。
つまり…花粉を避けて家に引きこもっているのも考えものだということみたい。
ぼくは医者から通年性のアレルギーがあると言われていて、花粉の時期でなくてもなんとなく薬が手放せないのだが、不思議とポルトガルに行く時だけは大丈夫だったりする。やはりポルトガルの方が空気が綺麗だからかな?などと勝手にみんなに言いふらしていたのだけれど、考えてみれば、旅行中は戸外でまる一日スケッチをして、真っ黒に日焼けして帰ってくるわけだから、なんのことはないそれが良かっただけなんだ!
 

2019年4月7日 誕生日に 齋藤 眞紀

 
 
 
 
 
注1 Parecia que tomei as medidas da alergia de pólen sem saber. 知らずに花粉アレルギーの対策を取っていたようだ。
注2 Centro Cultural Português Tóquio 2017年秋に惜しまれながら閉校。
注3 『ためしてガッテン~今、ツラいあなたに!保存版 新発想の花粉症対策SP』2019年4月3日(水) (NHK)
注4 1873年にCharles H. BlackleyによりHay feverの原因が花粉であると断定され、Pollinosis(花粉症)と呼ばれるようになった…らしい。
注5 斎藤糧三著『病気を遠ざける!1日1回日光浴~日本人は知らないビタミンDの実力』(講談社+α新書)
 

モスクワ・トワイライト

吉浜橋

2019年3月

 
 
 Para mim, escrever um romance não é apenas escrever um livro como as pessoas aprendem nos cursos escritas.(Stefan Hertmans)〈注1〉
 私にとって、小説を書くことはただたんに文章の書き方教室で習うように本を書くことではない。
 
 昨晩降り始めた雨が今も続いている。実に3週間ぶりに降る本格的な雨なのだという。今日は雨のお陰でマスクが外せると思うと、随分と気が楽だ。〈注2〉
 
 2月も終わりに近付いたころお腹が悲鳴をあげ、半日ダウンをした。もともと父親に似て腸が丈夫な方ではない。日本酒を飲みすぎるとすぐ下痢をする。それでも若いうちはそれくらいで済んだ…が、いまは仕事が忙しいと時々ストライキを起こして動けなくなる。普段から節制を心掛けていれば良いものを…と思うのは後の祭りで、忙しいとつい酒量が増えて、お酒を飲むから多分食べ過ぎるのだろう。歳を重ね、ストレスに弱くなった。
 暮れから相続の手続きでいろいろと動かなければならなかった。役所はもちろん裁判所に金融機関、それに親戚へ何度か足を運んだ。
 伯母からの相続なので少しややこしい。司法書士さんに作ってもらった資料を見ると、こんなところまで遡る必要〈注3〉があるものなのかと呆れて返す言葉もない。
 もう27年も前のことだが、ぼくの父は相続で方々駆けずり回っているうちに白血病を発症し、祖父が他界してから僅か一年後に亡くなった。もちろん相続の所為と言い切れるはずもないが、やはり疲労と心労が病気の発症に拍車をかけたのだろうと、これをみても想像に難くない。父はぼくと違って何でも自分でやらないと気が済まない人だったから尚更だ。
 
 さて…つまりは言い訳なのだが…結局今月はスケッチに出かける頃合いでダウンしてしまい、絵は取材だけしてアトリエで描いた。
 風景を描くことは自分の記憶を再現することなので、現場で描くのがスケッチ、アトリエや家でするのは風景画とそう杓子定規に考えなくても良いんじゃないかとぼくは考えている。
逆に言えば記憶に基づかない絵なんてどこに価値があるのかとさえ思う。だから旅や景色への思いが強ければ強い方が良い。またそのために描く。描くという行為を通して記憶は加工されそしてより個人的なものへと昇華される。
 スケッチ旅行から帰ってきて、その時に撮った写真で描き直してみたりすると、もう一度旅を辿りなおすような錯覚に陥り、それなんかも存外悪くないぞと。
 もちろんスケッチを始めた頃は写真は一切撮らずに、ハガキサイズの水彩紙をたくさん鞄に詰め込みスナップショットがわりにひたすら描いた。それは今も続けていて、実際それが風景を掴み、記憶を逃さないための良いトレーニングになる(ている)。つまり…その蓄積がぼくにはあるので、写真からでも違和感なく現場の雰囲気を感じ取れる絵が描けるのだが、そのあたりをはなから勘違いしている人たちも多い。
 
 モスクワ・トワイライトは1984年に河合奈保子がリリースしたアルバム『さよなら物語』の8曲めに収められた歌の題名。作詞は売野雅勇、作曲は筒美京平。
 ヨーロッパの哀愁をテーマにしたコンセプトアルバム『さよなら物語』の中でも「モスクワ・トワイライト」は隠れた名曲として名高い…のだそうだ。確かに憂いを込め、さよならのロシア語を教えないでと歌うくだりなどは、ぼくも一聴の価値ありと思うのだが。〈注4〉
この曲を聴くと、ついショーン・コネリー主演で1990年に作られた『ロシア・ハウス』というスパイ映画を思い出してしまう。この映画の最初とラストに出てくるリスボンの港が何とも言えず、旧ソ連のモスクワと確か…EU加盟直後くらいの陽光華やぐリスボンとの落差が、実際の距離の隔たり以上のものを感じさせてとてもいいスパイスになっている。〈注5〉
                        

 2019年3月3日 雛祭りに 齋藤 眞紀

 
 



注1 Stefan Hertmans(1951~)ベルギーのヘントの生まれ。フランドル・ベルギーの作家。日本に紹介されていない(と思う)ので、それ以上はよくわかりません。
引用は、
https://www.publico.pt/2019/02/17/culturaipsilon/entrevista/stefan-hertmans-ha-culpa-arte-ha-culpa-onde-ha-beleza-perseguir-beleza-bom-1861621#gs.dsl7TeiZ
注2 2月28日のこと。
注3 戸籍謄本や除籍謄本。
注4 『さよなら物語』(1984年/日本コロンビア)明るく健康そうな彼女のイメージが良い意味で裏切られる。
注5 ロシア・ハウスThe Russia Hause』(1990年/MGM/アメリカ映画)ショーン・コネリー、ミシェル・ファイファー主演。原作はジョン・ル・カレの同名の小説から。

I did it my way.

新山下町

2019年2月

 
今日は珍しく朝から雨になった。〈注1〉
天気予報では雪の可能性もあるとのことだったが、外はそれ程寒くないし、この分ではおそらく雪にはならないだろう。数年前の大雪の後、慌てて近所のホームセンターでアルミ製の軽い雪かき用シャベルを買ったが、結局これは出番に恵まれずにアトリエの隅で埃をかぶったままでいる。もちろん…使わないで済むのならそれにこしたことはないのだけれど、冬にまるで雪が降らないのも、それはそれでまた寂しい。
時々子供の頃の話を書くと、それはただの懐古趣味だと揶揄する人がいる。昭和の日本にまだ残っていたものを懐かしがっているだけだと。実はぼく自身もその点に自信がない。自信はないけれど、子供の頃の大雪の記憶はいまだに色褪せず、良い思い出なのは間違いがない。
人間が人間らしく生きていくためには、情緒が必要だ(と思う)。冬場のひどく乾燥した部屋が適度な湿りけを欲するようにまたぼくらにも潤いが欠かせない。
スケッチをするようになり、街が所狭しとビルで埋め尽くされていくその様を見るにつけ、こちらが安心して身を置ける隙間がどこかに欲しかった。
「うー、寒い寒い!」と肩を窄めてゴミを出しに来たおばさんが、「こんなところ、描くとこないでしょ!」と言いながら、「あら、釣り船屋さんを描いているのね。へーあんた上手だね~。寒いから気をつけな。」と。
白黒映画に出てくる横丁のおかみさんがさも言いそうなセリフだが、ぼくを路地に向かわせる理由がこれなのかも?とも思う。
 
芸術家はみな時流に阿ねず自分の道を通すものだと誤解されている節がある。でももし…それはいまの世の中とても生き難いんじゃないだろうか…。
UAEで行われていたアジアカップの準決勝で日本に破れたイランのカルロス・ケイロス監督が退任の記者会見でフランク・シナトラの有名な歌を引き合いに出し、”I did it my way.”だったと。〈注2〉
wayは道とも仕方とも取れる。日本語の訳詞などでは格好良く、「私は私の道を歩んだ」と訳すことが多いようだが、彼が他のインタビューで、Não passam de moda nem que se seja maior do mundo.(たとえ世界の大半がそうであったとしてもやり方は変えられない。)と答えていたりするので、明らかに彼はやり方または方法のニュアンスで使っているものと思う。が…まあ、それはどうでもいい。
カルロス・ケイロスはモザンビーク出身のポルトガル人…というよりポルトガル国籍のモザンビークの人と言った方が良いか?
この微妙なニュアンスが影を落とすからか、それともポルトガル代表を率いたワールドカップ南アフリカ大会〈注3〉の直前にアンチドーピング機構の抜き打ち検査に腹を立てて妨害し、資格停止処分を喰らったりしたからなのか、選手を思ってのことだった割に、どうもポルトガル国内ではあまり受けがよろしくない。
É estigma quase político que existe desde a África do Sol.(南アフリカ大会から続くほぼ政治的な烙印だ。)
2度目のポルトガル代表監督を解任された後、イランの監督に就任したのは2011年。経済制裁下のイランという難しい土地で8年もの長い期間代表チームを率い、アジア最強と呼ばれるまでに育て上げたのだが、昨年のロシア大会では母国ポルトガルと予選リーグで大熱戦を演じながら、今度はVAR判定に異議を唱えてまた批判を受けた。〈注4〉
Chamaram-me arruaceiro, mas estava apenas a defender os interesse da minha equipa. Se fosse ao contrário os portugueses teriam feito o mesmo.(騒動を起こす人だと呼ばれた、ただ私は自分のチームの利益を守っただけなのに。もし逆の立場だったらポルトガル人達だって同じ事をしただろう。)〈注5〉
そんな彼の口から出たからこそ、”I did it my way.”という言葉に感銘を受けるのだ。
 
                             2019年2月6日 齋藤 眞紀


 
 


注11月31日のこと。ちなみにスケッチに出たのは1月29日。
注2 Carlos Queiroz (1953~)ルイス・フィーゴやルイ・コスタらを擁し、ポルトガルの黄金世代と呼ばれたU-20の代表チームをワールドユースで2大会連続の優勝へ導き、ポルトガルの代表監督を2度、ポルトガルの強豪スポルティング・リスボンやレアル・マドリード、日本の名古屋グランパスエイトなどの監督を歴任。2008年にはアレックス・ファーガソンの片腕としてマンチェスター・ユナイテッドのプレミアム・リーグとチャンピオンズリーグの二冠制覇に貢献した。レアル・マドリード在籍時は、銀河系と呼ばれたチームを率いながら4位の成績に終わり一年で解任されている。イランの後は、コロンビアの代表監督に就任することが既に決まっている。
注3 2010年
注4 PKやクリスティアーノ・ロナウドの肘打ちなどにまつわる判定を巡り物議を醸した。
注5 “A história da selecção não começou na Madeira com Cristiano Ronaldo” https://www.publico.pt/2018/06/27/desporto/entrevista/a-historia-da-seleccao-nao-comecou-na-madeira-com-cristiano-ronaldo-1836029

Nada de novo、portanto.〈注1〉

石川町2丁目

2019年1月

 
新しい年を迎えたが、普段と何も変わりがない。日の出前に起き出し、夢見ヶ崎の神社へ妻と歩いて初詣に行き、家に帰り雑煮を食べてしまうと、あちらは年賀状書きで忙しそうだが、こちらはやる事がなく手持ち無沙汰。結局アトリエで元旦から仕事をしている。
スケッチに出たのは正月2日の日。箱根を走る選手たちが高島町のガードをくぐり国道1号線を保土ヶ谷へ向かおうとしているちょうどその頃、ぼくを乗せた京浜東北線も横浜駅に着いた。
今年は5連覇を狙った青山学院が4区で遅れをとり、総合優勝を逃す波乱があった。原監督のレース後のコメントが振るっていて「進化を止めると退化する」のだそうだ。
確かに現状維持で良いと思うとついつい甘えが出るものだ。それは駅伝に限ったことでは無い気がする。
出掛ける前、何気無く回したチャンネル〈注2〉で、果たしてAIがコメディーを演じる事が出来るかどうかの議論になっていて、喧々諤々、AIには自分(人間のコメディアン)みたいに場の雰囲気を読み当意即妙な駆け引きなど出来ないだろう、いや出来るはず…。
残念ながら現状ではどちらもまだ「…だろう」の域を出ない話。ぼくが思うにこの議論の核心は、「肯定派も否定派も、AIに自分の仕事が取って代わられる恐れを根っこに持っているようだね」という司会進行役の教授のコメントだったのではないかと。
絵の世界では、昨秋AIが描いた《エドモンド・ベラミーの肖像》がオークションで落札され話題になったし、またレンブラントの新作なるものを既に描いていたり(作成したり?)もしていて、笑い話のようだが、いまはAI自体でさえ人間が描いたのかAIが描いたものなのかの見分けが付かないレベルにあるらしい。こちらは一歩進んで仮定の話ではなくなっている。〈注3、4〉
シンギュラリティ(Technological Singularity)という考え方がある。日本語にすると技術的特異点という。レイ・カーツワイルという人が2005年に書いた本がきっかけで世間に広まった。掻い摘んで言えば2045年ごろ「機械(人工知能)が人間を凌駕する」だろうということ(で良いだろうか)。〈注5〉
ただ、ロボット研究者達の中には、そんなのはナンセンスだと言う人もいて、実際のところどうなるかはまだ良く分からない。
 
石川町の駅から大丸谷坂を上ったところにあるイタリア山庭園の裏門は硬く閉ざされていた。時計を見るともうとっくに開園の時間が過ぎているというのに。…。そうか!今日は正月の2日だった。こちらは元旦から仕事をしていたので、つい世の中が正月休みだということを忘れていた…訳でも無いと思うが、ちょっと残念。
仕方なく公園脇の階段から表へ回り、しばらくうろうろして見つけたポイントがここ。いまは山手から富士山が綺麗に見える場所がめっきりと少なくなってしまい貴重だ。
ぼくら(人間)の目は、遠くにあるものでも印象が強ければ割と大きく感じるもの。だからといって正直にそう描いてしまうと遠近感が出ずに雰囲気を損ねることになりかねない。この場合も路地と富士山をどれくらいの割合でスケッチブックに描き込めば良いかがやはり難しかった。
苦労しつつも大体の構図を掴みペンで描き始めたころ、多分この辺りに住んでいるのだろう白人の4人家族が坂を上ってきて、小学1、2年生くらいの男の子が「ねえお母さん、こんなところで絵を描いているよ」と母親に言いながら、ぼくが眺めている方へと視線を走らせた途端、雪をかぶった真っ白い富士山に気が付き「wow」と歓声を上げた。それに釣られて今度は家族みんなが足を止めてどれどれと。内心…この近所の住人でさえ気がつかなかった景色を目敏く見つけたのだと思うと鼻が高かった。
彼らが富士山に魅入っていたのは、時間にしたらほんの数秒か数十秒のことだし、大してこちらの邪魔になった訳でもないのにすれ違いざまに「Sorry.」と声をかけてくれて、かえってこちらが恐縮する。
そのすぐ後、今度はおばあさんがひとりで寒そうに背中を丸めて坂を上ってきた。顔を上げて目礼すると、なんとご丁寧に「明けましておめでとうございます」と挨拶を返してくれる。
長年山手でスケッチをしているが、見ず知らずの人から明けましておめでとうございますと言われたのは多分初めてだろう。
ほんの些細なことかもしれないが、こんなエピソードと巡り合えるから、スケッチがやめられないのかもしれない。
                             2019年1月8日 齋藤 眞紀
 


注1 ナーダ・ド・ノーヴォ、ポルタント。「だから、何も変わらない。」
注2 『マイケル・サンデルの白熱教室』
注3 2018年10月、クリスティーズで4800万円超で落札された。
注4 レンブラントの新作は2016年の春、オランダ。こちらは3Dプリンターによるもの。
注5 Raymond Kurzweil 『The Singularity Is Near・When Human Transcend Biology』
翻訳は、『ポスト・ヒューマンの誕生 コンピュータが人類の知性を越えるとき』(NHK出版)