Yamate254

横浜・山手にある服飾資料博物館<岩崎ミュージアム>スタッフによる情報告知用HPです。

プロフィール

1964年 川崎市に生まれる。1990年 和光大学人文学部芸術学科卒業。現在、横浜市鶴見区在住。スケッチ40%を主催。舞台美術の制作を皮切りに、抽象具象、平面立体を問わずジャンルをクロスオーバーしながら制作活動を行っている。…その為、「専門は?」と問われるのが一番の弱み。近年はこの岩崎ミュージアムをはじめ、川崎市市民ミュージアム、郡山市立美術館、いわき市立美術館などでワークショップの講師を数多くつとめるほか、横浜市教育文化プログラムの一環で、小学校への出前造形教室を行い、美術の楽しさを広める活動にも力を入れている。

COLUMN 2018

梅雨のあとさき

岩埼ミュージアム

2018年6月 

 
 岩崎ミュージアムの隣に、瀟洒な建物が並ぶいまの山手にはおよそ不似合いな古い木造の家が、鬱蒼と茂る木々に隠れるようにあったのだが、ついに取り壊されて駐車場になるらしい。
 両隣が駐車場だなんて、想像しただけでも寒々しい。せめて生け垣でも植えてもらえないものだろうか?
 岩崎ミュージアムで夏の個展の打ち合わせをした後、横浜美術館まで歩いた。いま横浜美術館では、『ヌードー英国テートコレクションより』が開催されている。テートとは、テート・ブリテン、テート・モダン、テート・リバプール、テート・セント・アイヴスの4館で構成された、イギリスの近現代美術を中心にコレクションをしている美術館だ。
 横浜の展覧会はこのテートが国際巡回展として企画したもの。キュレーションはテートのエマ・チェンバースとシドニー・ニュー・サウスウエールズ美術館のジャスティン・バトン。
そもそもこの展覧会に興味を持ったきっかけは、油絵の生徒のひとりから、「ヌードを描く参考にしょうと思って行ったら、とてもがっかりした。先生、是非観て感想を聞かせてください」と言われたらかだった。
 結論を先に言おう。例えば、『○○◯コレクション展』などと銘打ち巷に氾濫している、どこそこかの美術館のコレクションをただ総花的に並べただけの展覧会と違い、ヌードを切り口に、19世紀以降のヨーロッパの美術が…というより個々のアーティストたちが、彼らが属する社会の性に対する無知と偏見、それに付随するステレオタイプを容赦なく暴き、そしていかに争ってきたかの、その歴史をつまびらかにしようという強い意図を感じさせる内容の濃い展覧会だとぼくは思う。
 一般に西洋絵画とヌードは切っても切れない関係にあると思われていて、古典絵画では歴史画や宗教画を描くために…つまり、ニンフやビーナス、サロメにクレオパトラ、そしてアダムやイブたちなどを描くのにヌードデッサンは必須だった。ヌードですぐ思い浮かべるのは…ティッツィアーノ、ジョルジョーネ、ルーベンス、アングルなどか?ベットに横になり、取り澄ました女性の顔が印象的だが、でも実際は…キリスト教が性に対してうるさかった(要するに禁欲的で不寛容だった)こともあり、絵画の中でのヌードの扱いはとてもセンシティブな問題だった。美は描いてもエロスはご法度。ヌードであって裸体ではない。詭弁にも思えるが実際、マネの『オランピア』やゴヤの『裸のマハ』が発表された当時、スキャンダルだと物議を醸したのは有名な話。
 彼らより大胆だったのはクールべ、女性の生殖器と腹部だけを描いた『世界の起源』という油絵まで描いてしまっている。
 いまようやくLGBTだの#Me Tooだとかが盛んに話題にされるようになったが、美術家たちはおよそ2世紀近くも前、そのことに触れることさえタブーだった時代からこの問題にアプローチしてきていたのだ。
 これ以上詳しくは書けないけど、こういう背景をきちんと踏まえてこの展覧会を見れば、これを企画したテートの意図がわかるというもの。
 ぼくが冒頭に挙げた文章は、ポルトガルのPUBLICOというニュースサイトに載っていたLGBTの記事の中からの抜粋で、Gosta de desfazer os estereótipos que se propagam como ervas daninhas. 意味は、「雑草のようにはびこるステレオタイプを壊す事が好き。」まさにこの展覧会にピッタリじゃないか。
                             2018年6月3日 齋藤 眞紀






『ヌードー英国テート・コレクション』展図録(横浜美術館/読売新聞東京本社)
『性の歴史Ⅰ~Ⅲ』ミシェル・フーコー/渡辺守章ほか訳(新潮社)
『ザ・ヌード 裸体芸術論-理想的形態の研究』ケネス・クラーク/高階秀爾・佐々木秀也訳(ちくま学芸文庫)
『イメージ Ways of Seeing 視覚とメディア』ジョン・バージャー/伊藤俊治訳(ちくま学芸文庫)
『エロティシズム』澁澤龍彦(中公文庫)
 

桜の頃に

元町厳島神社

2018年4月

 
ぼくの知らぬ間に冬が通り過ぎていた。
冬の間は満足に陽が差さないアトリエの庭にもようやく日差しが届きはじめ、猫の額ほどの庭に植えられた木々や草花は春の訪いを喜んでいる。
アトリエで冬を越した君子蘭、窓から見える椿や木蓮、雪に耐えたビオラ、それに勝手に生えてる雑草までもが元気いっぱいだ。そして巷では桜が満開を迎えようとしている。
天気予報によれば、今週半ばに気温が25度を超え、夏日になるかもしれないと言う。そういえば、こちらはようやくセーターを脱いだばかりなのに、久しぶりに出かけた街ではTシャツ姿の人も。季節とは、こんなにもせっかちなものだっただろうか?
この原稿が上梓される頃はおそらく、桜もその見ごろを終え、にぎやかだった街も落ち着きを取り戻していることだろう?
昔は、学校や公園、神社やお寺、工場の敷地など方々に桜の木があって、大仰にはしゃぐほどのものではなかったような気がするが…。
小学校では、裏庭の掃除当番を放っぽり出し、舞い散る桜吹雪の中、竹箒を振り回してチャンバラごっこをしたものだった。もちろんぼくらの頃の遠山の金さんは西郷輝彦だったけど、小学生だって定番の「この桜吹雪が見えね~か~~」くらいは知っていて、だから花見など、数える程しかしたことがない。
そう、花見に浮かれる世間を他所に、伯母の家のカレンダーは2月のまま…主人のいない古い木造家屋はひっそりと静まり返り、未だ、冷ややかな冬の空気に包まれている。
伯母の家で用事を足していると、時折鳴る古い柱時計だけが、あゝ、時間というものがあったのだと、このひと月の間ぼくの中で忘れかけていた懐かしい感覚を呼び覚ましてくれはするが、それさえも虚しく、今さっき時を告げた柱時計の、その音の残像が宙に吸い込まれ跡形もなくなると、部屋の中はまた、何事も無かったかのように再び、また元の静けさへと戻って行く。この家では時間を含むすべてがまるで空回りをしているかのようだ。
そう伯母の家ではあの日以来時間が止まったままなのだ。…そしてぼくもまた時間という感覚を失ったままでいる。
残念なことに、今月はこの話題の他に書く事がない。2月28日の水曜日の朝、デイサービスへ行くはずの伯母から電話がかかり、身体が痛くって動かせないからすぐ来てと。
アトリエの隣で、ヘルパーさんの助けを借りながら一人暮らしをしている大正生まれの伯母は、昨年の秋頃から体の衰えが目立つようになり、自宅で骨折するようになった。そして今度は肋骨を折って動けなくなってしまった。
仕事柄アトリエにいる時間が長いとはいえ、始終見守っているわけでもなく、もともと伯母のことは分からない事の方が多い。それにもう記憶があやふやなこともあって、なにがどうしてこうなったのかを説明できずに、だから伯母の身に何か事が起きるたび、こちらがその事情を飲み込むまでは雲をつかむようでとても大変なのだ。
例えば今回、肋骨が折れて痛いのだとわかったのが、1週間以上たってからだった。それもどうやら夜中にベットから落ちてのことらしい。
胸部骨折が厄介なのは、治療の施しようがなく、自然に痛みが引くのを待つしかない事。医は仁術などと言ったのは遥か昔で病院は、気休め程度の痛み止めを処方して、家に帰してしまう。
でも、それが問題だった。
肋骨を骨折して3週間が経ち、ようやく回復の兆しが見えはじめたある朝、また振り出しに戻った伯母の姿を目にすることになる。おそらくまたベットから落ちたのだろう。
流石に一からやり直すのは…こちらもすでに心身ともに限界にきているし…とても無理…さて…。
これを書いているいまは近所にある特養のショートステイでなんとか面倒を見てもらってはいるが…痛いからとほとんど食事も取ろうとせず、あちらも手を焼いている様子。はじめはその面倒をぼくが診ていたわけで、その難しさは痛いほどわかるけど…ショートステイ先で匙を投げられると、病院もダメ、介護施設でもダメとなり他に考えられる有効な手だてがない。
先日、伯母と仲の良い近所のおばさんが事情を察して、「程々にして、あんたは自分を大切にしなさい」と励ましてくれた。それで少し気持ちが楽になっている。
 
                2018年4月1日 エイプリールフールに…  齋藤 眞紀
 
 

 

薫風

山手本通り

2018年4月

 
山手の丘に吹く初夏の爽やかな風に木々が揺す振られ、さわさわと音を立てる葉擦れが心地よく耳に響く季節になりました。
ゴールデンウイークに入り、山手本通りも大変な賑わいをみせていて、ほんの少し歩くだけなのに随分と手間がかかります。
保育園の年長組さんに日系ブラジル人の子が新しく加わりました。彼女はまだ日本語がほとんど話せませんが、ぼくが「おはよう、宜しくね!」とポルトガル語で話しかけ手を差し出すと、少しはにかんだ様子でそれに応じてくれました。
絵を描くことは好きみたいで、とても上手にクレヨンで絵を描きます。授業の終わりに彼女の絵をクラスのみんなに見せると、「可愛い!」という声が上がりましたが、ぼくが「可愛いじゃ伝わらないよ、そういう時はQue bonita!(ク・ボニータ)というんんだよ」と教えてあげたら、クラス中Que bonita!の合唱になって、彼女はとても嬉しそうでした。
いま、小学校や中学校でも外国人の子供たちが増えているそうです。
うちの子たちは言葉が通じずとも身振りや手振りで一生懸命彼女をサポートしています。その様子はとても好感が持てました。きっとこの子達なら大人になっても臆せず言葉の壁を乗り越えていくことでしょう。
先日リキテックスの新しいアクリルガッシュの12色セットをもらいましたので、今日はその試し描き。アクリルガッシュが出始めた頃はなぜガッシュとアクリル絵具の合の子みたいなものが必要なのかもよくわかりませんでしたし、それに色が少し痩せているような気がしてあまり好きになれませんでした。
話が脱線しますが、最近は水性の油絵の具などというものもあり、それにもとんと合点がいきません。なぜなら油絵を描くときには溶き油(ペインティングオイル)の使い方が肝要なのであって、水を使ってしまったら何の意味もない…結局絵具メーカーが、それぞれの画材の持ち味をよくわかっていないからそういう中途半端なものを、ただ便利だというだけで、作り出してしまうのだと思います。
話を戻しましょう。ぼくはガッシュを好きでよく使います。透明水彩を無理強いして強い表現をするくらいなら、素直にこちらを使った方がいいと思っています。例えば19世紀の中頃にイギリスで活躍したラファエル前派の絵描き達も、透明水彩とガッシュを併用して見事な大作を制作していたりしますから。
ガッシュで抽象はよく描きますが、具象的な絵を描いたことが…実はあまりありません。ですから今日は戸惑いつつもあれこれ手探りしながら描きました。いつもと勝手が違いましたが、なんでも初めて取り組むときは楽しいものです。楽しいのですが…プロとして出来栄えを自慢できるレベルかというとそれはなかなか難しい。やはり習熟したものとそうでないものとでは差がありますから、その辺はご容赦ください。最も現場で描くスケッチは、いつもこんなものかもしれませんね?
時計が2時を回りそろそろ描き終えようかという頃、フェリスへ上がる階段を息を切らしながら登ってきたおじさんに、「こんにちは!」と声をかけられました。
話を聞くと、埼玉の越谷の方からわざわざ横浜まで絵を描きにきたとのこと。随分と遠くからとも思いますが、意外と遠足気分で楽しいのかもしれません。
休日はいつも絵を描くのか?と聞かれ、当たり障り無く「はい」と答えるか?それともこちらの素性を明かすかと、ちょっと返答に困りましたが、ここは正直にこれが仕事なので、今日は休みではないんですよと。
「あっこれは失礼しましたプロの絵描きさんでしたか!」
ちょうど、個展のDMを一枚だけ持っていたので、今週いっぱい銀座で個展をやってますから、お時間があればお出かけくださいとおじさんに渡したところ、齋藤眞紀さん…うんお名前に聞き覚えがありますと。
おいおいいつからそんなに有名になったかな?と思いましたが、まぁ…社交辞令でしょうし、そう言われてまんざら悪い気はしません。
 
 

2018年5月5日 端午の節句に 齋藤 眞紀

旅について

海蔵寺・鎌倉

2018年 3月

 
毎日絵を描いて暮らす、これは絵描きの理想かもしれないが、存外そう上手くいくものでもない。ところが、毎年ゴールデンウィークに銀座で個展があるばかりに、この時期だけは例外で、出かける用事はなるべく断り、アトリエにへばり付いて、外へ出ないものだから、人間も段々と無精になって、髭も剃らず、週に一度か二度、今日は教えに行かけなければならないと思う日に限り、朝寝床から抜け出すのがとても億劫で仕方がないのである。
個展の締切から逆算すると、年明け早々から仕事を始める必要があって、だから冬場の1月から3月まではとても忙しい。
まずは水彩とエスキース作り。ここで個展の大まかな骨格が見えてくる。見えたところで、油絵を描き始めるが、油絵の持ち味は勢いの良さにあり、南欧の眩ゆい日差しと黒い影の強烈なコントラストを再現するのに殊更向いていると思う。それに加えてごくありきたりな風景でもその勢いに任せれば絵にすることができ、概して風景は平凡な方が気持ちのこもった良い絵になるから、ぼくなぞは描いていて楽しくて仕方がない。
油絵はすでに9点仕上げた。それに描きかけが4点あって、まだ2~3点足すつもりでいる。欲張るのも大概にしないと、とは思うのだが、どうも描きたい気持ちを抑えることの方が難しそうだ。
水彩よりも油絵を描いている時の方が旅先での事どもを強く思い出す様子で、その上、吉田健一の『汽車旅の酒』という本を読んでいたものだから、描きながら無性に「旅がしたい」という気になっていて、多分9月までは仕事が詰まって出掛けられそうもなく、出掛けるとすれば秋の終わりか冬の初めだろうか?それも今年は長いのは無理。それならいっそ、取材を忘れてただただリスボンに居続けるのが良いかもしれず、リスボンという街は、朝起きると、自分がリスボンにいるのを強く感じさせてくれ、「そういうものがない町は、本当を言えば、町というものではない」のである、などと「もうこうなれば完全に旅行をしている気分になり」、油絵も「締め切りもあったものではない」。
言いそびれたが、今年は6月にスケッチツアーの引率でイタリアとスイスの湖水地方に行く。良いとか悪いとかの問題ではなく、これを旅とみなすのは少し微妙で、勿論現地で絵を描き、みんなんとわいわいやりながら酒を飲むことは楽しい。それに異論はないが、反面、仕事という日常を一緒に連れて歩くようなものでもあり、もし旅というものを定義するとして、それが「…1日でも、1週間でも我々を兎に角、その間だけ解放してくれるのが」旅であるのならば、やはり旅はひとりでしなければならないと思う。
ここまで読まれて、不思議な印象を持たれたことと思う。今日の文体は吉田健一風である。彼の文章はお世辞にもほめられたものでなく(と、ぼくは思う)、読むのにとても難渋し、何と数ページ読んで眠くなり読むのをやめにした人さえあるそうだ。「駅弁の旨さについて」というエッセイでは、駅弁のことはそっちのけで、日本料理とフランス料理の違いについて講釈した挙句に、イギリスの肉料理にただ焼くだけみたいなものが多いのは、肉がフランスのものより上手いからに違いなく、ただそれでは「一国の料理をなすに至らない」として、やっと最後に「駅弁などまずくて食えないというような通人の仲間入りを我々はしたくないものである」と結んでいる。こんな作文をテストで書いたらまず落第は間違いがない。ただし、そんな彼の文章がぼくは結構好きだったりする。
「何の用事もなしに旅に出るのが本当の旅だと前にも書いたことがあるが、折角、用事がない旅に出かけても、結局はひどく忙しい思いをさせて何にもならなくさせるのが名所旧跡である。極めて明快な一例として、鎌倉に旅行した場合を考えてみるといい。余り明快でそれ以上に、何もいう必要は無いだろうと思う。」
これで終わる。
                             2018年3月1日 齋藤 眞紀
 
 


注:引用はすべて、吉田健一著『汽車旅の酒』(中公文庫)から

 
王は退屈する

港の見える丘公園

2018年 2月

 
少しは生きる苦労というものがあった方がいいし、あまり平坦な道を歩まない方がいい。王たちがすべて思いのままだとすれば、気の毒なものだと思う。(アラン『幸福論』より)[注1]
 
月曜日の大雪で積もった雪が、まだ解けずに港の見える丘公園の花壇を覆っている。
どれくらい前だろうか?やはり雪が降った直後に山手へ絵を描きに来たことがある。その時は霧笛橋の下から大佛次郎記念館の裏手を見上げる構図で水彩とパステル色鉛筆とで描いた。水彩で着彩して紙の上の水分が乾ききらないうちにパステル色鉛筆を走らせると、クレヨンで描いた様な柔らかい表情になり、普段なら伸びやかな線を引くのに不向きなこの画材のこの描き方をぼくは好んでいる。
この時の絵は、春に予定していた個展のDMに使った。冬枯れの木立の隙間から大佛次郎記念館の裏側がこの角度で姿を見せるのはこの時期をおいて他にはない。冬ならではのとても貴重な景色だ。
この冬、日本列島は強い寒気に見舞われ、東京や横浜でも連日最高気温が10度に届かず、平年を下回る日が多い。アトリエの小さな庭には霜柱が立ち、ザクザクと踏みしめるたび、「貧乏の庭の広さの霜柱」(虚子)か…などと溜息ともつかない白い息を吐く。
ぼくが小学生のころは、真冬に立つ霜柱は風物詩みたいなもので至極当たり前のことだった。ぼくの家は学区の一番外れだったから、家を出るのが誰よりも早く、朝一緒に登校する近所の友達を待つ間によく霜柱を踏んで遊んでいたものだ。
そして同じように雪が降り、積もるのも珍しくなかった。冬場のこの時期には雪だるまや雪合戦をしょっちゅうしていたのをいまでもよく覚えている。「家々の灯るあはれや雪だるま」(水巴)夕方になり、庭や道端に残された雪だるまは実に淋しげだ。[注2]
先日、保育園で園児たちにそんな話をしていたら、20代の先生がここらへんでですか!とびっくりされていたので、そうか…東京に降る雪が珍しくなってそんなになるのかと。
朝の冷え込みが0度を下回る日のスケッチは流石に辛い。9時過ぎに家を出て10時ごろ山手に着いたとしても気温はまだ3度とか4度。しかも残った雪を渡り来る風は予想以上に冷たいもの。おそらく…実際の体感温度は0度に近いのでは…。もちろん十分に着込みはする。着込みはするがが、それでも座り込むのは3、40分が限界だろうか?だからこそ、なるべく慣れ親しんだ構図で手早く済ませようとは思うのだが、この時期は洋館などの補修や改修工事が多く、こちらの思惑が肩透かしを食うこともしばし。来るべき春に備えてのつもりなのだろう…が、こちらにしてみればあてが外れいい迷惑。そうなると、他に面白そうな風景を探さねばならない。ところが風景というものは少し視点を変えただけでガラリと様子が変化するもの。いくら慣れた山手の景色でも、やはり時間が必要だ。
昨日の夕刊に将棋の加藤一二三九段が、梅原龍三郎との飛車角落ちでの指導対局の折、手心を加え勝ちを譲ったのが後日バレてしまって怒られた事を書いていて、「加藤さんね。私はあなたが本気で付き合ってくれていると思っていた。この前の将棋で緩めたのは、意外だったし、正直言ってがっかりした。」と…。「思えば梅原先生は、桜島を描くために現地に1ヶ月ほど滞在された際に、納得できるものがなく、一点も持ち帰らなかったというエピソードの持ち主である。」。[注3]
冒頭に挙げたアランの【王は退屈する】と題されたエッセイはこんな文章で締めくくられていてる。「私は何人もの王を知っている。それは小さな王国の小さな国王たちだ。…中略…。神々は、退屈のあまり死んでしまったのでなければ、この家庭の平坦な王国の支配をあなたに命じないはずだ。けわしい山あいの道を通って導いてくれるはずだ。井戸のような眼と鉄床のような顔をもち、路上に自分の耳の影を見てもあわてず騒がずただちに立ちどまるような、アンダルシア産のよい騾馬を道づれとしてくださるはずだ。」[注4]

 
2018年2月2日 齋藤 眞紀
 

注1 アラン『幸福論』(串田孫一訳/白水社uブックス)

 
注2 高浜虚子・渡辺水巴
注3 東京新聞2月1日付夕刊『この道』加藤一二三 ※加藤九段は昨年現役を退かれた。
注4 アラン『幸福論』(串田孫一訳/白水社uブックス)

スケッチをする君に

山手本通り

2018年 1月


A:あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。
B:あけましておめでとうございます。早速で恐縮ですが、本年1回目のスケッチ月記です。
A:どれどれ…2 de janeiro, 2018(ドイス・デ・ジャネイロ、2018)
〈注1〉…へぇ~正月早々だ!
B:うん、とても静かでよかったよ。
A:『冬の華』
〈注2〉という映画で健さんが、刑務所から出所した後仮住まいしたマンションと山手十番館だね。
B:そう。この映画の事は前にも書いたけど、まだ猥雑さを色濃く残していた頃の横浜が丁寧に描かれていて懐かしかった。映画の舞台となった1970年代といえば、ぼくは子供だったから伊勢佐木町でも元町でも大人の街のような気がしてたし、もっと街自体にプライドがあったんじゃないかなぁ…。
A:今月の絵は、しっかり描きこんでるね。こういうの珍しくないかい?
B:寒いからね…。風も強かったし。
A:寒いとなんで?
B:だって、ゆっくり座ってられないじゃない。トイレだって近くなるし。だから、さっさとすませようとするだろ、そんな時は、とにかく”がー”と一気呵成に描かないと、寒さに負けちゃうんだよ。この絵で、多分…40分くらい。
A:どんなに寒くっても外で。
B:写真で済ませる人たちの絵って、どこか写真みたいで嫌なんだ。
A:それにしても、よく絵の具が乾いたね!
B:乾燥してるからかな?それはぼくにも予想外だった。でも、色に厚みがあるのは水彩色鉛筆が効いてるからだよ。絵の具が乾かないのを見越して持っていったから。強い絵になったのはそのせいさ。
A:なるほど、違う画材をミックスすると、表情がより豊かになるんだね。
B:よくスケッチ会の時でも、みんなに水彩だけじゃなくいろんな画材を試しなさいと言うんだけど、なかなか、実行に移す人は少ないね…。
A:なぜ?
B:描線だって、上手ければ筆圧の加減で表情に変化をつけることができるけど、普通はそんな芸当できないでしょ。だから何種類かペンの太さを使い分けて、線の質を変えなさいと。だけど…大体が…。
A:忘れちゃうんじゃない?
B:それもあるし、荷物が増えるのが嫌なんじゃないかな?
A:その気持ち分からなくはない。それにそこまで考える余裕が無いんだよきっと。どうしたらいいかわからないんだろう。
B:でもさあ、やってみなきゃ…下手な人間こそあの手この手いろんなことをして表現をごまかさない…いや助けないと絵にならないものだぜ。もし、自分は上手くないと自覚があるのだったら、その分手数をかけないとダメなのに…総じて淡白すぎるかな?かえって絵を壊しちゃうくらいでちょうどいい…、しくじるくらいが面白いんだよ。
A:そうか…いろいろと試行錯誤して試さないと…同じことをやり続けてもなかなかブレーク・スルーは生まれないのかもね?

  話は違うけど、スピードスケートの小平選手も、オランダに渡って〈怒った猫〉の姿勢だと、いままで日本で教わってきた常識と反対のことをオランダのコーチに言われたのがきっかけだったと話してるし、今年の箱根で、前評判の高くなかった東洋大学が往路優勝したのだって、ナイキのヴエイパーフライ4%〈注3〉とという、やはりこれまでの日本のマラソンシューズとは真逆の発想で作られた靴を普段の練習から取り入れてきたことがこの結果に大きく関与していると聞くよ。
B:ぼくも小平奈緒さんの記事はよく読んでて、はじめはえーと思ったらしいけど、このコーチが言う事だからじゃあやってみようと。そう言う意味では、ぼくのアドバイスが伝わらないのは、こちらに責任があるんだとは思うんだ。
A:それでも、スケッチ40%のメンバーは毎年腕をあげてるように思うけど…もう展覧会を10年以上続けていて、それでも停滞せず伸びてるのは素晴らしい。
B:それは、先生がダメでもスケッチ40%が良いチームだからだよ。
A:え?
B:スピードスケートの話と同じさ。小平選手だけではなく女子を中心に成果が上がっているのは、それまで各自バラバラにトレーニングしていたのを、全日本の代表チーム合同で一緒にトレーニングするようになったからだそうだよ。つまり…普段から高いレベルの負荷がかけられるようになったからだ。絵だって、スケート同様個人戦だけど、みんなが同じチームの一員だという自覚が大切なんじゃないかな…チームの力が個人の力を引き上げるんだ。それに一緒に切磋琢磨できる仲間がいるのは幸せなことだと思うしね。

 

2018年1月7日 七草に 斎藤 眞紀

 


注1 ポルトガル語で2018年1月2日
注2 『冬の華』監督降旗康男、脚本倉本聰、主演高倉健、製作東映、1978年6月17日公開。
注3 https://store.nike.com/jp/ja_jp/pd/ナイキ-ズーム-ヴェイパーフライ-4%-ユニセックス-ランニングシューズ/pid-11935473/pgid-12024783