


13時間のフライトをしのぎ、トルコ、アタテュルク空港のメタリックなベンチ
で一晩を明かし、さらに地中海を眼下に眺むこと7時間、2002年3月3日、
イベリア半島で、否ヨーロッパで、否、世界で最も華美で興に富む街バル
セロナへ降り立った僕はすでに疲労困憊だった。それでも僕は周囲に対し
て微塵の隙もみせてはいなかった。もとい野獣の牙を恐れる小動物のごと
くビビりまくっていた。この街はたしかに芸術の都だろう。だが同時にヨーロ
ッパで最強最悪の都市マドリッドと対をなす街なのだ。首絞め強盗来るな
ら来やがれ!地下鉄ホーム暗すぎるだろサンツ駅!お腹の貴重品袋をしっ
かりにぎりしめながら華やかなランブラス通りを少し脇に入ったYHに宿をと
る、15ユーロ(当時1700円くらい)で朝飯付、悪くない。というかはやく荷物
と貴重品の安全を確保したかった。
一息ついて早速だけど、今リーガ・エスパニョーラはシーズン真っ最中。FC
バロセロナはガラタサライの次くらいに好きだったりもする。そして今日は魅
惑の日曜日。レセプションのおっさんにドキドキしながら訊いてみる。“バルサ
の試合ってやってないの?” “あん、今日だ。ちょっと待て”と新聞を取り出
すおっさん。予想通りだぜい。バルセロナだからって、バルサじゃなくてエス
パニョ〜ルとかのサッカー見に行っても悲しいだけだし。しばらく新聞を眺めた
おっさんは、“ああ5時からだな”ってオイっ!もうそこの時計は五時半を指し
とるがな!!誤算だ。まさかそんな中途半端な時間からやるとはっ。あぁ残
念だったなぁ、などと納得できるわけもなく、とにかく地下鉄へダッシュ。怖ぇ
〜なんて言ってる場合じゃない。途中、ギター、アコーディオン、サックスのお
じさんトリオが乗ってきて次の駅まで演奏していく。拍手で迎える人、うるさそ
うに顔をしかめる人、興味深げに目をキラキラさせる子供、反応は様々だ。チ
ップを求めて車内を一通りまわって降りていった、と思ったら、疾風のごとく隣
の車両に駆け込み次の区間まで同じように演奏していた。彼らはこの路線を
日に何往復するのだろう。
たどり着いたカンプノウスタジアム。もう後半が始まっている。ゲートへ行っ
てみるがチケットは“Sold Out!”と一蹴される。ダフ屋の姿ももう見えない。
スタジアムの前には同じように中に入れない地元のバルセロニスタがちらほ
らと。突然、大地を震わすような怒号と歓声が腹に響く。こんなの今まで1回
しか聞いたことない。そしてなんともいえない表情を浮かべる周りのバルセロ
ニスタ。中で何が起こっているのかを我々は夢想する他に術はない。この忌
々しいゲートが、あの憧れだったカンプノウのスタジアムが、僕の前にピレネ
ーよりも高くそびえ立つ。トランジスタラジオが耳にくっついてしまっているオ
ジサンに聞いてみる。“バルサ、クワットロ(4点)” 最悪だ。ゴールラッシュ
だ。うちふるえるしかない。
後半も終わりに近づくとポツポツと頬を薄っすら紅潮させた人々が、あまり
に巨大すぎる箱から吐き出されてくる。彼らの表情から僕の心情はより複雑
なものとなる。そのヨーロッパ最大級の興奮が終幕するのを待たずに僕はカ
ンプノウスタジアムを後にした。熱狂が少し遠ざかっていくと、家をでてから機
内食2回しか食していなかったことに気づかされる。二人掛けの小さなテーブ
ルが二つだけ置いてあるピザ屋。チンしてもらったキノコのやつは全然おい
しくなかったが、店の兄ちゃんはわりといい奴だった。店内で、焼きたてには
程遠いそのピザをかじっていると、ラジオから聞こえてくるのは再びバルサの
ゴール報。結局5−1でマラガに完勝だとさ。バルセロニスタの波にもまれ地
下鉄乗って宿に帰る。年配の方の姿が多いのは気のせいか。
バルセロナの街は卒業旅行シーズンもあってか日本人が多かった。20人
部屋のYHも4人は日本人だった。そこへ隣のベッドの金髪兄ちゃんが帰っ
てくる。着ている服はバルサのユニホーム。“カンプノウ行ったの?” “ああ、
お前も?” “いや、チケットなくてスタジアムの前で音だけ聞いてた” “Oh、
そりゃまた。最高だったぜ。クライファートがハットトリックだろ。で、サビオラ
にコク” そんな高揚した彼の背中には“No9、Laudrup”。けっこう古いが
いいチョイスだ。なるほどちょっとうるさいが気さくな彼はデンマーク人だった。
ふと気がつくと、YHが面したレイ
アール広場には若かりしころのガ
ウディが設計した外灯が立ってい
た。いきなりバルサの試合を見逃し
滑り出しは最悪のはずだが、気分
は沈むことなく妙にウキウキしてく
る。スペイン、バルセロナ、まだ始
まったばっかだ。

