きっとこの想いは、あの頃から芽生え始めていたのだと思う。
初めて貴方と・・・上倉さんとお会いしたあの日から・・・。
愛車を故障させてしまい、路肩で途方に暮れていた私(わたくし)に、優しげな笑顔と共に声を掛けてくれたあの日から・・・。
心のどこかには、必ず貴方が存在するようになっていた。
そして、この学園で貴方と再開した時・・・柄にもなくこれは運命なのだと錯覚してしまうほど嬉しかった。
浮き足立つ私の心と比例するように、貴方と接する時間はどんどん増えて・・・。
私は、自らのこの想いをより確かなものへと変えていった。
貴方と一緒にいると、嬉しさが先立ち安らぐ心。
貴方が他の女性――鳳仙さんや桔梗先生と一緒に笑っているところを見ると、途端に落ち着かなくなり疼き始める心。
そして何より・・・貴方とずっと共にありたいと夢見る心。
それらに気付いて、尚も普段どおりに接するなんて、私には無理なことだった。
貴方の心を無粋に乱して・・・柳画伯の過去の傷に触れてしまった。
そうまでしても、貴方の心の傷を癒したかったから。
かつての大輔ちゃんのように、再び絵筆を取って欲しかったから。
すべては私のエゴだけれど・・・。
――貴方に、再び絵に対する情熱を思い出して欲しかったから。
「屋上・・・ですか?」
「はい。今の時間なら誰もいらっしゃらないと思いますし・・・あまり人には聞かれたくないお話ですもの」
「・・・承知しました。お供しましょう」
そして、貴方は再び筆を取る道を選んでくれた。
その決断には、どれ程の勇気が必要だっただろう。
信頼していた幼馴染の親友に最高傑作を盗られ、絵を描くことに絶望してしまった貴方が再び絵筆を取るまで、どれ程思い悩み、苦しんだのだろう。
それでも、貴方は勇気を示してくれた。
ならば今度は、私の勇気を示す番。
だから、クリスマスである今日、パーティーの途中で貴方を誘った。
上倉浩樹さん。
私――鷺ノ宮紗綾の想いを、貴方に伝えるために・・・。
Canvas2 SS
「心のキャンバス」
Written by 雅輝
”ギイッ”
屋上の重いドアを開けると、吹き抜ける寒風と共に大きな夕陽が目に映る。
予想通り屋上には誰もおらず、音と言えば中央に植えられている観葉植物たちが、風に揺れる音だけだった。
「それで、お話とは何でしょう?」
私の後ろに付いてきていた上倉さんの声に、ドキッとしながらも彼の方へと振り向く。
その顔はいつも通り穏やかで、少しずつ緊張も薄れていった。
「そ、それはですね・・・あの・・・」
「?」
目を瞑り、一度大きく息を吐いて、再度上倉さんに向き合う。
決心は・・・できた。
「・・・貴方に、お伝えしたいことがありまして・・・」
「伝えたい・・・こと」
「はい・・・一度しか言いませんわ」
周りの空気が、張り詰めたものに変わるのを肌で感じた。
心臓は未だにドキドキと音を立てているというのに、今はそれすらも心地良い。
私は上倉さんの目をしっかりと見つめ、言うべき言葉――伝えたい言葉を告げた。
「貴方が・・・好きです」
彼はその真剣な表情をほとんど崩さなかった。
今までの雰囲気で、既に気付いていたのかもしれない。
それでも、私は自分の想いの全てを打ち明けるように、言葉を続けた。
「迷いました・・・これって本当に私の気持ちなのかどうか・・・」
「あの時、貴方に助けていただいて・・・この学園で、再びお会いした」
武道館でちらりと彼の姿が見えた時、この心臓はどれほど高鳴ったことか。
もしかしたら見間違いかもしれない・・・そう思っても、やはり小さな奇跡を信じたい気持ちの方が大きかった。
「不思議とよく会い、よくお話をして、よく一緒にいるようになって・・・」
気が付けば、彼の隣にいる私。
それは私の方から美術準備室に赴いたり、彼の方から武道館に来てくださったりと様々だったけど・・・。
「これって、何か特別だと勘違いしてしまいそうですよね」
やはり、何かしらの縁があったのは確か。
言うなれば運命という、幻想的で不確かなもの。
それでもそれは、私の想いに拍車をかけるのには充分だった。
「それは、偶然の一致に過ぎないのでしょう。でも、いつからかそうあることに特別さを感じなくなりました・・・」
自然と彼に寄り添い、彼を求め、彼と一緒にいた。
それはもはや特別ではなくて、私の日常。
毎日毎日が輝いていた、私の幸せな日常だったから・・・。
「いつの間にか、貴方は私の心の中に居着いてしまった・・・」
「でなければ・・・私がこの前の現場に居合わせるようなことも無かったはずですわ」
この前・・・貴方が美術準備室にある一枚の絵画を見て、目を赤らめていたあの日。
私があの時、美術準備室に出向いた理由は――。
「理由なんてどうでもいい・・・心の中では飽き足らなくて・・・一目、会いたい。それだけで、足が向いてしまったのですから」
そう、ただそれだけ。
私は今まで恋というものをしたことが無かったけれど、これ程までに心が制御できなくなるものなのだろうか。
ただ心の奥底からの訴えに応じるがまま、理事会までもうあまり時間が無いというのに、いつの間にか準備室のドアをノックしていた。
「この想い・・・この気持ち。きっかけがどうであろうと、もう嘘じゃありません」
そこで一呼吸置いて、彼を見つめる。
私の頬にはいつの間にか冷たい雫が伝っていたけれど、今の私にそれを気にする余裕はなかった。
「・・・ありがとうございます。・・・一つ、よろしいですか?」
「はい・・・」
お礼の意味を計りかねるまま、彼の言葉に短く返す。
「なぜ・・・私が?」
上倉さんはそう訊いてきたけれど、その理由は多すぎてすぐには答えられなかった。
でも、一番の決定打となったのはやはり・・・。
「舞を舞ったあの日・・・貴方に描かれたあの絵を見た時ですわ」
モデルを頼まれ、キャンバスに掛けられていた布を纏い、この屋上で舞を舞って見せたあの日。
帰り際に準備室の方までキャンバスを運ぶ手伝いをしていた時、偶然にも見えてしまったまだ描きかけの自分の姿。
そこに描き出されていたものを見て、私の心は歓喜で溢れそうになった。
「あの演舞は全てが一つの流れのもの・・・おそらく描かれる方から見たら、何を描けばいいのか非常に難しいと思いますわ・・・」
「・・・・・・」
「でも、実は流れの中に埋もれて一見わからない、転機となる型があるんですの」
「あの演舞の中で最も私が気を遣う、前半と後半を結ぶ重要な型・・・」
一番重要なだけあって、演舞中の型で最も難しいとされる部分。
わかりにくいからこそ、埋もれているからこそ、より映える。
前半の型の終幕であり、後半の型の一歩目ともなるその型は、少し舞をかじった程度では存在すらわからない。
それを舞に関しては素人であるはずの彼が、流動するその一瞬を絵に捉えてくれた事が何よりも嬉しかった。
「そうでしたか・・・あれは自分の中でも、不思議と一番目に焼き付いたところでした」
「確かに見栄えだけ見れば、もっと映えるところはありましたが・・・それでも私には、あの絵に描いたところが一番だったんです」
「・・・ふふ」
彼の答えを聞き、私は思わず笑みを零してしまった。
ああ、この人で間違いないと・・・。
「私、思い込みが激しいからダメなんですの」
「え?」
「ただでさえ一緒にいる時間が多くて、心が揺らいでしまっていたのに・・・」
「私の心の中と同じものを描かれては、もうダメですわ」
「あの時は必死に気持ちを抑えましたが、もう我慢も限界です・・・」
「貴方が・・・大好きですの」
二度目となるこの台詞。
でも、何度言っても言い足りない。
何度言っても伝えきれない。
けれど、今はこれ以上言ってはこの場の雰囲気に似つかわしくないと思ったから・・・。
徐々に暗くなりつつ夕暮れの中、私は彼の言葉を静かに待った。
「私は・・・」
やがて、彼が口を開く。
「いえ、今は貴女の気持ちに応えるため、学園の理事長と教員という関係ではなく、男と女の関係として”俺”と呼ばせていただきます」
「・・・はい」
「俺は・・・いや、俺も、貴女のことはどこか気に掛けていたのだと思います」
「放課後になって暇になると、決まって貴女がいる武道館へと足を運んでいました」
「自分が顧問をしている部活すら満足に行っていない俺が、よもや他の部活の見学に行くなんて・・・ものぐさな俺には似合わない行動だと自嘲したりもしました」
「でも、やはりそれには理由があった。・・・気付くのが遅かったかもしれませんが」
「・・・え?」
意味深な彼の言葉に、私の胸の高鳴りはまた速くなった。
見つめてくる彼の視線に熱っぽいものを感じて、私もまたその瞳から目を逸らせなくて見つめ返す。
「・・・以前、貴女に絵のモデルを申し込んだ時。俺は何故そんな行動を取っているのか自分でも理解できなかった」
「実は俺、人物画はほとんど書いたことがなく、ほとんど風景画や静止画でした。・・・モデルを頼んだ人は、貴女が二人目です」
二人目・・・。
一人目の人物が気にならなかったと言えば嘘になるが、私にはだいたいその予想はついていた。
おそらく――。
「桔梗先生・・・ですか?」
「!・・・ええ、そうです。俺が描くのは、先にも後にもあいつだけ・・・なはずでした」
「・・・」
その言葉の裏に見え隠れする、彼の桔梗先生への想い。
もしかしたらもう過去形なのかもしれないけれど、それでも私の心は少し沈んだ。
「別に人物画が嫌いだというわけではありません。霧を描いている時はやはりそれなりに楽しかったですし、それこそ彼女に関すれば何百枚と描いてきました」
「ただ・・・今までモデルを頼んでまで、本気で描きたいと思える人がいなかったんです」
「理事長代理――いえ、鷺ノ宮さん。貴女に出会うまでは・・・」
その言葉と眼差しは、私の胸はどうしようもなく熱くさせた。
おそらく今の私の顔は、真っ赤になっていることだろう。
それでも決して俯かず、ただ彼の顔を見つめ返して言葉を待つ。
「最初に会った時は、単純に綺麗な方だと思いました」
「ジャガーの横に佇む美女・・・それだけで見惚れるほどに」
「しかしこの学園で出会い、貴女という人物を知り、優しさや可愛らしさに触れ、気付くと貴女を求めていた」
「貴女は俺に言ってくれましたよね。「理由なんてどうでもいい・・・心の中では飽き足らなくて・・・一目、会いたい。それだけで、足が向いてしまったのですから」と・・・」
「それは、俺も同じだったのかもしれません」
「そ、それって・・・」
「・・・俺もただ、貴女を一目見たくて、武道館に足を運んでいたのだと思います」
「俺も・・・貴女の事が、好きです」
「――っ」
・・・ドクンと、また心臓が大きく跳ねあがった。
そして一呼吸置くように視線を空へと転じた彼は、そのまま言葉を続ける。
「でも・・・俺のこの想いが、貴女の俺に対する想いほど大きいものだと、言い切れないんです」
「・・・え?」
「先程の貴女の言葉のひとつひとつに、俺は胸が一杯になりました。でも、俺の想いは果たして貴女につり合うのか・・・そんなことを、考えてしまうんです」
「っ、そんなこと――」
「でも」
ない・・・と言おうとした私の台詞を遮り、彼がまた視線を戻し私を見つめてくる。
それだけで、何も言葉を紡げなくなった私。
そして、次に彼が紡ぐ言葉は、私にとって一生忘れられないものになる。
――「俺は貴女を描きたい。ずっと一緒にいて、貴女の全てを描ききってみたい」――
「そんな答えでは、いけませんか?」
「・・・」
彼の言葉に、私は無言でフルフルと何度も首を振った。
一度閉じた瞳からは、止め処なく涙が溢れてきた。
「そんなこと・・・ありませんわ。私も、ずっと貴方の傍にいたい・・・。ずっと、貴方に描かれていたいですわ」
「鷺ノ宮さん・・・」
「紗綾・・・と呼んでくださいませ」
「・・・紗綾」
「はい」
「・・・愛してる」
「私もです・・・浩樹さん」
感極まって、そのまま彼に抱きつく。
それでも彼は、優しく私を包むように抱きしめてくれて・・・。
「あ・・・」
そっと、流れ続ける涙を拭ってくれて・・・。
「浩樹さ・・・んっ・・・」
唇が、塞がれる。
激しく熱く・・・それでいて優しいキスで、いつまでも・・・。
「そろそろ帰りましょうか?」
「・・・はい」
ずっと彼の腕の中にいた私は、辺りを見回して掛けてきた彼の言葉に、名残惜しみながらも返事をする。
もうすっかり陽は落ちており、随分と長い間この屋上に居たのだということを実感させられる。
「・・・ちょっと、美術室に寄っていってもいいですか?」
「? ええ、構いませんけど・・・」
屋上から続く階段の途中、彼の言葉の真意はよく掴めなかったがとりあえず了承する。
と、そんな私に気付いたのか、彼が説明するように付け足した。
「とりあえず、前に描いた舞を舞っている姿を完成させようと思いまして・・・持って帰って続きを描こうかと」
「あ・・・」
少し照れくさそうに笑う彼に、また見惚れてしまう私。
「それが終わったら、また新しい絵を描きたいと思うのですが・・・お願いできますか?」
「・・・はい。だって私は、貴方の専属モデルですもの♪」
これからどれほど時が経とうとも・・・。
きっと私は貴方のキャンバスの前に立って、そして貴方はそんな私を描いてくれるのだろう。
私はもう、貴方から離れられない。
――だって私の心のキャンバスは、もう既に貴方色に染められているのだから・・・。
後書き
はい、70000HITリクエスト作品でした〜^^
今回は橘 正人さんのリクエストで、Canvas2の鷺ノ宮紗綾嬢の挑戦しました。
ベースとなる部分は本編のクリスマスパーティー当日。紗綾が屋上で浩樹に告白するシーンです。
本編では浩樹が返事を濁しますが、当SSではアレンジして浩樹がOKするという話に持っていきました。
少々強引な感も無くはないのですが、まあそこは大目に見てやってください^^;
そしてストーリーは紗綾視点で進めました。
正直言って難しかった・・・普段が敬語のキャラの視点は、どうしてもおかしくなってしまいます。
後、「わたくし」という呼称。
漢字に変換したら「私」になってしまい、「わたくし」との区別が付かない(汗)
この後書きで言うのは遅いかもしれませんが、作中の「私」は全部「わたくし」と読みます。
紛らわしくて申し訳ないm(__)m
それでは最後に、リクエストしてくださった正人さん、そしてここまで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。
それでは、また会いましょう!^^
紗綾 「感想等は、こちらにお願い致しますわ♪」