「兄さん」

「うん?」

六月初旬の日曜日。梅雨というよりは初夏を感じさせるような快晴の下、俺―――瓜生新吾は妹である桜乃の声に首を傾げてみせた。

「遊園地、楽しみだね」

「ああ。昨日はよく眠れた?」

「そこそこ。羊の代わりに愛理を数えてた」

「そ、そう。効果はあったの?」

「くだらないことしてないで早く寝なさいって怒られた」

「・・・だろうね」

その光景が目に浮かんだ。瀬名さん、そんなところまで面倒見てもらって申し訳ない。



「もうそろそろかな?」

「だね。紗凪さん、時間には正確だし」

駅前の時計塔の前に、待ち人はまだ現れず。とはいっても、まだ約束した集合時間の五分ほど前だ。

今日は俺と桜乃、そして紗凪と彼女の弟の理央くんの四人で遊園地に行くことになっている。

紗凪と付き合い出してからというもの、二人で遊びに――――端的に言えばデートに行く機会は何度かあった。

しかし二人とも部活とバイトの二束の草鞋を履く身。その上で二人の時間を優先してしまうと、どうしても家族と接する時間は減ってしまう。

特に理央くんは、大人びた言動が目立つとはいえまだ幼い。父親も仕事に忙しい人だと聞くし、あまり寂しい思いをさせてはならない。

というわけで、二人でそれぞれのバイトとぬこ部のシフトを調整して、四人で遊びに行く算段を立てたのだ。



「うっわ〜、ギリギリじゃない!」

「お前がぐずぐずしてるからだ」

「にゃにを〜〜!? あんたが昨日興奮してなかなか寝付けなかったせいでしょうがっ!」

「すぐ人のせいにするな、ブス」

それから数分後。丁度待ち合わせ時間になろうかという頃合いに、聞こえてきた騒がしい二つの声。

目を向けてみると、想像していたとおりの姿が駅からこちらに向かって駆けていた。いつもと変わらない微笑ましい姉弟のやり取りに、自然と頬が緩んでしまう。

「ふぅ、ふぅ・・・ごめんね、新吾。待った?」

不安そうな、それでいてどこか甘えた感じの声音。

自然と笑顔になった俺は、そんな愛しい恋人の髪を、待ってないよという気持ちを込めてゆっくりと撫でるのであった。



「・・・私たち、蚊帳の外?」

「クズムシのくせになまいきだ」

「りおきゅん」

「さくのん」

「ラブ」

「らぶ」

――――視界の端で桜乃と理央君が、片方ずつの手を使ってハートマークを作っているのが見えたけど、全力でスルーした。





ましろ色シンフォニー SS

             「姉の涙と弟の想い」

                             Written by 雅輝






「シンゴ」

「ん?」

「さくのん」

「うん」

入場券とフリーパスを買って入園を果たすと、理央くんに左手をホールドされた。次いで、桜乃も右手を握られる。

「なかよし家族」

「―――ってこらこらこら! あたしは!?」

うんうんとご満悦な理央くんとは対照的に、紗凪が慌てたように割り込んでくる。

「クズムシは虫かごにでも入ってれば?」

「うぎぎぎ・・・っ」

相変わらず反応に困る姉弟喧嘩だ。もちろん、理央くんの本音ではないことくらい分かっているので、必要以上に出しゃばったりはしないが。

「じゃあ紗凪はこっちかな?」

「あ・・・」

とはいえ、悔しそうな紗凪を俺は放っておけない。不満そうに唇を尖らす彼女の小さく柔らかい手を、空いている右手でキュッと握った。

「おぉ、流石兄さん。何というさり気ない動き。それで今までどれだけの女の子を落としてきたことやら・・・」

「桜乃。誤解を招くから黙っててね」

「落とされた妹としては、従うしかない」

相変わらず桜乃の冗談は際どい。冗談・・・だよな?

「新吾・・・」

「さ、紗凪?」

こっちはこっちで目が潤んじゃってるし。そんな顔を見せられると、思いっきり抱きしめたくなってくる。

「ありがと」

そして、はにかんだ笑顔。あぁ、もう!

「ふあ?」

彼女の綺麗な髪を撫で撫でする。優しく、優しく。壊れ物を扱うように、慎重に。

「し、新吾。そんなに優しく撫でられたら、あたし・・・」

「さくのん、行こ?」

「あとはごゆっくり」

「え? あぁ! ごめん、二人とも! ほら、紗凪行くよっ」

「ふぇ? ってこら、理央! 待ちなさーい!」

気が付けば、いつの間にか俺の手から離れていた理央くんが、桜乃の手を引いてすたすたと歩き始めていた。

慌てて追いかけながら、俺と紗凪は無意識の行動を深く反省するのであった――――。





フリーパスを買ったものの、理央くんの身長では絶叫マシンの類は乗ることが出来ない。

もちろん、俺たちも彼を置いてまで乗りたくはないので、誰もそのことについては触れない。理央くんのことだから、「僕に気を遣わないで」と我慢してしまうであろうことが目に見えたから。

「あ、あれなんかどう?」

遊園地のアトラクションで思いつくもの、ベスト5に名を連ねるであろうそれが目に止まり、俺は三人に声を掛ける。

一番最初のアトラクションにしては盛り上がりに欠けるが、テンポよく行かないとフリーパスが勿体ない。

「大丈夫」

「子供だましだけど、一回くらいケイケンしておくのも悪くない」

桜乃がいつもの通り抑揚の少ない声で、そして理央くんが大よそ子供とは思えないセリフで了承する。俺は苦笑しながらも「紗凪は?」と我が彼女に水を向けると――――何故か顔を引きつらせて固まっていた。

「・・・」

「えぇっと・・・」

「・・・新吾。もしかして、あれ?」

「うん、そうだけど・・・もしかして紗凪、怖い?」

俺の問いにビクッと肩を震わせた紗凪は、「そ、そんなわけないじゃん! 行くわよ、みんな!」と、明らかな虚勢と共に先を歩く。

『あー・・・前までの俺なら、空気を読んでやめてたかもしれないけど』

【ホラーハウス、悪夢の館】。俗にいうお化け屋敷。

――――神様、彼女の怖がる一面も見たいと思ってしまった、意地の悪い俺を許してください。



悪夢の館は、二人一組で進んでいく形式の、言ってしまえばごく一般的なお化け屋敷だった。

出てくるお化けや仕掛けは精巧に出来てはいるが、他の遊園地と比べて突出しているほどではない。

「し、しんごぉ・・・」

だというのに、俺の腕に必死にしがみ付く紗凪は、これでもかというほど怖がっていた。遊園地側もこれだけ怖がってくれると嬉しいだろうな、というくらい。

とはいえ、俺はさほど驚いてはいない。彼女が学校や弟の前では気を張っているが、本当は寂しがり屋で甘えんぼな可愛い女の子だってわかっているから。

「大丈夫だよ、紗凪。俺が傍にいるから」

「・・・うん。離しちゃ、やだかんね?」

上目使い。怖がっている瞳の中に、俺への信頼感が見えるようだった。

『ホントに紗凪は・・・これ、無自覚にやってるんだもんなぁ』

そんな表情を見せられて、抱きしめないで我慢することがどれほど大変か。

「新吾ぉ・・・」

俺は怖がっている紗凪とは別の意味で、早くゴールに辿り着きたかった。



ちなみに、俺たちに気を遣ってくれた桜乃と理央くんのクールコンビはというと。

「いちまーい、にーまい、さんまーい・・・」

「おぉ・・・お化け役、お疲れ様です」

「ふう。子供だましだな」

「・・・」

アトラクションの従業員のメンタルを片っ端から粉々にしていったそうな。





お化け屋敷の後もおとなしめのアトラクションを周り、気が付けばもう昼時だった。

比較的大きい部類に入るこの遊園地は、休日ということもあって飲食店はどこも待ちが出ている状態だ。しかし、俺たちにとっては関係の無い話で。

「じゃ〜〜んっ」

遊園地の敷地内にある、緑豊かな公園の大きな木の下。芝生の上にレジャーシートを敷き、紗凪は可愛らしい効果音と共に弁当箱の蓋を開けた。

「おおっ」

思わず歓声を上げる。以前の彼女の料理より、随分と上達しているのが目に見えて分かった。

「どうよっ。これが桜乃ちゃんとの特訓の成果!」

「もう、私に教えることは何もない」

「言いたいだけだよね、桜乃」

「・・・は、早く食べよ」

俺が桜乃に突っ込みを入れていると、隣に座っていた理央くんがそわそわした様子で自発的に箸を探し始めた。

無理もないか。冷静を装っていたものの、やはりこの面子の中で一番アトラクションを楽しんでいたのは、間違いなく彼なのだから。

「なになに? 理央、お腹すいちゃった?」

「・・・うるさい、クズムシ。いいから箸をよこせ」

「どーしよっかなぁ。そうだ、可愛らしい声で「お姉ちゃん♪」って呼んでくれたら渡してあげる」

「ぐっ、ひきょーだぞ」

「にゃっはっは! 何とでも言いなさいな」

またいつの間にか、軽い姉弟戦争が勃発している。まあ普段あまり素直に理央くんから呼ばれていない紗凪の、ちょっとした仕返しだろう。理央くんが窮したようにこちらを見てきたが、紗凪の気持ちも理解できるので助け舟は出さないこととする。

「ほれほれ、早く呼びなさい♪」

「くっ・・・そうだ、さくのん」

「なに?」

「あのね・・・」

何やら理央くんは桜乃と作戦会議に入ってしまった。手持無沙汰なので、俺は恍惚の表情を浮かべている紗凪に話しかける。

「楽しそうだね、紗凪」

「そりゃあね。ウチの弟が素直になってくれるチャンスなんて、そうそうありませんから。たまには姉の威厳を見せつけなきゃ!」

その行為自体はあまり姉らしくないのだが、まあ敢えて言う必要は無いだろう。

「紗凪さん」

そうこうしている内に作戦会議が終わったのだろうか。桜乃が紗凪へと呼びかけた。

「うん?」

「私にも箸をください」

「あっ、そっか。このままじゃ新吾と桜乃ちゃんが食べられないもんね。えーっと、はい」

「ありがとうございます」

素直に箸を渡す紗凪。でもこれってそのまま・・・。

「はい、理央きゅん」

「うん」

「――――ってなんでじゃー!」

もらった箸をそのまま理央くんに渡す桜乃。まあそうなるよなぁ、あからさまに怪しい作戦会議の後だし。紗凪も、あまり考えずに反射的に出してしまったのだろう。

「ちょっ、桜乃ちゃん!?」

「ごめんなさい。理央きゅんが私のことをお姉ちゃんって呼んでくれるらしいのでつい・・・」

「って理央! 何であんたは実のお姉ちゃんには言えなくて、桜乃ちゃんには言えるのよっ!?」

「にんげんせーの違い? そんなことより、ありがと。・・・桜乃おねーちゃん」

「んぅ・・・ちょっとキュンと来ました」

「納得行かない〜〜っ!!!」







昼食後は、またアトラクション巡り。フリーパスなので、やはり元を取るつもりで乗らなければ勿体ない。

メリーゴーランドにコーヒーカップなどの遊園地における定番はもちろん、理央くんもスリルを楽しめるようにとゴーカートや子供でも乗れる木製のコースターにも乗った。

そうして時刻は16時過ぎ。そろそろ女性陣が疲れてきた様子だったので、ベンチに残して俺と理央くんは飲み物と甘いものを買いに来ていた。

「どう? 理央くん、今日は楽しめてる?」

「うん、シンゴとさくのんのおかげ」

「お姉さんは?」

「知らない、あんなやつ」

売店への道すがら、ぷいとそっぽを向く理央くんに苦笑する。これが本心なら別だが、またいつもの照れ隠しだろう。彼が紗凪のことを本当はどう思っているかなんて、少し付き合えば分かることだ。

「そっか。でも、理央くんがそんなことを言うと、紗凪は悲しいと思うけどな」

「・・・ねえ、シンゴ」

「うん?」

「オトコとオンナって、何なのかな?」

理央くんが視線を地面に落としながら訊ねてくる。

正直言って、質問の意図はイマイチ計りかねるが・・・とりあえず、自分の考えを言ってみよう。それで判断してもらえばいい。

「男は女を護って、女は男を支える」

「え?」

「俺の父さんの受け売りなんだけどね。男は女をあらゆる障害から護り、女はそんな男をあらゆる手段で支える。結局そういうことなんだと思うよ」

「えっと・・・どういうこと?」

「うーん。分かりやすく言うとね」

そう言って、俺は理央くんの頭にポンと手のひらを乗せる。まだ子供だった頃、父さんにしてもらったように。



「自分の大切な女性(ひと)を護れる男になれって、そういうことだよ」







「ふい〜、疲れたね。桜乃ちゃん」

手首に巻いた時計を見ると、時間は16時を回ったところだった。見上げた空は、六月ということもあってまだまだ明るい。

あたしは歩き疲れた足を揉み解しながら、ベンチの隣に腰を下す桜乃ちゃんに話しかける。

「はい。やっぱり男の子は体力があります」

「はしゃいでる今だけよ。ウチに帰ったら電池が切れたように寝ちゃうのが目に見えてるわぁ」

「でも、それくらい楽しんでくれればこちらも嬉しいです」

「――――うん」

新吾と付き合うようになるまで、あたしはあまり彼の妹である桜乃ちゃんと交流は無かった。精々が教室で談笑したりお弁当を食べたりという程度。

今ならわかる。桜乃ちゃん、すっごくいい子だ。あの愛理が親友にしちゃうのも納得がいく。

「ねえ、桜乃ちゃん」

「はい?」

「どうしたら、新吾と桜乃ちゃんみたいに仲の良いキョウダイになれるのかな?」

気づけばあたしは、そんな愚痴とも取れるような相談をしていた。

ずっと、羨ましかったから。年頃の兄妹なのにあんなに仲が良く、お互いを信頼して支えあっている二人が。

あたしだって、出来ることなら理央と仲良くなりたい。

お母さんが死んで、お父さんが仕事でなかなか帰らないようになって。あの家に残されたあたしたちは、新吾と桜乃ちゃんのように支えあって生きていかなきゃいけないのに。

「紗凪さん」

「え?」

「大丈夫」

にっこりと。普段は微笑くらいしかしない桜乃ちゃんの満面の笑みは、不思議とあたしの胸にストンと落ちた。

「理央くんも、きっと紗凪さんのことが好きだから。大事に思ってるから。それだけで、十分」

「桜乃ちゃん・・・」

言葉足らずではあったけど、彼女の言いたいことは理解できた。

あたしも理央も、お互いを大事に思ってるから。たとえ普段、仲の悪い姉弟をしていても、それだけ分かっていれば十分だから。

「――――ありがと」

少し溢れてきた涙を、慌てて拭う。流石に彼氏の妹に・・・将来の義妹になるかもしれない人に、弱さばかり見せられない。

――――だけど、そんなとき。



「ねえ、カーノジョ。どうしたの、泣いちゃって。折角の可愛い顔が勿体ないよ?」



このタイミングで登場するにはあまりにも無粋な、チャラチャラした男の声。嫌悪感から弾かれるように顔を上げると、目の前にはニヤニヤと二人組の男が立っていた――――。







シンゴは、本当の兄ちゃんみたいだった。

優しくて、頼りがいがあって。なのに、僕を子供あつかいしないで。何より、僕にダイジなことを教えてくれる。

――――わかってるんだ。僕が、まだまだ子供だってことくらい。

お母さんがいなくなって、お父さんもあまり帰ってこなくなって。

姉ちゃんは、前よりやさしくなった。でもそれが、お母さんはもう帰ってこないんだよって言われてる気がして・・・いや、だった。

だから、遠ざけた。クズムシって呼んで、ブスって呼んで、他にもいっぱいひどいことを言って。

ある日、兄ちゃんがほしいって言ったら、次の日には男のカッコーをした姉ちゃんが現れた。お兄ちゃんと思ってくれていいからって。

そのやさしさをうれしいと感じて。でも、どこかで姉ちゃんもいなくなったような気がして、すなおによろこべなかった。

「――――理央くん?」

「っ?」

シンゴの声に、顔を上げる。目の前には、心配そうなシンゴの顔。

「どうしたの? 疲れちゃった?」

「ううん、へいき」

「そっか。っと、順番が来たみたいだ。買ってくるから待っててくれる? 後で持ってもらうから」

「わかった」

僕がうなずくと、シンゴは笑みを一つ残して注文に行く。そんな背中をぼんやりと見送っていると、いつも聞いてる声が聞こえた気がした。

「――――なさいよ!」

「・・・?」

姉ちゃんの声だ。何だか、怒っているような。

店の人と話しているシンゴには聞こえなかったらしい。僕は気になって、姉ちゃんとさくのんが居る場所まで戻った。

「だからツレが居るって言ってんでしょ!?」

「いいじゃん。キミを泣かせる甲斐性無しのことなんかさぁ」

「そーそー。ほら、そっちの青い髪のカノジョも」

「行きません」

そこには、姉ちゃんとさくのんの他に二人、見るからに軽そうな男が居た。

一人は姉ちゃんの手首をつかみ、もう一人はさくのんにジリジリと近づいていく。

「あ・・・」

その時の自分の気持ちを、僕はまだ表現できない。

でもなぜか、さっきのシンゴの言葉を思い出していた。

――――「自分の大切な女性(ひと)を護れる男になれ」

「――――っ」

大切な人。さっきはよく分かんなかったけど、今ならきっと分かる。

姉ちゃんとさくのん。この二人はきっと、大切な人だから。

「おまえら・・・やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

――――僕が、二人をまもるんだ。







「理央!?」

二人組の軟派な男は、予想以上にしつこかった。

あたしは手首を掴まれ、桜乃ちゃんも追い込まれている。怖くなって、男たちを牽制しながらも心の中で何度も新吾の名前を呼び続けていたあたしの前に立ったのは、どこからともなく現れた我が弟だった。

「あん? なんだこのガキ」

「うるさい。おまえ、その手をはなせよ」

「ははは、随分と威勢の良いガキじゃねえか。あぁ、ツレってこいつのことだったわけだ。なかなか頼れるナイト様だなぁ」

少なくともあたしが言ってた「ツレ」に対して、多少は警戒していたのだろうか。男たちはあからさまに安堵し、続いて小馬鹿にした笑みを送ってきた。

しかし、今のあたしはそれどころではなかった。

「理央、いいからあんたは下がってなさい!」

「めーれーするな、クズムシ。さっきまで泣きそうな顔してたくせに」

「うっ・・・」

図星を指されて、言葉に詰まってしまう。けれど、それとこの子を危険に晒すのは別問題だ。

「理央! お願いだから――――」

「そうだぜ、おこちゃま。お姉ちゃんの言うことは聞くもんだ」

あたしの言葉を遮るように、手首を掴んでた男が今度は馴れ馴れしく肩を抱いてくる。途端、溢れ出す嫌悪感。情けなくも怖さと悔しさで、あたしは硬直してしまう。

「――――おい、おまえ」

「ん?」

「かっこわるいな」

「なっ――――!?」

「そんなんだから、コイビトもできないんだろ。少しはがくしゅーしろよ」

「――――クソガキが」

理央の言葉がプライドに触ったのか、纏う空気の変わった男はあたしを解放すると、無言で理央の前に立つ。

「生意気なガキがどうなるか、今の内に教えてやんねーとな」

「お、おい、流石にガキを殴るのは・・・」

「あぁ!? 教育的指導ってやつだよ! いいから黙って見てろ!」

「――――っ、理央ぉっ!」

先ほどの硬直感と解放された安堵感から足に力が入らないあたしは、悲鳴を上げることしかできない。桜乃ちゃんも駈け出そうとするが、もう一人の男に阻まれたのを視界の端に捉えた。

男の無骨な手が、小さな顔に振り下ろされる瞬間――――。

“べちゃっ”

「ぬぁっ!?」

何かが男の顔面に当たり、その動きが止まる。振りかぶった男の顔から地面に落ちたものは・・・ソフトクリーム?

そして続いて聞こえてきたのは、あたしが待ち望んでいた愛しい彼の声であった。

「はぁっ、はぁっ・・・・・・ふう、何とか間に合ったようだね」

「ちっ、次から次へと・・・っ! 何なんだよ、てめぇっ!」

「その二人は彼女と妹だよ。俺からしたら、お前たちこそ何なんだって感じだけど?」

言葉の節々に感じられる、激しい感情。

新吾はあたしが初めて見たかもしれないという険しい表情で、男たちを睨み付けていた。

「てめえが「ツレ」かよ。でもな、二対一で勝てると思ってんのか?」

「思ってないし、そもそもあまり喧嘩はしたこと無くてね。だから、正当な手段に頼ってみた」

「あ? 何言って・・・」

“ガシッ”

「その疑問には」

「私たちから答えようか」

「へ? いでででででっ!!」

男たちの手を取ると、そのまま捻って身動きを封じる。その慣れた動きと見慣れた制服で、その人たちの職業が覗えた。

まだ何事かを喚いている男たちを余裕で抑えながら、最後にこちらに一つ会釈をすると、そのままどこかに連行していく。

「警備員・・・」

「そう。紗凪たちが絡まれてるのを見た時に、丁度近くを通りがかったから咄嗟に声を掛けたんだ」

「新吾・・・」

そうして警備員に連れられた男たちの姿が雑踏に紛れた後、新吾は説明しながら近寄ってくると、突然あたしの体を抱きしめた。

「ふぁ!? ししし、新吾!?」

「良かった。紗凪が無事で・・・怖かっただろ?」

「あ、あたしは別に怖がってなんか・・・こわ・・・こわ、かった」

だめだ、彼の前で嘘は付けない。いつだって彼の胸の中では、素直なあたしになってしまう。

でも、やっぱり恥ずかしいから。あたしは泣き顔を見られないように新吾の胸に顔を埋めた。

「・・・理央くんもよく頑張ったね。君が、二人を護ったんだよ」

「シンゴ・・・」

「りおきゅん。ありがとう」

「さくのん・・・ふぐ、ぐすっ・・・」

泣きそうになったところで、理央が桜乃ちゃんの胸に飛び込む。

本当に――――泣き虫なところまで、似ている姉弟だ。







遊園地で最後の締めに乗るものといえば、過半数の人が同じ答えになるのではなかろうか。

夕暮れの街を一望でき、そんな景色をゆっくりと回るゴンドラから静かに眺める。

ジェットコースターと双璧を成す遊園地の顔、大観覧車。二対二に分かれた俺たちだが、一緒に乗っているのは彼女である紗凪――――ではない。

「本当に良かったの? お兄ちゃん」

桜乃が向かいの席で、ぼんやりと夕陽に照らされた街並みを眺めながら問いかけてくる。対して俺も窓の外に視線を向けたまま、その問いに苦笑と共に答えた。

「うん。もちろん、紗凪と一緒に乗りたかったことは否定しないけどね。でも今は・・・こうした方がいいって、思ったんだ」

「空気を読んで?」

「違うよ。俺がそうしたかったから」

昔の俺なら、きっとそうだっただろう。でも、今は違うってはっきりと言える。

「あんなことがあった後だし、俺が紗凪を――――とも思った。けど、理央くんが紗凪のために怒った今だからこそ、二人で話せることがあるってね」

「うん。私もそう思う」

そう言っていつものように透明感のある微笑をこちらに向け、桜乃はまた窓の外へと視線を転じる。

『さて、今頃どんな話をしているかな・・・』

もしかしたら、また言い合いをしているかもしれない。

でも、たとえそうだとしても、最後はきっと――――。







「結局寝ちゃったね」

「まあ、まだまだお子様だからねぇ〜」

観覧車を降りる頃には太陽も西に沈みかけていたので、俺たちは遊園地を後にした。

そして今は最寄り駅からの帰り道。途中で俺の家に寄って桜乃とは別れ、俺は彼女達の夜道のお供をしている。

「本当に俺が背負わなくて大丈夫?」

「へいきへいき。昔はしょっちゅうだったしね。それに・・・今日は、背負ってあげたい気分なんだ」

電車で揺られている内に、理央くんは気持ち良さそうな寝息を立てていた。

そんな彼を背負い、「まあたまには頼れるお姉ちゃんにならないとね」と照れくさそうに付け足した紗凪の瞳はどこまでも優しい。

俺は彼女の気持ちを察し、それ以上は聞かなかった。無言の、しかし決して気まずいとは感じない雰囲気の中、紗凪の家を目指して歩を進める。

「あ――――っ。ご、ごめん新吾! 理央を部屋に寝かしてくるから、ちょっとだけ待ってて!」

「あ、ああ。ゆっくりでいいよ」

そうして紗凪の家の門扉に到着したとき、急に慌て始めた紗凪に面を喰らいつつも、正直俺も名残惜しい気持ちがあったので即座に了承する。

その後、一分もしない内に再度姿を見せた彼女は、はにかんだ笑みを見せながら俺の胸に飛び込んできた。

「おっと・・・どうしたの?」

「えへへ。“お姉ちゃん”の時間はこれで終わり。今はもう、新吾の彼女だよ?」

「ぅ・・・」

相変わらず無自覚に可愛い。その甘えた声に心を打ちぬかれた俺は、彼女の小さな体躯を包み込むように抱きしめ、その良い香りがする髪の毛に頬を寄せる。

「・・・ねぇ、新吾」

「なに?」

「観覧車で、理央とあたしを二人きりにしてくれて・・・その、ありがとう」

やがて彼女は、俺の胸の中でぽつりと呟いた。

ありがとう。ともすれば彼女を放ったらかしにしたと思われても不思議ではないのに、そう言ってくれることに嬉しさを感じると同時に、そんな彼女への愛しさが募る。

「どういたしまして」

「で、でも! 新吾と一緒に乗りたくなかったわけじゃないからね?」

「うん、信じてるよ。紗凪が俺のことを信じてくれてるのと同じようにね」

「あ・・・。ばか、これ以上あたしを惚れさせて、どうするの」

「じゃあ、こうしよっかな」

「え、しん――――んぅ・・・」

その艶々として愛らしい唇を、少し強引に奪う。彼氏として、彼女がそれを望んでいるっていう自信があった。

「ちゅ・・・んんぅ・・・」

紗凪は一度ビクンと体を震わせると、すぐに俺の服の裾をギュッと掴んでキスを受け入れてくれた。愛しさが際限なく降り積もり、口づけにも一層熱がこもる。

「ぷはっ、だめ、しんごぉ。これ以上されちゃったら、おかしくなっちゃうよ・・・」

「おかしくしたいって言ったら?」

「あ・・・新吾にならされてもいい――――っじゃなくて。新吾ってそういうこと言うキャラだっけ?」

「ははは、確かに変わったかも。でも、それを言うなら紗凪だって。前は重度の男嫌いだったじゃないか」

「んー、それは今でもあまり変わってないよ」

「え? でも・・・」

「それだけ、新吾が特別ってことだよ♪」

「――――あぁ、もうっ!」

可愛すぎる彼女に、もう一度キスをする。玄関先の触れ合いは、しばらくやめられそうになかった。



――――そしてそんな俺たちを、寝ぼけ眼の理央が玄関からジト目で見ていたのは、また別の話。




end


後書き

どもども、雅輝でっす。サイト6周年記念作品ということで、「ましろ色シンフォニー」より、紗凪の話を書いてみました。

6周年といいつつ、開設日から2週間以上遅れてしまいましたがががが。最近はホントに筆が進まないなぁ。


さて、本編。正確には「ましろ色シンフォニー *mutsu-no-hana」の紗凪エンドのアフターとなります。

PC版しかやっていない人もなんとなくわかるようには書いたつもりですが・・・。

補足説明! りおきゅんは紗凪の弟です。以上っ!

うん、読めば分かりますね。まあもちろん他にも色々とあるのですが、あとがきでグダグダ書くのもアレなので割愛させて頂きます。

っていうか、*mutsu-no-hanaを買いましょう。紗那ルートはかなり良かったです。愛理ルート並みのあまあまでした。


今回は家族デートにしました。新キャラの理央くんも出したかったし、桜乃は個人的に扱いやすいキャラなので。特にボケ担当(笑)

まあアフターストーリーとして、書きたいことは書けたかなと。その分、文章量がエラいことになってます。

ただ、あまり原作のだだ甘感を出せなかったのは反省点。まあ家族デートなのでしょうがないかなぁとも思いますが。


それでは、最後に改めまして。ここまで読んでくださった読者の皆様。

そして、これまでMemories Baseを応援してくださった皆様に感謝を込めて。

ありがとうございました! これからもMemories Baseを宜しくお願い致します!!



紗凪 「読んでくれてありがとね。感想は、ここに書くんだぞ♪」



2011.10.22  雅輝