「ハァ・・・ハァ・・・」
既に朝の日課となったジョギング。
今日は少し早く家を出たので、いつもあの人が待ってくれている場所で立ち止まり、少し乱れた息を整える。
「・・・ふぅ・・・」
私は一度大きく息を吐き、スポーツタオルで額の汗を拭きながら、今日も晴れ渡った夏空を見上げる。
今日はいつもより、身体が軽い気がする。
ジョギングを始めた頃に比べると、だいぶ体力も戻ってきたし・・・体型も少しはましになってきた。
でも、まだまだバスケをやっていた高校時代には程遠い。
ましてや、ウェイトレスなんて・・・。
「・・・」
”ウェイトレス”
その言葉と同時に甦ってくる、苦い思い出。
――キャロットにまだ入りたての頃、私はフロアでウェイトレスの仕事をしていた。
キャロットでバイトを始めた理由も、その可愛い制服を着てみたかったから。
だから私も、毎日楽しく充実したバイト生活を送ることが出来た。
でも・・・ある日お客さんに言われた、辛辣な一言。
「キミさぁ。コロコロ太ってるから、折角の制服がもったいないよねぇ」
・・・ショックだった。
確かに私は他のウェイトレスよりウエストが太かった。
でも、お客さんに面と向かって「似合ってない」と言われるなんて思ってもみなかった。
店長や涼子さんは「気にする事はないよ」って言ってくれたけど・・・私はその夜、暗い自室で枕に顔を押し付けて・・・一人で泣いた。
そして次の日からは、涼子さんに無理を言ってディッシュ専門となった。
あの一言ですっかり自信を無くしてしまった私は、それ以来接客をしなくて済むキッチンで地味なエプロンを掛け、黙々とお皿を洗い続けた。
それと同時に、私は毎朝ジョギングをすることにした。
もう一度、バスケットをやっていた高校時代の体型に戻りたかったから・・・。
もう一度、キャロットの制服でウェイトレスの仕事をしたかったから・・・。
でも・・・夏休みの初めに彼に会って・・・彼の優しさに触れて・・・。
その目的は徐々に変わっていった。
それは・・・。
「お〜い!早苗さ〜ん」
「こっちですよ〜!」
「ハァ・・・ハァ・・・・・・おはよう、早苗さん」
「ふふ・・・おはようございます。耕治さん」
――あなたに、いつもの地味なエプロン姿ではなく、可愛いウェイトレスの制服を着た私を見て欲しいから――
Piaキャロットへようこそ!2 SS
「ずっと、一緒に・・・」
Written by 雅輝
「それじゃあ、行こうか?」
「はい」
そう言葉を交わして、私達はいつものジョギングコースを走り出す。
耕治さんは私の横に並んで、いつものようにさりげなく私のスピードに合わせて走ってくれている。
そんな耕治さんの優しさに、私も惹かれていったんだと思う。
――前田 耕治さん・・・。
今年の夏の初めにキャロットに入った、私より一つ年下の男の子。
でも、全然年下という感覚が無くて・・・頼りになって、包容力があって・・・いつの間にか彼と一緒にバイトが出来るのを、とても楽しみにしている自分がいた。
そんな自分の心の変化に気づき始めたのは、彼が初めてお皿洗いで拭いていた皿を割ってしまった時。
その時、私は耕治さんが割れたお皿の破片で怪我をしていないかすごく心配になって・・・。
でも彼は、穏やかな顔でこう言ってくれた。
――「大丈夫。心配してくれて、ありがとう」――
その言葉に安堵すると同時に、すごく嬉しく感じている自分がいた。
そしてその数日後・・・私は耕治さんに思いもよらぬ事を訊ねられた。
――「前から気になってたんだけど・・・どうして早苗さんはウェイトレスの仕事をしないのかなぁって」――
その時、私は答えることが出来なかった。
どうしても、あの時の辛い出来事を思い出してしまうから・・・。
でも彼は私のそんな態度に、「ごめん、つまらないことを訊いちゃって・・・」と何度も謝ってくれた。
その翌日。
一晩悩んだ私は、意を決して耕治さんに話してみることにした。
とは言っても、所詮はダイエットの話・・・正直、笑われるかと思っていた。
でも耕治さんは真剣に聞いてくれて・・・全てを話し終えた後には、「俺も一緒に走っていいかな?」と言ってくれた。
それ以来、耕治さんとのジョギングは私の日課であり、楽しみの一つになっていた。
だから、体調が悪かったあの日も「耕治さんが来てくれる」という想いで、無理をして出て行った。
でも結局、走り終わった後倒れそうになって・・・。
――「あっ、危ないっ!」――
ふらついた私を耕治さんは優しく抱きとめてくれて・・・そして本気で心配してくれた。
そんな耕治さんの優しさが、とても嬉しかった。
耕治さんの胸は広くて、暖かくて・・・私は耕治さんの事が本気で好きなんだと強く実感できた。
「あの・・・耕治さん」
「ん?どうしたの?」
でも、後数日で耕治さんのバイト期間も終了し、彼はPiaキャロットを辞めてしまう。
元々夏休みだけの契約だったから・・・だから私も耕治さんが辞めてしまう前に、何としても痩せたかった。
夏休みの間に痩せて、キャロットの可愛い制服を着て・・・それをあなたに見てもらえさえすれば、充分な筈だった。
でも、今は・・・。
「・・・宜しければ、私の家に寄って行きませんか?」
「? 別に構わないけど・・・」
――もう、あなたと離れたくないと想ってしまったから・・・。
「はい、どうぞ」
「あっ、わざわざありがとう」
リビングのソファーでくつろいで貰っていた耕治さんに、氷を入れた麦茶を差し出す。
そして私も耕治さんの横に座って、同じく麦茶を飲んで一息つく。
ジョギングが終わった後の渇ききった喉に、一気に飲み干した冷たい麦茶が流れ込む。
それにより、緊張で高鳴っていた心臓もだいぶ落ち着いたようだった。
「・・・早苗さん」
「はい?」
ぼーっとしていた意識の中、耕治さんの声が耳に届く。
顔を向けると、そこにはとても真剣な・・・でも、どことなく緊張しているような耕治さんの顔があった。
「少し、良いかな・・・?真面目な話なんだ」
「は、はい・・・」
耕治さんのどこまでも真っ直ぐで、決意を秘めた瞳に、私の胸はまた高鳴り始めてしまった。
「俺・・・・・・」
「夏休みが終わっても、キャロットに残ることにしたんだ」
「・・・え?」
聞いた瞬間、すぐにはその意味を理解できなかった。
「昨日、店長さんと涼子さんに話して、夏休みが明けても正式に雇ってもらえることになったんだ」
「で、でも何で・・・?」
意味を完全に理解して、私は素直に嬉しいと感じたけれど・・・やっぱりそこが一番気になった。
耕治さんは高校三年生で、半年後には受験という大きな壁が待っている。
そんな時期に、バイトを続けるなんて・・・そうそう出来ることじゃないはず。
「えっと、それは・・・その・・・」
しかし、耕治さんは顔を少し赤らめて視線をあちこちに逸らす。
「?」
やがて耕治さんは、ポツリと呟いた。
「・・・離れたくなかったから・・・」
「えっ?」
聞き返した私に、耕治さんはもう一度しっかりと私の目を見つめて・・・
「早苗さんと、離れたくなかったから・・・」
「早苗さんと、ずっと一緒にいたいから・・・」
「早苗さんのことが・・・好きだから・・・」
その瞬間、私の頭は真っ白になった。
――その言葉は、正に私がこれから言おうとしていた言葉だった。
今日、耕治さんを家に呼んだのもそのため。
だから・・・耕治さんからその言葉を聞けて・・・とても嬉しかった。
「耕治さんっ!」
私は感極まって、思わず耕治さんの胸に飛び込んでしまった。
「早苗さん・・・」
でも、耕治さんはそんな私は優しく抱きしめてくれて・・・。
「私も・・・離れたくありませんでした」
「ずっと・・・耕治さんの傍にいたかったんです」
「ずっと・・・耕治さんの事が・・・好きでしたから・・・」
耕治さんの私を抱きしめる腕に、力が篭る。
私も耕治さんの背中に腕を回して、同じく力を篭める。
「・・・早苗さんは、無理してまで痩せる必要は無い」
「過労で倒れるくらい、無茶をする必要なんて無い」
「ゆっくりで、良いんだ」
「俺がずっと傍にいるから・・・」
「ずっと、早苗さんの事を見守ってるから・・・」
「耕治さん・・・」
耕治さんの言葉が嬉しくて・・・。
耕治さんの全てが暖かくて・・・。
だから私は、流れ落ちる涙を拭おうともせず顔を上げて・・・そっと瞼を閉じた。
数年後――。
相変わらず忙しいPiaキャロット中杉通り店。
私と彼は、今日も盛況のフロア内を駆け回る。
彼はウェイター姿で。
そして私は勿論・・・
「すみませーん、注文いいですかー?」
「はい、ただ今!」
長年夢見た、ウェイトレス姿で・・・。
end
後書き
10000HIT記念リクエスト作品!
橘 正人さんのリクエストで、Pia2より早苗さんを書きました。
いやぁ、やっぱり早苗さんは良いですねぇ。
なんかやる気が出て、予定より早く書けてしまった(爆)
しかし・・・サイト開設約3ヶ月で10000HIT。
立ち上げた当初は、正直ここまで行くとは思っていませんでした(笑)
これも、いつも私の拙い小説を見に来てくださる皆様のおかげです^^
これを励みとして、そして一つの区切りとしてこれからも頑張っていきます!
それでは次の作品でお会いしましょう^^
感想を書いて頂ける方はこちらまで^^