どうしても、我慢できなくなった。
身体は叫びだしたくなるほど苦痛を訴えていたし、今自分が取っている行動もとても褒められたものではないということも頭では分かってる。
そして、こんな行動を取ってしまった自分の身体がどうなってしまうのかも・・・多分、分かってる。
私の身体は、本当にもう限界だったから。
でも、そんなことがどうでもよくなるほど、私――伊吹みなもの心は、三上智也さんに向かっていた。
初めてのデート。何もかもが新鮮で、今までの生の中で一番輝いていたあの時。交わしたのは、私達を繋ぐ一つの約束。
それは今の私にとって、自分の身体なんかよりもずっと、ずーっと大切なものとなっていた。
――「智也さん。私、夜の海に行きたいなぁ」
――「ああ、行こう。いつか、絶対に連れて行ってあげるから」
真夜中の道路を、ふらふらと歩き続ける。
パジャマの上にカーディガンを一枚だけ羽織った私に、真夜中の霜月の寒さが容赦なく襲い掛かった。
それでも、私は上手く力の入らない足を懸命に動かし続ける。一歩ずつ、着実に。智也さんの家へと歩を進める。
チラッと、久しぶりに付けた腕時計に目線をやると、文字盤はそろそろ4時を指そうとしていた。
病院を抜け出してきたのが3時頃だったので、かれこれ一時間は歩いていることになる。
普通に歩けば30分の距離。その余分に掛った時間こそが、私の身体がいかに弱っているかを雄弁に語っていた。
ようやく智也さんの門扉の前に着いたのは、それからさらに10分ほど経った頃だった。
呼び鈴を前に、乱れた息を整える。歩いただけで息が乱れるというのも変な話だけれど。
「・・・」
ここ3日ほど、智也さんは病院にまったく顔を見せなかった。
それまでは毎日来てくれていた。それなのに、突然。唐突に。
もう、私の面倒を見るのが辛くなってしまったのかとも思った。そして、それも当然かと思った。
勉強を教えてくれて、退屈をしている私の遊び相手になってくれて、咳き込んだ時は優しく背中を撫でてくれて。
私は、ずっと智也さんに支えられてきた。入院してからもずっと。
なのに、私は何も彼に返せない。返してあげられない。
智也さんが来なくなった理由を知ったのは、今から6時間ほど前の一日の最後の診断の時だった。
私の担当医の先生から、智也さんに彩花ちゃんの事を教えたって聞いて、ようやく分かったんだ。
きっと智也さんは、自分を責めているんだと。彩花ちゃんが亡くなる、直接的な原因を作ってしまった自分を。
彩花ちゃんの死は、助かるはずだった私の命をも消してしまうものだったから。
もちろん、私は智也さんが原因だなんてまったく思っていない。それはきっと・・・ううん。絶対、彩花ちゃんも同じだと思う。
でも、智也さんは優しいから・・・優しすぎるから、必要以上に自分を責めてしまっているんだ。
だから、教えなくてはいけない。それは間違ってるよって。違うんだよって。
それがきっと、私が伊吹みなもとして・・・智也さんの恋人として出来る、最後のことだから。
「・・・よしっ」
自らを奮い立たせるように息を短く切って、決意を呼び鈴を押す右手に宿す。
そして――。
”ピーンポーーン”
真夜中に響くチャイムと共に、私の最後の小旅行が始まった。
Memories Off SS
「黄金色の水面」
Written by 雅輝
伊勢物語第六段、芥川。
国語の教科書でも取り扱われるこの話は、伊勢物語の中でも特に有名な段の一つだ。
何度求婚しても叶わなかったお姫様を、攫って逃げる在原業平。
お姫様を背負いながら一歩ずつ逃げるそのシーンは、私にとって一番印象に残った場面。
憧れていた。そのお姫様に。
彼女も本当は、業平に攫って貰いたいと願っていたのだと思う。そして願いどおり攫ってもらったそのお姫様が、私はとても羨ましかった。
この話を初めて読んだときは、いつか私も・・・と、目の前で勉強を教えてもらっていた智也さんを、見つめていたのを憶えている。
だから、それが叶った今は、とても幸せだった。
智也さんは私を背負い、一歩ずつ海へと向かう。
そう、お姫様を背負い、芥川を目指した業平のように。
三度目のチャイムでようやく出てきてくれた智也さんは、酷くやつれていた。
最近は睡眠も禄に取っていなかったのか、目の下にはクマまで。
違う。違うよ、智也さん。
私は、彩花ちゃんは、智也さんのことを恨んでなんかいないよ?
私達は、幸せだった。智也さんの恋人になれて、本当に幸せだったんだよ?
涙を零しながらどうにか智也さんを説き伏せて、私は最後のお願いを申し出た。
この機を逃せば、もう果たされないであろう約束。絶対に行こうと笑い合った、夜の海へ。
――「・・・分かった。行こう、みなも。夜の海へ」
やがて智也さんは、泣きそうな瞳で頷いてくれた。
もう既にまるで力の入らない私の身体を、温かい智也さんの背中に預ける。
そして智也さんは歩き出す。業平のように、ゆっくりと。
やがて、ゆっくりした歩調は早足に、そして駆け足へと変わっていった。
私は瞳を閉じていたけど、背中越しに伝わる振動で何となく分かる。それでも智也さんは、なるべく私には普段が掛らないように走ってくれていた。
私も智也さんの負担が少しでも軽くなるように、前に回した腕に精一杯力を込める。
「・・・ごめんな、みなも。業平のようにはなれないよ」
「ううん・・・ううん・・・」
その言葉に答える気力すらもう出せず、私は彼の耳元で微かに首を横に振った。
大丈夫。大丈夫だよ。
智也さんは、私にとって・・・業平よりもずっと素敵な人だから。
辿り着いた真夜中の海には、当然のように誰もいなかった。
周りが無音に近い空間だからか、潮騒の音がやけに耳に残る。
他には誰もいない・・・私と智也さんの、二人だけの世界。
智也さんは汚れることも構わず砂浜に寝転び、私の身体をその胸の上に誘った。
彼と同じ様に、仰向けになる。私の身体は砂浜に、両手はそっと握られて、そして頭は智也さんの温かい胸に。
「みなも。夜の海だよ」
「うん」
「ほら、オリオン座が輝いてる」
「・・・うん」
果たされた約束。私は泣き出したい衝動を抑え、彼の言葉に頷く。
「もう、冬が始まるんだな」
「・・・・・・う・・・ん」
あれ?おかしいな。何だか、意識がはっきりしないや。
酷く眠い。駄目、もう少しこのままで・・・。
「寒くないか?」
「・・・・・・」
彼の言葉が聞こえてくるけど、もはやその意味を考えることが出来ず、必死に眠気と戦っていた。
多分・・・眠ってしまったら、もう目覚めることは無いだろうから。
「・・・ほら、空が白んできた。もうすぐ、夜明けだ」
やがて浮かんできた一条の光に、ずれかかっていた焦点が徐々に合っていく。
紺に近かった夜の海は、その朝の光を浴びて、その姿を変えていった。
――でも、海はいつもの青さにならなかった。
『あぁ・・・・・・』
一面の金色。朝日にキラキラと輝く、無数に敷き詰められた銀杏の落ち葉。
それは、求めて止まなかった金色の海だった。太陽がその姿を徐々に現す度に輝きを増す、黄金色の水面(みなも)。
・・・ほらね。あったでしょ?智也さん。
金色に輝く海が。黄金色の水面が。
言葉にならないその想いを、何とか伝えたくて。
意識が落ちる寸前。私は愛する恋人に、最高の笑みを浮かべた。
〜Tomoya's view〜
「みなも・・・」
俺は聞こえていないのも承知で、彼女の名を読んだ。
俺の腕の中でグッタリとしている彼女は、何も答えない。答えることはない。
いつの間にか、眼前の黄金色の奇跡は色を失っていた。今はただ、朝日にきらめく透明な水面が揺れているに過ぎない。
「みなも・・・俺は、諦めないよ」
腕の中のみなもは、まだ温かかった。短く、小さく、弱々しいが、呼吸も微かに感じられる。
俺は再びみなもを背負い、走り出す。
「俺は、業平なんかになりたくない・・・!」
決意を声に出し、病院に向かってさらに力強く足を踏み出す。
鬼に愛する人を食われ、ただただ悲しみに泣き叫んだ業平のようには、絶対にならない。
みなもはまだ生きている。彼女に迫っているのは鬼じゃない。・・・死神だ。
だったら、俺が死神をボコボコにしてやる。二度と立ち上がれないくらいボコボコにして、彼女に近づかせたりしない。
まるで夢のような、黄金色の海は本当にあったんだ。奇跡は起こる。運命は変えられる。
あの海の水面(みなも)のように、同じ名を持つみなもだってきっと。
「・・・智・・・也・・・・・・さん」
「みなも?」
――きっと、奇跡を起こせるはずだと、俺は信じている。
後書き
ども〜、管理人の雅輝です^^
久しぶりにメモオフSSを書いてみました。前の「雨が上がるトキ」から・・・もう10ヶ月くらい経ってますか。
前々からみなもちゃんのSSは予定していたのですが、前回の長編が予定以上に長引いてしまい・・・ようやく書けましたよ(汗)
今回の執筆にあたり、久しぶりにゲーム本編もプレイしましたが・・・やはりいいですね。みなもシナリオは。
その中でも特にお気に入りのラストシーンを、みなも視点で書いてみました。たぶんこんな感じかなぁと。
ゲームのエンディングも非常に綺麗なのですが、やはりハッピーエンド主義の私としてはあの後の話も期待してしまうわけで・・・。
今回はその妄想のちょこっとだけ。智也視点として書き上げました。
このさらに後の展開は・・・読者の皆様次第ということで。でも私は、奇跡が起こったのだと信じておりますが。
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!^^
みなも「感想は、是非こちらに書いてくださいね♪」