「ふう・・・」
鏡に映る自分の姿をじっと眺めたまま、私はため息を吐いた。
ため息と言っても、それは落胆や悲哀から来るものではなく、幸せすぎることに対しての充足の吐息だ。
目の前の自分が着ているのは、純白のウェディングドレス。
女の子ならば誰もが一度は憧れるであろうその服を、今日私は最高の形で着ることができた。
何の悔いも無い。
何の迷いも無い。
今この瞬間、胸の中に確かにあるのは、何年にも渡って膨らみ続けた彼への想いだけ。
「・・・純一君は、今どんな気持ちなのかな?」
私と同じく、新郎側の控え室で待っているはずの彼の姿を思い浮かべる。
昨日までだって妙に落ち着きが無かったりそわそわしていたというのに、その当日である今日に限って落ち着いているというのはまず有り得ないだろう。
きっと今頃、控え室で立ったり座ったり水を飲んだり忙しなくしてるんだと思う。
その想像に、思わず笑みが零れた。
今でも、彼は変わらない。
勿論大人っぽくなってるし背も伸びたけど、その優しさは付き合い始めたあの頃と同じく・・・暖かい。
包み込むような彼の優しさに、私は今まで何度救われただろう。
そして、これからはずっとその優しさに触れられるのだ。
誰よりも近い場所で、誰よりも多くの時間を・・・。
「・・・そろそろかな?」
随分と長い間ぼんやりとしていたので、もうそろそろ係りの人が呼びに来る頃かもしれない。
そう思って立ち上がった矢先――。
”コンコン”
「あっ、はい。どうぞ」
「失礼するよ、ことり」
ノックと共に入ってきたのは、大人っぽいワンピースドレスを身に纏っているお姉ちゃんだった。
D.C. SS
「結婚式 ―本当の笑顔―」
Written by 雅輝
「あれ、どうしたの?お姉ちゃん」
「・・・」
「? お姉ちゃん?」
「あ・・・ああ。ごめんごめん」
お姉ちゃんは苦笑しながらタバコを取り出して、「いいかい?」と私に了解を取ってからその内の一本を咥える。
「いや、正直に言うとね。我が妹ながら立派に育ったものだなって、感激しちゃってさ」
「お姉ちゃん・・・」
「綺麗だよ、ことり。凄く似合ってる」
真顔でそんな事を言ってくるものだから、ついつい顔が赤くなってしまう。
「え、えへへ。さすがにそこまで言われると照れちゃうよ。・・・でも、ありがとうお姉ちゃん」
私が笑顔を見せると、お姉ちゃんもつられた様に微笑んだ。
「良い笑顔だよ、ことり。こりゃもう、完全に心配することもなさそうだね」
「心配?」
私の問いにお姉ちゃんは「フーー」と紫煙を一度吐き出すと、「今だから言うけど・・・」と前置いて言葉を続けた。
「昔・・・初めてことりが白河の家にやってきた時。私にはことりの心が分からなかった」
「あ・・・」
「いつも、何を言ってもことりは笑顔で・・・辛いことも、悲しいこともあった筈なのに、まるで仮面を被ったようにいつも笑顔だった」
その時の事は、今も尚覚えている。
初めて訪れた家――そしてその中にいた見知らぬ人たち。
お義父さん、お義母さん、そして・・・お義姉ちゃん。
新しい家族と打ち解けたくて、でもどうすればいいのか子供だった私には分からなくて。
だから、私は笑顔という仮面を貼り付けた。
そうすれば、誰にも嫌われないと思い込んでいたから・・・。
「それからしばらくして仮面は無くなったけど、それでもその笑顔が私にはどこかぎこちなく見えた」
「自分の感情を抑え付けているような・・・いつも無理しているように映ったんだ」
「学園のアイドルって皆から呼ばれるようになってから、ことり、頭痛で早退する回数が増えただろう?だから余計に気になってね」
「お姉ちゃん・・・」
もしかしたら、お姉ちゃんにはお見通しだったのかもしれない。
私の心を読める能力・・・それがわかっていたとは思えないけど、でも私が何かを隠している事くらいは悟っていたのだろう。
それくらい、私の事をずっと見守ってくれていたんだ。
「でもね。それがいつからか、ことりの本当の笑顔を見られるようになったんだ」
「え・・・?」
「あれは確か・・・私の結婚式だったかな」
お姉ちゃんの結婚式といえば・・・桜の木が枯れてしまって、能力も消えてしまって、全てに怯えていた私を”朝倉君”が救ってくれた頃だ。
「あの時歌ってくれた歌も勿論だけど、それ以上に私はことりの笑顔が嬉しかったんだ」
「全ての膿を取り除いてきたような・・・新婦の私より晴れやかで、輝いた笑顔だったよ」
「やっぱり、朝倉のおかげなんだろ?」
「・・・うん、そう。きっとあの時に純一君がいなかったら、私はずっとそのままだったと思う」
ずっとそのまま・・・誰にも心を開けず、ただただ怯えてばかりの日々。
もし彼が来てくれなかったら・・・来たのが彼じゃなかったら。
私は間違いなく、今でも先の見えない暗い毎日を送っていたのだろう。
「まったく・・・いつもめんどくさそうな顔をしているあいつが、まさかあそこまで頼りになるとは思わなかったよ」
「ことりには話したこと無かったかな?あの時ことりが式場にまだ来ていないと分かって、真っ先に掛けたのが朝倉の携帯なんだ」
「そうだったの?」
「ああ。それでことりがいなくなったことを説明すると、電話口から今まで聞いたことのないような決意に満ちた声が返ってきた」
「『ことりは必ず俺が連れて行きますから、任せてください』・・・ってね」
「・・・」
その話は初耳だった。
あの時、純一君が来たのが予想してたより早かったから疑問には思ったけど、まさかお姉ちゃんが連絡してたなんて・・・。
でもそれよりも、お姉ちゃんの話を聞いてるだけで純一君の想いが伝わってきて、それが嬉しかった。
「・・・そしてちゃんと約束どおり、朝倉はことりを連れて式場に来た。・・・まあちょいとばかし遅刻ではあったけど」
「そして、遠くからことりの歌を満足そうな目で見つめている朝倉を見て思ったんだ」
「きっと、ことりを幸せにしてくれるってね・・・」
手に持ったまま吸うことを忘れていたタバコを携帯灰皿に押し付け、お姉ちゃんはまた新たなタバコを1本咥え火を灯す。
私はその動作をぼんやりと眺めながら、次の言葉を待った。
「・・・私はね、ことり。もしかすると、朝倉に嫉妬していたのかもしれない」
「嫉妬?」
お姉ちゃんの口から予想外の言葉が出てきたので、言葉そのままに返す。
「・・・私達家族が十年以上掛かっても引き出せなかったことりの本当の笑顔を、会って数ヶ月の朝倉が引き出したんだからね」
「あ・・・」
「勘違いしないで。けっしてことりや朝倉を責めてるわけじゃないんだ。ただ・・・やっぱり悔しくてね」
お姉ちゃんは少し悲しげな瞳で一度煙を吐き出すと、「でも・・・」と言葉を続けた。
「私達は、ことりの笑顔を見れて本当に嬉しかったんだ。そして、それを成した朝倉にも本当に感謝した」
「だから、余計に歯痒かった。・・・私はこの十年もの間、いったい何をしていたんだろうって」
「ことりの為に、何をしてあげられただろうってね・・・」
その台詞の語尾は、震えていた。
そして、お姉ちゃんのメガネの奥の瞳から零れ落ちる一筋の涙。
お姉ちゃんの涙を見たのは、もうあの結婚式以来になるだろうか。
「・・・お姉ちゃん」
そして、たぶん私も。
この数年間は本当に幸せすぎて泣くことなんて無かったけど、それでも今この頬に感じているのはきっとそれなのだろう。
折角の化粧が落ちてしまうかもしれないが、今の私にはそんな事を気にする心の余裕なんて無かった。
「お姉ちゃん!」
「こ、ことり?」
動きにくいドレスで何とか足を踏み出し、目の前のお姉ちゃんに抱きつく。
お姉ちゃんも最初は驚いた様子だったけど、すぐに抱きしめ返してくれた。
「お姉ちゃん・・・私は、お姉ちゃんからいっぱい貰ったよ?」
「・・・え?」
「いつも見守ってくれた。いつも優しくしてくれた。いつも心配してくれた。いつも・・・傍に居てくれた」
「ことり・・・」
「お姉ちゃんはいつも、私に何かを与えてくれた。確かに血は繋がってないけど、本当の家族以上に接してくれたって思ってる」
「こ・・・とり・・・」
「私、お姉ちゃんの妹になれて本当に良かった。・・・私がここまで育つことができたのも、お姉ちゃんのおかげなんだよ?」
「だから、今日の旅立ちを、お姉ちゃんに、見送ってもらえて、私、ひっく・・・わた、し・・・は・・・・・・」
しゃくり上げながらも、必死に言葉にしようと紡ぐ。
溢れ出てくる涙を誤魔化そうとお姉ちゃんを見てみると、お姉ちゃんの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、余計に私も涙が止まらなくなった。
「私も・・・私も、ことりの姉になれて・・・本当に・・・本当に・・・っ」
それ以上、言葉は要らなかった。
――「でも、テレパシーなんかなくたって、夢を覗き見なくたって、気持ちは通じ合える」
――「きっと、分かり合える」
あの時の純一君の言葉が頭に蘇る。
・・・そう、心を読める能力なんて無くても、こうして人は通じ合える。
言葉すら無くても、きっと分かり合える。
「・・・」
「・・・」
私達はお互いに涙が収まるまで、温もりを感じるようにただ静かに抱きしめあっていた。
「ふふ、お姉ちゃん。酷い顔だよ?」
「そう言うことりだって。花嫁が何て顔をしてるんだい」
涙が止まって、お互い離れて。
最初に口をついて出たのは、そんな言葉だった。
”コンコン”
「係りの者です。そろそろ出番なのでお伝えに来ました」
そんな時耳に届いたのは、控えめなノックの音と外から聞こえてくる時間切れを示す声。
「あっ、わかりました。すぐに行きます」
「はい、宜しくお願いします」
その言葉と共に、徐々に遠ざかっていく足音。
ふと時計を見ると、確かにそろそろ出なければ間に合わない時間だった。
「それじゃあ、お姉ちゃん」
「ああ・・・」
お姉ちゃんの返事には何か言いたそうな響きがあったけど、そのまま口を噤んでしまう。
だから、私がお姉ちゃんの言いたかったであろう言葉を、先に言うことにした。
「お姉ちゃん」
「え?」
「・・・いってきます!」
それはいつも家を出るときは必ず行なっている挨拶。
でも、今日のは少し意味が違う。
――卒業。
私は今日、お姉ちゃんから卒業するんだ。
だからその言葉を、私が今出来得るとびきりの笑顔と共に。
そして――。
「・・・ああ。いってらっしゃい、ことり」
それは”朝倉ことり”としての、幸せの始まり。
後書き
予定よりだいぶ早い更新となりました、55555HITリクエスト作品!
今回はリクエストにより、D.C.より白河ことり嬢となったわけですが。
ジャンルはシリアスということで、色々と頭を悩ませた結果完全オリジナルでいくことになりました。
まあSSってだいたいそんなものだとは思いますが、最近はゲーム本編に沿って書くことが多かったので少し新鮮だったり・・・。
そして今回のSSでは暦先生が大活躍!(笑)
主人公が登場してないよ・・・orz
そしてリクエストにあった「アニメ第2期をことりエンドで〜〜」というものからはだいぶ遠くなってしまいました。ごめんなさい、かずっちさん(泣)
まあでも自分にしてはかなり良く書けた方だと思います。
昔を思い出す、ことりと暦先生の心情を悟ってもらえれば嬉しいです。
それでは最後に、リクエストしてくださったかずっちさん、そしてここまで読んでくださった読者の皆様方、本当にありがとうございました!
これからも頑張りますので、応援よろしくお願い致しますm(__)m
ことり「感想は、こちらまでよろしくお願いしまっす♪」