俺が以前珠津島で生活していたのは、もう随分と昔の話だ。
その時にはもう、回数は十に届く頃だったと思う。そんないつも通りの転校。一年間だけの、時間が限られた生活。
俺はそこで、ある姉妹と出会った。活発な姉と、大人しい妹。今思えば、俺が唯一幼馴染と呼べる存在かもしれない二人と。
そうして、何事もなく期限の一年が過ぎようとしていた。俺なりの処世術の賜物である平穏な時間が。
しかしそんな考えは、ある日を境に一気に吹き飛んでしまった。
その日、俺は放課後の学校の廊下を歩いていた。たぶん、忘れ物でもして教室に引き返したのだろう。
すると突然、ガシャーーーンッと派手な音が廊下まで響いてきた。急いで音の方へと向かってみると、俺のクラスの窓ガラスが一枚割れている。
中には、二人の男子がいた。掃除の時間でも無いのに箒を持っているところから見て、おそらくチャンバラでもやっていて割ってしまったのだろう。
その様子を俺は、教室の出入り口からじっと見ていた。どうしたものか、と思いながら。
やがて、二人の会話が聞こえてくる。その内容は、俺に罪を被せようというものだった。
どうせ、もうそろそろ転校するのだから。どうせ、転校後は俺たちのことなんて忘れているだろうから。
二人はそのままじゃれ合う様に教室を出て行ったが、咄嗟に身を隠した俺はそのまま呆然と立ち尽くしていた。
しかし、裏切られたという気持ちにはならなかった。当然だ。彼らにそんな言葉を吐かせたのは、他の誰でもない俺なのだから。
表面上の付き合いを優先し、決して人と深く関わろうとしない俺の処世術。そんな愚かな俺を、クラスメイトたちは見抜いていたのだ。
そして俺は、一つの決心をする。生き方を変えようと。しかしそれはまったく負の方向へと。
もう誰とも親しくならない。中途半端に接するくらいなら、一人のままでいよう。
俺はその日から、心を閉ざす。珠津島の小学校で迎える、最後の日まで。
その日は、クラスで簡単な送別会が行われた。
皆が恒例のように別れを惜しんでくれた。その中には、俺に罪をなすりつけたあの男子たちもいた。
途端にそいつら以外のクラスメイトの表情までもが、薄っぺらく見えた。全てが全て、まったくの嘘なのだと。
だから俺は、笑顔の皆に囲まれて、しかし一人だけ笑わなかった。欺瞞に溢れる教室で、ただ一人だけ真実を悟ったような気分になっていた。
そして放課後。俺は誰にも別れを言うことなく、真っ先に教室を出る。表情を変えるな、悲しむのは心の中だけで充分だと。
「待って、孝平くん!」
早足で廊下を移動する俺の背中に、聞き覚えのある声が掛かった。振り返るとそこには陽菜が息を切らして立っている。
「どうしたの?」
俺はそんな彼女に対して全ての感情を殺し、無表情で問いかける。
「えっと、その・・・ま、また会えるよね?」
その頃は今よりも遥かに消極的だった陽菜にとっては、それでも勇気を振り絞って言ってくれたのだろう。
「なんで?」
しかし俺はそんな陽菜の勇気を、無表情に切り捨ててしまう。
「え?」
「もう会えないよ。ボクは転校して、遠くに行っちゃうんだから」
「で、でも・・・」
「それに、他のクラスメイトも同じだよ。結局誰もボクを友達として見てない。きっと、誰も会いたいなんて思ってくれない」
それは隠していたはずの本音だった。なぜかその頃から、陽菜に隠し事は出来なかったんだ。
しかし。残酷な言葉を受けて悲観に暮れると思っていた陽菜は、真剣な表情で必死に俺に・・・俺の心に語りかけてくれた。
「それは違うよ、孝平くん」
――何が違うんだ。何が間違ってるんだ。
「私は違う。私はずっと友達だよ」
――嘘だ。キミだって、今はそう言ってても転校したらきっとボクのことなんて忘れてしまう。
「離れていたって、友達でいられるんだから」
――どうしてそう言えるんだ。今までみたいに、話したり遊んだり出来ないんだぞ。
「いつまでも、ずっと・・・」
――そんな、そんな言葉・・・信じられない。
陽菜は言う。「これから毎月15日、孝平くんに手紙を書くよ」と。
言葉にされずとも、伝わってきた。繋がりが無くなってしまうのなら、作ってしまえばいいと。
最初、俺は拒んだ。しかし陽菜のあまりの必死さに、渋々ながら了承した。どうせ来ないと高を括って。
転校してから一週間。約束の15日がやって来た。期待していなかっただけに、郵便受けにピンク色の手紙を見つけた時は、心が震えた。
正直、救われた気分だった。いや、実際俺は救われた。馬鹿な方向に走っていた思考を、陽菜が正してくれたのだ。
俺には、俺のことを忘れないでいてくれる人がいると。
それから、彼女との文通が始まる。最初は月に一度だった手紙も、互いにそのペースを速めていった。
何十通と手紙を書き、また同じ数の手紙を貰った。陽菜の言葉のように、「いつまでも、ずっと」続くと、疑いもせずに思っていた。
――そう、陽菜が事故に遭って、記憶を失うまでは。
FORTUNE ARTERIAL SS
「Second Love 〜二度目の恋〜」
Written by 雅輝
「随分と懐かしい夢を見たもんだ・・・」
俺はまだ起き抜けでボンヤリとした頭を軽く振り、つい先ほどまで見ていた夢の内容を反芻した。
まだ小学生の頃の話だ。我ながら子供にしてなかなか穿った考え方をしていたものだと、呆れ半分に自嘲する。
今更、あの頃の夢を見るなんて・・・。
「やっぱり、昨日のことが原因なんだろうなぁ・・・」
俺はそう呟きながら、ゆっくりと昨日の記憶を辿っていった。
最近学院で噂されていた吸血鬼騒動。それが発端となり、副会長の正体が陽菜に知られてしまった。
本来、人に正体を知られてしまった吸血鬼が取る手段は2つ。その人の記憶を消去するか。または、口封じ――つまり殺してしまうか。
これまでの長い歴史の間も、そうして吸血鬼は自らの正体を人間に悟られないようにしてきたのだという。
だが、一晩悩んだ副会長が出した結論は、そのどちらでも無かった。
陽菜を信じて、真実を教える。そして昔、陽菜に正体を知られてしまったが故に奪った記憶を甦らせる。
それが副会長が、陽菜の友人として選んだ答えだった。
よくよく考えてみれば、妙な話だ。記憶を失うほどの事故であったにも関わらず、被害者の陽菜自身の体はほぼ無傷だったのだから。
記憶を取り戻し、友達に命を救われたことを思い出した陽菜。
結果的にたった一人の友達であった、陽菜の記憶を消さざるを得なかった副会長。
そんな二人が、互いに再会の喜びを分かち合うように抱きしめ合う姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
二人の頬には、様々な感情を噛み締めた、美しい涙が伝っていた。
回想の間に学校へ行く準備を終えた俺は、いつもよりまだ随分と早い時間にも関わらず寮を出る。
空は快晴。まさに五月晴れ。清々しいほどの日光を浴びながら、俺は学校に着くまでの間、もう少しだけ思考に浸かることにした。
――吸血鬼の記憶の消し方というのは、「事象」ではなく「期間」を概念とするらしい。
吸血鬼である自分と関わった一つ一つの事象ではなく、自分と関わった一番最初からそれまでの期間全て。
つまりあの時、副会長が陽菜の記憶を消すためには、彼女が陽菜と出会ったその日から消さなくてはいけないわけで。
それは丁度、俺が転校してきて間もない頃だったのだという。だから陽菜にとって、俺はただの転校してきたクラスメイトでしか無かったわけだ。
それが、事故直後の陽菜にとっての俺。かなでさんの説明によって「幼馴染」という付加価値が付いたものの、所詮それも形だけ。
中身が伴わない記憶など、果たしてその人にとって意味があるのだろうか。
後から人に聞いて、それを自分の記憶としていって。しかしそれには全くと言っていいほど実感が薄くて。
そんな陽菜がどれほど辛かったかなんて、俺には想像も出来ない。痛みを分かち合えないのが、堪らなく歯痒かった。
――事故から3週間後。約束の15日が、その月もやってきた。
交わしていた手紙は、あの事故以来陽菜の番で止まっていた。仕方ないと分かっているのに、心は勝手に沈む。
だからその日、郵便受けにピンク色の便箋を見つけた時は、何かの間違いじゃないかと思った。
すぐに自室へと駆け戻り、震える指で封を切る。そこには今までと変わらない可愛らしい字で、いつものように日常的な雑談が書かれていた。
両親のこと。学校のこと。当時のクラスメイトのこと。かなでさんのこと。
勝手に大人しいと思い込んでいた陽菜の心は、しかし誰よりも強かった。
だが当時の俺は、その手紙を手に立ち竦む。
すぐに返事を出そうと思った。そうして、また今まで通りの文通が始めようと。
しかし、とうとう最後まで実行には移せなかった。
今なら、その理由もハッキリと分かる。俺は、怖かったんだ。
陽菜はこうして手紙を書いてくれた。それは単純に嬉しい。しかしそれは、本当に「ボク」に対してなのだろうか。
ほとんど覚えていない元クラスメイトに対して、こうして手紙を送れる陽菜を俺は信じることが出来なかった。
そのまま文通を再開する本当の「意味」というものを、当時の俺は見つけられなかった。だから・・・逃げた。
今でも時々、馬鹿なことをしたと後悔することがある。
あの時勇気を出していれば、それがたとえほんの少しだとしても、陽菜の心を癒せたかもしれないというのに。
手紙を返す理由なんて、それで十分だったはずだ。そうだろ、当時の俺。
――なぜならお前はあの頃、陽菜のことが好きだったのだから。
「・・・あの頃、か」
自分の思考にも関わらず、俺は若干の違和感を感じた。
あの頃。当時。その瞬間。言い方は多々あるにしても、果たして本当に「そう」なのだろうか。
陽菜が好きだという想いは、そんな限定品だったのだろうか。
確かに存在していたその気持ちは、とうの昔に枯れてしまったのだろうか。
「・・・」
いつの間にか、教室の目の前に立っていた。思考に浸かりすぎるのも考え物だ。
疑問に対しての答えを出せぬまま、俺はそんな自分から目を背けるように教室のドアを開ける。
「こ、孝平くん!?」
「・・・陽菜」
まだ誰も来ていないと思っていた早朝の教室に、ただ一人。件の彼女が、窓の外を眺めながら佇んでいた。
another view 〜悠木陽菜〜
「・・・」
”サアアアァァァァァァァァッ”
体中を軽く打つシャワーの音を聞きながら、私はボンヤリと浴室の天井を眺めていた。
昨晩はなかなか寝付けなかったせいか、まだ頭がうまく働いていない。
寝起きに朝風呂でも浴びればスッキリするかと大浴場まで足を運んだけど、たいして効果は無かったみたい。
こうして頭からシャワーを被っていても、その頭を回っているのは昨日のこと――蘇った記憶のことばかりなのだから。
シャワーを止め、火照った体のまま大浴場を出る。
頭こそスッキリしなかったものの、目はしっかりと覚めてくれた。寝なおすと起きられなくなりそうなので、そのまま学校に行く準備を始める。
朝食を取り、身だしなみを整え、学院の制服を纏う頃になっても、まだ始業まで一時間以上あった。
どうしようかと少し悩んだけど、自室に居ても特にすることが無いので、寮を出ることにする。
「・・・すごく、いい天気」
外に出ると、まだ昇り始めて間もない太陽が、燦々と学院中を照らしていた。見上げると、雲一つない青空が広がっている。
その広くクリアな大空は、まるで靄が消えた私の記憶のようだった。
記憶を失ってから昨日まで、私の心の中には小さな箱があった。
それはとても小さくて、存在すら曖昧なものであったけど、どんな時でも心の片隅にチラついていた。
とても大事なものなのだと、本能で分かった。でも、それだけ。
ボンヤリとしていて、外からは中身が覗けない小さな箱。
蓋を開けようにも鍵も無く、開け方すら忘れてしまった小さな箱。
その存在は、常に私にその箱と同じような大きさの不安を与えていた。
その中には、とても・・・とても大切な想いが詰まっていたはずなのに――。
でも昨日、長年堅く閉じられていた箱が開かれる。
それは、孝平くんを信じた結果だった。孝平くんに従って、千堂さんに会って、そして――。
封印されていた一年間の記憶が、一気に蘇ってきた。
いや、蘇ったは少し正しくないかもしれない。まるで元からそこにあったかのように、自然と自身の「記憶」として存在していた。
千堂さん――エリちゃんとの出会い。年度始めにやってきた転校生。お姉ちゃんと、その男の子と過ごす楽しい日々。
そして、また転校してしまう男の子と交わし始めた文通。そのきっかけと、根底にあった想い。
今まで求めて止まなかった記憶の全てを、私は手にしていた。その時の感情も、何もかも。
『孝平くん・・・』
心の中で一度、彼の名前を呼んでみる。
『孝平くん・・・孝平くんっ・・・』
そのまま続けて、二度三度。
それだけで気持ちは安らぎ、心は温かくなり、何とも言えない幸せな気分になれる。
――私はどうやら、同じ人に二度も恋をしちゃったみたい。
封じられていた初恋と、今この胸にある二度目の淡い恋心は、まるで液体のように溶け合って大きな想いを象った。
『気づくのに、結局一晩掛っちゃったけど・・・』
恋愛に関する経験がまったく不足していた自分に内心苦笑し、いつの間にか辿り着いていた教室へと入る。
当然、中には誰もいなかった。私はカバンを自分の席に置くと、そのまま席に着くことはなく窓辺に歩み寄る。
このまま誰か来るまで、のんびりと晴れ渡った空を眺めているのもいいかもしれない。と、そんな事を考えたその直後。
”ガラッ”
「こ、孝平くん!?」
「・・・陽菜」
まったく予期していなかった想い人の登場に、私は思わず上ずった声で彼の名を呼んだ。
そして、互いに一歩も動けなくなる。張りつめた空気、というやつだろうか。
私は二人きりというこのシチュエーションに動揺して何も言葉にならなかったし、彼も私の顔をじっと見つめたまま硬直しているようだった。
数十秒後、そんな空気を破るように軽く頭を振った孝平くんが、ぎこちない笑顔で教室の入り口から歩み寄ってくる。
「よ、よう陽菜。今日は随分早いじゃないか」
「う、うん。ちょっと早く目覚めちゃって・・・孝平くんは?」
「実は俺も早くに目が覚めて・・・」
「そう、なんだ」
「ああ・・・」
「・・・」
「・・・」
会話終了。
だめだ、意識しすぎてまともに孝平くんの顔を見ることすら叶わない。それくらい、好きという気持ちが溢れすぎていた。
どうしよう、何か話題を探さないと。孝平くんにも変だって思われちゃう。
「あ、あの、孝平くん」
「な、なんだ?」
「今日の夜、孝平くんの部屋に行ってもいいかな?」
「・・・へ!?」
酷く驚く孝平くんを目の当たりにして、私も自分の間違いに気づく。
「ち、違うの!そういう意味じゃなくて、お、お茶会を開きたいなって・・・」
咄嗟に早口で捲し立てる。恥ずかしすぎて、顔から湯気が出そうだった。
「そ、そうだよな!お茶会だよな!?」
「そ、そうだよ!お茶会だよ!」
「じゃ、じゃあ俺は司と白ちゃんと副会長を誘っとくよ」
「う、うん、私はお姉ちゃんに声を掛けてみるね?」
誰もいない朝の教室の中。私たちはお互いに真っ赤な顔で、何度も「お茶会」の確認をし合っていた。
another view end
another view 〜千堂瑛里華〜
例の吸血鬼と思われる存在を探すために朝の校舎を見回りに来てみると、誰もいないはずの教室から人の気配がした。
一応警戒は怠らないようにしながら、慎重にドアの隙間から中を覗き見る。
するとそこには、私としても予想外の二人の姿が。
『支倉くんと、悠木さん?』
何をしているのか気になって、悪いとは思いつつもそのまま少しの間様子を観察する。
・・・どうやら、二人ともたまたま目が覚めてしまったらしい。
しかしそんな二人の空気は・・・なんというか、恋愛など今までしたことがない私でも分かるほど、互いを意識しまくっていた。
「はぁ・・・まったく、見ちゃいられないわね」
私はそう呟きながら覗いていた教室のドアを静かに閉めると、そのまま監督生室に向かって歩き始めた。
二人は終始顔を赤く染め上げ、傍から見ている分には微笑ましかったのだけど。あのままじゃなかなか発展しそうもない。
でも最後にはなかなか面白い話を聞けた。どうやら今日の夜、またいつものメンバーでお茶会をするらしい。
「ふふっ、悪く思わないでね?二人とも」
思わず笑みが零れた私は、スカートのポケットから携帯電話を取り出して、メール画面を呼び出す。
宛先は、白と八幡平君と悠木先輩にして・・・内容を打ち込み、一斉送信。
「さってと。それじゃあ私は、今の内に仕事を片付けておきますか」
役目を終えた携帯をしまって、グッと歩きながら背伸びをする。
今日は何が何でも定時に彼を返してあげなくては。それが彼の仕事上のパートナーである、私の役割。
「・・・これで、後はあなたたち次第よ」
――願わくば、あのお似合いのカップルに幸があらんことを。
another view end
「ううぅ〜〜〜」
ウロウロ。
ウロウロウロウロ。
その日の夜。お茶会の準備を終えた俺は、唸り声を上げながら部屋を行ったり来たりしていた。
自分でも落ち着きが無いと自覚しているものの、何かをしていないと気が済まない。
結果的に準備は30分以上も前に終わってしまい、それからというもの時計と天井を交互に見つめる時間が続いている。
「ここに・・・陽菜が来るのか・・・」
今更当り前のことを口に出して、余計落ち着かない気分になってしまった。
簡易テーブルを挟んで向かいに副会長と白ちゃん。その更に奥のベッドに司。右隣にかなでさん。そして左隣に――。
「・・・こりゃ重症だな、俺」
恥ずかしさを噛みしめるように前髪をクシャッと握って、自分自身を戒める。
昨日のことから陽菜のことを考える時間が多くなった。ただそれだけのはずなのに。
”コンコンッ”
「っ!!」
その時、ノックの音が聞こえてきて俺は体をビクリと震わせた。ドアの方ではなく、ベランダの方から来たらしい。
すぐに歩み寄り、ベランダのカーテンと鍵を開ける。
「こ、こんばんわ」
そして恥ずかしげに挨拶してくる陽菜の姿が・・・って、あれ?
「ま、まあとりあえず上がってくれ」
「うん、お邪魔します」
陽菜を連れだって部屋の中へと戻り、二人して腰を下ろす。陽菜はいつもの定位置に座っているので、その距離は肩が触れそうなほど近い。
俺は一呼吸置いて、とりあえず先ほど感じた疑問を口に出す。
「それで、かなでさんは?」
そうなのだ。ベランダにいたのは陽菜一人。
普段なら奇襲でも仕掛けるのかと思えるほどの勢いで部屋の中へと飛び込んでくるかなでさんの姿が、どこにも見当たらなかった。
「それが・・・誘ったんだけど、今日は別の友達とお茶会するからってそっちに行っちゃって・・・。他のみんなは?」
「それがさ、こっちもなんだ。副会長は仕事が残ってるって残業してるし、白ちゃんは今日は実家に帰ってるらしい。司は連絡が取れない」
「そ、そうなんだ」
「あ、ああ」
「・・・」
「・・・」
ということは・・・もしかしなくても、今日のお茶会は二人きり?
・・・気まずい。非常に気まずい。陽菜もそれを理解したのか、赤らめた顔を俯かせてるし。
無言の時間がしばらく続く。相変わらず触れそうで触れない距離にいる陽菜が体を揺らす度、俺の胸の鼓動はスピードを増していくかのようだった。
「・・・そ、その、俺、司の部屋に行ってみるな?もしかしたら、寝てるだけかもしれないし」
先にその雰囲気に耐え切れなくなったのは、俺の方だった。
言い訳がましくそう前置いて、ぎこちなく立ち上がる。
「あ――――」
そのまま部屋を出ていこうとした俺の背後から、掠れたような声が聞こえた――その瞬間だった。
”トンッ”
「――っ!?」
背中に軽い衝撃と温かな存在を受けて、俺は思わず息を飲み、その場に立ち止まった。
振り向かなくても、この体は感じていた。俺の背中に体を寄り添わせる、陽菜の存在を。
”トクンットクンットクンッ・・・”
耳に響くその心音は、いったいどちらのものなのだろう。
「――――いで」
「え?」
「もう、どこにも行かないで・・・孝平くん・・・」
「陽菜・・・」
背にいる彼女の体は、細かく震えていた。
何を不安に思って、何に怯えているのかは分からない。でも今の俺は、どうしようもなくそんな彼女を救ってやりたいと思ってしまった。
「・・・陽菜っ!」
「あ・・・っ!」
俺は背中に張り付いていた彼女に気を遣いながらゆっくりと振り返り、胸に燻ぶる衝動のまま抱きしめた。
折れてしまいそうなほど細い陽菜の体を、強く、でも可能な限り優しく、胸の中に閉じ込める。
すると陽菜の方からも、おずおずといった感じで俺の背中に腕が回された。
――どれくらいそうしていただろう。
やがて、俺は陽菜の首筋に、陽菜は俺の鎖骨辺りに埋めていた顔を、お互い上げて見つめ合う。
陽菜のその潤んだ可愛らしい瞳を見つめて、ようやく俺は実感する。何で今まで気づかなかったんだろうと。
――幼い頃から彼女だけが、一番愛おしい存在だったのに。
「孝平・・・くんっ・・・」
陽菜が涙声で俺の名前を呼んで、そっと目を瞑る。
「陽菜・・・」
もう、それ以上の言葉は必要なかった。
今この瞬間。確かに俺たちの心は通じ合っているのだと、確信できるのだから。
だから俺も、彼女に顔を寄せながら目を閉じる。
そして、互いの距離が零になるとき。
「「んっ・・・」」
――初恋から発展した俺たちの二度目の恋は、重なり合った唇から静かに溶け合っていく。
後書き
「FORTUNE ARTERIAL」SS第二作目、今回はわがヨメ陽菜を書いてみました〜(爆)
っていうか、予想以上に長くなってしまった。何故か私の場合、短編を書けば書くほど長くなってきているのは気のせいでしょうか(汗)
さて、今回は本編の「瑛里華トゥルールートからの分岐」をテーマに書いてみました。
陽菜シナリオも文句なしだったのですが、私的には陽菜が記憶を取り戻してこそ、トゥルーエンドだろってことで。
かなり急展開のように感じられるかもしれませんが、幼い頃より想い合っていた二人。そこはご理解を。
実は30万HITのリクエストも陽菜で頂いているのですが、私が見事に勘違いしてまったく別物になってしまいました。
ってことで、近日中にもう1本、今度はリクにちゃんと沿うような陽菜SSを書きます。そちらも是非よろしく☆
それでは、これにて。
陽菜 「感想や意見は、こちらにお願いします」