蝉の声と、夏草の揺れる音。
筆を立てて、さらさらと走らせる。
葉書に文字を書いている彼女を見て、彼は尋ねた。
「何をやっているんだ?」
「暑中見舞いです。もうすぐ立秋ですから、それが過ぎる前に送らないと」
ぴっ、と筆をはらい、最後に朱の判を押す。
ほんの数分とかからずに終えられる作業を、彼女は好んで手書きしている。
それも、わざわざ着物に着替えて。
「凝り性だなぁ」
「いいじゃないですか、こだわっても」
青い瞳が愛しい男性を見つめる。
遠い異国の地で出会い、男性の国では異人として敬遠されていた彼女。
忙しい仕事、それでも必ず愛しい彼女の元へと帰って来た彼。
その日々も、もうすぐ終わりを迎えようとしている。
彼は今、病の身。
死を宣告され、愛する人を置き去りに、二度と帰らぬ永遠へと旅立つ。
余命は、もう幾許も無い。
「雪生は、今頃どうしているかな」
「悠香を連れて、来るそうですよ」
うっすらと笑う彼。
その笑顔を見て、彼女も笑う。
「孫の顔を見られたことが、何より嬉しいよ」
「はい。私も、孫を抱けました」
異国の訛りは既になく、口から紡がれるのは流暢な日本語。
「……クリス」
「はい」
懐かしい呼び名。
彼にそう呼ばれるだけで、今も変わらず彼女の胸はときめく。
「……私の名前を、書いてくれないか」
「はい……」
硯に溜めた墨を筆につけ、さらりと。
『三井 清蔵』
「……綺麗だ」
異国の文字を、どれほど練習したことだろう。
彼女の書く文字は、既に彼の字よりも優美であった。
「あなたも、私の名前を書いて下さい」
「うむ……」
震える手に、筆を握る。
『三井 クリスティーナ』
文字は、歪んでいた。
「力強い字ですわ」
「……ありがとう」
その年、夏の盛りに。
三井清蔵は、この世を去った。
愛妻、クリスティーナと息子である三井雪生、そして多くの家族と友人に見送られ。
遺族へあてた手紙は筆で書かれ、またひどく歪んでいたが。
クリスティーナは朗々と、そして淀みなく読み上げた。
「夏の盛り、暑中の見舞いを申し上げると共に――――」
終
あとがき:
暑中見舞いぎりぎりということで、一筆してみました。
もうこの世にはいない二人の、最後の会話。夏の一時。
書いてみて感じたのですが、やはり雰囲気が似てるんです。曾孫カップルに。
慎ましく淑やかな女性と、強く芯のある男性。
このとき二人とも五十手前なのですが、昔は今と違って医療も発達しておらず、
また平均寿命も短かったので、このくらいの年齢で亡くなるというのはそう珍しい
ことではなかったという。
管理人の感想
暑中見舞いということで、超短編を頂きました^^
冴霞の曾祖父母にあたる二人。冴霞の青みがかった瞳の元来の持ち主と言えるクリスティーナと、その伴侶である清蔵のお話。
清蔵が病の床に伏せっても、二人の愛は変わらず揺るがず。まさに理想といえる夫婦を、死という現実が分かつ直前。
確かに、この二人を見ていると本編主役の二人を思い出しますね。クリスが冴霞同様、丁寧口調だからでしょうか。
まさに過ぎし夏、という表現がぴったりな作品でした。