B&G High School Memorial
十月九日。
土曜、日曜、月曜の三日間を使って行われた県立陽ヶ崎高等学校の文化祭は、振り替え休日が二日間ある。初日である八日には文化祭の打ち上げが行われ
ており、新崎謙悟はその会場である欧風喫茶レストラン『ひいらぎ』で、最愛の恋人である今村冴霞との関係を公の前で発表した。その場に集まった級友
たちは皆、等しく祝福してくれたが――――当然、そうではない人間が出てくるだろうということも、謙悟には想像がついていた。
今村冴霞はこれまでも度々述べてきたが、容姿端麗にして品行方正成績優秀スポーツ万能敏腕政治家として名高い名生徒会長であり、その人気は陽ヶ崎
高校のみに止まらない。市内はおろか県内の高校でもその名は知られており、他校の生徒会との合同会議でも議長を務めていたりするほどの人気者かつ人望
溢れる存在であり、またそうした彼女を尊敬する者は多い。
そうした尊敬だけならばまだ良いのだが、やはり冴霞は女の子である。しかも見目麗しいほどの美少女となれば、当然避けては通れない組織の存在も出現
してくるというのが世の常であり、彼女の立場上その組織は非公認のものとして扱われている。
――――そう。古来より偶像崇拝という信仰により成立してきた、崇め奉る行為。それを組織化し、対象を美化し、またその対象が穢れる事を良しとは
しない盲心的な集団。もちろん参加する人間の全てがそのような偏執を抱く訳ではないが、かといって絶無と言い切れるほどではない。
即ち、ファンクラブの存在。謙悟も男子である以上そういった組織があるという事はクラスメイトや友人である高平継、白瀬勝人からも聞いた事があるが、
正直それほど大がかりな組織ではないだろうと高を括っていた。しかし……。
「こんなもん出されちゃ、黙ってもいられないか…………」
昨日の今日でこの行動力は、正直呆れると同時に感心せざるを得ない。朝早くのロードワークから帰ってきた自宅のポストに突き刺さっていたのは、新聞
だけではなく消印の押されていない封筒。差出人は『今村冴霞ファンクラブ代表』。他の人間が見たら破って捨てそうな名前である。勿論謙悟も最初はそう
しようかと一瞬考えたが、やはり中身は気になる。封筒爆弾という単語が一瞬頭を過ったが、まさかそこまで過激な事はしないだろうと封を切ると、中に
入っていたのはごくごく在り来たりな便箋。字もそれなりに綺麗な方だった。
「……『拝啓、新崎謙悟様。突然このようなお手紙を差し出す無礼を、まずはお許し下さい』」
――――ですが、貴方と我々の尊崇する今村冴霞様の関係を認められない事もまた事実です。つきましては、貴殿との話し合いのために一席を設けさせて
頂きました。本日午前十時、陽ヶ崎市夕陽丘二丁目の喫茶店『Haze』までお越し頂きたくお願い申し上げます――――。
しかし内容は丁寧な単語を適当に並べただけの、頭の悪い招待状である。いや、むしろこれは招待状などという礼儀正しいものではなく、明らかに謙悟に
対して喧嘩を売っているのと同義だろう。しかもこともあろうに。
「Haze、ね……馬鹿にしてるのか」
Haze……つまり、霞という意味の英単語である。あからさますぎる当てつけに謙悟は手紙を握り潰し、乱暴にジャージのポケットに押し込んだ。
この誘いを無視するのは容易いことだ。しかし相手はこちらの自宅を特定しており、最悪家族に手を出す事も無いとは言い切れない。そうなればまず狙わ
れるのは謙悟の妹であり、また冴霞も可愛がってやまない麻那が第一に挙げられるだろう。
家族に手を出される危険性がわずかでもある以上、事態は早々に決着をつけなければならない。それに加えて冴霞の事もある。彼女を崇拝している連中が
よもや崇拝対象に危害を加えるとは思えないが、アイドルを自分だけのものにしたいと思う人間もやはり存在する。その方法は――――考えたくもない。
時刻は午前六時半。肌寒さの残る朝方に、新崎謙悟は自宅の玄関を開けて帰宅する。
After School Festival
The Fight as a Man,The Fight as a Lover
陽ヶ崎市夕陽丘は住宅地でもあるが、住人の姿は疎らである。いくつも並べたてられたアパートはどれも老朽化している様が見て取れ、また昼間は人の
気配がほとんどない。その理由は、すぐそこに歓楽街が隣接しているためである。
健全な青少年が夜歩くには相応しくない街並みも、陽が高いうちはやはり静かなものだ。しかし所々に汚れは残っており、通りにはゴミが散乱しそれを
悪食のカラスたちが啄んでいる光景も珍しいものではない。破れたゴミ袋から漂う腐臭に胸の悪くなる物を感じながら、謙悟は目的地である喫茶店を探し
ていた。手紙には簡単な地図が描かれており、それの通りに歩いてはいるものの、なかなかお目当ての喫茶店は見つからない。
改めて街並みを見てみると、コンビニや薬局はまともに営業していた。住宅地らしくそれなりに店も開店の準備をしており、午前十時前という時間帯が
この閑散とした風景の原因なのだろう。歓楽街の傍だからといってそういう店に勤める人間ばかりが住んでいる訳ではなく、昼頃になればある程度の活気も
見込めるのかもしれない。暗い気持ちで歩いているから考えまで暗くなってしまうのだろうな――――と思いながら歩き続けていると、ようやく目的地に
辿り着いた。
「ここ、か……」
自分が知る喫茶店とはかけ離れた、暗い印象の喫茶店。店頭に掲げている看板にも書かれている通り、ここが指定された『Haze』だ。開店時刻は午前九時
からで、閉店時間は午後五時と少々早い。しかし歓楽街に行く客層を目当てとするのならば、この営業時間は意外と理に叶っているのかも知れないな、と
思いながら謙悟は店の扉を開く。
「…………いらっしゃい」
「…………」
来店を歓迎する店員の声は小さく、また無愛想なものだった。しかしそれ以上に謙悟が驚いたのは、客が自分の他には一人しかいなかった事だ。だが
その相手は見た事がない。少なくとも同学年では見た記憶はない。
「……アンタが、これを?」
「はい。どうぞ掛けて下さい、新崎謙悟くん」
男性が促すものの、不用心に従う謙悟ではない。それを察していたのか腰掛けている男性もスッと立ち上がり、謙悟と向かい合う。
「どうやら、かなり警戒されているようですね。確かにいきなり手紙を押し付けた事は無礼でした。この場を借りてお詫びさせていただきます。……ですが
分かって欲しい。こちらとしては新崎くんと争うつもりはないんですよ?」
「それはどうも、ありがたい話です。だけどアンタがそう言っていても、他の連中がどう出るかなんて分からないだろう? 俺はともかく、家族や周りの
人間を巻き込むような事は絶対にしないと、代表を名乗るアンタにそう誓って欲しいだけだ」
ややもすれば喧嘩腰な物言いだが、相手はそれに気を悪くした風も無くゆっくりと頷く。
「勿論です。新崎くんの周りの方にも、手を出すような事はしません。今村さんとの関係も、貴方が相手ならばと認める人間も多いんですから。しかし、
全ての会員がその意見に賛同している訳ではなく……残念ながら、私だけでは話し合いに応じてもくれないのです。そこで今日はそういったメンバーとの
話し合いをするために、私が仲介役として新崎くんを呼び出させてもらった訳です。場所を移しますが、よろしいですか?」
相手の慇懃な態度に謙悟も頷き、男性に導かれるままに店を出る。店員が小さな声で「ありがとうございました」と事務的な挨拶を述べるが、謙悟は半ば
聞き流していた。恐らく今後この店に来る機会はないだろうし、店員も初めての客に対して何の頓着もしていない。そのような店をいちいち心に留めておけ
るほど、今日の謙悟に余裕はなかった。
終始無言のまま十分ほど歩いて辿り着いたのは、歓楽街の一角にある小さな雑居ビルだった。階層は三階建て、そして謙悟が案内されたのは最上階である
三階。広い吹き抜けの室内に待っていたのは――――それぞれに武装した、十五人以上のガラの悪い少年たち。
「……これで、話し合いをしろと?」
「ええ。ですが、こちらの方たちは証人に過ぎませんよ。新崎くんが今村さんとの交際を止める、という誓約をした事を証明するためのね」
暴力に脅される形での、強制的な誓い。それは脅迫以外の何物でもない行為であり、謙悟が想定していた中ではもっともシンプルなスタイル。
ぐるりと彼らの装備を見てみれば、木刀やメリケンサック、金属バットにゴルフクラブ、角材、そしてどこから持ってきたのかボウリングのボールまで
取り揃えている。かたや謙悟の方は、黒の革ジャンに白のインナーシャツ、色落ちしたジーンズに革靴というごくごく一般的な服装であり、武器の類は一切
所持していない。数の理に置いても装備の充実度にしても、彼らとは比べるまでもない。
「で、タカちゃん? コイツマジでボコッていいわけ?」
「でっかいねぇ〜おにーチャン。なに、なんか部活とかやってんの?」
「つーか、たった一人を十人以上でボコるって、どんだけなんよ?」
「アンタもカワイソウにねぇ。タカちゃん、容赦スンなって言ってるからさぁ!!」
不良少年たちがニヤニヤと笑いながら謙悟に話しかける。その一方でタカちゃんなる代表は先程までの人の良い笑顔とは一変した、歪んだ表情で謙悟を
見上げながら。
「さて、誓ってもらおうか。今日限りで新崎謙悟は今村冴霞との交際を終了する。これに同意すれば、キミの家族にも友人にも手出しはしない。答えは?」
「断る」
短く、簡潔な答え。と同時に。
ゴッ!!
鈍い音が響き、謙悟の後頭部を角材が打ちつける。完全な不意打ちであり、手加減など微塵もされていないその打撃を受ければ、たとえ一流のスポーツ
選手であろうとのた打ち回るであろう事は想像に難くない。
しかし、驚愕の表情を浮かべているのは。
新崎謙悟を除いたその場にいる全員であり、謙悟の足元には折れた角材が転がっているだけだった。
「……さて、と」
床に落ちた角材を拾い、左手で弄ぶ。しっくりと手に収まる程度の固さと太さ。それをぐっと握り締め――――破砕する。
頭からは血も流れておらず、冷めきった表情。こんな表情を謙悟はこれまで友人たちはおろか、冴霞にさえ見せた事がない。
「そっちが手を出してくるなら、俺としても加減する気はない。それにお前らみたいな奴らに、俺の大切な人たちを傷つけさせるなんて論外だ」
足を開き、両手を軽く握る。同時にごきん、と手の骨が咆哮めいた音を立て、不良少年たちもわずかに気圧される。
「は、ははっ!! て、テメェ、こんだけの人数を相手に一人で喧嘩しようってのか!? 半殺しで許してくれっていわれても聞かねぇぞ!!?」
代表の男が口汚く言い放つ。今までの紳士的な態度はどこへ行ったのかと思うような低俗かつ下卑たその姿に謙悟は溜め息を吐き、同時に呼吸を整える。
「喧嘩になると思ってるんならそれでもいい。十分後悔させて、考えを改めさせてやる」
あからさまな挑発にキレたのか、角材による初撃を見舞った少年が折れた角材で殴りかかってくる。先ほどよりも長さが短くなっている分、単純な打撃
武器としてはより手に馴染むサイズとなった鈍器はより力が込めやすく、効果も少年が思っている以上のものを発揮するだろう。
だが、謙悟はその場を一歩も動くことなく。
振り上げられた角材と、それを持つ手に自身の左手を添え。
半歩下がり、当て身と同時に投げを見舞った。
「っ……が、はぁっ!?」
満足に受け身も取れず、苦悶の表情を浮かべる不良少年。恐らく彼は自身が投げられた、という事さえ正しく理解出来ていないだろう。弛緩した手からは
角材が滑り落ち、謙悟はそれを拾うと再び握り潰して破壊する。
「「「う、うおおぉぉぉ!!!!」」」
鼓舞するように、あるいは恐怖を払拭するかのように上がる少年たちの掛け声、そして一気呵成の同時攻撃が開始される。
通常ならば、一対多という圧倒的な不利。個人の実力がどれだけ優れていようと、数の利には敵わないというのが誰もが抱く考えであり、彼らもその考え
で行動している。それは決して間違いではない。
だが、それは巨大な『物』に立ち向かう際に用いられるのが最も正しい戦術であり。
その対処法さえ熟知している『個人』に対しては、無策に等しい行為でしかない――――。
新崎謙悟は、幼少の頃から武術を習得している。
正式に入門したのは四歳の頃からであり、空手道、剣道、そして柔道と合気道も学んでいるという多才を発揮し、さらに一年前の三歳当時は、基礎の基礎
として父・新崎徹から簡単な手ほどきを受けていた。
謙悟の父である徹は、現在は九州に出向している海上自衛官である。自衛隊には自衛隊格闘術なるものが存在し、その一分野である徒手格闘術は日本拳法・
柔道・合気道に通じるものがあるという。息子の将来の事などまだまだ考えてもいなかった徹だが、「男の子は強くあるべし」という昔ながらの考えの元、
謙悟にも身体の動かし方としていくつかの基礎を教え、また自身が懇意にしていた空手道師範・大崎達七段と、同じく剣道師範・斎木康郎七段に謙悟を預け、
自身は柔道・合気道を教える立場としての役割を担いながら息子を鍛えた。そして謙悟が六歳になると正式に柔道道場に通わせるようになり、文字通りの
英才教育を受けながら、謙悟は格闘技を習得していった。
謙悟には、才能と呼べるほど突出した武の才はなかった。しかしそれを補って余りある勤勉さと実直さを幼い頃から持ち合わせており、また修練において
その精神的な才能を伸ばしていき、無暗にその力を振るって他人を傷つけるような事もしなかった。そして徹もまた、謙悟に「本当に大切なものを守る時
以外は、絶対に手を上げるな」と言い聞かせていた。
その約束はこれまでずっと守られている。麻那が生まれてからは、謙悟は母と妹を守るためにさらに練習に励むようになり、また彼自身が武術に打ち込む
最大の理由である「鍛練への楽しさ」故に、その実力は彼が思う以上の成果をその身に与えていた。
それが発揮される切っ掛けとなったのが中学一年生の時。お遊びに近い形で行われた、柔道での勝負だった。相手は謙悟と同じように小学生の頃から柔道
を学んでいた小太りな少年で、授業時間に謙悟が柔道を習っている事を知ると「勝負しようぜ!」と持ちかけてきた。
謙悟は少々渋りはしたものの、お遊び程度の感覚なら良いだろうと思い少年と立ち会い、襟を掴んで組んだ瞬間に違和感を感じた。
どう考えても、隙だらけだったのだ。このまま投げる事は容易く、相手はそれに気付いている様子がない。かといって加減して投げれば彼に悪いだろう、
と思った謙悟は相手の足の間に右足を差し入れ、そのまま撥ね上げて――――見惚れてしまうような美しい内股で、完璧な一本を取って勝利した。
当然、面白くないのは少年の方である。勝てると高を括って挑んだ勝負で、見事に赤っ恥を掻かされたのだ。なりふり構わぬという言葉通りに謙悟に掴み
かかり、襟を掴んだまま公式試合では禁じ手である当て身(打撃)を謙悟の顔面に見舞い、体勢を崩したところを投げに掛かってきた。その様子は謙悟だけ
ではなく他の生徒たちも見ており、非は完全に少年にあった。
その行為を、謙悟は殴られながらも冷静に受け止めていた。当て身まで入れてくるのだから、彼は本気で自分と立ち会って来たのだ、そんな相手に手心を
加えるなど、失礼な行為でしかない。全力には全力を持って応えるべきだと判断した謙悟はすかさず彼の腕と襟を取って背負い投げを決め、そこからさらに
腕ひしぎ十字固めへと持っていった。
過剰だというのならば間違いなくそうだろう。しかしその発端を作ったのは謙悟ではなく相手の方であり、クラスメイト達もその証人である。完全に腕を
破壊する事も出来る見事な極め技だったが、謙悟は勝負がついたと判断し彼を解放。声を掛けようとするが、少年は泣きじゃくりながらも萎えぬ闘志で三度
謙悟に立ち向かい……繰り出してきたのは、最早柔道とは何の関係もないただのパンチだった。
それを謙悟は受け止めると同時に投げ飛ばし、関節を決めるという合気道の技・小手返しで捌き、しかし合気道に対する受け身を完全には取れなかった
少年は腕を痛めて病院行き。結果、右腕にヒビが入るという重傷を負ってしまった。
多くの証言があったため、謙悟が責任を問われる事は無かったものの、謙悟は自身の格闘技における技量が同年代に対して図抜けている事をこの時初めて
自覚し、これまで以上に無暗矢鱈と用いることはしなくなりまた部活動にも参加せず、大会などにも参加する事はしなかった。しかし格闘技そのものを捨て
るようなことはせず、不可抗力とはいえ相手を傷つけてしまった柔道・合気道に関しては初段取得後は基礎鍛練のみに留めるようになり、また空手道・剣道
においても段位習得もそこそこに留め、基礎体力の伸長と技巧練磨を一人着実にこなし、月に二度は大崎師範と斎木師範に稽古をつけてもらいに出向くとい
う姿勢に変えていった。
その決意と姿勢を、大崎師範も斎木師範も咎める事はしなかった。謙悟の実力を過小評価せず、また彼の才能が間違った方向に進んでいない事を理解して
の優しい判断であり、また武に対する情熱が失われた訳ではない、ということを信じていたからである。
そして今、新崎謙悟は父の教えの通りに。
大切なものを守るために、自ら手を上げる覚悟を持って戦っている――――。
稲妻を思わせる鋭い打撃。正確無比にして、大振りにならない実直かつ強烈な一撃が鳩尾を貫き、即座に背後に回っていた木刀を裏拳で弾き、返す拳で
側頭部に掌底を見舞い、固い床に容易く押し倒す。再び回り込まれた事を察しながら、再びの返しで放つのは肘打ち。胸骨、さらには心臓にまで達する衝撃
に相手の動きは一瞬止まり、足を引っ掛けて床に寝転がす。
その間、わずか二十秒足らず。既に九人を戦闘不能にし、さらに三人から戦闘能力を奪い去る新崎謙悟はその実、最初の立ち位置から半径一メートル以内
という限定空間より一歩も外に出ていない。まだまだ甘いなと内心溜め息を吐きながら、遠巻きに自分を警戒している残り六人を見据える。
多対一という数の利。しかしそれはあくまで数値上だけの有利であり、実力において圧倒している謙悟が相手ではその利はほぼ意味を成さない。
多数における戦術とは、人海戦術というものがもっともシンプルで分かりやすいだろう。しかし素人に毛が生えた程度の不良少年たちでは同時攻撃は出来
ても、それを十分には発揮できない。いや、例えプロの格闘家であろうとも複数対一というスタイルを身につけるには、それなりに長い期間を要する。
現代の格闘戦において、三人以上でコンビネーションを組んだ攻撃はほぼ想定されていない。仮にあったとしてもそれはコンビ自体が独自に組み上げた
スタイルであり、正当な技術として教えられるものではない。
もし相手がそういった戦い方を身に着けていたとしたら、謙悟でも易々と勝てる相手では無かっただろう。満足に訓練もしていない多人数では、結局攻撃
方法はバラバラになってしまい数の有利は得られず、足し算が足し算に成り切れない。
言ってしまえば、複数同時で連携攻撃をすることに慣れていないのだ。正確かつ綿密に、長期間を費やして練り上げられた技術ではなく、即時対応を強い
られただけの急ごしらえでは、どれだけ数が多くても無意味に等しい。それで謙悟に勝とうなど、土台無理な話である。
かたや謙悟は自身が剣道を修めている事もあり、剣に対する無手での対処法も心得ており、また合気道の多くは対武器を想定して組み上げられた理合。
その点を踏まえるのならば、こと打撃武器で謙悟に有効な攻撃を与えるのならば、少なくとも彼の師である斎木師範クラスの実力者でなければまず無理と
いう厳しすぎる条件をクリアせねばならず。
また無手格闘においても同様に、大崎師範に匹敵するだけの相手でなければ成し遂げられない。そんな人間など同年代に限って言えば存在するはずもなく、
既に謙悟の勝利は戦う前から決しているのだ。
「ちょ、ま、マジかよ……なんなんだよ、コイツ……」
「冗談じゃねえ、やってられっかよ!!」
残った不良少年四人は口々に文句を吐き捨て、武器を放り投げて逃げ出し始める。狼狽した代表が必死に止めようとするも、不良の一人が払い除けようと
振った右腕になぎ倒されて代表は壁に叩きつけられ、苦しげな悲鳴を上げた。
時間にして、わずか六分程度。広い室内に残っているのは戦闘能力を奪われ気絶している数名の不良と、痛みにのた打ち回る代表、そして謙悟と――――。
「あんたも、帰った方がいいんじゃないか?」
「……ハッ、冗談じゃねえ。遊び半分で来てみたが、お前みたいに強い相手ならなおさら戦い甲斐が出るってモンさ」
身長は謙悟とほぼ同等。体格はガッシリとし、おそらく九十キロ近い巨漢。他の不良とは一味も二味も違う凄味を纏う少年を前にして、謙悟はようやく
構えらしい構えをとる。
「ちっとは出来るらしいが――――運がなかったな、シンザキくんよ!!」
木刀を持ち上げ、あろうことか両手でへし折る。それだけでも驚愕に値する膂力であるというのに、少年は割れた破片を謙悟に向かって飛ばしてきた。
完全な不意打ちであり、卑劣な行為。しかし喧嘩とはルール無用の何でもアリ。だからこそ武器の携行も許され、謙悟のように無手で挑む者はただの馬鹿で
しかないと少年は考えている。
それが油断だと、知る由もなく。
「はあっ!!?」
刹那の踏み込み。木刀の破片が飛び散った場所から、新崎謙悟の姿は既に消失している。
上がった声は少年の驚愕。そして苦悶の声が綯い交ぜになった哀れな悲鳴。
「少し期待してたんだけどな……残念だ」
一瞬にして間合いを詰めて打ち込んだボディブローでくの字に折れた少年の襟と腕を掴み、足を掛けて投げる。頭から落ちる危険な投げ方。まだ意識の
残っている少年には床に倒されるまでの一秒未満が、数分にも感じられるほどの絶望と恐怖。
体格で互角以上とする相手を制する。それこそが柔道の本懐であり、そして無暗に相手を傷つけない事が『戈を止める』とする武の本懐。それを忘れる
ような新崎謙悟ではない。頭から落ちるというのは少年が感じた錯覚であり、実際はしたたかに背中を打ちつけ、また謙悟が手を加えての受け身を取らせた
為に重症には至らず、気を失う程度の負傷で済まされた。
「これで、残ったのはアンタだけだ。もう俺や冴霞に関わらず、大人しくファンクラブを解散するか、運営だけに専念するって約束してくれるんなら、これ
以上手は出さない」
床に座り込んだ代表を見下ろし、譲歩を提案する謙悟。だが代表は口惜しげに歯を噛み締め、恨みがましい目で謙悟を見上げる。
「くそっ、くそっ、クソおぉっ!! なんなんだよ!! どうして邪魔をするんだ!! お前なんかのどこが良いんだ!! あの人にお前なんかは相応しく
無いんだよっっ!! 分を弁えろ、このクソ野郎!!!!」
勢いをつけて突進してくる。それを躱すも撃墜するも容易い謙悟は敢えて手を出さずひらりと身を避け――――
バチイィィッッ!!!!!!
破裂音にも似た衝撃音と、眩い光。謙悟が体勢を崩すのを見ながら、代表は歪んだ笑みを再び顔に蘇らせる。
「は、はは、ハハハハハハッッ!!!! いくらお前が強くても、十万ボルトのスタンガンに勝てるもんかよ!!!!」
投げ捨てたのは携帯電話サイズのスタンガン。通販でも容易に手に入れられる護身具の一つであり、当たり所が悪ければ命の危険さえある武器である。
「何が手を出さない、だ!! カッコつけやがって!! しばらく入院でもしてろや!!」
そう言って懐から取り出したのは、十年以上前に流行った折り畳み式のナイフ。これもスタンガン同様に通販で入手したものであり、刃渡りは短いが
傷の場所が場所なら十分な殺傷能力を持った凶器。その凶器を謙悟に向けて振りおろそうと高々と掲げる。
しかし、その手は万力のような強い力でがっしりと掴まれた。
他ならぬ、新崎謙悟の手によって。
「な――――なん、で!!?」
「自分が扱う武器の性能くらい、把握しておけよ……っ、スタンガンに、相手を気絶させるような効果があるのはな……漫画の中だけだ」
少々辛そうではあるが、謙悟の言葉はハッキリしたものだ。そして力の方も徐々に回復してきたのか、代表が掴んでいたナイフは謙悟の締め付けによって
強制的に床に落とされる。
スタンガンは電圧こそ高いが、それに掛けられる電流はごく微弱なものである。さらに加えて今日の謙悟が来ていた上着が革ジャンという事も幸いし、
その効力は半減以下に抑えられ、自由を奪うというほどの効果は発揮されなかった。
「最悪、あれを冴霞に向ける予定があったとしたら……いや、あんなものを持っている時点で、俺はアンタを許さない」
握っていた腕を解放し、床に落ちたナイフの刃を掴み――――ばきん、と二つに破壊する。そしてスタンガンも電池を抜き取り軽く投げ飛ばすと、両拳を
使って粉砕した。パフォーマンスめいた行為だが、それだけに効果はあったらしく代表は後ずさりしながら壁を背にする。
「悪いけど……ああ、謝る必要もないか。お前は最低の屑だからな」
例え可能性であったとしても、冴霞に向けられる危険をこの男が持っていた時点で、謙悟の怒りは静かに燃え滾る。
青く揺らめく高温の焔。その熱をそのまま拳に乗せたかのような一撃。
それは代表の顔面の横一センチという場所を深く抉り、コンクリートの壁に決して小さくない穴を開けた。
「二度と俺たちの前に近寄るな。手も出すな。ファンクラブも冴霞が卒業したら解散させろ。もし一つでも破ったら……その時は、一年くらいは入院して
もらう事になる」
「は、はへ、は、はひぃいぃ〜〜〜〜…………」
情けない声とともに床に崩れ落ち、失禁する代表。本来ならば脅し文句でさえ謙悟のキャラクターではないが、保険をかける意味で追い打ちの一手を。
――――携帯電話を取り出し、記念写真である。
Epilogue
「……終わったか?」
「……ああ。これ、戦利品な」
そう言って謙悟が投げた携帯電話を来栖彩乃は受け取ってディスプレイを見ると、露骨にイヤそうな顔をした。
「へ、変なものを見せるな、眼が腐る! まったく……お前があたしを呼び出すから、何事かと思ったぞ」
「ま、あくまで最悪の事態に備えての保険だ。女子レベルだけど、アンタの実力は認めてるからな……だからって、これはやりすぎだろ」
「そう言うな。こいつらに不意打ちされないとも限らんだろう? 感謝しろ」
と、彩乃の足元には逃げ出した少年達が全員横たわっている。都合四人、全て彩乃一人で撃退したものだ。
「しかし、終わってみれば十分程度か。新崎謙悟に掛かれば呆気なかったな、今村冴霞ファンクラブも」
「いらんパフォーマンスしたからな。手が痛い」
革ジャンのポケットに入れた右手はじんわりと出血している。骨には異常はないだろが、コンクリートを割り砕くという危険行為をしたのだ、いかに頑丈
とはいっても、謙悟の身体にダメージが残らないはずもない。
「ん? …………新崎、この男」
「?」
撮影していた写真の中で、彩乃が止めた一枚。そこにはあの巨漢が収まっており、謙悟も「ああ」と返事をした。
「この男、あたしの空手道場の元門下生だ。中学までは真面目にやっていたんだが……高校に入ってからはほとんど顔を出さなくなっていたな。将来有望株
だったんだぞ?」
「そうか……」
彼は、強者と戦う事を楽しみにしているようなところがあった。謙悟とは違う方向性で武に対しては真剣に取り組んでいたのだと思うと、少なからず理解
できる余地も生まれてくるが、だからと言って武の本懐を忘れているようではどの道、完全に理解し合う事は出来ないだろう。
そういう意味では、謙悟と彩乃は良く似ている。謙悟は今日「大切なものを守る」ために武を行使し、彩乃も「冴霞を守りたい」という想いから武の世界
へと足を踏み入れた。そんな彼女だからこそ謙悟は信頼し、今回の事に対して協力を仰いだのだ。
「さてと。用事も済んだ事だし、あたしは駅前にでも行くぞ。お前はどうする?」
「そうだな……ま、家に帰るよ」
夕陽丘を出て、駅に向かうバスに乗る彩乃。
自宅への道を歩き、携帯電話を取り出す謙悟。指は自然と短縮を呼び出し、ゆっくりとコールを開始させる。
何故だろう、声が聞きたい。
会って話がしたい。顔が見たい。
そうした姿勢はファンクラブの連中と変わりないと知りつつも、たった一つの大きな相違。
新崎謙悟は今村冴霞と対等で。恋人として、そして男として。
永遠に彼女を守り、彼女によって救われるただ一つの存在である事。
あとがき:
珍しく冴霞の出番がなく、主人公である謙悟の話でした。冴霞ほどの人気者であれば誰もが
その存在を考えたであろうファンクラブ。そしてそんな彼らにしてみれば、やはり謙悟という存在は
邪魔者以外の何物でもなく……避けることのできない戦いに、各所で述べてきた謙悟の「武」を
すこしだけ披露させて頂きました。正確なスペックを明らかにする機会は今後もおそらく無いでしょうが、
新崎父・大崎・斎木>>謙悟≧高平父>>>>>>>継≒彩乃
くらいに考えて下さい。
管理人の感想
今回は、冴霞とはまた違った意味での超人。我らが主人公、新崎謙吾のお話でしたね。
冴霞との婚約会見(!?)の後、投函された手紙。脅迫文のような内容に、謙悟も出向かわずはおられなくなり。
そして予想通り罠だったそれに半ば呆れながら、実力の一端を披露する謙悟。
ホント、高校生にしてはチートのような戦闘能力ですよね^^; 20人相手に無手で立ち向かい、ほぼ無傷って・・・。
そしてそれも、全てが冴霞への愛が故。彼の深い想いを再確認させられました。