私の妊婦期と天使達を、ざくっと比較してみます♪

観察日記はコチラから....
Growth Diary

第一子 10月生まれ 長女
第二子 5月生まれ 長男
 
妊娠初期
(1〜4ヶ月)
・水を飲んでも吐く
・食べ物を受付ない
・匂いに敏感になる(香水などの匂いを受け付けない)
・空腹になると気持ちが悪くなる
・胃酸がかなり出たらしく病院から胃薬をもらう4ヶ月頃治まる
 
妊娠中期
(5〜7ヶ月)
 
妊娠後期
(8〜10ヶ月)
・鉄分が激減した為に鉄剤を飲むが、むくみはなく過ごす



・29週の検診で「頚管長が短い」と診断される。
「切迫早産」を避ける為、入院。
上の子の都合で4日で一旦、無理に退院する。
 ところが1週間後の検診で更に短くなっており
翌日、半強制で再入院…(゚ー゚;Aアセ
1ヶ月の点滴生活を経て36週4日目に、漸く一旦、退院。
 
食べ物 ・つわりが治まると食欲が出た。
時期的(夏)なのもあったのか
すいか、素麺、 冷やしトマトのローテーションでしか受け付けない(6ヶ月頃まで続く)

その後は何でも食す。

・何でも食べる!(笑)
ただ、割と肉より魚を好んだり、野菜を欲したりする。




 
胎動 ・6ヶ月頃、始まる。
後期、良く動くが静か。
・後期ガンガン動いて寝つけない事もしばしば・・・。(泣
 
むくみ(浮腫) 全検診 マイナス(異常なし) 38週の時プラス2と診断 (むくみの対応策→準備中
 
出産@ 予定日3日前に一部破水。 看護婦さんには自宅待機でも良いよ〜 と言われるが不安なので入院。

結局、陣痛微弱で進まない為、入院から3日後(予定日)に促進剤を点滴して出産。
時間は約5時間と早い方だったらしい。






予定日を1日超え、早朝陣痛らしき痛みで目が覚める。
感覚を図ると10〜15分感覚。
こりゃ〜?と思いつつ..
もえの時もお世話になり今回も担当してくれた助産師KさんにTEL。
予定日を超えてる事もあり病院へ行くことに決定。
 ところが!コンディションが悪く(実は前の日、よゆーこいて遅くまでネットしてて寝不足だった…(゚ー゚;A もちろん、この事は誰にも内緒である。って公開したけど。笑 )
陣痛が波に乗らず… 検討の末、「今日は休んで(しっかり寝て)明日、促進剤使いましょう」って事になった。

ん〜、、やっぱり促進剤か!( ̄△ ̄;;)

 
出産A 点滴を始めて割とすぐ陣痛が強くなる。
お腹がリズム良く張り、痛みも徐々に強まる。
腰がだんだん重くなり鈍痛を伴う。

痛みが増し、必死で呼吸法を使う。
(実は、出産前に母親学級なるものも参加せず、本でチラッと読んだだけだったので正直、たどたどしかったであろう事は否めない。
呼吸法だけは、ある程度、練習しておく事をお薦めします…(゚ー゚;A )
腰はハンマーで殴られる様な痛みになる。

必死だった為、どのくらいのタイミングで分娩台に移動したのかは覚えてないが
分娩台に乗ってから、なかなか子宮口が開かず
かなりの時間、耐えた記憶がある。

その間、声も出せずにただ必死に痛みといきむのを耐えていた。
虚ろな記憶の中で「リタイアしてぇぇ〜これがマラソンなら、とっくにリタイアしてるぞぉぉ!でもリタイア出来ねぇぇ!!<(T◇T)>わぁああああ!」と思った事だけは忘れていない。w

どのくらいの時間が経った頃か、骨盤の中に
『カポッ』と何かがハマッタ感覚がしたのだが、声を出す事が出来ず、ただ必死に「誰か気付いてくれぇぇぇ!」と心の中で叫んでいた。

その数分後(正しくは分からないが)、子宮口を確認される。すると「子宮口全開してるぞ!」らしき声が聞こえ…
「もうちょっと我慢してね!」の声が聞こえ…
バタバタと足カバーされたりビニール(?)を被せられる。
その後「いきんでいいよ!」の声が聞こえる。

何が何だか分からないが、許しが出たので
とにかくイキむ!2回くらいイキんだら「もう、いきまなくて良いですよ〜」と言われると
体がすぅ〜っと楽になった。

会陰を切られた記憶は全く無い。
実際、切ってくれたのだが陣痛の痛みが凄くて、全く切られた感覚がなかったのだ。w

二人目という事は素晴らしい事。
勝手が分かってるだけに妙に余裕。w

点滴を始めたが、助産師Kさんが外来の担当の日であったのと 立ち会わす予定であった、もえが保育園の関係で昼になってしまう為、調節しながらの点滴となる。
(それは、もう面白いくらい自由自在で、この日、自分の体が薬が効きやすい事を実感する。点滴の速度を早めると陣痛が進み 緩めると陣痛も止まるのであった。)

昼過ぎ、助産師Kさんと、もえが到着したが今度は担当医のK先生が手術で3時ごろになる..という事で、やはり点滴を調節しながら打つ。

先生が大丈夫らしいという事になって、点滴をどんどん進める。すると陣痛もどんどん進み破水。破水したので分娩台へ移動。

痛みが進む中、もえの時と大きく違ってたのが喋れてること。
むしろ痛みを散らすかの様に喋っていた記憶がある。

分娩台に上るも、なかなか子宮口が開かず点滴を強める。
もえの時よりも、更に痛みが強かった。
しかも陣痛の波が来てる時に動かれた時は、本当に気絶するかと思うくらい痛くて、「痛い!痛い!!痛い!!!」と叫んだ。
いよいよ下りて来たと思いきや、途中で「逆回旋始めてる!」とか言われ、本当に最後の最後まで泣かされた。

いきみ始めてからも、なかなか出て来なく、もうとにかく必死でいきんだ。(後で聞いたところ頭がデカく更に足が中で引っかかってたらしく出てこなかったらしい)
いきみながら、アタシが途中で諦めたら窒息死するんじゃないかと思って必死だった事だけは、良く覚えている。

会陰を切ってもらうも、事足りず前にも裂けた。(苦
「痛い」というより「熱い!!」という感じだった。
助産師Kさんが上手にフォローしてくれたお陰で大きく裂ける事は免れた。(-"-;A 
大変、助かりました。



 
産後

・後期(9ヶ月頃)〜産後は異常ににチョコレートを欲した。
・お陰で(?)産後、自己体重に戻ったにも関わらず入院中に体重が2キロも増える・・・
体重が増えた為か縫った後が食い込んでる感覚があった。
 しかも抜糸の時、肉を切られてるのではないか?!というくらい痛かった。( ┰_┰)
・縫った後が痛い
・おっぱいが張って痛い(熱も出た)
・おっぱいから肩まで張って凝り痛い
母とは痛みの連続である…。
まぁそれ以外に特に問題はなく、子宮の戻りも順調に行く。
・日記らしきものを書いてたのだが、いきんだショックか簡単な漢字も、ほとんど書けなくなった。
これは時間と共に回復して行ったが半年くらいかかった。

・体重は、むくみが残ってるのも手伝ってか(?)2キロプラスの状態に戻る。
・後陣痛が激しく入院中(特に授乳前に)鎮痛剤を呑みつづけた。
2日目に便がすっきり出たら、物凄い痛みでナースコールも出来ない程ベッドの上でのた打ち回る。
お腹に居るうちの陣痛は我慢できるが、いない陣痛は我慢できない!!と思った。
 後に助産師さんに聞いたところ「お腹の中がスッキリして残りの子宮の収縮が急激に起った為だよ」と教えてくれました。
・おっぱいは張るがマメに冷やし、何とか回避する。
・縫合の糸は溶ける糸だったので抜糸はせずに終了。
・産後、むくみがなかなか取れず歩く時(特に寝起き)に痛む。
ただ特に、対処も出来ず痛みが引くまで3ヶ月くらいかかった。


 
生後〜 ・6ヶ月までは、ミルクと混合。
・6ヶ月の時、突然、哺乳瓶を拒絶。以来おっぱいのみになる。
 この後2歳半まで授乳・・・(出てたのが不思議だ)
・8ヶ月ごろストローを使えるようになる
・母乳とミルクの混合で進行中。
・後すぐに、ミルクを居やがり飲みが悪くなり母乳のみになる。
・3ヶ月前から果汁を薄めたものをあげたところ好んで飲む
 
1歳〜 ・お誕生日の前日→ 1人歩きを5歩成功する
・お誕生日の日→ 一升餅(約2`)背負いの儀。
  が、もろくも倒れる..(^▽^;
・1歳6ヶ月→ 保育園に通い出す

・お誕生日の日→ 一升餅(約2`)背負いの儀。
  踏ん張れて転倒せず。手を引かれながら歩く。


 
2歳〜    
 
3歳〜    
 
4歳〜