【柿沼弘子の勝手にシネマ



オテサーネク

監督:ヤン・シュヴァンクマイエル 
出演:V・ジルコヴァー

11th Jan. 2002

 チェコのアート・アニメーション作家として、今まで独自の映像世界を造形してきたヤン・シュヴァンクマイエルが、自国に伝わる民話を現代風にアレンジした作品。不妊に悩む夫婦の心情を基本線に、人間の深層心理を、隣に住む少女の視点を通して描いている。その映像は至る所にブラックなユーモアとグロテスクさに溢れている。オテサーネクというのは、その民話に登場する「妄想の子供」に付けられた名前。ある子供の出来ない夫婦が、畑で赤ん坊そっくりの形をした木の切り株を見つけ、オテサーネクと名前を付けて育てると、やがてその切り株は怪物のようにどんどん成長し、ついには育ててくれた両親までも食べてしまうという話。グリム童話や、日本の昔話にもありそうな、なんだか教訓めいた話だ。夫婦が愛情をもって育てた切り株に、魂が宿り成長していくところまではピノキオを思わせて微笑ましい。しかし、この話はそれだけに止まらず、やがてそれは手のつけられない怪物へと変貌する。そしてこの民話が劇中劇というかたちで、アニメーションで登場する。

 ホラーク夫妻は、あらゆる治療を試みるが子供ができない。ある日、悩む妻を見兼ねた夫は山小屋で見つけた木の切り株を子供の形にして妻に渡す。すると妻はそれにオティークと名前を付けて育て始める。切り株を産湯につけ、産着を着せて寝かしつける妻の姿を、最初は奇異の目で見つめていた夫だったが、妻が愛情をもって接していくうちに、やがてその切り株は動き出し、ミルクまで飲み始めるようになる。それはもはや夫婦の幻覚ではなかった。オティークは夫婦の愛情を受けて、ぐんぐん成長していった。ある日、腹をすかせたオティークは、夫婦の飼っていた猫を食べてしまった。恐怖に打ちひしがれた夫婦だったが、それでも愛情をもって育てた我が子を切り刻むことはできない。オティークが、猫を食べ、郵便配達人を食べ、役人を食べ、アパートの住人を食べ、終いには自分たちまで食べようとしているのに、夫婦はそれでもまだ現実を見ることができない。オティークがこれ以上人間を襲わないようにするために、夫婦は毎日のように大量の食料の買い出しに行かなくてはならなかった。困り果てた夫婦は、ついにオティークをアパートの地下倉庫に閉じ込めてしまう。そんな夫婦の様子を物陰からずっと観察していた隣家の少女は、そんなオティークを可哀相に思い、夫婦の代わりに食料を運ぶ。

 この作品はあらゆるグロテスクさに満ち満ちている。冒頭、不妊に悩んだホラークが、店先でまるで魚のように水槽から網ですくわれて、新聞紙にくるまれて売られる赤ん坊の幻覚を見るシーンは、あまりにも衝撃的で、不快感さえ感じた。少女は少女で、食料の調達が困難になると、終いには、アパートの住人を食わせてしまおうと考えるようになる。人間の恐ろしいまでのエゴイスティックさを見せつけられて、滑稽というよりは、むしろ恐ろしいものを見たといった感じがする。その恐ろしいまでに鮮やかな切り口に感心させられる。★★★★