【柿沼弘子の勝手にシネマ】
ブロウ
監督:テッド・デミ
出演:ジョニー・デップ、ペネロペ・クルス
10th Oct. 2001
私がこの作品を見ようと思ったきっかけは、ジョニー・デップが出ているからだ。デップ様のお顔を2時間眺めるために見に行った。目の保養といったところだ。おそらくデップが主演でなかったら、この作品にはまったく興味を持たなかったであろう。デップの相手役が「ラックス・スーパーリッチ」のペネロペ・クルスというのも魅力的だった。しかし、この期待は後に大きく裏切られることになる。作品に対する鋭い選択眼を持ち、これまで多くの気の利いた作品に出演してきたデップだが、おそらくこの作品は彼がこれまで出演してきた中で、最も退屈な1本となるであろう。
この作品は、1970年代のアメリカ裏社会に君臨した伝説の男、ジョージ・ユングの栄光と挫折を描いたフィクションである。タイトルの“ブロウ(Blow)”とは「ドラッグ吸引」という意味の俗語で、他にも「開花する」、「(精神的な)打撃」という別の意味があり、主人公の人生の満開状態と、凋落の運命への一撃という意味も表わしている。ジョージ・ユング(ジョニー・デップ)はマサチューセッツ、ウェイマスの決して裕福とは言えない家庭に生まれ育った。父親のフレッド(レイ・リオッタ)は、いつも母親(レイチェル・グリフィス)から甲斐性の無さをなじられていたが、そんな父親の姿を見て育ったジョージは、やがて成長すると、カリフォルニアで暮らし始める。そこで運命のマリファナに出会い、仲間とマリファナの売人を始める。やがてマリファナから、アメリカではまだ知られていなかったコカインの密売へと手を広げていく。そしてついに巨万の富を築きあげるのである。しかしどれだけ大富豪になっても、ジョージの心の片隅には忘れられぬ父親への想いがあった。その証拠に、何度も刑務所に入れられ、仮釈放される度に、父親のところを訪れるのだった。麻薬の密売で追われているジョージを父親は常に素直に受け入れる。父親だけが唯一の彼の理解者だったのだ。
この作品を実在の麻薬王の話と聞いた時、私は限界ギリギリの駆け引きとか、手に汗握る展開を期待していた。しかし、原作本そのままのストーリーをなぞっているだけの脚本は全く期待外れだった。おまけに焦点がばらけ過ぎていて、どの場面もまったくエキサイトしない。美しい妻との出会いから結婚までの話もあっさりし過ぎて盛り上がりに欠けるし、単なる逸話の羅列になっている。おそらく監督は親子の愛情とか確執みたいなものを一番描きたかったのかもしれない。その割りには人物描写があっさりしすぎていて、感情移入できない。ジョージと父親の会話のシーンから、伝わって来るものがまったく無い。最後の手紙の場面もあまりじんとこなかったし。何もかもが中途半端なのだ。脚本が甘いというのもあるけれど、一番の問題は監督が役者の魅力をうまく引き出せていないということだろう。監督の演出力の無さのせいで、せっかくのデップの演技も生彩を欠いていた。ラストに近いシーンで、ペネロペ・クルスの、田舎のヤンキー娘みたいな格好も勘弁して欲しかった。おまけにもったいぶり過ぎて、出てくるまでに1時間以上もかかっているし。デップ様が出ているということで★ひとつプラスだけど、彼の魅力を台無しにされて腹が立ったので★ひとつマイナス。結果ほしひとつ。★