【柿沼弘子の勝手にシネマ】
千と千尋の神隠し
監督:宮崎駿
声優:柊瑠美、入野自由
3rd Aug. 2001
スタジオジブリ作品はこれまで、『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『もののけ姫』を見ていますが、これまでの作品はどれも、「自然と人間との共存」みたいなものがテーマとなっていて、環境破壊に対する警告めいたものが感じられました。しかし今回の作品はこれまでのものと比べると、だいぶメッセージ性が薄らいでいるように感じられます。今回の物語では、千尋という10歳の女の子が、偶然に迷い込んでしまった不思議の世界で、様々な経験を通して、強く逞しく成長していく様子が描かれています。日本版『不思議の国のアリス』とでもいったところでしょうか。そこにはもちろん宮崎監督お得意の、神の化身のようなものも登場しますし、自然界の動物をモチーフとしたキャラクターも数多く登場します。しかしそこには「少女の成長記」以上のものを、私は何も感じ取ることはできませんでした。つまりこの作品のターゲットは主人公、千尋と同じ10歳前後の子供たちであって、私たち大人に向けられたものではないように感じられました。
物語は千尋が父親の運転する車で、新しい町へ引っ越してくる場面から始まります。車の後部座席には、不本意に引っ越すことになり、浮かない顔をした千尋が寝転がっています。千尋たちがトンネルを抜けると、そこには不思議の町がありました。そこは古くからこの国に棲む神々や化身たちが、疲れた体を癒しに通う温泉町でした。千尋は魔法で豚にされてしまった両親を救うため、湯婆婆という魔女の経営する巨大な湯屋で働かなくてはなりませんでした。そして名前を奪われ、新たに「千」という名前を与えられるのです。名前を奪われるということは、つまり「自己の喪失」を意味しています。千尋はこの不思議の町で暮らすうちに、次第に自分の本当の名前を忘れてしまいそうになります。しかし千尋はここでの様々な経験を通して、自分の中に潜んでいた「生きる力」を発見し、自分が自分となるアイデンティティを確立していくのです。この作品での千尋は、ごく一般的な現代っ子の典型として描かれています。家庭の中で大事に育てられ、毎日を無感動に過ごしていた千尋は、ここで友愛と献身を学び、生きる力を獲得し、生まれ変わってもとの世界へ帰って行くのです。この作品を見て少し不安に思ったのは、子供達が成長していくために必要な、千尋が不思議の町で体験したような出来事を、現実社会では一体誰がどのように子供達に与えることができるのだろうということです。
私がこの作品を見ようと思った一番のきっかけは、定評のあるジブリ作品だからということはもちろんですが、木村弓さんの歌う主題歌「いつも何度でも」に惹きつけられたからです。この歌は、何かのCMにも使われていて、耳にするたびに良い歌だなと思っていました。実はこの歌は、以前宮崎監督が企画していた『煙突描きのリン』という作品のために作られた歌で、結局この企画は没になってしまったのですが、『千と千尋〜』を製作中に主題歌の歌詞に悩んでいた監督が偶然、この時の歌を聴いてみると、イメージにぴったりあった、ということで採用したということです。木村弓さんの素直でのびやかな歌声が作品に爽やかな風を吹き込んでいます。★★★★