【柿沼弘子の勝手にシネマ】
小説家を見つけたら
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ショーン・コネリー、ロブ・ブラウン、F・マーリー・エイブラハム
8th Mar. 2001
今回はラジオ日本主催の試写会での鑑賞。文学をモチーフに、老小説家と文才のある少年の心の交流を描いた物語。どうも雰囲気が『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』に似ていると思ったら、やはり同じ監督だった。40年前、ピュリツァー賞に輝いた処女作だけを残して、文壇から姿を消した幻の作家ウィリアム・フォレスターは、NYの下町サウス・ブロンクスを見下ろすアパートで人目を避けて暮らしていた。老作家フォレスターを演じるのは、この役に惚れ込み、プロデュースも買って出たショーン・コネリー。フォレスターと偶然に知り合った文学の才能を持つ16歳の少年ジャマール(ロブ・ブラウン)は、しだいに彼から文章を書く手ほどきを受けようになる。そして二人は年齢を超えた友情で結ばれていく。
ジャマールが生まれ育った下町サウス・ブロンクスとアッパーなマンハッタンを対比させた描写の隅々に、この国の根づく人種差別を感じる。ジャマールはバスケットボールと文学の才能を買われて、マンハッタンの私立校にスカウトされるのだが、サウス・ブロンクス育ち、人種の違いというバックグラウンドがもたらす偏見や負い目と闘うことになる。そもそも転校したマンハッタンの私立の名門校にはジャマールの他に黒人の生徒は1人もいない。結局そういうところには白人の金持ちの子供しか入れないのだ。ジャマールが提出した作文に対し、「ブロンクス出身の黒人にこんな文章が書けるはずがない」と疑う教師など、黒人であるジャマールを取り囲む状況は非常に厳しい。このような種類のアメリカ映画に出会った時にいつも感じることは、「この国の人種差別の問題は本当に根深いんだな」ということ。法律上の差別が撤廃されたところで、人種間の機会均等は完全に実現されたわけではなく、人々がいくらポリティカリー・コレクトを叫んだところで偽善にしか聞こえない。白色人種が「我々は地球上で最も優れた人種なんだよ」という感覚を持っている以上、この問題はいつまでも解決されることはないだろう。私がいわゆる「アメリカ万歳映画」というものを好きになれないのも、おそらくそういうところからきているのだろう。「地球上で最も優れたアメリカ人が全人類の指揮をとり、地球を守るのだ!」このような映画を見た時、有色人種である私は、なんとなくしらけてしまうのである。(こんな風に感じてしまう私の考え方がひねくれているだけなのかも知れないが)でも、まあこの作品の場合は、主人公の少年が万事上手くこなすので、(あまりに出来過ぎのような感じはあるけれど)このような話特有の悲壮感はまったく感じないし、爽快感がある。後味は悪くない。
余談だけど、終わりの方の場面で弁護士役で登場するマット・デイモンを見て 「成長したねぇ。」と思う反面、「別にここでマット・デイモン使わなくてもいいんじゃないの?」と思った。それとも単なる友情出演なのか。でもクレジットでは、おもいきり前の方に書いてあるんだよね。「アカデミー受賞者出演作品」とか書かれちゃって、ほとんど宣伝に使われているような気がしないでもないけれど。さらに余談だけど、私は最近、テレビで俳優の黒沢年男の顔を見ると、ショーン・コネリーを思い出してしまうのだけれど、たぶんこの意見に肯いてくれる人はあまり多くはないだろう。でも髭の感じとか似てると思いませんか。★★★