親鸞聖人七百五十回大遠忌法要後の宗門と基幹運動について考えてみたいと思います。
まず、はじめに、大遠忌法要後の宗門について考えてみたいと思います。そのキーワードは「次第相承」と「議院内閣制」になると思います。
浄土真宗本願寺派(以下、本願寺派)は『浄土真宗本願寺派宗法』(以下、宗法)第二条に、「親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、門主を中心として」とあります。しかし、基幹運動においてこれまで「次第相承の善知識」については、ほとんど議論の俎上にのぼることはありませんでした。
ところが、このたびの基本法規改正とかかわり、宗会と総局という議院内閣制と次第相承に関心が向けられています。しかし、この議院内閣制と次第相承の議論には混乱が見られるように思います。その議論の混乱を整理する必要があります。
まず、次第相承は宗門における〈法灯伝承〉の問題です。そして議院内閣制は宗門における〈システム〉の問題です。この〈法灯伝承〉と〈システム〉の混同の原因は、立教開宗に依拠した〈宗教団体〉と権力機構としての〈国家〉の混同に起因するのでないかと思います。
まず、私たちの宗門における次第相承の必然性について考えてみたいと思います。
本願寺派はいうまでもなく宗教団体です。宗教団体であれば宗教団体としての存立理由がなければなりません。この宗教団体としての存立理由を明かすのが「立教開宗」です。
立教開宗は『浄土真宗本願寺派宗制』(以下、宗制)に明記されています。その解説書には、「立教開宗にこそ宗門成立の根拠がある」といい、「『立教開宗』とは『教を立て宗を開く』ということであり、独自の教義を大成して、独立の一宗を開くことである」(『浄土真宗本願寺派「宗制」解説』二〇〇八年九月十日、三〇頁)と述べています。まさに、「立教開宗にこそ宗門成立の根拠」があります。ですからこの立教開宗を否定したならば「宗門成立の根拠」を失うことになります。
この「宗門成立の根拠」たる立教開宗において問題となるのが、教えを立てた〈一宗の祖師〉と、歴史上の宗門における〈法灯伝承〉の問題です。この〈一宗の祖師〉と〈法灯伝承〉を無視した議論は、宗門成立の必要条件を満たすことが出来ません。
この〈一宗の祖師〉とその〈法灯伝承〉を課題としているのが「次第相承」です。この次第相承について、蓮如上人の言行を記した『栄玄聞書』には、「代々善知識ハ御開山ノ御名代ニテ御座候」(『真宗史料集成』第二巻五九〇頁)と、本願寺歴代の宗主が善知識であり、しかも親鸞聖人の名代、つまり代理であると位置づけています。
立教において開宗されたわが宗門においては、立教という〈一宗の祖師〉と歴史上の宗門の〈法灯伝承〉は必要不可欠な要件です。ですから、権力機構としての国家なら国民が選挙で大統領を選ぶことも可能ですが、立教開宗に依拠した宗教団体であるわが宗門においては、「親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、門主を中心」とした宗教団体でありますから、直接、僧侶や門徒が宗主を選ぶことは、問題外のことであります。
フランス王・ルイ十四世は「朕は国家なり」と言ったそうですが、「朕は国家なり」という時の朕と宗祖や善知識を同列に論じるような議論、言い換えれば、国家の主権者は絶対君主か、それとも人民かといったレベルで、宗祖や善知識を理解・解釈するのは、まさに立教開宗された宗教団体と権力機構としての国家を混同した議論に思います。
平野武氏(龍谷大学法学部教授)は、その著『西本願寺寺法と「立憲主義」―近代日本の国家形成と宗教組織―』(一九八八年三月十日)という本にて、「宗教団体が一定の教義とそれに結びつく諸観念を前提にしている以上、それと正面から矛盾するような『改革』は問題になりえない。西本願寺教団はいわゆる『祖師宗教』の団体であり、法主の存在自体を否定することは問題外である。」(二三〜二四頁)と述べています。
つまり、「祖師宗教」の宗教団体である以上、〈一宗の祖師〉と親鸞聖人以降の宗門の〈法灯伝承〉を無視してはわが宗門は成立しないということです。このことが、立教開宗に依拠した宗門における次第相承の必然性であります。
次に本願寺派における議院内閣制という、宗門のシステムの問題について考えてみたいと思います。
本願寺派は明治十四(一八八一)年に第一回「集会」(当時は「集会」といった)を開催しました。今から百二十九年前です。明治という近代国家形成の時期にあって、本願寺派が国家の枠組みのモデル・実験を行ったともいわれます。
『本願寺史』第三巻(昭和四十四年五月二十一日)や森龍吉氏(元龍谷大学教授)の『本願寺』(一九五九年九月二十一日)という本によると、幕末から明治にかけて本願寺派は、それまで本願寺の実務を担っていた下間家などの家臣団を解散します。そのあとに一般寺院の僧侶が入れかわりました。さらにそれまでの複雑な本末上下の寺関係を廃し、本願寺と直末寺とするとともに、教区・組を置きました。
その後、明治十二年六月十四日、明如宗主による本願寺の事務所を東京の築地本願寺に移そうという、いわゆる「事務所の東移事件」を経て、明治十四年十月三日、第一回「集会」が開催されることになります。
こうした明治維新期の本願寺の機構改革を通して、それまでの複雑な本末上下の寺関係から、宗門運営に一般寺院の僧侶が参画することによって、近代の立憲主義に移行し、それ以降、本願寺派においては宗会と総局という議院内閣制が宗門の近代化と民主化を象徴することになりました。
ではなぜ、一宗教団体がその組織形態を、議院内閣制という国家の政治体制に準じて整備したのでしょうか。この点について森龍吉氏は、大変興味深い、二つの理由を挙げています。
その一つの理由は、本願寺派教団が、教義の特質から、直接に生産力をになう農民を主とし商・工人の精神的救済と解放を目ざして生まれ、そのひとびとの労働の生産性に依存してきたからである、といいます。(森龍吉 「一八七九年七月一四日―本願寺教団改革の政治史的意義―」、『日本宗教史研究』1、二〇五頁、一九六七年)
つまり農民を主とした本願寺教団は、その経済的基盤であった労働生産力を国家と共有していたというのです。農民が本願寺へ懇志をはこぶか、お上に税金を納めるかの緊張関係にあるときは、宗門もそれなりの、時の権力者に対応出来るシステムが要請されたということです。
もう一つの理由は、明如宗主の「事務所の東移事件」を通して、明治政府が本願寺を利用して、帝国憲法と国会開設の予行演習を行ったというものです。(『本願寺』二一六〜二一八頁)
森氏の指摘が、どこまで正しいかを検証することがここでの問題ではありません。さしあたり、当時の本願寺派と明治政府が深い関係にあったこと、そして本願寺派と明治政府が労働生産力を共有していたとの指摘が確認されれば十分です。
この経済的基盤であった労働生産力を国家と共有し、緊張関係にある時代なら、国家の政治体制を宗門のモデルとする意味もあったでしょう。しかし、今日、本願寺派の財政基盤は、国家はもとより都道府県にさえ及びません。まして労働生産力を国家と共有するとか、緊張関係にあるとかという段階にはありません。また、一向一揆や石山合戦の時代のように、本願寺が武家化しなければならない必然性もありません。
ちなみに、早矢仕健司氏(龍谷大学経営学部教授)の「本願寺教団財政の推移と特質」(千葉乗髟メ『本願寺教団の展開』一九九五年九月一日)という論文によりますと、明治三十一年当時の京都市の経常歳入は六十七万四千円です。それに対して、本願寺派の歳入は六十三万三千円で、ほぼ同額です。
しかし、それから百十二年後の平成二十二年度、今年度は、京都市は一般会計七千六百八十七億円、特別会計六千百四十五億円、公営企業会計二千七百二十二億円、全会計合計一兆六千五百五十四億円です。それに対して、本願寺派の平成二十二年度の一般会計は七十九億一千万円で、二十四の特別会計の合計三百六億一千万円、それに仮に十二会計年度の宗門長期振興計画の二百九十億円を加えても、総合計六百七十五億二千万円です。
どう考えても、今日、労働生産性が国家と緊張関係にあるという段階にはありません。ですから、財政基盤からしても、宗門の組織体制を国家の政治体制に準じる必然性があるようには思えません。そうなると残る問題は、宗教法人における民主的な意思決定の問題になります。
ここで宗教法人における民主的な意思決定の問題について考えてみたいと思います。
本願寺派における宗会は、本願寺教団の近代化・民主化の象徴になっていますが、その法的位置付けについては、宗法第四十三条に「宗門の立法その他重要な宗務に関する議決機関として、宗会を置く。」とあります。
この議決機関については、社団法人であれば「社員総会」であり、財団法人であれば「評議員会」が議決機関になります。学校法人なら「理事会」が議決機関です。宗教法人の場合は、『宗教法人法』第十九条、事務の決定には、「規則に別段の定めがなければ、宗教法人の事務は、責任役員の定数の過半数で決し、その責任役員の議決権は、各々平等とする。」とあります。つまり宗教法人においては責任役員会が議決機関となります。
本願寺派の場合は、この『宗教法人法』第十九条にいうところの「規則」における「別段の定め」として宗法第四十三条に、「宗門の立法その他重要な宗務に関する議決機関として、宗会を置く。」と定めています。
『宗教法人法』上は責任役員の定数の過半数で決することができるにもかかわらず、本願寺派は「別段の定め」を宗法上にもうけて宗会を設置しているわけです。ですから、宗会という議決機関の役割を変更しようとすることが、『宗教法人法』に反することにもなりませんし、これまでの本願寺派の宗会制度が無意味であったということでもありません。ましてや制度の変更が宗教法人における意思決定を妨げることになるとも思えません。
しかし現在の宗門は、権力機構である国家の組織原理としての三権分立の原則や議会の最高機関性という政治モデルを教団のモデルとして、議院内閣制を採用しています。
そしてこの三権分立の原則や議会の最高機関性は、選挙で代表者を直接選ぶのが民主的であるという近代的理念に基づく国家観を前提としています。
そもそも国家の統治機構としての原理である三権分立の原則、すなわち、司法・立法・行政の分立が、権力機構とは全く性質を異にする立教開宗に基づく宗教団体の組織原理に、そのまま妥当するのでしょうか。明治三十一年当時は、経済的基盤であった労働生産力を国家と共有していたから、国家の政治体制を本願寺派のモデルとする意味もあったかも知れません。また、明治政府が本願寺を舞台として帝国憲法と国会開設の予行演習を行ったのかも知れません。
しかし今日、宗教団体としてのわが宗門に、議院内閣制を採用する必然性があるのでしょうか。
三権分立の原則は、権力の集中・濫用を避けるべく、権力相互の抑制・均衡、チェック・アンド・バランスを図ることを目的としています。すなわち、権力が特定の所に集中しないように、権力を分割するというわけです。この権力相互の抑制・均衡、チェック・アンド・バランスで宗門の運営を検証するというのは、宗会制度を導入した明治のはじめ、国家に見立てた宗門を構想したからであると思います。
戦前、戦後の、宗門と国家・社会・権力をとりまく議論は、対国家、対権力というように、国家と宗門、権力と宗門という、二項対立で議論されてきました。この二項対立での議論の場合、宗門の位置づけは、どうしても国家対宗門、権力対宗門となってしまいます。
今日、企業や宗教法人の公益性が問われていますが、このような国家対宗門、権力対宗門という二項対立の発想では、宗教団体としての公益性を論じることは難しいと思います。「宗教団体が公益性の議論に加わること自体が、国家権力にからめとられてしまう」という意見になってしまいます。しかし、今日、私的利益追求を目的とした企業ですらも、公益性を不問に付すことは出来ません。まして、宗教団体の公益性を不問に付すことは不可能に思います。
この宗教団体の公益性を課題とするためには、これまでの国家対宗門や権力対宗門の発想をかえて、国家と個人の間の中間項として、宗教団体を位置付ける必要があります。そのことによって、国家や個人に対する宗教団体としての社会的責任、言い換えれば宗教法人の公益性をまっとうに議論することが可能になります。
そのためにも、これまでの国家に準じた宗門組織ではなく、国家と個人の間の中間項としての、たとえば企業や大学や政党や会社の運営を参考にする必要があります。農協にしても大学にしても株式会社にしても、三権分立のシステムで議会制度を採用していません。企業や会社なら売上高で執行部の評価と責任が問われます。大学なら受験者数や学術論文数で、さらに、政党なら選挙という民意で、評価と責任が明確に問われます。
現代社会の激しい変化にすばやく対応でき、教線の拡大に、より効率的、機能的な宗務を行うためには、取り組みに対する評価と責任を即座に判断できる、フットワークの軽い組織・体制にする必要があると思います。
ちなみに、一般の財団法人においては、理事会が法人の業務執行の決定を行います。株式会社においては、理事会に代わるものとして取締役会があります。中間項としての宗教団体としては、理事で組織する理事会と評議員で組織する評議員会で充分機能できると思います。
本願寺派の北米開教区、ハワイ開教区、カナダ開教区、南米開教区など、海外開教区はすべて理事会制度で運営されており、議会制度を採用しなくても、民主的に宗教法人としての意思決定を行っており、全く問題なく運営されています。
参考までに申し上げますと、創価学会や立正佼成会の会則・組織図を見ても、三権分立の議会制度は採用されておりません。基本的には理事会評議員会制度を採用しています。明治以前からある、多くの伝統仏教教団が議院内閣制を採用し、創価学会や立正佼成会という、戦後大きくなった宗教教団が理事会評議員会制を採用しているのは、大変興味深い事実です。
わが宗門も宗会と総局という議院内閣制度から理事会評議員会制度への変更をイメージすることが今日要請されていると思います。
近現代における真宗史を見たとき、江戸幕藩体制下の複雑な本末上下寺関係から、明治維新後の宗会制度の採用によって宗門の組織替えがなされ、それが宗門の近代化・民主化と評されたように、今日、宗門の宗会と総局という議院内閣制度から、理事会評議員会制度へ宗門の組織替えを行うことが、宗門の「新たな始まり」の起点であったと評価される時が、必ず来ると私は思います。
次に、大遠忌法要後の基幹運動について考えてみたいと思います。
宗門におけるこれまでの教学・運動を振り返ってみますと、そこには大きく二つの流れがあるように思います。
その一つは、今から二十六年前、『伝道院紀要』第二十九号(一九八四年十二月二十日)で問題提起された、ポストモダンの視点からの「真宗C(カトリシズム)」の主張です。
ポスト・モダンの学説については、その評価に種々の見解がありましょう。しかし、少なくとも、宗制にある「立教開宗」を、次第相承の〈法灯伝承〉を大切にする立場から、今日的な再解釈を試みていることが知られます。
その代表の一人、佐々木正典氏は、近代的な自我の上に確立された信心や、信心を自己と阿弥陀仏の直結ばかりで語る信仰理解の見直しが必要であるといいます。つまり、浄土真宗の信心の在り方は、キリスト教のプロテスタント型の如来と自己の直接型ではなく、御真影様、次第相承の善知識を通して如来様に出会う媒介型であるといいます。だから本願寺派の信の構造は、親鸞聖人を通し、ご門主様を通して、南無阿弥陀仏に出逢うという形が、わが宗門に伝統された信仰であるといいます。そして、わが宗門は、ご門主様を中心として、阿弥陀堂とご影堂と大谷本廟を護持して、愛山護法をモットーに、住職と門徒がいっしょに護持してきました。これが「伝統的なわが宗門」である、といいます。(佐々木正典「いま、なぜ習俗か」、『儀礼奉還―臨床真宗学―』平成十七年十二月八日、初出は一九九一年)
佐々木氏のいう「伝統的なわが宗門」とは、次第相承の伝統と宗法第五条にいう本願寺の「永世護持」に立った親鸞解釈・浄土真宗理解であります。私はこの次第相承の伝統と本願寺の永世護持を「伝統的なわが宗門」と理解する浄土真宗理解を、〈開山信仰としての浄土真宗〉と呼んでおきたく思います。
また、大村英昭氏は、現代とは近代をささえた諸価値、すなわち、進歩・発展・自由・平等や、近代化を促した諸理念については、皆が懐疑的になっている。この意味で、現代は正しく脱近代、ポスト・モダンという時代である、といいます。(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」、『ポスト・モダンの親鸞』一九九〇年十月十五日、初出は一九八四年)
つまり、佐々木氏や大村氏は、近代をささえた諸価値や近代化を促した諸理念に立脚した親鸞解釈・浄土真宗理解ではなく、次第相承の〈法灯伝承〉を大切にした、いわば伝統相承の親鸞解釈、浄土真宗理解を主張しています。
もう一つの流れは、進歩・発展・自由・平等などの近代的な諸価値を普遍的な価値とし、その近代的な諸価値をもって解釈・理解の基準とした、親鸞解釈・浄土真宗理解です。
浄土真宗本願寺派門信徒会運動本部編集・発行の『門信徒会運動二十年のあゆみと展望』という本があります。その本に、二葉憲香氏は「門信徒会運動の理念と現実」という原稿を寄稿しています。(二葉憲香「真宗伝道史」、『二葉憲香著作集』第二巻所収を参照下さい。初出は昭和三十六年)
その論文で二葉氏は、真宗教団は親鸞聖人のもとに形成された「伝道教団」から「教化者教団」に変遷し、さらに「制度化教団」から「遺制教団」へと変遷したと主張しました。その「遺制教団」については、明治維新の排仏政策によって幕府権力による制度化はなくなったが、本末寺檀関係は遺制として存続する一方、門徒は神道国教政策によって神社の氏子として組織され、国家によって強力に編成された祭政一致組織にくみこまれ、深く民族宗教社会に埋没し、信心にもとづいて、「真に人間たるにふさわしい人格社会」をひらくという、「人類の課題を担う普遍宗教の立場」は失われた、と主張しました。
二葉氏は本末寺檀関係は「遺制」、つまり「今に残っている昔の制度」であるから改めるべきであるといいます。そして、門徒は神道国教化政策によって祭政一致組織に組み込まれ、仏と神の区別もつかない念仏者になってしまった、といいます。それに対して、信心に生きるとは「真に人間たるにふさわしい人格社会」をひらくことであり、「人類の課題を担う普遍宗教」の立場に立つことであるといいます。この二葉氏の「人類の課題を担う普遍宗教」こそが浄土真宗であるという主張を、〈普遍宗教としての浄土真宗〉と呼んでおきたく思います。
この二葉氏の「人類の課題を担う普遍宗教」の立場こそ、近代をささえた諸価値である進歩・発展・自由・平等などを普遍的な価値とした立場であり、この進歩・発展・自由・平等を普遍的な価値とすることによって、差別と権力の問題に切り込み、人間の平等な尊厳と解放を目指す親鸞解釈・浄土真宗理解が可能となりました。
真宗教団における封建遺制たる身分制度の残滓、残りかすを改めるという意味で、進歩・発展・自由・平等を普遍的な価値とした〈普遍宗教としての浄土真宗〉の主張は有効であります。
戦後の日本仏教研究は、現在ある教団の祖師の信仰がどこまで普遍的であり、また現代思想としての評価に耐えうるかの実証を目的としてきた、といわれます。(中村生雄『カミとヒトの精神史 日本仏教の深層構造』一九八八年六月十五日、二四九頁) そのため、祖師の教えが、近代をささえた諸価値と合致するものであることが必要条件となりました。しかし、こうした、近代の諸価値を普遍的な価値とした、「伝道教団」から「教化者教団」に変遷し、さらに「制度化教団」から「遺制教団」へと変遷したという二葉氏の学説・主張の背景となる、日本仏教研究の方法自体が、今日、見直しを要請されています。
いまから三十五年前、一九七五年、黒田俊雄氏(大阪大学文学部教授)は、それまでの鎌倉時代の法然上人や親鸞聖人が、国家や貴族のための仏教から、民衆のための仏教に日本仏教を改革した最もすばらしい仏教者であるという、鎌倉新仏教史観の見直しを主張し、法然上人や親鸞聖人の思想史的意義も仏教の民衆開放に求めることも難しくなっています。まさに、鎌倉仏教観の転換によって、親鸞聖人が鎌倉仏教の代表という時代は終わりました。
また、東京帝国大学教授であった辻善之助氏の日本仏教史の研究において形成された、江戸時代の仏教は幕藩体制に組み込まれ政治権力に屈服し、創造的なものをもたない、宗祖の精神が形骸化した制度化教団・葬式仏教になったという「近世仏教堕落論」の見直しが、今日、日本仏教史の研究では常識になっています。
こうした日本仏教史の今日的な研究状況を真摯に受けとめるならば、近代的な諸価値を解釈・理解の基準とした、近代の日本仏教研究の方法論の見直しは必要に思います。
これまでの基幹運動における「理念」の解釈も、近代的な諸価値を普遍的な価値とした親鸞解釈・浄土真宗理解に依拠してきたように思います。
たとえば、一九九四年(平成六)年三月、基幹運動本部事務局編集・発行の『基幹運動推進用語解説集』では「御同朋」を解説して、「『御同朋』ということは、全てのいのちあるものは阿弥陀如来の平等の大悲に包まれて生きている存在ですから、すべてのいのちあるものを『大悲の仲間』として見、接していく意味で使用しています。」(六頁)と解説しています。
さらに、『浄土真宗聖典(註釈版)』(二〇〇三年、第二十一刷)の巻末註には「同朋」を解説して、「同師同門のとも。同じ専修念仏に生きる仲間。すべての人間は仏の子であるという自覚にもとづき明らかにされた、念仏者の平等性をあらわすこと。」と解説しています。
つまり、「阿弥陀如来の平等の大悲」の視点や「仏の子であるという自覚」にもとづき語られる「同朋」という言葉が、この近代的視点から解釈されると、進歩・発展・自由・平等を、最も身近な課題としている立場から解釈されることになります。「念仏の法は、歴史的・社会的現実のただ中で差別と抑圧と支配に呻吟する具体的な機としての衆生に対応して説かれるものなのである」(尾畑文正『真宗仏教と現代社会』二〇〇八年三月三十日、一〇五頁)や、「差別され抑圧された側から親鸞を理解するという方法論」(神戸修「『御同朋の教学』構築の前提―親鸞の生き方に学ぶ―」、『同和教育論究』第二十九号、二〇〇九年十二月十五日)の主張がそれです。
すなわち、かつては封建的身分制度の抑圧があり、明治維新によって、そうした封建的身分制度の抑圧から一部解放されたが、今度は、近代国家の形成と資本主義経済の発展によって近代資本主義の搾取という人間疎外のなかに置かれている。だから、こうした封建的身分制度の抑圧と近代資本主義の搾取という、〈身分〉や〈階級〉による人間疎外から解放されていくなかに、新たに政治的・社会的にもめざめた、主体性をもった御同朋が具現化されるという、御同朋解釈がなされてきたように思います。
つまり親鸞聖人の語った御同朋という言葉も、近代的視点から解釈すると、主体的とか解放的という含みが入って、弱者・被差別者としての存在が、〈身分〉や〈階級〉による人間疎外から解放された主体になるというわけです。
その意味において、私は二葉氏の〈普遍宗教としての浄土真宗〉の主張を、近代における〈身分〉や〈階級〉における人間疎外を課題とする、非常に重要な方法であり、宗門や国家の封建遺制の打破・改革の方法としては大変有効であると思います。
大遠忌法要後の基幹運動を考えるにあたって、わが宗門が立教開宗に依拠する宗教団体である以上、次第相承の〈法灯伝承〉を大切にする、〈開山信仰としての浄土真宗〉の立場を大切にするとともに、近代における〈身分〉や〈階級〉における人間疎外を課題とすることの出来る、〈普遍宗教としての浄土真宗〉という立場も大切にする必要がありましょう。
大遠忌法要後の基幹運動には、この〈開山信仰としての浄土真宗〉と〈普遍宗教としての浄土真宗〉をトータルに、バランスをもって採用することが、要請されていると思います。
ご静聴ありがとうございました。
※以上は、二〇一〇(平成二十二)年十一月三十日に開催された「中央基幹運動推進委 員会」における私の講演原稿であり、あくまでも私個人の見解です。
なお、私の「第二百九十五・二百九十六回臨時宗会のご報告」も併せてご参照いただければ幸甚に存じます。(2011年5月4日掲載)